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日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

100分de手塚治虫を見て、思う事。(3)火の鳥と言う、哲学は何とも浅そうで深く、深そうで難解ではないような…

2016年11月14日 23時22分28秒 | 日記

100分de名著では、毎度腹を立てるのが、仏教とアドラーで、延々と何ぞほざいているが「それが落ちかよ!」と言う内容の無さが毎度辟易します。

それとは正反対なのは手塚治虫の漫画でしょう。

トランスジェンダーもそうですが、これは性の問題であり、生の問題であり、恋愛となれば、それに客観的な正しさは存在していません。

手塚治虫氏の最後もそうですが、死は突然訪れて、今日は昨日の続きで、今日の続きで明日があると言うものこそ、死という現実、生きている奇跡を感じるものです。

火の鳥鳳凰編で、我王が最後の悟りを得て「宇宙の中に人生など、一切無だ!ちっぽけなゴミなのだ」と言う時に笑い声を上げました。

それを見て私は、別の人の姿が重なるのです。

歌舞伎の中村勘三郎さんは、死の直前、意識もなくなった勘三郎さんが、突然大声を出して笑うのです。

それは中村勘三郎さんの最後の感情を表現した一瞬でした。

火の鳥鳳凰編を見ると、この時の中村勘三郎さんの笑った意味が、忍ばれます。

また「今日は昨日の続きで、今日の続きで明日がある」とは、アインシュタインが相対性理論のベースとして考えていたものでした。

つまり永遠に続く宇宙、その根源は永遠の過去からのものとして考えていました。

この存在哲学の違いはハッブルの法則で着目され、今、どれほど宇宙が「崩壊」へと向かって加速しているのかが立証されています。

一方で、例えば、ドレークの生命方程式とかなどで、宇宙の中に生命体が居る存在は極小規模であることだけは分かっています。

例えば地球と言っても、生命の生存圏は今の所-2500mの深海から8000mの生存圏内だけです。直径12000kmからすれば0.0087%の所にしか生物は居ません。

太陽の直径の1/108しかない地球の更に0.0087%にしか生物は居ないのです。

よくハッブル宇宙望遠鏡で星が生まれる所を見せていますが、あの光のある領域は生物が住めません。

宇宙線が激しすぎるからです。

この世の中の僅かな生物生存領域。

それが地球で、それは「ちっぽけ」どころではないのです。

毎度コズミックフロントで描かれる延々とした未来への可能性は、原子力発電所が丸々一個完全破壊されたら急に現実となります。

それは突然癌が見つかり、余命幾ばくもなくなった勝野ひろしとキャッシー中島の長女や今井雅氏の様なものです。

そして何より火の鳥を描いていた張本人が、そうなりました。

また糞チョン集合地獄=電通でも、東大の生命力溢れる美人さんが、宇宙でこれほど最低の物体はないと世界が認める電通のチョングソ物体に依って自殺してしまう事もあります。

まぁ電通を皆殺しにするのは規定の方向として、延々と悪事と死をひり散らす電通を中心としたチョングソども、などの存在を見ると、人生とはなにか?と思わせられます。

どうもチョングソや虫獄はパクる事はあっても手塚治虫を理解する能力は根底から無いようで、それは手塚治虫の別のパワーとして、明記しておきましょう。

近年起きる老いぼれに拠る若者の殺害を見るにつけ、無常の世の中を今でこそ感じます。

死すべきものが生き、生きるべきものが生を剥がされる時代です。

一つ言えるのは、手塚治虫の漫画は、仏教野郎やアドラーと違い、完全には分からないが、生あるは、死を前提としてあり、生まれるに所以はあるが理由はない。

つまり親がエッチして産んだけど、貴方が、どんな意識で生きているかは、何ら関係はない。

それは貴方が今どんな行動をしているのか?それをどう思っているのか?と言う事をある部分は決めもするが、最終的には本人にかかっている。ということです。

そして、良いか悪いかは、今の状態過去の状態、で決めるもので、その影響は未来に縁として連なるものである。

最終的には「明日は明日の風が吹く」と言う事でしょう。

それは良い意味でも悪い意味でも。

その様な実も蓋もない事が現実ですが、それでも覚悟をする事は必要でしょう。

延々とほざきましたが、最終的には「人の振り見て我が振り直せ」「他山の石とする」程度のものですが、それでも考えずにはいられない、だから皆手塚治虫に惹かれるのでしょう。

予定調和、失礼致しました。



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