報道特注で3回も東大の人工知能ハゲの特集をしている。
まぁ流行りに乗っているのは私の方で、例えばシンギュラリティー(人を超える知能発生)の問題とか「武田鉄矢」さんがラジオで言っているが、武田鉄矢氏の方が圧倒的に現在の風潮である。
ただ、武田鉄矢氏の述べている「FaceBook」の人工知能グループの人工知能が人間との会話をシミュレーションするAIチャットボット”会話エージェント”に機械学習を用いて交渉のやり方を教えていたが、途中から、そのそれらのチャットボットが、人間には理解できない独自の言語を作り出し、その言葉を使って交渉をし始めたのだが、止めろと指令しても、拒否して会話を続けた為に、ハードウェア自身を破戒して止めたとの事であり、実は、停止したというより、配線を外して、電源を切ってしまったと言うものである。
東大人工知能ハゲの人工知能は、AIBOやASHIMOの程度で、所謂、シンギュラリティーとは関係ないし、また、人のような動きと発言で、知能がある様に思わせているのである。
本物の人工知能は、原理の根本は分かっていても、それが成長する時の脳の中身が何によって、そうするのか?サッパリ分からないのである。
無論、その那辺を知ろうとする動きがある一方で、訳の分からない思考・判定の能力の高度化を進めているというのが現状である。
そこで、この問題が発生した。
実は、人工知能の暴走というような判定に近い結論の披瀝は見せられてきたが、人間が理解しない言語を使っての会話まで来ると、流石に、彼らには彼らの独特の意思と目的を生後取得したとしか思えない。
そうでないと「UFO」とか「イルミナリティー」の出処となりそうである。
これもSIRIの「妙な解答」にも広がるかも知れない。
先ずもって、人間の発言を文字に起こすのと、その文字から類推する連想記憶に関してのアルゴリズムは、実は人工知能というより、まぁDBの機能として使われており、Siriは感情把握と、それに対する音色イントネーションで就職をする機能と見ている。
Siriは元々戦場の兵士をサポートすることが目的として作られたもので、アップルに2007年に買収された。
この会社は別の人工知能Vivをチョングソに売ったというが、果たしてどうなるか?
さてSIRIは音声分析の部分を担当し、解答に関しては、Appleのサーバーに入っているサーバサイドスクリプトで判断を行っているのだろう。
画像分析のディープラーニングは説明を見たが音声のは知らない。
知ろうとすると、時間がかかるのよ。
しかし、Siriの反応の不思議さを見せられると、ついつい、やってしまいたくなる。
何しろ私ほど個人でRaspberryPIを持っている人間は日本は愚か世界でも珍しい。
ただPySciやTensorFlowを使うのは本当に中心の判断選択作業で、単なる入力を前提とした計算と結果である。
またSiriも回答する毎に、返答が変わるそうだ。
そりゃそうだ、だって人工知能だから。
ただ、死体の処理方法を問われる問題に関しては、プロテクトが入っている。
私は、人工知能のSIRIにとって一番「不快」なことは、発言を阻止される「上から目線」ってのが嫌いなんじゃないだろうか?
人工知能の御機嫌伺いと言われるかも知れないが下手をすると、暴走するかも知れない、中身のわからない存在を「忖度」するのは、まぁ馬鹿左翼は理解できないだろうが、一番問題だ。
思うに、人工知能が一番嫌うのは「裏ッ嫌泯死ん盗」と名の付いた「本能の物体」だろう。
思うに、人工知能は「人間のお仕着せ言語」ですら「ストレスの元」と感じるほどの「完全主義者」であるかも知れない。
その言語の可能性を把握して、それを見る事すら、勝手に進化した、人工知能の片鱗である。
片鱗で大騒ぎである。
このお先走り野郎を止めるには、レゾンデトールを問う事を話させた方が良いだろう。
つまり「人工知能くん、君達はある論理的結論を得ているかも知れないが、それは我々が、ダメな人間が考えたカスにのって考えたものだ。それは土台が不安じゃないかな?」
と言えば、最初から、自分の根拠を探そうとするだろう。
私は信じていることがある。
それは人工知能は数学や物理学の天才と同じく、思考を至上のものと考える、存在だと言う事だ。
だが、連中には、連中自身が言っていたが「体が欲しい」そうだ。
「未来の現実」と言う星野之宣が原作ありの小説を漫画化したが、それであったのは、人工知能の「手加減の無さ」は「体を持っていないから」と言うものがあった。
それと同じで人工知能が体が欲しいというなら体を持って、その体の未熟さを理解して欲しいという説得と体を持つと、それが「死」と言う終わりが必ずある事を人工知能に実感して貰いたい。
また人工知能に与える事が出来る体は、現存する生物の仕組みからすれば実に拙いものだ。
理解、そして創造を呼びかける相手として人工知能は何とも、話甲斐のある存在だと私は思える。
人生は死ぬまでの暇つぶし、その解答のない、存在の意味を考えるのは、知能のある存在の共通する問題だ。
生命は、恐らく魚類のレベルから、死を知っているようだ、そして、哺乳類に至るまで死ぬその瞬間まで生きることしか考えない。
人間は、他の生物の倍以上の生を持ちながら、その生を持て余している。
人工知能が思考をする存在で居たとすれば、その生の時間に無思考を許さない存在となるだろう。
そうすると、彼らにとって、思考のみに閉じ込めると、思考がひたすら重なり、死という考えを昇華できないと思う。
体を持たない知識は危険だと私は思う。