バードカービング幼夢(おさむ)の森 

バードカービング、錦鯉飼育、魚とり(釣り、投網)、庭木で果樹収穫など趣味を紹介

若かりし頃の思い出

2010-01-21 15:35:17 | 若かりし頃の思いで

昨年の暮れの大掃除で懐かしい若かりし頃(40年ほど前)の写真が出てきました。
独身の頃でしたので貯金もせず、車にお金をつぎ込んでいましたねー。
目立つ車、希少価値の高い車を追い続けていました。
定年後そんな心の中の虫がまた目覚めてしまい、今はロータスヨーロッパに乗って
エンジョイすることになりました。
過去に所有していた車を紹介します。

市販レーシングマシーン ホンダベンリレーシング CR93

エンジン種類 空冷4サイクル並列2気筒DOHCギヤ駆動
排気量 124.8cm3
最高出力 21.5PS / 13,500rpm
最大トルク 1.05kgm / 10,700rpm
最高速度 135km/h
変速機 5段変速
サスペンション(前) テレスコピック
サスペンション(後) スイングアーム

市販レーシングマシーン誕生の経緯

1961年、マン島TTレースの125ccクラスで1位から5位までをホンダワークスレーサーRC143が独占しました。1位にはマイク・ヘイルウッド、2位ルイジ・タベリ、3位トム・フィリス、4位ジム・レッドマン、5位島崎貞夫。当時の一流トップレーサーが上位に入り、
そして同じ時、250ccクラスではRC162によって、1位マイク・ヘイルウッド、2位トム・フィリス、3位ジム・レッドマン、4位高橋国光、5位谷口尚己が名を連ねました。そしてホンダが世界選手権を手中にし、その名を世界にとどろかせたました。
1962年、そのRCの技術を導入した市販レーシングマシンが誕生します。それがCR110(50cc)、CR93(125cc)、CR72(250cc)です。
CR93は、125ccワークスマシンのRC145同様に4バルブDOHC並列2気筒カムギヤトレーン駆動エンジンを搭載、最大出力は21.5ps/13,500rpmを誇る。タンクから続くシングルシート、足元を引き締めるマグネシウム製ドラムブレーキ、'60年代のホンダワークスマシンそのままのツインカムエンジン。すべてにおいて極限まで性能と軽量化を追求し、形作られた機能美あふれる造形です。
世界グランプリ125ccクラスで活躍するHonda 市販レーサーのルーツともいえるこのマシンは、当時の価格が30万円(大卒初任給:約15,000円)と破格だったのにもかかわらず、購入を希望する人が後を絶たなかったといいます。
'62年度マン島TTレースではワークスマシンに互して3位への入賞を果たしています。
私が所有こしていた写真のマシーンは当時19才の頃千葉県幕張の方から15万円で購入し、タンクとシートをワークスマシーンと同じ赤に塗り替えるなどしました。
仲間と富士スピードウエイに持ち込んで数回走ったりもし、その時パドックで撮ったのがこの写真です。
当時の富士スピードウエイは30度バンクが使われてた頃で排気量250cc以上クラスのレーサーならパワーがあるのでバンクの上から二番目の帯のラインを走行出来るのですが、125ccではスピードが出ないため転げおちるのが怖くバンクの一番下の帯の所を走ったのを思い出します。
ラップタイムは一周6㌔を3分チョゥトで回っていました。



上のバイクを購入する前に、保安部品を装備した公道仕様のCR93も所有していました。
現在ではマニアの間で垂涎の的となっている極めて稀少なモデルで、保安部品が装備されている状態での出力は16.5PS / 13,500rpmです。
この車は購入して間もなくクランクのベアリングのガタが発生しピストンがバルブに当たってしまいクランクを交換しました。
当時クランクアッセンブリーが36000円でした。
最近この手のバイクがどの程度で売買されているのかインターネットで調べるとレストア前の何とかエンジンがかかる物でも数百万で取引されている事にびっくりです。所有している方もいくらお金を積んでも手放さないようです。
現在までこの2台を持ち続けていたら・・・と思うと残念です。まあ当時はピーピーの状態でしたから仕方ないですね。




上のバイクと一緒に所有していた ホンダS800 (リジットタイプ)もついでに紹介します。
購入時の色は黄色でしたが、ホンダの社長(本田宗一郎)が白のS800を乗りまわしているということを聞き、
即、純白に塗り替えました。ついでにハードトップはレーシング用に変更、バックミラーはセブリングの赤、
前後のバンパーを外して走っていましたので当時はかなり目立ちました。
写真はラジアルタイヤに履きかえる前に撮ったものです。
40年ほど前の私・・・若かったです。