何故、恵まれているのだろうか。。
何が、恵まれているのだろうか。。
( 私に何が与えられているのだろうか。 )
30代で難病、40台で劇症心筋炎、50にして在宅酸素。
今となっては、人生の半分以上を棒に振っているようなのなのだが、、、、
なのに何故、それ程落ち込みもせずに生きていられるのか?
ひとつには、それまでに様々な経験をして人生をやりつくしていたから。。。
サラリーマンになった時にはほとんど人生を諦めていたから。
それが逆に幸いし、ほとんどやりたい事が無く、喪失感や絶望感を味わずに済んだから。
もう一つには、周りの方から親切にして頂き、手厚い支援を受けているので不安を感じるどころか、幸福感、安心感を感じさせて頂けているから。 感謝の気持ちを植えつけて頂けたから。。。。。。
そして、その気持ちがどんどん深まるほどに長きに渡り継続的な支援を受けているから。 感謝の気持ちがどんどん大きくなる。
そんな気持ちを一番に感じさせてくれる叔父が亡くなって早11年。
1月9日が命日なのだが、今回初めて年明けになってから焼香にいった。 栃木、真岡まで。
今まで、雪のイメージが強くて雪のシーズン前に行くか、春先になってからだったが、今回は躊躇無く、ためらいも無く自然に行けた。
年末には落花生をたくさん送って頂いた。
しかし、先方はびっくりしていた。 そして、大丈夫かと心配していた。
私より私を大切に思ってくれる叔母。
車だから大丈夫だと言っても、何があるか解らないから、何かあってからでは遅いから、一人じゃなければどうにかなると思うけど、動けないのに一人だとやっぱり心配だという。
事故でも起こしたら。
自分が悪くなくてももらう事故もあるから。
事故の渋滞に巻き込まれたら、、何時間も動けなくなったら大変だから。
道路事情が悪くなって立ち往生でもしたら大変だから。
急に具合が悪くなっても、助けてくれる人もいないから。
車だって故障するかも知れないから。。。。。。。。
自分が相当の余裕を持って、大丈夫だろうと事を進めているのに、叔母は、もっとたくさんの事を、より深く、想像して心配してくれているのだ。
やさしさや思いやりという精神論もそこにはあるが、、一番の違いは想像力やリスク管理の能力。
事前の想定が半端なく深くにまで思いを寄せる。 この分野では自分も相当自信があるのだが、全く一枚も二枚も上手なのだ。 もちろん無くなった叔父ももっと深く想定していた。 だから気がつく、感じる、行動できる。
そういう、想像力や、理解力、リスク管理能力が無ければ、、、、、
当然、思いやりの心や親切心は生じない。
感じるか、、感じないか、、これに尽きるのだが、幸いに色々な事を感じ取ってもらえて私は優しくされている。
当然だが、ただ闇雲に甘やかされている訳でもない。
(劇症心筋炎で助かった後、お見舞いに来られたが、周りが「一人だから大変だね。」という中、叔母には「仕方ないよ結婚もしないで一人なんだから面倒見てくれる人がいないんだから。。」と、言われた事を思い出す。)
偶然に七草がゆに当たり、何十年ぶりかで七草粥を頂いた。
帰りには、イチゴとみかんを持たされる。
最近、柑橘、キウイなどの頂き物が相当多かったが、無くなってきたとてもいいタイミングだという事もありがたい。
キチンとしている人は、何をしてもタイミングが良くなるように感じる。
とても心配される中、帰路についたが、初めて「心配をかけないようにしよう。」という感情が芽生えた。
本当に心配されると、相手が心配で傷つかないように、心配をかけないようにしようと思うものなのだと実感した。
人生初だ。 今まで、他人が言っていてもいま一つピンと来なかった。
今までの私の周りの「心配してるんだよ。」 「心配かけるな。」 は、
親切心の押し付けやアピール、自分に迷惑をかけるな、、としか捉えられなかった。
私の中の愛情という感情をどんどん深めて頂いているようだ。
決して自分ひとりではできなかったであろうことを、
感じられなかったであろう事を感じさせて頂いている。