唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

何故、恵まれているのか。。何が恵まれているのか。

2018-01-08 18:57:50 | インポート

 何故、恵まれているのだろうか。。
   何が、恵まれているのだろうか。。
     ( 私に何が与えられているのだろうか。 )


 30代で難病、40台で劇症心筋炎、50にして在宅酸素。 
  今となっては、人生の半分以上を棒に振っているようなのなのだが、、、、
    なのに何故、それ程落ち込みもせずに生きていられるのか?
 
 ひとつには、それまでに様々な経験をして人生をやりつくしていたから。。。
  サラリーマンになった時にはほとんど人生を諦めていたから。 
   それが逆に幸いし、ほとんどやりたい事が無く、喪失感や絶望感を味わずに済んだから。
 
 
 もう一つには、周りの方から親切にして頂き、手厚い支援を受けているので不安を感じるどころか、幸福感、安心感を感じさせて頂けているから。 感謝の気持ちを植えつけて頂けたから。。。。。。 
 そして、その気持ちがどんどん深まるほどに長きに渡り継続的な支援を受けているから。 感謝の気持ちがどんどん大きくなる。

  そんな気持ちを一番に感じさせてくれる叔父が亡くなって早11年。
   1月9日が命日なのだが、今回初めて年明けになってから焼香にいった。 栃木、真岡まで。

  今まで、雪のイメージが強くて雪のシーズン前に行くか、春先になってからだったが、今回は躊躇無く、ためらいも無く自然に行けた。


年末には落花生をたくさん送って頂いた。

  


      
 
 
 
 
 しかし、先方はびっくりしていた。 そして、大丈夫かと心配していた。
  私より私を大切に思ってくれる叔母。
   車だから大丈夫だと言っても、何があるか解らないから、何かあってからでは遅いから、一人じゃなければどうにかなると思うけど、動けないのに一人だとやっぱり心配だという。

 事故でも起こしたら。
  自分が悪くなくてももらう事故もあるから。
   事故の渋滞に巻き込まれたら、、何時間も動けなくなったら大変だから。
    道路事情が悪くなって立ち往生でもしたら大変だから。
     急に具合が悪くなっても、助けてくれる人もいないから。
      車だって故障するかも知れないから。。。。。。。。

 自分が相当の余裕を持って、大丈夫だろうと事を進めているのに、叔母は、もっとたくさんの事を、より深く、想像して心配してくれているのだ。
 
 やさしさや思いやりという精神論もそこにはあるが、、一番の違いは想像力やリスク管理の能力。
 事前の想定が半端なく深くにまで思いを寄せる。 この分野では自分も相当自信があるのだが、全く一枚も二枚も上手なのだ。 もちろん無くなった叔父ももっと深く想定していた。 だから気がつく、感じる、行動できる。

 そういう、想像力や、理解力、リスク管理能力が無ければ、、、、、
  当然、思いやりの心や親切心は生じない。

 感じるか、、感じないか、、これに尽きるのだが、幸いに色々な事を感じ取ってもらえて私は優しくされている。

当然だが、ただ闇雲に甘やかされている訳でもない。
 (劇症心筋炎で助かった後、お見舞いに来られたが、周りが「一人だから大変だね。」という中、叔母には「仕方ないよ結婚もしないで一人なんだから面倒見てくれる人がいないんだから。。」と、言われた事を思い出す。)

 偶然に七草がゆに当たり、何十年ぶりかで七草粥を頂いた。
  帰りには、イチゴとみかんを持たされる。
   最近、柑橘、キウイなどの頂き物が相当多かったが、無くなってきたとてもいいタイミングだという事もありがたい。


 キチンとしている人は、何をしてもタイミングが良くなるように感じる。

 
 
    

  
 
    
 
 とても心配される中、帰路についたが、初めて「心配をかけないようにしよう。」という感情が芽生えた。

 本当に心配されると、相手が心配で傷つかないように、心配をかけないようにしようと思うものなのだと実感した。

 人生初だ。 今まで、他人が言っていてもいま一つピンと来なかった。

 
 今までの私の周りの「心配してるんだよ。」 「心配かけるな。」 は、
   親切心の押し付けやアピール、自分に迷惑をかけるな、、としか捉えられなかった。
 
 
 私の中の愛情という感情をどんどん深めて頂いているようだ。
  決して自分ひとりではできなかったであろうことを、
    感じられなかったであろう事を感じさせて頂いている。


 


 
 


友あり、新年に来たる。

2018-01-05 20:30:43 | インポート

 友あり、、、盆と正月に帰省した帰りに寄ってくれる。 
  家を新築したばかりなのに、こんなむさ苦しい所に、今年も「温泉入らして下さい。」と寄ってくれる。

 学年は一つ違いだが、入門は彼の方が早いので、こちらが先輩という訳でもない。
  彼はマスターズの全日本王者、道場経営も順調で、様々な団体の役員を勤める、有名人など人間関係も広く、社会的立場も今の自分とは雲泥の差。
   なのに、こちらが先輩とされる。 特にどうでもいいから普通に接するのだが、よく考えると、、、なんとも不思議な関係なのだ。。
    現役選手として精進し、選手の育成も順調、カナダに支部もできて今後も海外支部が増えると言う。
 色々なところから様々話が舞い込み順調な歩みのようで溌剌としています。 
 
 20からの付き合いだが、当時から彼は人とは変わっていた。 
 自分の周りにいなかった、純粋な空手に対する取り組み方が印象的だった。
  当たり前のように出稽古をし、道場稽古以外の稽古も当たり前、空手お宅などとも言われるくらい情報収集もしていた。 
 普段の行動も型はずれ、あまり常識に囚われない所が魅力だった。
  彼が様々な空手や格闘技を経験して行く中で、何度か誘われる事も、背中を押される事もあった。

 結局、自分は何も行動を起こせず、自爆するように、病んで行った。
 社会人経験は必死で働き成果も出したし、多くを学ばせてもらったが、肝心要の俺の心が満足していなかったようだ。  


 途中何年も連絡が取れない事もあったが、退社を機にまた付き合いが始まった。

  在宅酸素療法になっていても、何も変わらず普通に接する。
  数年前にはもらった電話で失礼にも退院時の付き添いをお願いし、病院まで来てもらった事もあった。 

   今頃になって、ダイバーシティなどと言われますが、、ずっと彼の中には壁が無いのでしょう。
  付き合いにこちらの状態など関係ないようです。 人と人との付き合いを大切にするように。

   壁がないから素の人間性以外は関係ない。
   壁が無いから会話が弾んで一泊二日があっという間に過ぎた。

 空手部の関係ではないのにずっと関係が続く不思議。 一番大切な何かが合うのでしょう。

  人生で大切なものもいつも再確認させて頂きます。
 
 慢心、我欲、傲慢、見下し、手抜き、これらを排除し。
 謙虚、思いやり、至誠、明朗 こういうものを大切に。