ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(マルティン・ルター):悔い改めの生涯。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2021年05月15日 00時01分35秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   私たちの主であり師であるイエス・キリストが
   「悔い改めなさい……」(マタイ;4・17)と
   言われたとき彼は信じる者の全生涯が悔い改めで
   あることをお望みになったのである。

     (『ルター著作集』ルター研究所編 教文館 )


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 この拙文を読んでくださっているあなたにとって「悔い改め」とは何だろうか?
 「わたしは悔い改めなければならないほどの罪など犯したことはない」と思っているかもしれない。しかし「罪を犯したことのない人間は存在しない。人間となった神・主イエス・キリスト以外には」という信仰がフツーの伝統的なキリスト教の人間観である。
 「彼は信じる者の全生涯が悔い改めであることをお望みになったのである」という上記に引用したルターの言葉ほど神の御前で人間はどのように生きるべきかを簡潔に言い表しているものはないと、わたしは思う。「神さま! 」と心底からの叫びをもって神を呼び求め神の御前に自分を置くことができたとき人間はごく自然に悔い改めの心が与えられる。
 主イエス・キリストはあなたのすべてを完全にご存じだからである。主はあなたの心を和らげ、たとえどのような罪(殺人の罪でさえもである)を犯していても、そして無自覚におかしたイジメの罪でもほんのちょっとの盗みの罪でも、姦淫の罪でも、「ほら、ごらん、あなたの罪は赦された。安心していきなさい」とやさしくあなたを悔い改めさせ、つまり「ご自分に祈る者」とせられ、あなたにご自身の復活の命を与えてくださったのだ。


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