歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

今必要とされる徳政令。売国奴集団が歪曲した真の姿とは?

2012年10月04日 22時24分14秒 | 日記

今マイナス金利が問題となっている。これとデフレの違いが良く分からない私である。どうせ経済の事が分からないとほざくのだろう。だが羽陽曲折ばかり多くて結局どうなの?と言うこととなると馬鹿が馬鹿面して黙るだけだ。

このマイナス金利と言うものはマネー経済の御本尊である江戸時代の経済には無かった。代わりにあるのが徳政令である。
またマネー経済を池上ハゲ嘘適当彰の様に言うとおかしくなる。何より両替商と座を混同している時点で「混同真っ青くん」と呼んで上げよう。
例えば今のマネー経済を一番痛めつけたのは紙切れの様な債券である。この債権と言うものが機械的に取り扱われるのが今のマネー経済である。実感の無い算数の使い手のお遊びである。だが江戸時代は「業界」がありビッグバンで取り払われた「垣根」が常に存在した。
大体通貨の代わりとなった証文は池上ハゲ嘘適当彰の様な取り扱いでは無い。元々座ベースで、証文の値踏みが行われ、業界の同意の下に幾らのモノを持っていると合意して把握している。
それを頭の悪い馬鹿文科系大学出が偉そうに利口利口の原理で、せいぜい分かる算数ベースの「けいさん」で出したのが今の債券である。
大体、商品相場もビッグバン以前には、各相場には相場師が居たものである。この相場師の常識を超えて相場は存在しなかった。つまり、ビッグバンまでは日本の相場と世界の相場は似ていたのである。だが数値として仮想化した「業界」もなく「垣根」もなく「現実感覚」が完全に剥離した「訳の分からない利口の世界」がマネー経済であった。
それに一番近かったのは、米相場である。この米相場は、米券の売り買いをするごとに相場が高騰した。この相場の上がり方は、通貨価値として遺す事が出来たのだが、この相場の急上昇がある一方石川英輔氏の本に依れば、江戸時代は200年間殆ど物価が高騰しなかった。この一般物資の高騰が結果論として無かったコトがマネー経済が維持された事にも依る。今とは違うのである。
また一時期高騰した時もあったが、その時は往々にして暴動が起きたのである。米騒動も何度もあった。だが今は、それが無い。その結果、金とほざく数字は増えるのみである。だがその結果はどうなるのか?
大体、通貨価値の増加は、投資の可能性を作るものだった。だから、この金の増加分が、新たな産業を作り出して行った。それを可能としたのが江戸の流通経済だった。よく江戸時代は、通貨のバブルバブルとほざく糞が居る。だがそれは慶応や法政の寝言であり、池上ハゲ糞嘘彰の寝言である。
江戸時代は通貨が常に不足しており、それが問題だった。最初通貨は貨幣の形で供給されたが、これが問題となった。Wikiで見ると宋はデフレで滅びたと書いてあったが、それは実に良く分かる話である。
通貨は、貨幣としての金属を流通にも、価値保存の為にも実物として存在しなければならなかった。あまり頭の悪い慶応や法政、池上ハゲ嘘適当彰が伝えないが、通貨としての現物として刀が使われていた。実際、褒美として、戦国時代から与えられるものだった。実は、何がどう好転するかわからないが、戦国時代と言うこともあって、とにかく日本は150年に渡り近隣の鉄と言う鉄を集めていた。この鉄集めは、往々にして通貨の流出以上の利益を与えた。
理由?かっぱらったの。当事の貿易商は往々にして海賊だったりする。表立って海賊だって言ってかっぱらっている事例も多く、結構極東では嫌われ者だったのです。
この間「サラメシ」に出ていた糸井重里が血道を上げた埋蔵金だが、これは徳川の分も豊臣の分も当時の経済を見ると全部投入しても到底江戸時代の初期の通貨すら賄えない状態だったらしい。
その結果、江戸時代は早々にデフレ状態に陥った。それを打破したのが座の間の「お互い持っている事の確認書」である「証文」の存在だった。この証文は座の間での融通を認めるものであり、その流通が通貨との同等性を民間で認めるというシステムを作ったが、これは業界がきちんとした権威と合理性を持っている事が前提だった。慶応の竹中平蔵の様な勘違いした馬鹿は最初から相手にされていない。
紙に書かれた事が通貨としてまかり通るというのは、それまでの借用書をきちんと守った伝統があっての、事であった。適当でいい加減な慶応下劣品性では当然無理だったのだ。
この事が無ければ江戸時代は、纏め買いをしないと通貨が使えない状態となったのである。そこで多額の金は通貨の形ではなく証文で保存するという形とした。
そこで両替商と言う事になる。つまり一般的に流通する金は両替をしないとダメだったのだ。また証文が両替商の間で事由にと言うのは池上ハゲ嘘適当彰の嘘である。証文は基本的に業界内の流通であり、取引の多くは証文で通った。これらの証文で持っている事になった商人だが、実はそれは大きな問題があった。これを通貨として両替してしまうと通貨の値段が上がるのである。だから商人は精々大棚でも2千両ぐらいの金ぐらいしか持っておらず、それ以外は往々にして証文だった。この証文と現金の比率は今の企業内部での小払いとそれ以外のキャッシュの割合と同じである。
それ以上の両替をして通貨とする場合すぐに現金通貨は高騰する。この辺の細かい事実を伝えないと意味が無い。この頃大店がお祝いなどをする事で現金が多く出回ると、そこの通貨が一時的に上がる。通貨は証文に依って買われ、相場によって価格が上がるのだ。この様な部分的な為替の変動をも与えるのである。
また一般的に流通する通貨=現金とお金持ちの大きな金の流れ=証文は棲み分けられていた。通貨としての貨幣価値は米相場で生み出されており、その通貨は、全体として流通している物資の増加量と比例して増加した為に、デフレもインフレも無かった。いや増加量があったとしてもそれは証文通貨として存在しており一般生活とのリンクは両替商が止めているという事である。
池上ハゲ嘘適当彰の適当経済は、事ほど左様に嘘である。
もっと言うと、この流通でも現金はナカナカ使われず、期末に支払い、それまで付け払いをしており、現金が度々使われるというシーンは嘘ゴミマスゴミアカゴミの嘘である。そして、ここにも信用と言うものが経済の骨子を支えるものとして重要な存在として残っている。つまり嘘ゴミマスゴミアカゴミには無いものである。
その為、カネカネカネとほざく慶応や馬鹿文科系大学出の寝言は、この時代存在しなかった。金は人と人との間の信用によって流通となっていた。そうでないと厄介事が発生した。
今の慶応や法政を中心とした不道徳なエリート調教勘違いは、江戸時代評判の失墜と共に人扱いされないだけである。そして、それは人のつながりである経済からも排除された。江戸時代慶応の様な不道徳が服を着た奴等は相手にされなかったのである。
さて、ここから札差と侍の世界となる。よく殿様商売と言うが、実は侍相手に商人はぼろ儲けをしていたのだ。元々徴税権があった、侍からの米を勝手に勝手に値段を付けて勝手に買って、勝手に足りないといって勝手に借金をさせるのである。
良くケインズ流の経済を吹聴するが、これは侍型の経済刺激といって良いだろう。或いは財政出動といってよかった。つまり簡単に儲けられる侍の支出があってこそ商人はぼろ儲けをする元手を手にして、最初のうちには経済の発展に必要な通貨の創成を行い信用を増やしていった。この信用は本当に人と人との顔の見えた信用であり、嘘面した慶応や法政や池上ハゲ嘘彰のごまかしとは違う。
しかし利率と言うものは、観念的なもので、必ず破綻を迎える。その結果、元手を出している侍の生活を沈滞させるという本末転倒をした行動を取る。大体、この時期通貨は金本位制ではなく米本位制である。この事は慶応や法政や池上ハゲ嘘彰が全くほざかない。理由?米本位制と言うと経済の中心みたいじゃないですか?だから米がなくなると経済が無くなると言う江戸時代の現実があるから文部省から始まって嘘を並べているのです。慶応嘘、法政嘘、マスゴミ嘘です。
さて、では徳政令は、何を放棄したのか?それは侍の債券ばかりである。所が、これは全部が全部ではないのだ。当然嘘ばっかりで本当の事を教えない文部省の嘘歴史では伝えないが、放棄できない債券として藩札があった。反札は発行主体が藩なので、放棄はできない。みたいな事をしたのはあったが、それは個別問題である。幕府政策としての徳政令では全部の債券を放棄させたのではなく、金持ちの振り出している。もっと言えば、甘い汁を吸っている分際で適当な借金を振り出している札差の債券を放棄させたのだ。
これで経済が大混乱したとほざくのは、間違いである。これは先ず問題を起こしたのは上方の札差である。だけど、この札差と言う仕事自身は大体幕府の許可制であり、それで甘えている上でぼろ儲けしているバブル業だった。だから、この徳政令は、よくあの程度で済ませたものであるというのが正しい。
そして世間が大混乱と言うのはどうも間違いで、実業には殆ど影響が無かったのだ。何故なら、実業の多くは、生活にリンクしており、金が増えたから生産量が増えるわけではなかった。逆に言えば通貨の増加量は生産の増加に即したもので無ければならなかったのだ。それは物価が示している。米が暴騰したというが、米は元々札差と米相場で暴騰するものである。だが、同時に増えたものがある。それが地価である。江戸庶民の生活とは直接関係無いと石川英輔さんは扱っていないが、江戸の地価は増加一辺倒だった。沽券(地価の債券)は増加の一途を辿り、その結果経済性を度外視した地価が付いた為に、誰も借りない土地が増えた。これが虫食い地である。
新宿(内藤新宿)や品川(品川新宿)が栄えたのは、その所以である。つまり地価が原因となったドーナツ化現象が始まっていたのだ。この地価バブルが江戸幕末頃に発生して国家がダメになった。つまりマネー経済は多分この頃限界に達していたのだ。
つまり永遠に栄える経済は無い。この点は今や下衆の集団となったJBPRESSと同じであるが、この限界は、完全に実業から剥離し易い今の江戸時代とは違うバブルと実業を同じにする経済体制の為であった。だが金持ち商品である国債がマイナス金利をつけている。(国債は今でこそ一般人も買えるが、昔は買えなかったのは知っているよね?)
だが、この程度の通貨の減少では、始末が付かないだろう。今後どのようにして通貨の減少を維持するのか?これが問題となる。バブル業を叩く事が何より重要なのだが、今の金融が厄介なのは実業に食い込んでいる為に根絶が難しい。
ただハッキリしている。金持ちが持っている金を放出しないといけない。だが量的緩和や低金利政策でバ歌人の委員会がほざいた金持ちに金を使わせる全部が騙るに落ちている。
一番簡単な事?多分成長するのが良いんだったら、金を持っている奴の資産を物理的に破壊してついでに通貨も破壊するのである。それが前大戦だった筈だ。
そんな馬鹿な?ってか?ははは!それは金持ちの都合だ!良く覚えておこう。今の時代金持ちの多くは、ただ金だけを持っている奴が多い。だったら、こいつらが丸裸になるのは通帳の残金を0にする事だよ。実に簡単。一番灰にして被害が少ないのは金融機関だよ。これを破壊すれば一番早い。
実は、これに近い政策は何とGHQが一般流通する通貨の上限を制限するというものだ。この英断が無ければ日本の経済はハイパーインフレーションによってダメになった可能性がある。マッカーサーの偉業の一つだが、何故か知らないが経済関係者はこの政策の有効性を認めない。この事をしなかった国は往々にしてハイパーインフレーションで長い間苦労したのに。
これが合理的な経済とか、ご立派なご教育の内容である。ある様で無い様な、内容である。
分かったかい?本当の意味での教養と言うものを。これが歳の分だけ知識を穏当に得た普通のおっさんの知識である。慶応は私よりも年寄りの白痴が教授といわれているようだ。ははは!さすが馬鹿の都!


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