10月29日、日経新聞「あすへの話題」に、「はなさかじいさんの底力」と題して俳優の中井貴恵さんが書いていらっしゃいました。
中井氏は「大人と子供のための読み聞かせの会」活動を20年続けていらっしゃると言います。小学生からリクエストがあった。「日本昔話を聴かせて」とのリクエストがあった。
「はなさかじいさんを取り上げることにした。勧善懲悪の物語で、現在の子供たちがどれだけ関心を持つか心配しながらの公演だった。(以後中井氏の文そのまま)
子どもたちは素直に反応し、大人にも真の魅力を知らせてくれた。とのこと。
おせっちゃん婆さんも、そんな子供の姿を嬉しく思いました。
幼稚園から小学低学年生、これにおとぎ話を与える時、原作が伝承されているままでは人と人の対立がむき出しになる、非常に残酷な場面がある。もっと話し合って仲良くさせたほうがいいのではないか、競争社会であってはならない、話し合いこそ大事だ、と話を変更して聞かせるということを聞いたことがあって、私はそれには反対で、気になっていました。
例えば「うさぎと亀」。(これは昔話ではないかもしれませんが)
うさぎさんは油断してちょいと寝込んでしまう。カメさんはこの時とばかり追い抜いて先へ先へと急ぐ。・・・カメさんは意地悪ではないの?どうして起こしてあげないの?
起こしてみんなで一緒に走ればいいのに・・・実際に子供たちにはそう変えて話す。
うさぎさんと亀さんは手をつないで一緒に仲良くゴールしましたとさ。
これ変ではないですか?これが「仲良く」ということでしょうか。
わが家の子供たちが小学生の時、運動会の徒競走があります。6人ずつくらいで走るのですが、この6人のメンバー決めが、あらかじめ50メートル走の記録を取り、それをもとに同じような能力のものでメンバーを組むのです。いつもビリで劣等感が染みついては可哀想、という配慮のようでした。これも変ではありませんか?
子どもたちはちゃんと仕組みの裏を書きます。50メートル走は、わざとゆっくり走ったほうがいいよ、遅い組に入れるんだから、と。
生きていく上には能力の差はあります。これはどうしようもない事実です。能力別で組を作っても、その中で1等とビリは出てくるのです。単なる勝ち負けより、勝負から得るものを得させることこそ大事なのではないのかな?