歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

姪が着ました。子供の遊びを考える。

2014年06月17日 20時33分08秒 | 日記

この間、3歳になる姪がやってきて、もう狂ったように、遊び捲った。もう、相当動いたにもかかわらず、そんなに疲れもしなかった。

その姪を見ていて思うのは、子供は、何もなくても遊べるし、おもちゃなんて色を添えるもの程度で、何にでも興味が持てるんだ。

私の姪は、例の如く「私を召使い」にしていて、呼ぶと何でも言うことを聞くことだけを信じて呼ぶんだな…。

をぢちゃんは、リアクションが楽しいらしくて、もう、大いに喜びまくりでした。

それで思うのは、今の環境は「清潔で静か」で、それはいいのだが、生命の息吹を感じない。

まぁ蜂や蝿が飛び回るのは勘弁だが、その一方で、カミキリムシやカマキリ、バッタが見られなくなった。

蝶々やトンボは来るんだが、それ以外は殆ど無い。

カブトムシやクワガタばかりを吹聴する連中も居るが、所詮、虫は虫の世界の広がりの中から豊になるもので、カブトムシだけやクワガタばかりを礼賛するのはゴキブリばかりが彷徨き回る都会と重なる。

さて「すくすく赤ちゃん」なんかで、色々やるが、子供が楽しむおもちゃなんて、それこそ金をかければ良いものではなくて、子供のイメージに合わないとダメなんだようだ。

姪も、ダメだダメだと言われる所程行くのである。3歳の姪の来訪を聞いた10歳の姪も来たが、立派な「おねぇちゃん」となって、これが「仕切る仕切る」。

「さっ!今からダルマさんが転んだやるよ!」

「今から、隠れんぼやるよ!おぢちゃん、隠れて!早く!」としっかり言う事を聞かされております。

姪を見ていて感じるのは「何か手に持ちたい」と言う欲求は感じます。

子供は、何か持って振り回して、それが壊れたり、引掛かったり、何かのとっかかりになるのを望んでいる様に思えます。

思うに、虫という玩具が子供には一番なのかもしれません。

また雑草や木の小枝、竹の枝などが、良い玩具なのかもしれません。

今日び、子供は不幸なのかもしれない。

何故かというと、大人が自分の遊びに熱中して、子供の姿を見ていない。

また、その大人の考える売れそうな玩具と言うものも、何か、違う様な気がする。

我々の時代、小学校○年生と言う小学館の雑誌には付録が付けられ、それがダンボールによる玩具だった。

すぐに壊れる、つまらない玩具だったが、それでも少しの間は楽しめた。

今プリンターが機能を増しているのに、そういう遊びをやろうと言う連中がいない。

よく馬鹿がITITとほざくが、それは子供の遊びに使え!子供の遊びには、出来るかな?の様な創造性と儚さのあるものが良いのではと思う。

その一方で幼児番組が薄くなっている。これなんぞも、本当に知らず知らずに大人の都合を押し付けているのである。

一旦、弾ければ、笑いが渦巻く姪だが、そこに乗せるまでは、黙って見ているだけだ。

だが、弾けると、まずは「下ネタ」である。「お尻プリップリッ!、ウンコウンコ!ブリブリ!おならプープー!」を何度も繰り返す。

おおっと、韓流攻撃か!いかんいかん!だが、姪には楽しいフレーズだ!

黙った後で、騒ぎ出すのは何時も「お尻、ウンコ、おなら」である。

指しゃぶりの「口唇期」を経ると、今度は排泄、主に大便に興味を持つ「肛門期」となるとは、子供が出来て小児心理を齧った魔夜峰央のパタリロにあったが、実際、この肛門期を言うのを感じる。

だから「ドクタースランプ」のウンコのキャラクターは何時の時代もチャンピオンなのである。

まぁ鳥山明もよくぞやったものだ、とは思うが、初年ジャンプはトイレット博士以来の肛門期である。鳥山明が出るまでは、本当に、静かだったが、出ると「ウンコ全開」である。

今でもキャラクターショップでウンコの縫いぐるみがある。姪は、喜ぶだろうか?だが、ある時から急に「おねぇさん」や「おしゃまさん」になる。

それは突然にやってくる。だから、面食らう。

今の10歳の姪は、まさにそれだった。

ああ、ウンコウンコの世界は、長くは続かないのだ。

そう思うと、可能な限り、もう二度と戻らない、ウンコの大合唱をやろうと思う、たまに屁をふると身が出てしまうおじちゃんだが…。


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