仏像の問題などもありましたが、チョンの実力はほぼ無いのですね?
例えば南大門の修復なども「基礎図」が無い状態で始めると言う「根拠も無しに始める」と言うのは「近代建築」に近い状態ではありえません。
ただ、それに近いのは実は「法隆寺」などの「今から千年以上前」の建築物では図面無しと言うのが当たり前なのです。
まぁタンタンニュースとは異なりますが、実は日本が図面を使って計画するのは近代と言うか室町時代ぐらいで、木の板に書いて設計するぐらいでした。
この辺を見ると「トップダウン」の欧米の「計算主義」に対して「ボトムアップ」の日本の(東洋ではない)設計の違いがあります。
ただ日本では「チョングソ」の得意技「言い逃れ」が出来ませんので、その辺が違うだけで偉く変わってしまいました。
このチョンの「サボる意外に何も無い」と言う「無駄な事しかしない」チョングソとは日本は根底から違いました。
組み物と言う建築細工で「どうしてこんなものが?」と言う「幾何学的に有り得ない構造」を日本の建築は古代からやっていて、これを称して手遊び(てすさび)と言うもので、箱根の寄木細工などもその際たるものでした。
「現物としての出来の良さ」が「日本の伝統芸能」で、その訳の分からない構造を必ず、その時の大工は見抜くのです。この「技を遊ぶ気質」はトンスランド・虫獄以外では良くある事ですので、チョンは「分からないまま死ね!」
さて、タンタンニュースでは「アニメチックな仏像」を「けなして」居ましたが、あの手の像は南アメリカなどのインディオのテオティワカンなどにも、よくあるので、あれをけなすのもどうかな?とは思うのですが、お面とか彫像の出来の悪さは「正真正銘」の「糞民族」ですね。
ただ石を削るのは「根気の強さ」が必要で、その辺は「他のチョンの悪戯」とは違いますが、トンスランドには「南大門」があります。これは「チョンが作ったとは思えない出来」なので、石の仏像と同じように「誰か?」が作ったのでしょう。
さて、絵図面無しに、建物を作ったのは事実ですが、その一方で、織田信長の安土城などの、巨大建築の走りの頃から、絵図面無しに「事前検討=設計」が無くて作れませんでした。
まだ、当然の如く「出来ないものはできない、出来るものをやる」と言う「臨機応変=場当たり的」な状態は続いており、南大門も、その頃に近い作品でしょう。
思うに、国宝の最たるものが無くなり、無くなっただけでなく再建も出来て居ない。それでは、本当に「国の国たる所以」が無くなったと同じです。
つまり「トンスランド」は「火と共に去った」のです。
しかし日本も人の事は言えない。
出雲大社は、高さ50mを越える巨大な柱によって構成された、2000年前かられっきとして存在している巨大建築だったのです。今の出雲大社も凄いのですが、それを遥かに超える巨大な大社の何相応しい「THE大社OF大社」なのです。
これを日本は500年前に失いました。失って、そのままです。
他所の事ばかり言えません。
口で適当にほざくのは「言い逃れが通るチョングソ」のみです。
日本人は「実力・実力・実力」そして「実物・実物・実物」で結果を出しているのです。
タンタンニュースの悪い所。それは、あのチョンの駄目さ加減で「根拠の無い優越感に浸る」のです。
チョンが駄目と、日本が偉いのと、自分が偉いのとを同じにしてはチョンと同じです。
我々は日本人である。日本人ならば、時代に棹差す実力が必要なのです。
チョンの様に反抗できない相手に「チ○コ」を挿す位、チョンでも虫獄でも出来る事です。
私も毎日奮闘あるのみです、って事で、今からネットシステムを色々いじります。
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