日本シリーズ第二戦 日ハム * 巨人 をテレビで見ていた。
最近は、あまり野球に関心が無くTVでも見なくなったが、楽天のクライマックスシリーズが見たくてネットで探して見た流れでシリーズも見てみる。
昨日の解説は清原、新庄という異色コンビ。
アナは、スポーツ中継では唯一好きな 三宅アナ。 嫌にならずに見続けられた。
清原と新庄はいつもにも増して、ハチャメチャな会話。 でもそれが好きだ。 常識がないと思われるかも知れないが、 激しい競争世界に長い事身を置いていた人間はみんなそうだ。 ある種の突き抜けた感覚が出てくる。 小さな常識やくだらないしきたりは一切関係ない、やりたい様にやり、言い様に言う。 普通の人間と感覚が違って当たり前だ。
その常識はずれの会話の中で、清原のダルビッシュへの気遣いが、気を引いた。 怪我を押してチームの為にだましだまし投げているのは明らかだった。 彼の怪我を気遣い早めの交代を支持し、選手生命生命に関わることの無い様にという意識が強く感じられた。
高校から鳴り物でプロ入りし、1年目から大活躍、球界を代表する打者になったが、後半は、怪我に悩んだ。 巨人入りした頃から酷くなり、肉体改造など試行錯誤を続けたが裏目に出て、晩年はさらに苦しんだ。
特に最後の2.3年は膝の手術を繰り返し歩く事もままならない状態で試合に向けて調整していた。
大スターだった清原がどん底まで落ち、怪我と戦い続けたことがどれだけ大きな事だったか。 そんな彼の中には、自然と他の選手の怪我を気遣うような感覚が生まれてきたのだと思う。
新庄が、いけいけな感じで話していたのとは、ちょっと違う感じを受けた。 もちろん新庄も怪我でやめた。 引退まで誰も知らなかった様だが、太腿の肉離れの時にレギュラー落ちするのが嫌でそのまま続けたら大きなこぶ状のしこりになって残ってしまったと言う。
清原ほど現役に拘らなかった新庄の意識に、怪我の恐怖、心配はあまり残っていないようだ。
清原の経験からくる怪我への意識が、臆病な優しさになるのではなく、健全な体調管理に働き、今後の彼の野球人生の糧になってくれればいい。そんな感じがした。
もちろん、自分も臆病になるのではなく、プラスにする。
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