origenesの日記

読書感想文を淡々と書いていきます。

Cowboy Bebopを見終わった

2008-03-13 21:30:58 | Weblog
前半はそれほど好みではないなと思ったが、20話以降は非常に面白かった。エドがパーティーを去ってから(24話~)が特に見物だと思う。若本はヴィシャスのような悪役をやると格好いい。

クエーカー教

2008-03-13 21:13:47 | Weblog
前にkillhiguchiさんからいただいたコメントの答えになるかもしれない。前述の『アメリカ・キリスト教史』より。

フォックスにより17世紀半ばに始められたクエーカーは、その一例である。彼らは、万人に働く聖霊の力と内なる光を信ずる人々であったが、権威への不服従などを咎められることがあった。マサチューセッツでは、彼らの逮捕と強制送還の手続きに加え、なお再侵入を企てた場合には絞首刑をもって臨むことが定められた。1661年までに銅植民地では4人のクエーカーが処刑されたが、なかには信仰の証のためにみずから迫害を求め、あえて再び侵入をはかった者もある。
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清教徒の牧師であるウィンスロップやコトンも迫害を後押ししたという。
著者の森本氏はおそらくプロテスタントの人なのだと思うが(ICUとプリンストン神学大の教師である)、カトリック・プロテスタント・マイナー宗派のどれにも偏らないように冷静に記述しているところが素晴らしいと思う。

曽野綾子『二十一世紀への手紙』(集英社)

2008-03-13 17:55:12 | Weblog
カトリックの小説家曽野綾子が1992年に出版したエッセイ集。あまり作家のエッセイという感じはせず、文学や哲学ではなく社会的な問題に対していろいろと提言をしている。個人的には旧式過ぎて馴染めないところも多々あったが、幾つか光る提言があるなと感じた。特に「新聞は政治家を褒めよ」というエッセイはよくわかるなあと思った。私は朝日新聞を読んでいるけれども、決して存命の政治家のことを褒めない。新聞のコラムは批判ではなく批評であるべきだと思う。
「甲子園は青春の花か」の以下の言葉が面白かった。
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多くの人は、自分の存在が何より大切だから、自分が勝てない場合には、誰か、自分の代わりと錯覚できる人が人生で何かに勝つといいと思っている。
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著者は幼稚園から大学までカトリック教育を受けたという。そのためかカトリックの話が時々出てくる。著者によると、新約聖書によればイエスはアフェエイミイという言葉(ギリシア語)を好んだという。これはletのような「~させておく」という言葉で、彼らの好きなようにさせておきなさいという意味でイエスは使用した。どうにもならないことは、そのままにさせておきなさい。確かに良い言葉だなと思う。