甘やかされれば、その後の人生は厳しくなり、
厳しくされれば、その後の人生は楽になる。 そう確信している。
子供をつぶそうとすれば簡単だ、
何でも言う事を聞いてやり、欲しいものを何でも与えてやればすぐにスポイルされる。
苦労をさせなければ、我慢も学べない。
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自分で望んだわけだないが、幼少時は厳しい環境だった。
あほな親は、弱い子供に感情をぶつける。
怒鳴りつける、殴る、ナジル、物を与えない、検閲のように意地悪な事をする。
心を潰すまで、怒鳴り、殴り、基地外のような親に育てられたから厳しい環境で精神が育った。
(むしろ、壊されて、何でも我慢する癖がついてしまったという方が正しいと思う。)
多少の自我が芽生え、自分で選択をするようになると、今度は自分から辛い道を選ぶようになった。
中高は、長距離ランナー。
大学では、極真空手。
苦しむ事が自分の中の正義で。
苦しい人生を選ばないと不安になる。
強くなるためには苦しまないと生けない。
苦しんでいると、安心する。 楽に生きていると罪悪感さえ感じる。
当時は、自分で選んでいると思っていたが、幼少時の虐待経験からおかしな判断をしてしまうようになっていたのでしょう。
母の家系は心臓病があり、父は幼少時に肺を患い長く入院し肺の機能が一部衰えているという中、
自分に強い心肺があるはずも無くスタミナ系の運動は本当に辛くて苦しいものだった。
素質が無いのだからいくら努力しても疲労が積みあがるだけなのだ。
なぜ、自分だけ動かないのか、、何故練習してもスタミナがないのか? などと思いながら毎日毎日辛い稽古を続けた。
その後、就職。
やりたい事もあったが、鼻から、大学を出たら辛くてつまらないサラリーマンにならないと生けないと勝手に思っていたから、難しい就職を選んだ。 辛くても厳しくても、出来るだけ「上の会社」
就職したものの全く畑違いで、明らかな選択ミス、今までに無い位きつくて、辛い生活を送った。
人生終わるかとも、思った。 結果、何でも頑張ってしまうから、結果が出るまで頑張った、 合わなくても無理やりあわせて、負けないように結果を出す。
これも、自分で判断したことだから仕方ないと納得しているが、幼少時からの親の影響を多分に受けていた事は間違いない。 そう言うことを、当時は全く疑いもしなかった。
動機は何であれ、兎に角、辛くて、苦しい人生をずっと歩んでいた。
それも、少しずつ、少しずつ、辛さや苦しさの性質を変えた負荷を受けてきた。
そして、行き着いた先は難病で止まらない下痢。 それでも働き続けて破綻。
それまでと辛さ、かかる負荷が全く変わった。
それまでは唯苦しいだけ、我慢して努力すれば何とかなるものだったが、、、、
今度は頑張れない、我慢すれば我慢するほど悪くなるものに当たった。
ただ、頑張ればいいとか、苦しさを我慢すればいいとか、ではない。
休む事、自分をマネジメントする事、まで必要となる。
苦しいとか、楽するとか、真面目とか、不真面目とか、そんな事は関係なく、良くするためにいいことをしなくては生けない。 そういうステージに変わったという感じ。
治すためには楽しまなければ生けない。 苦労しては生けない。 負担をかけては生けない。
楽してもいいのです。 苦労しないでいいのです。
兎に角良くなるための方法を学ぶ、実践する。 そういう唯我慢するだけではなく、きちんとしたマネジメントが求められるステージ。
逆に言えば、マネジメントできないで、我慢ばかりで押してきたから病気にたどり着いてしまったという面もある。
最初からマネジメントできていれば、そこには行き着かない筈だから。
結果から追うから、当たり前なのだが、幼少時から苦しさのレベルが少しずつ上がって来た事で今まで耐えられて来たのでしょう。
受ける衝撃も少しづつ大きくなり、受け止められてきたのでしょう。
人生に無駄は無いというが、それぞれの経験に意味があって、未来に繋がってきたような。。。。
乗り越えられない壁は無いというが、徐々にハードルが上がってなんとなく超えられてきたような。。。。
その時その時に、自分にあった負荷が、今の自分を創って来たのでしょう。
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