11月19日。
7年前の今日、劇症心筋炎でドクターヘリで緊急搬送されていました。7年とはなんと早い事かとびっくりしますが、事実です。
だるさが何日もつづき、風邪では病院へ行った記憶が無いのだが、、
そのときは診察に行き、風邪と診断されたので、薬は要らないと言って帰って来た。
それが全くよくならず、どんどん動けなくなり、再診すると、心電図を取られ、結果を待っている間にヘリが呼ばれ急に長岡まで運ばれた。
肌寒い晩秋の天気の良い中、救急車からヘリに乗り換え、ヘリで飛び立ったときの光景が鮮明で今でもよく覚えている。 夕日を浴びながら旋回していた。 なんでおれはここにいるのだろうと不思議な気分だった。
病院について、直ぐに検査して、その後、緊急手術で人工心肺がつけられた。
そのまま意識無く眠らされて、2週間。一時は病院へ駆けつけてくれた親戚一同ももう助からないと思ったようでしたが、、、何とか盛り返して生き返ってくれました。
多くの方の心配を頂き、多くの方の願いが届いたような生還で自分自身が一番信じられない経験をしていたのでした。
その後に、回復が途中で止まり、心臓に障害が残って不整脈を押さえる薬でこんどは間質性肺炎を起こした。
薬を使うのが嫌で医師に何度も拒否したが結局嫌々飲む事にした。
それでも、自分で調節し一回2錠を少しづつ減らし、1錠で飲む用にまでした。
保険料で賄われる高額の薬代がもったいないので、ある時1錠まで減薬したことを告げると、医師はそれで大丈夫ならそれは良かった、でも1錠は必ず飲まないと生けないとどうしてもそれ以の減薬は認めなかった。
それから数ヶ月、呼吸が苦しくなり、診察すると間質性肺炎を起こしていた。
(その後直ぐにアンカロンは投薬中止となったが、症状は進み回復することは無かった。そしてアンカロンを止めても心臓は元気に動いている。
それだけでなく、絶対に止める事はだめだと言われていた、ステロイドも自分で減薬し、結局今は何も薬は飲まない生活に戻した。
医師の処方がどれだけいい加減で、どれだけ多くの病人を生んでいるのか、自分が体験してよくわかっている。)
間質性肺炎の症状がどんどん進むのだが、ステロイドパルスを拒否したため医者からは
「もうあなたは治療の好機を逃したので今後は自分でどう生きるかよく考えて下さい。」と告げられた。
自分ひとりで生活が立ち行かなくなり、仕方なく、知人を頼り、練馬の終末期の病院を紹介してもらい転院した。
寝たきり老人ばかりの病院で9ヶ月を過ごしたが、どうにもそこに居てもいい人生は生まれないと強く感じ始めて。
同部屋の方が何人も亡くなられて逝きました。
退院したのだ。それが、2015年10月。 それからでも丸4年。
激動の7年間をよく生きて来た。 一日一日は退屈で自分は何をしているのだろうか? などと思うことが多かったが、実はそうでも無く。 色々と濃い時間なのだ。 昔に色々ありすぎて、時間が空くと自分から不安になるだけなのだろう。 普通の人はこの程度の時間の進み方で十分なのだろう。。
その他にこの間に、親父が無くなり、 師範が無くなった。師範には間質性肺炎を起こす同時期位に会いに行き最後にお会いできた。
自分の経験は貴重なものだったが、周りの方に助けられた。 回りの方に生かされて、本当に人のありがたさを思い知った。 こんな俺でも感謝の気持ちを持たせてもらえた貴重な時間だった。
神様。仏様、ご先祖様、色々なものに感謝しないといけないと言う事が身にしみて来た時期でもあった。
よく生きていて、その後も良く生きてきた。
我ながら、よく耐え、よく経験してきた7年間だと思う。
そして、多くの方に支えて頂きました。
多くの方に心配していただきました。
多くの方にご支援いただいています。
本当
あり得ないほど、、、、有難い事が起こっています。