道 (真理)

道は須臾も離るべからざるなり 離るべきは道にあらざるなり

観音菩薩伝~第42話 大師、長眉の老翁に会って指点を受ける、 第43話 大師の一行、無事金光明寺に帰る

2015-02-09 03:06:21 | 観音菩薩伝・観音様

2015年2月9日

第42話 大師、長眉の老翁に会って指点を受ける

 このようにして大師と保母そして永蓮の三人は、筆舌に尽くせぬ飢えと寒さに堪え忍びながら、雪蓮峰を登りました。全く紆余曲折の多い行程でしたが、五日目に漸く頂上に達することが出来ました。頂上に登りきるとそこには比較的平らな地面があり、ふと見ると萬年雪を被った一座の廟堂がありました。こんな山の頂に一体誰が住んでいるのだろう、大師の心中にもしやと思う気があって胸が高鳴りました。保母と永蓮も一瞬神秘感に打たれ、お互いに顔を見合わせて頷き、大師に従って庵の前に到着しました。三人の瞳は、希望に燃えて輝いています。長い間の艱難辛苦が報われる、目的地に到達したのです。千萬の感慨で、胸が一杯です。究竟涅槃の妙証を得、聖諦義を明らかに悟れる感激が寸前に迫って来ました。

 三人は合掌しながら跪いて廟堂を拝み、立ち上がって三歩歩いてもう一拝しました。畏れ多いという気持ちが、自然にそうさせたのかも知れません。無意識のうちに大師は、御自分の得道時を感得しておられました。

 廟堂は石積みの簡素な作りで、崖の上に一軒だけぽつんと建っています。大師は霊覚で、その中から荘厳華光が無量円光を描いて燦然と輝いているのを観じました。大師は静かに廟前に跪き、改めて深く礼拝してから内(なか)へ入りました。内は狭い石室で、中央の奥まった所に一人の老翁が坐っていました。眉毛は長く両頬まで垂れ、純白な僧衣を纏い、悠然と端坐し瞑目しております。三人が入ってきたのに気付いているのかいないのか、体も動かさず顔色も変えずその身相は威厳と慈愛に満ち、面容は神々しくて百毫の光明を放っています。

 早速叩頭礼拝を為した大師は、老翁の顔を見てはっと胸を打たれました。昔、花園へ御指示に来られた老僧によく似ておられます。大師は、忘れる筈がありません。その御風貌は深く脳裏に刻み込まれていて、昼夜四六時中、その印象は片時も脳裏から離れたことがありません。歓喜が湧いて大師は、二人に言いました。

「功徳甚深の師父様です。私達が来るのを待っておられたのです。謹んで御尊前に進み出て、御指示を仰ぎましょう」

 二人は感極まり、身が引き締まりました。大師は恭しく奥へ進み、五体を地に伏して礼を尽くし、終って胡跪(こき)し、合掌しながら

「上座に坐(おわ)します御尊師様。弟子妙善、約束を違えず所説の妙法を憶持して失わず、永い歳月を求法一途に勤行し、今また一行三人は興林国を発って今日ここまで参りました。師の御尊顔を拝し得ますことは、この上ない幸いでございます。どうぞ御慈悲を垂れ給われて弟子達の迷朦を御指示下さり、般若・陀羅尼の心法を授記して下さいますようお願い申し上げます」

と真心籠めて申し上げました。今まで瞑目して微動だにしなかった長眉の老翁は、大師の言葉が終るや静かに眼を開き、三人を見渡して言いました。

「善哉、善哉。大乗を行ずる者、大荘厳の心を発せる者、大乗を念ずる者よ、汝昔日よく菩提心を発し弘誓の願を立てられた。今また汝等三人は、幾多跋渉の苦しみを辞せず、千里の難関を踏破してよくぞ此処まで参られた。汝に深い前縁があったが故である。先ず、そなたに訊こう。そなたは一切の富貴と栄華を捨てて佛陀に帰依し、一心に修行を志して求法に来たが、佛門の真旨は何であるか。得道した後、如何なる願心を抱かれるか心意の所想を聞きたい」

 大師は、敬虔な心情を尽くして答えました。

「佛門の真旨は、世の迷える霊魂を四生六道の輪廻から救い、世の災難を消滅するにあります。佛陀や諸佛が道を求め、道を修め、道を伝えて身を千劫萬難に晒したのも畢竟この為と思います。弟子の願心としては、得道後は更に修練に励み、大慈大悲を以って三毒・十悪の業縁から衆生を目覚めさすように説法を続けて行きたいと思います。

 若し将来正道(しょうどう)を成就でき肉体を離脱した暁には、誓って三界十方を駆け巡って衆生や萬霊の苦厄を度(ど)し、声を聞いては救苦救難を果たし、世人をして正覚に帰せしめたいと存じます。弟子のこの決定心(けつじょうしん)は、佛門の真旨に合いましょうか」

 老翁は、深く頷いて言いました。

「そなたの固い決心は、大乗菩薩道を成就する人の言葉だ。なるほど、深い来歴は争われないものである」

「御尊師様。どうか佛道の真髄、如来の真実義と正法(しょうほう)を証(あ)かさしめ、吾が心霊を一切苦より解脱する法をお伝え下さい」

 老翁は、大師の初一念に感じ入り、徐(おもむろ)にそして厳粛に大師に道を伝え、佛道最上・最勝の妙法を授記されました。

 涅槃妙心(ねはんみょうしん)・正法眼蔵(しょうほうがんぞう)の機を明かし、以心伝心・心印神通の奥義を授け、教化別伝(きょうげべつでん)・真言秘咒(しんごんひじゅ)の口伝(くでん)を受けた大師の心は、極楽に昇ったような歓喜と感激で打ち震えました。今まで探し求めていた、真法奥玄(しんぽうおうげん)を得たのです。捨身して求めていた正法です。佛道最高の極法を得た大師の満身からは、光毫が輝きました。ここに改めて大悲願をたて、必ず終始一貫永劫に佛陀の得賜った心伝を奉じて衆生済度を心から誓われました。

 老翁は更に保母と永蓮に真経を一巻ずつ授け、終身肌身離さずに所持し、大師を守護して菩薩道を行ずるよう論されました。二人の感激は、まさに頂点に達しました。大師に従って修行を決意したことが正しかった、その労がいま報われ、その苦がいま補われた、保母と永蓮は今までの辛苦も忘れ、限りない悦楽に浸りました。

 長眉老翁は授記を終ってから大師に向かって、大師の前歴は慈航尊者(じこうそんじゃ)であって、今世はその転生である事実を打ち明けました。大師はこれを聞いて驚くと共に入世の本願、弘誓の甚深を痛感し、責任の重大さを一層強く自覚しました。老翁は、更に言葉を続けました。

「そなたの世に尽くす任務は重大である。ここから帰った後も更に修業を積み、一日も早く成道できることを望んで已まない」

「御尊師様の御慈悲で道を得られ、長年の夙願(しゅくがん)を果し得たことを感謝申し上げます。最後に、一つ伺いたい事がございます」

「何事であるかな」

「実は昔、私がまだ宮殿に住んでいた頃、多寶国の行者ルナフールが参って、須彌山に白蓮があり、それが弟子に深い因縁があるとの事で、父王はカシャーバを遣わしたところ事実これがあったとの事でした。いま見廻したところ、その白蓮が見当たりません。尋ねた場所が違ったのか、或いはもう既に無いのでしょうか。実は弟子が父王の逆鱗に触れ花園に貶(おく)られた時、御尊師様が来られて須彌山の白蓮を得よとの御指示がありました」

 これを聞いていた老翁は、笑いながら言いました。

「そうだ。確かに白蓮はここにあった。カシャーバにも、麓で変化して見せた筈だ。そうしなければ、国中の医者が流離辛酸の苦しみを受けたであろう。だが今は既に南海普陀(なんかいふだ)の落迦山(らっかさん)に移り、蓮台と化している。残念ながら、既にここにはない」

 大師は一瞬失望の色を見せましたが、直ぐに気を取り直して訊きました。

「弟子にその白蓮が得られるでしょうか」

「白蓮を得る時と坐する時と二つあるが、今日そなたは既にその白蓮を得たのである。その証拠に、そなたの額を見よ。瘡痕(きずあと)は綺麗に癒(なお)っている。白蓮に坐するには、時期尚早である。それは、そなたの塵劫が未だ満ちていないからだ。此処から帰った後も更に霊光の純熟を修め、機が熟したら無漏法性の妙身、清浄の常なる体を得、世音を観じ菩提薩埵(ぼだいさった)を証せられる。その時には、普陀落迦山の蓮台に坐することができよう。かの紫竹林(しちくりん)こそ、そなたが菩薩を成就して鎮座する場所であり、化身済世の根拠地となる」

 大師は、感激に身を震わせて泣きました。保母と永蓮は期せずして大師の顔を見上げると、神々しく美しい大師の額からは瘡痕が完全に消えていました。老翁は、諄々と説きました。

「しかし、そなたが涅槃に入る場所は、耶麻山の金光明寺でなくてはならない。それは一般の民衆に肉眼を以って見せ、耳音を以って聞かせ、一人でも多く法門へ帰依させ、一切の苦厄を免れさせるためである」

 また、保母と永蓮に向かっても言いました。

「そなた達の正果成就の縁は、まだ至っていない。しかし最後には、菩提を証するであろう」

 二人は、感激して嗚咽するばかりでした。

「弟子の涅槃に入る時期をお教え下さい」

 この大師の言葉に老翁は、一個の白玉の浄瓶(じょうびん)を取り出して、それを大師に手渡しながらこう言いました。

「この浄瓶をそなたに授ける。これを持ち帰って、鄭重にお供えするのだ。やがてこの浄瓶の中から水が湧き、楊柳(ようりゅう)が生えて来るであろう。よく注意するがよい。その時は、そなたが成道し涅槃に入る時である」

 大師は授けられた寶瓶を両手で捧げ、押し頂いて礼拝しました。

「これで、総てを語った。汝等に言った事を忘れてはならない。道中留意して帰りなされ」

 老翁の別れの言葉に、大師は慌てて言いました。

「尊き御指点、御教示を賜り、この御恩は永遠に忘れません。まだ御尊師様の御尊名と御法号を伺っておりません。どうか、お聞かせ下さいませ」

 老翁は、微笑しながら首を振りました。

「今は。言わないでおこう。いずれ分かる時があろう」

「しかし、もうお伺いする機会が無いと思いますが」

「いや、機会は何時でもある。将来必ず分かる時があるから、早く帰るがよい。一刻の猶予は、一刻の成就を遅らせるだけだ。帰路には、色々の魔難に気を付けるがよい」

 大師は再び老翁に会える日を望みながら、庵を辞去することにしました。寶瓶を大事に包んで黄色の荷袋に収(しま)い、改めて老翁を拝み、保母と永蓮を連れ、名残を惜しみつつ帰路につきました。

 

第43話 大師の一行、無事金光明寺に帰る

 苦労苦難の連続だった道も帰路となると、不思議にも疲労が感じられません。大師は、大師の帰りを待ち侘びている途中の村里に立ち寄り、約束どおり説法し菩薩道を広めました。須彌山に行くときに比べて、その毫光の輝きは驚くばかりです。大師は、正法一切を悟得されたのであります。如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘蔵の要、如来の一切の甚深の道を得道されたのです。欣喜雀躍とはこの事か、北天竺の地に大師の大足跡が記され、法の華を咲かせ、法輪の大転を見ました。民衆の熱狂的大歓迎は、極度に達しました。興林国の道に甘露と法雨を降らして衆生を潤しながらも、三人は大きな至寶を得た喜びと重大な仕事を果たした快い気分が艱難辛苦を吹き払ったのでしょう、幾多の魔難と闘いながら道を急ぎました。

 ある日、とうとう興林国の国境まで帰って来ました。恐らく途中で宿泊した村やの人達の善意の注進で知ったのでしょう、国中の民衆は仕事を休み、歓迎一色となって大師を迎えました。勿論、金光明寺には早飛脚が走りました。大師の通る村々は、歓迎の人々で埋まりました。中には大師の跣足行脚を見て痛ましく感じ早速新しい草鞋を差し出す人もあったが、大師は鄭重に断りました。また千辛萬苦を経た大師を気の毒に思い駕籠を雇ってきた人もあったが、それにも乗らず、保母と永蓮を従えゆっくりと歩きました。群衆の歓呼の声に大師は合掌していちいちこれに応えながら、金光明寺に向かいました。

 金光明寺では、多利尼、舎利尼ら比丘尼一同は大師のお帰りを知り、躍り上がって喜び合い、早速歓迎の準備に取り掛かりました。やがて大師の到着時刻が迫ると、比丘尼達は正装して、鉦鼓音楽吹奏の人々共に山麓に下り整列して大師のお出でを待ちました。山麓一体の信者もこの日のために仕事を休み、今か今かと大師の到着を待ち望んでいます。群集は耶麻山麓を黒山のようにして埋め、人また人の波で一杯です。

 やがて遠くのほうからざわめきが起こり、それが津波のように伝わって来ました。大師御一行のお姿が現れたのです。「大師様だ」「大師様がお帰りだ」この声が伝わるや、今まで行儀よく道の両側に分かれて待っていた群集は、列を乱して走り出しました。多利尼も舎利尼も駆け出して行って誰よりも先に大師の顔を見たいのですが、それも出来ず、じっと我慢して天王殿の前で待ちました。

 太鼓の音が一斉に響き鐘の音が鳴って、笙楽の旋律が緩やかに奏でられました。群集の賞賛と歓声は益々大きくなり、その群衆の中から、大慈大悲に満ちた優しい大師のお姿が見えました。保母と永蓮を従えた大師は、静かに天王殿の正面に進みました。多利尼と舎利尼ら比丘尼一同は、跪いて大師を迎えました。多利尼が一同を総代して、迎えの挨拶を申し上げました。

「大師様。お帰りなさいませ。永い間の御苦行、さぞお疲れでございましょう」

 ここまで言うと多利尼は、懐かしさの余り涙が先に立って、それきり声が詰まって言葉が出ません。大師は、微笑して言いました。

「永らく留守を務めて、ご苦労さまでした。皆の衆に代わって無事、須彌朝山の役目を果たすことが出来ました。これも、皆さんのお陰です」

 群集に向かっても、合掌し感謝しました。大師の言葉が終るのを待ちかねたようにして、保母が言いました。

「皆さん。お喜び下さい。大師は正法の道を得受なされ、無上正等正覚・菩提薩埵の正果を得給われました」

 感激に震えた声に、群集は一斉に歓声を上げ、誰からともなく大地に五体を投じて大師を伏し拝みました。

 出迎えていた舎利尼は、涙の顔を上げて大師の顔を見ました。旅の疲れか少し痩せていられるが、前にも増して神々しく威厳に満ち、眩いばかりの回光(えこう)が返照するようです。本当にお変わりになられた、大師は菩薩道を成就されたのだ、とうとう大師は世衆萬代の応供(おうぐ)に足るお方にお成り遊ばされた、舎利尼は幼少の頃からの大師の長い御苦労の数々を想い浮かべ、萬感込み上げて涙が溢れるばかりでした。

 大師は群集の祝賀の声に包まれながらも慈容を変えず、洗足を済ませて天王殿を礼拝した後、懐かしい大雄寶殿に入り、彌陀と佛陀に香を献じて無事に帰寺したことを告げました。そして行脚の疲れも見せず直ぐに法堂(はっとう)に行き、喜び溢れる群集を前に帰寺第一回の説法をしました。法堂は立錐の余地もないほどの満座でしたが、誰もが大師の言葉を一言も聴き洩らすまいと、静かな中に緊張しながら耳を傾けていました。

 大師は行脚の途中で起こった数々の出来事や事蹟について話しながら、解り易く佛理を入れて説明しました。群衆は手に汗を握り、感動に身を震わせ、喜びを一杯に表わして終始熱心に聴き入っていました。大師の説法が終ると保母と永蓮が代わる代わる大師得道の様子や、浄瓶授与の状況について話しました。群集は心から佛翁の御慈悲に感謝すると共に、浄瓶に水が沸き、柳の芽が出るように祈りました。しかしその反面、そうなれば大師とお別れしなければならない、という気持ちもあり、喜びと悲しみ、嬉しさと寂しさが入り混じり複雑な表情を隠し切れませんでした。

 大師帰寺の噂と共に得道の事実も国中に伝わり、民衆は益々大師に対する尊敬と崇拝の念を高めました。


観音菩薩伝~第40話 大師、猿群の難を脱する、 第41話 栗の実で飢えを凌ぎ、瞑想で寒さを防ぐ

2015-02-08 07:23:53 | 観音菩薩伝・観音様

2015年2月8日

第40話 大師、三歩一拝の法で猿群の難を脱する

 三人は水溜りの所に辿り着き、手ごろな石に腰を掛けて休みました。数々の難行と緊張の連続に堪えて得たこの短い間の休息は、疲労を回復させるのに極めて有効でした。永蓮は托鉢を取り出して水溜りから清水を汲み上げ、恭しく大師に捧げました。大師はおいしそうにこれを飲み、余った分を保母に回し、保母は有難くこれを受け取り静かに飲んで鉢を永蓮に返しました。永蓮は、もう一度汲んで今度は自分が飲み干しました。これで三人は、疲れも取れてすっかり元気になりました。

 永蓮は坐ったまま足元にある小石を拾い、何気なく水溜りに向かってそれを投げ込みました。水は沫(しぶき)を上げて、中心から波紋が広がり大変美しい模様を描きました。大師はそれを眺めて笑いを含みながら言いました。

「永蓮よ、石を投げると水は沫を上げます。この中に何かの妙意を含んでいますが、そなたにそれが

解りますか」

 永蓮は答えようとして口を動かしかけたが、急に思い直したように

「どうぞ、大師様から先におっしゃって下さい」

と言いました。

「水は静的なものですが、そなたが石を投げたことによって急に動に変わり沫を上げました。一動一静、この中に造化の機密があるのです」

 大師の言葉に、永蓮は首をかしげながら答えました。

「私は、こう考えます。本来、水というものは動的なものです。その証拠に、私が石を投げ込まなくても、昼夜絶えず流れ動いています。あの石こそ静的なもので、私が投げ込まなければ、石は自分から進んで水溜りの中に飛び込めません」 

大師は笑いながら、なるほどと感心しました。永蓮は自分の意見が大師に認められたと思い、やや得意そうに顔を上げました。すると何処からか小石が飛んで来て永蓮の足に当たり、傷付いてしまいました。「痛い」と思わず悲鳴を上げて辺りを見廻しましたが、誰もいる様子はありません。永蓮は不思議そうに

「これは、どうした事でしょう。静的なはずの石が、どうして自分で飛んで来たのでしょう」

と言いました。大師は急いで薬を与えましたが、大したことはないようです。そして永蓮に

「これでそなたは、また一つ体験を増しましたね」

 二人がこんな会話を交わしている時、突然谷間の向こうから騒々しい奇声と共に一群の猿が現われました。永蓮は猿を見て、石を投げたのはこの猿の悪戯(いたずら)だと分かりました。猿は人真似が上手で、永蓮が水溜りに石を投げていたのを真似て永蓮に石を投げたのです。始めの内は遠くに居たのですが、危険が無いと分かったのか、猿群はだんだんと三人に近寄って来ました。集団の猿群は、時には凶暴性を顕します。猿群の中で特に顔の赤い大きな雄猿が三人に向かって今にも飛び掛らんばかりの気勢で迫って来たので、保母と永蓮は青くなって思わず逃げ出そうとしました。大師は急いで二人を止めて

「走ったり逃げたりしないように。逃げても猿のほうが敏捷ですから直ぐに追いつかれ、とても逃げ切れるものではありません。却って襲われるだけです。猿は古来から山の神の使者です。素直に振舞ったら、そんなに危害を加えるものではありません。気を静かにして、この場を切り抜けましょう」

「でも、だんだん近寄って来ます。どうしたらよいのでしょう」

「私に考えがあります。猿は人真似が上手です。この習性を利用して、上手く逃げましょう。良い方法があります」

「どのような方法でしょう」

「先ず猿に背を向け、山に向かって三歩行っては立ち止まって一回拝み、また三歩行っては立ち止まって拝むのです。きっと猿もこれを真似しますから、後ろから襲われる心配はありません。さあ、勇気を出してやってみましょう」

 大師は猿の大脳が発達して知能が高いことを知っておられたので、この方法を思いつかれたのです。早速三人は、三歩一拝を繰り返しながら遠ざかり始めました。大師の予想通り猿はこれを見て面白がり、三人の行動を真似て一定の距離を保ちつつ後ろについて来ます。三人は進んでは拝み、拝んでは進みながら退いていますので、思うように距離が広がりません。今のところ猿は面白がって真似をしているから害を加えられる心配は無いが、それも何時まで続くことでしょう。保母と永蓮は、気が気ではありません。どうしたらよいだろうか、案じていた時、突如空中から凄まじい声と共に一陣の風が吹き付けてきました。何事だろうと思って三人が空を見上げると、何時何処から現われたのか一羽の鵬(おおとり)のような鳥が三人の頭上を旋回しているのです。この鳥は普通の鷲(ワシ)や鷹(タカ)よりも何倍か大きく、翼は陽を蔽い足は雲を掻き乱すほどの大きさです。猿は、このような大鳥を一番懼れます。特に高山に棲む鷲や鷹の類は性質が獰猛であり、何の前触れも無しに空中から突然獲物に襲い掛かって来るので身を躱す暇(いとま)もありません。その鋭い嘴や爪に掛かれば、小さい動物などは一たまりもありません。手向かったところで、両足で捕まえられたうえ空中で振り回され地上に叩きつけられます。普通の鷲や鷹にでさえこのようにして簡単に殺されてしまうのに、ましてや鷹よりも遥かに大きな鵬が姿を見せたものですから、猿は人真似どころではありません。すっかり怯えて、蜘蛛の子を散らすように四方八方へ逃げてしまいました。猿群が逃げてしまったのを見届けたかのようにして鵬も旋回を止め、何処かへ飛んで行ってしまいました。

(註一)三歩一拝して朝山(ちょうざん。名山に登って師父にお目に掛かるという意味)すると言う言葉の由来は、実は大師がこの猿群の難を避けたことから始まったと言われています。

(註二)菩薩の佛像の中には鵬が数珠を咥えて空中を舞っているものがありますが、これはこの時の情景に由来しており、鵬は菩薩道護法の神鳥とされています。鵬は一度に九萬里を飛ぶと言われる霊鳥ですが、実際にこの鵬はどんな種類か審(つまび)らかではありませんが、恐らく鷲や鷹の一種ではないかと考えられます。

第41話 栗の実で飢えを凌ぎ、瞑想で寒さを防ぐ

 鵬のお陰で猿群が逃げてしまったので、三人はようやく安心して三歩一拝の行を止め、再び山を登り始めました。保母と永蓮は、助かったと安堵しながら、大師が機知を利かせて咄嗟に取った三歩一拝の妙策を賞賛して

「大師、どうしてあのような妙案が急に思い浮かばれたのですか」

と永蓮が訊きました。

「心意が落ち着き、精神が錯乱していなかったからです」

「私は、女身であるため心身の乱れを収めるのに苦労が多いと思いますが」

「修行に男女の別はありませんが、昔から女人には五障があります。

 一には、梵天王になることを得ず、二には帝釈天、三には魔王、四には轉輪王、五には佛身となることができないのです。ですから常に勤苦(ごんぐ)して行を積み、心意の寂然(じゃくねん)を計らなければなりません」

「端坐していない時でも、急に心意を統一することが出来るのですか」

「修行というものは、普段から霊気を養うものです。歩いていても、寝ていても、坐っていても、つまり行住坐臥、時々刻々霊気を散乱させてはなりません。霊気を一箇所に集めれば、自在の本性を観ることが出来ます。しかし残念ながら私は、未だその域に達していません。妙智慧の門を開くことが先決です。本来の本性を観るのに、女身に垢穢(くえ)が多くその法器ではないと言われていますが、私は全ての人に微妙(みみょう)の浄(きよ)い法身(ほっしん)を証知させ、大乗の門を開いて衆生の苦を度脱させてあげたいのです」

「妙智慧が顕われたら、それが出来ますか」

「出来ます。妙智慧が顕われると、人間の真諦が悟れます。男女の身を超えて、無上菩提が得られるのです。この悟りが開かれたら、やがて彼岸に到れます。その時が、いよいよ到来しました」

 大師は感慨深く、須彌山を望みながら言われました。

「妙智慧が開かれたら、自然に彼岸に到れるのですか」

 今度は、保母が訊きました。三人の話題は、猿の話からとうとう佛理の話に移りました。

「そうです。悟りを開けば妙智慧が顕われ、色受想行識の五蘊は総て空になり、円通無礙となって通ぜざるものは無く、達せざるものはありません」

「妙智慧は、どのようにして五蘊を皆空にしますか」

「妙智慧を陽光に譬えれば、五蘊は闇に当たります。陽光が照り輝けば、暗闇は消えてしまいます」

「どのようにして消えますか」

と、保母と永蓮は、同時に訊きました。

「そうです。妙智慧という光が現れたら、全ての五蘊という暗黒は難なく自然に消えてしまいましょう」

 すると永蓮は、真剣な表情で、大師に問いました。

「五蘊が皆空になった時の極致感をお教え下さい」

「先ず、五蘊について詳しく説明しなければなりません。人間には、誰にでも五蘊の念があります。大圓鏡智、六根清浄になれないのも、六慾七情に囚われてしまうのもこの五蘊に由来します。

 五蘊の始まりの色蘊は即ち萬物の形象であり、あらゆる眼界に映る有形の物質の総該を指します。受蘊は感受・印象の意念で、境に対して事物を受け込む心の作用です。想蘊は連想・思索の意念で、境に対して事物を想像する心の作用です。行蘊は実行・作為の意念で、その他境に対して瞋(いか)り貪るなどの善悪に関する一切の心の作用と身体の行為です。識蘊は意識・記憶の意念で、境に対して事物を了別・識知する心の本体です。分かりますか」

 二人は、歩きながらも、大師の話を一言も聞き洩らすまいと熱心に耳を傾けました。

「心の意念と言うのは、たいへん恐ろしいものです。種々の物質を見ると、これを印象として心に感受します。感受すると我欲が生じ、何とかして手に入れたいと妄想し、今度は得ようとして実行に移します。これが、得ても得なくても心に残ってしまいます。そこに歓喜や悲哀・恐怖・嫌悪や怨恨・煩悩・愛恋が生じて、流離顛倒してしまいます。この五蘊は、各々相互に関連し合っているのです。

 五蘊が空になれば、一切の煩悩・顛倒から解放されます。従って、一切の苦厄を免れることが出来ます。萬法が空寂無念になれば、彼岸の楽地に到ることは困難ではありません」

「よく分かりました」

「先ず、眼界を空にすること。眼に映る一切が心意に動揺を来たさなくなれば、煩悩妄想は生じません。形が形として心意に感受されるから、貪慾が生ずるのです。形を無為の空相として観ずるならば、本来執着すべき事物は何も無いことが分かります。形象・諸法、皆空相を悟れば、それによって来たる空無の妙玄不可思議、萬法一理の奥義が参透され、一切苦厄の因は亡びます。従って無量光・無礙光に通暁し、光明無限を得られましょう」

 二人は今更ながら大師の奥深い真理に触れ、大師に随いて修業出来たことを幸せに思うのでした。苦行を体験しているからこそ、真理を直接身を以って味わうことが出来るのです。体験して得た事は、千萬言の説法に勝ります。

 三人はこうして法理を話し合いながら歩いていましたが、やがて日も暮れてきたので、夜露を凌げる洞窟を探し、そこで坐を組み一夜を明かしました。こうして三日間は無事に過ぎ、ようやく山の中腹に辿り着きました。この辺りになると気温も下がり、手足が凍えてきます。しかも頂上から吹き下ろす強い山風は冷たく、針のように骨を刺す感じです。高く登るに連れて斜面の勾配も急になり、雪や氷が積もって足掛かりが無いため、登っては滑り、滑っては登るという苦しさでした。岩肌が刃物のように手足を突き刺し、三人とも切り傷や刺し傷で血だらけになりました。

 寒さは益々厳しくなる一方で、その上食べる物もありません。時が経つにつれて空腹が激しくなり、冷たさも加わって、手足を動かすのも苦痛となってきました。大師だけは相変わらずの足取りで、しかも跣足のままでいて少しも苦しい表情が見えません。保母と永蓮は、苦痛に顔を歪めながら必死になって登りました。

 こうして半刻余り登った頃、前方にさほど高くない二本の栗の木が見つかりました。永蓮は空腹を忘れて思わず駆け出しました。よく見ると、栗の実が一杯生っています。永蓮は枯れ枝で実を叩き落し、保母が落ちた実を石を使って割り、三人は生のままの栗を分け合いながら食べました。空腹が満たされると、身体に温もりが出て疲労や苦痛も減った感じになり、元気を取り戻してまた歩き始めました。やがて日暮れとなり、再び洞窟を探して三人は中に入ったが、寒さは少しも和らぎません。永蓮は耐え切れなくなって

「この寒さにはとても堪えられません。枯れ木を集めて火を燃やしましょうか」

と言いました。大師は首を振り、二人を窘めました。

「保母に永蓮よ。深夜の山上で火を焚けば、どうなると思いますか。焔の光を見て、山中の猛獣が近寄って来ましょう。そうすれば彼等に罪を犯させることになり、私達も禍を招くことになります。火を焚くことはなりません。それよりも私達は誓願を発し道を求め成道を願うものである以上、真心を専一にして心霊を一か所に集めることが肝要です。肉体的に刺戟や苦痛を受ければ受けるほど、心霊は更になお堅固になっていきます。千劫萬難を嘗め尽くした後に凝結した一団の神魂は、永遠に分散することなく、正果を成就することが出来ましょう。この神魂が将来肉体を離れた暁には、大千世界に逍遥無礙が得られ、大神通が得られます。私達は正果を得たいと願ってここまで苦行して来たのですから、寒冷や飢餓は当然受けるべきです。若しこれらの苦しみさえ忍べなかったら、道を証する望みはありません」

 大師は、謝ろうとする二人を制して、更に言葉を続けました。

「私達は、既に少なからぬ艱難辛苦を受けて来ました。丁度今は高い塔を建てて、頂上の屋根を作っているところです。辛くても暫くの間です。保母に永蓮よ、よく我慢するのです。今の一時の我慢は、未来萬年の光明と変わりましょう。人を済度する身です。自ら苦の極限を試し尽くしてこそ、人の苦厄を理解し、解脱させることが出来ます」

 大師の言葉は厳しかったが、二人を愛する深い情が籠っていました。保母は、素直に謝りました。

「私達の気が緩んでいました。大師の今のお話によって、気が引き締められたようです」

 永蓮も

「確かに心に隙がありました。お許し下さい」

 二人は元神を取り戻し、心に光明を見出しました、お陰で寒さも半減したかのように、冷たい洞窟の中で大師と共に端坐し休みました。何時しか刻は流れ、三人は無我の境地に到達したようです。呼吸を調息していると体内の血気が順転し、法輪が転じて無我自在性を観ずるかのようでした。これを法輪常転と言うべきか、無我の中に限りない醍醐・菩提の妙を得て、心神は神秘の玄境へ融合していきました。


観音菩薩伝~第38話 永蓮、端座瞑想中、外魔に襲われる、 第39話 白熊に遭い、死を装って難を逃れる

2015-02-07 00:23:57 | 観音菩薩伝・観音様

2015年2月7日

第38話 永蓮、端座瞑想中、外魔に襲われる

 やがて陽もとっぷり暮れたので三人は、近くで洞窟を探して、そこに入って端坐瞑想し、夜を過すことにしました。しかしこの頃になってようやく先程の凄惨な光景が改めて恐怖となって現われ、心神が動揺して安心立命(あんじんりゅうめい)・精進三昧に入ることが出来ません。心神が不安定なまま端坐を組むことは、大変な危険を伴います。それは、魔にとり憑かれ易いからです。

 大師は功行が深いので心神を乱すことなく忽ち夢想三昧に収めて、無人・無我・無住・無礙の境地に達することが出来ました。保母は大師には遠く及ばないものの、それでも長い間大師に従事して修行していたので、漸く心神を鎮めることが出来ました。しかし永蓮は性格的に動性を帯びているので、どうしても心神を鎮めることが出来ません。その中に全身が火照(ほて)って熱くなり、だんだんと熱炉の中で身体を焼かれているような焦熱を感じ、どうしても辛抱して趺坐(ふざ)をしていられません。堪らず目を開けて見ると辺り一面が火の海となっており、果ては紅蓮(ぐれん)の炎と化して自分に燃え移ろうとしています。驚いて思わず振り向いてみると、大師と保母は依然として何事も無いように泰然不動のまま端坐瞑目をしています。永蓮は焦りました。これはいけない、お二人が何事も感じないのに私一人が熱さを覚えるとは、これはきっと魔障の仕業であろう。永蓮は心急くまま心神を奮い起こし、思い切って坐を組み直し雑念を払って心意の動揺を無理に落ち着かせました。すると目の前の火焔の海は消え去り、身体から熱も取れました。

 しかしこれは、半刻も続きませんでした。今度は全身が氷のような寒冷を覚え、震え始めました。まるで洞窟全体が、氷室(ひむろ)のようです。永蓮は震えが止まらなくなって覚えず目を開くと、氷の浮漂する海水が怒涛のように押し寄せ、洞内は忽ち水浸しになってしまいました。驚いた永蓮が大師と保母を見ると、お二人とも依然として端坐されています。永蓮は途方に暮れました。

 何故二度までも外魔に襲われたのであろうか。このような状態ではとても正果を成就することは望めないと、未熟な心を収めるのに意は乱れるばかりです。どうしたものだろうかと、迷い始めました。座行には、恐怖と煩悩が一番禁物です。一度恐怖心・煩悩心が生ずると、次々に雑念が叢(むら)がって妄想・幻想が浮かび上がり、一層外魔を呼び込むことになります。永蓮は氷冷の海水と闘いながら何とか雑念を払おうと努力していると、突然海水は消え、今度は洞窟全体が吹き飛んだかと思うような轟音が響き、永蓮は肝を潰さんばかりに驚きました。ふと見上げると、空中に金色の甲冑で身を固めた天神(金甲天神)が、憤怒の形相ものすごく睨み付けていました。一人や二人ではありません。ずらりと並んでいます。身の丈は一丈二尺(およそ三・六メートル)ほどもあろうか、鋼鉄のような頑丈な体で手に手に八稜角(はちりょうかく。八つの尖った角のある武器)と金の爪槌(そうつい。釘抜き用の槌)を鷲掴みにして、両眼は炯々(けいけい)としております。その中で目の丸い天神が物も言わずに永蓮の側に近寄るや否や、手にした金の爪槌を振り上げ頭上目掛けて打ち下ろしました。永蓮は驚きの余り一声悲鳴を上げると、そのまま昏倒してしまいました。

 大師と保母はその声で目を開け永蓮を見ると、永蓮は神魂が出竅(しゅっきょう)して(気を失って)倒れています。二人は急いで永蓮を抱き起こし、その名を呼び続けました。二人に介抱された永蓮は、夢から覚めたように頻りに辺りを見廻していたが、既に火も水も無く、勿論憤怒の形相を持った天神の姿も見当たりません。総て幻想であったのかと気が付いた永蓮は、面目の無い恥ずかしそうな顔をして今までの出来事を話しました。大師は、一部始終を聞いてから優しく言いました。

「そなたは、どうして外魔に襲われたのか解りますか」

「存じません。何故でございましょう」

「それは昼間出会った大蛇の極度の恐怖が災いし不安となって心神を集中することが出来ず、そのためそのような現象に見舞われたのです。そなたには、特にその衝撃が強く残っていたためだと思います。幸い金甲天神がそなたを呼び覚まして下さったお陰で、功行が損なわれずに済みました。人の世の生老病死・憂悲・苦悩・愚痴・暗蔽・三毒の限りない煩苦の焔が心身を焦がすため、貪欲の潮に苛まれます。速やかに心神を定め、般若妙智を開き、神通に安住して決定(けつじょう。不動)・不退の法輪を転じなければなりません」

 永蓮は、冷や汗を流しながら聞いていました。

 やがて夜は白々と明けていきました。恐ろしい一夜の幻想であった、私はまだ修行が足りないから景に触れて心神が動揺するのだ。大師の説かれる真の定境(じょうきょう)に入れば、例え須彌山が崩れても驚かないであろう、一日も早くそうなりたい、と永蓮は心に誓いました。

 

第39話 白熊に遭い、死を装って難を逃れる

 洞窟で一夜を明かした三人は、再び山を登り始めました。幸い山中のあちこちには色々な果実が生(な)っていたので、これを採って空腹を凌ぎました。坂道はだんだんと険しさを増し、三人は互いに助け合いながら登りました。ふと前方に目をやると、人間の三倍もあろうかと思われる一頭の大きな白熊がおりました。大師は急いで二人に知らせ、足音を殺して森の中に駆け込みました。

「恐ろしい大熊です。人食い熊かも知れません。避けられるだけ避けて隠れ、もし逃げ切れないときは、地上に俯伏せになって息を止め死人を装うのです。絶対に動いてはなりませんよ」

大師は小声で二人に注意しました。ところが後ろを振り返ってみて驚いたことに、物音や気配に感付いたのか、あるいは人の臭いを嗅ぎつけたのか、白熊は鼻を鳴らし鉤爪で地面を掻きながら隠れている三人の方に近寄って来ました。熊は穴倉の中に潜んでいたが、冬眠から醒め、食べ物を探し求めに出たところでした。熊は非常に敏感で、人間が少しでも身体を動かすと体臭が風に乗って気取られます。三人は素早く地上に伏し、息を止めて死人を装いました。

熊はゆっくりと三人の側まで来て暫く眺め廻していたが、物音も無く少しの動きも無いのを見て本当に死んだ人間と思ったのか、白熊は二声空に向かって吼え、更にもう一度確かめてみてからのっそりとその場から遠退きました。元来白熊は、死人を最も嫌うらしく、屍とみたら近寄りません。大師はこの習性を知っていられたから、幸い難を免れることが出来ました。保母と永蓮は、熊が立ち去った後も胸の動悸が鎮まらず生きた心地がしません。冷や汗三斗とは、この事でしょう。汗で全身びっしょりと濡れています。熊は雑食性で比較的植物質を多く摂るが性質は荒く、よく人畜を襲います。もし完全な肉食動物でしたら、あるいは害を受けたのではないかと思われます。

生命の危急時には、先ず沈着と冷静さが必要です。三人が若し理性を失って騒ぎ立てていたら、疾うに命を失っていたでしょう。賢者と愚者は平素見分けることが難しくとも、一旦生命の瀬戸際になると、各々心の作用が違ってはっきりと区別がつきます。真の智慧者は普段愚人に見えても、一大事には一際光り輝きます。平素いくら利口や聡明そうに振舞っていても、いざというとき邪念に纏われ、醜態を演じて大事を失するようでは仕方がありません。大師は、身を捨てて生を得ました。もし生を得るため騒ぎ立てしていたら、死を免れ得なかったでしょう。この決心が得道の動機となり、成果成就の重大な鍵となったのです。ここに菩薩の菩薩たる所以があったと言えましょう。

三人は、森を出てまた坂道を登り始めました。険阻な道に足を取られ、斜面に足を滑らせながら五・六刻ほど上った頃、三人は咽喉の渇きを覚えました。辺りを探し廻ったところ、右手の茂みに谷があり、そこに小さな一筋の渓水が流れているのを見付けました。

「あそこに水が流れています。口を潤して暫く休んで行きましょう」

 大師の声に、保母も永蓮も喜んで同意し、三人は崖を伝って谷を下り始めました。窪地に流れが溜って清水が溢れ、腰掛石も点在していて休むのに大変都合の良い所でした。

 


観音菩薩伝~第36話 瑠璃城を通過して須彌山に近付く、 第37話 白象ついに大蛇に殺される

2015-02-06 00:21:01 | 観音菩薩伝・観音様

2015年2月6日

 

第36話  瑠璃城を通過して須彌山に近付く

 無事に天馬峰を越えた一行は、更に幾つもの峰と谷を越え河を横切り、古人の歩いた道に沿って一路南下しました。日暮れになると人家を訪ねて宿泊を乞い、険悪な道や丘陵に会えば歩を緩やかにし、高原の平地に出れば歩を早め、人に出会えば道を尋ねながら目的地の須彌山へと一行は歩き続けました。

 こうして平穏な旅が続き、三日後には瑠璃城に到着しました。大師は早速通行手形を持って役所へ行き、宿泊と通行の許可を受けたところ、大師の噂が前々からこの瑠璃城下にも伝わっていたのか、人々は城下を挙げて憧れの大師を大歓迎しました。

 三人は、大きな寺院に泊まることになりました。当時は佛滅して三百余年、佛教もようやく大乗の機運が起り始めた頃で、一般の人々は行者を鄭重に扱っておりました。佛教に対する信仰心は深く、瑠璃城は北天竺に位置していたため早くから佛陀の教法が伝わっていて佛教は隆盛を極めていました。ただ佛陀教示の本旨が時の流れと共にやや自己本位に傾き、浅近陋固(せんきんろうこ)な苦行に走る向きが見受けられました。真の佛陀の道は、伝統的保守主義の枠から脱皮して、大衆に及ぼさなければならないと痛感しました。

 城下でいろいろな事を見聞し鄭重なもてなしを受けた三人は、三日後に瑠璃城を離れ、須彌山に向かって出発しました。三人は来る途中南谷の所で道に迷いましたが、そのとき道を南へ南へと歩いて瑠璃城に到着できました。そのためその後も、道を南にとりました。それが、須彌山に至る正しい道であります。僅かばかりの道の迷いが日程を遅らせ、ほんの少しの気の緩みが大師一行の災難となりました。

 行者の路程には必ず言い知れない試練があり、筆舌に絶する魔障があります。信心の弱い人ならふとした出来事で脆くも退転心を起してしまうのですが、真理を掴み、菩提の悟境にいよいよ到達する大師一行にとっては、逆に熱意を尽くし勇猛心を駆り立て、益々精進に励み、艱難に打ち勝つ決意を強くするばかりでした。修行に苦難は付き物で、正果成就になくてはならない磨きのための災難はむしろ試練であります。道は志の強い人だけが得られ、正果は幾多の迫害に打ち勝った人にだけ証されるものです。妙智の優れている人は、必ず苦難を克服することができます。もし中途で魔を怕(おそ)れ難に畏怖して退嬰するようでは、如何によい素質があっても、菩薩道は完う出来ないでしょう。良い素質に忍耐と精進を加えて進む人には、慧光が齎(もたら)されるでしょう。試練は大師を金剛体に鍛え、艱難は大師を玉にしました。今や大師の頭上には、一歩一歩進むにつれ、燦然たる光毫の露(あらわ)れが大きく強く輝いて参りつつあります。

 瑠璃城を出てからの一行は、ほとんど峰の高原沿いに進み、ようやく五か月目に遠く須彌山の連峰が見えるところまでやって来ました。真っ白な雪を頂いた峰々、銀光に輝くその美しく雄大な景観を見たとき、歓喜が湧き感涙が溢れ出ました。目指す目的地が、やっと視界に現われたのです。三人はそこで勇気が倍加し、今までの路程を往復しても疲労を感じないようでした。ところが峻険な絶壁の連なる峰々はなかなか遠く、歩みの鈍(のろ)さが歯痒く感ぜられます。三日間の苦闘の後、一行はやっと須彌山の麓に到着しました。

 雲の上にまで聳え立つ峰々、屏風のようにそそり立つ氷雪の絶壁、限りなく広い裾野、無数に点在する千古の奇岩、峡谷を埋め尽くす密林、数えれば大小七十二座の高岳・高峰が連なり、うねうねと起伏して如何にも巨大な龍が横たわっているように見えます。これらの情景を眺めた大師達は、どの山嶽が雪蓮峰なのか分からず迷ってしまいました。辺りを探し回っても人家は見当たらず、樵夫(きこり)も通らず、人に尋ねることもできません。どうしたものかと、三人は連峰を仰いで途方に暮れました。

「大師様、雪蓮峰は須彌山の主峰と聞いております。主峰は必ず際立って一段と高く、他の峰々と比べて違うところがあると思います。だから私達は一番高い山峰を選んで、登ることにしては如何でしょう。例え選択が間違っていても、私達の真心が佛陀に感応して、きっと雪蓮峰まで導いて下さると思います」

 永蓮の言葉に成る程と感心して、三人は改めて峰々を見上げました。右端から数えて三番目の峰が、一際目だって最も高く聳えています。三人はその巨峰に向かって谷を渡り樹林を通り抜け、どうにかその麓まで辿り着きました。一行がさて登ろうとしたところ、どうした事か白象が立ち止まったまま一歩も動こうとしません。空腹のためだろうかと思って食べ物を与えてみましたが、食べようともしません。永蓮と保母が白象の尻を押したりしてみても、大地に根を生やしたようにびくともしません。三人は、山を目の前にして焦り出しました。

 

第37話 白象ついに大蛇に殺される

 永蓮は白象を宥(なだ)めすかして動かそうとしましたが、どうしても歩こうしないので、つい声を荒げて

「何故歩かないのですか。頑固に意地を張らずに、さあ進みなさい」

と強く白象を促しました。しかし白象は、何かに怯えたようにおどおどするばかりで一向に動こうとする気配がありません。これを見て大師は、白象は雪蓮峰への道を間違えているから動こうとしないのかも知れないと考え、象の鼻を撫でながら言いました。

「白象よ、そなたは金輪山で私の命を救ってから私と一緒に幾多の苦労を重ねてようやくここまで来ました。もう目の前に須彌山が聳えています。今が一番大切な時です。勇気を奮って進んで下さい。それともここまで来てそなたは、霊気を失い、元の野生に還ったのですか」

 象は、大きく首を横に振りました。

「白象よ、せっかく此処まで来たのですから、一緒に行きましょう。終始一如に務めて、正果の成就するのを誤ってはなりませんよ」

 大師の諭しに、白象は頷きました。しかし白象は、人語を解しても、語ることは出来ません。実は動物の本能的な勘で、生命の危険を感じて進もうとしないのです。白象がもし人語を話すことが出来たならば、この山中には怪物が隠れ棲んでおり非常に危険です、しかし大師が危険を承知の上で行かれるのでしたら、私も喜んでお供します、と言いたかったのでしょう。

 やがて白象は、決心したかのように大師を乗せて歩き始めました。一行が比較的緩やかな上り坂を進んで行きますと、陽が山陰に沈む頃になって、風の中に一種異様な腥(なまぐさ)い匂いが混じって漂って来ました。

「この不快な臭(にお)いは、一体何でしょうか」

 永蓮は、訝(いぶか)しそうに言いました。

「大方、繁った森の陰で朽ち果てた木が発酵して、その熱で蒸されて湿った気が立ち昇り、こんな臭いになったのでしょう」

 この大師の説明に永蓮は納得せず

「それにしても、臭いが強過ぎます。気が遠くなり、心が痺れそうです」

と苦しそうに訴えたので、大師は強く言いました。

「臭(くさ)いとか、香りが良いとか言うのは間違っています。私達出家人は、常に六根清浄でなければなりません。六根清浄(ろっこんしょうじょう)とはどういう意味かお解かりですか」

「眼耳鼻舌身意(げんにびぜつしんい)、これを六根と言います。眼を視根、耳を聴根、鼻を嗅坤、舌を味根、身を触根、意を念根と言います」

「そなたは六根を知っていても、臭いと言うのは六根をまだ断絶していないのではありませんか。わけても鼻は諸香に着し、染(せん)に随(したが)って諸々の触(そく)を起します。このような狂惑の鼻は染に随って諸々の塵を生じましょう。法の実際を観ぜば何の臭いを嗅ぎましょう」

 永蓮は、恥ずかしそうに首を竦(すく)めました。三人は再び歩を進めましたが、その臭いは益々強くなる一方で、白象は中毒に罹ったように足元がふらつき出しました。保母と永蓮は、必死になって吐き気を抑え真っ青になっています。大師も余りの強い臭気に何かを感じられ、白象の背から降りました。砂埃と共に腥い臭いが目や鼻に沁みて、今にも倒れそうです。

 やがて風が治まったので目を開けてみると、前方に目を爛々と光らせ、大きな口から真っ赤な舌を出した身の丈五・六丈もある猛毒の大蛇がこちらを凝視しています。そして、怪音を立てながら大師一行に迫って来ます。大師は、背に縋って震える保母と永蓮に強く言いました。

「早く横に避(よ)け、後退(あとずさ)りして逃げるのです」

 三人は、傾斜した小路沿いに逃げ出しました。白象は、大師が合図したにも関わらず一歩も動こうとせず、鼻を上下させながら大蛇に向かって大声で咆哮しています。大師は白象に向かって「早く後ろに退がりなさい」と声を高くして叫びましたが、象は大蛇の前から動こうとしません。大蛇は怒って、逃げた三人よりも、この白象に攻撃の鉾先を向けました。大きな口から白煙のような気を吐きかけると、白象が忽ちよろけだしたので、大蛇は素早く飛びかかり長い鼻に噛み付きました。象は鼻を振って大蛇を振り解こうとしたが、食いついた大蛇は放しません。白象は大きな脚で大蛇を踏み潰そうとするが、大蛇は右に左に身を躱して益々強く噛みました。その中に毒が体内に廻ってきたのでしょう、白象はどっと大地に倒れてしまいました。大蛇は横倒しになった白象の胴を素早く締め上げたので、遂に白象は力尽きて死んでしまいました。大蛇は象の大敵で、さすがの白象も敵いません。こうして、凄惨な死闘は終りました。

 一方、三人は一生懸命逃げ出したものの、ふと気が付くと大蛇が追ってくる様子もなく、また白象も姿を見せません。三人は白象が来るのを暫く待ちましたが、一向に来る気配もないので恐る恐る引き返して見ました。元の場所まで戻って前方を見ると、彼の大蛇が幾重にも白象に巻き付いて胴を締め付け続けているではありませんか。三人は思わず息を呑み、余りの悲惨さに声も出ません。三人を救うために自ら犠牲となった哀れな白象、自らの運命を予知して山麓で動こうとしなかった白象を無理矢理急き立てて来たことの悔恨と黙って従って死んで行った白象への不憫の情で、三人はその場を立ち去ろうともせず合掌して象の冥福を祈り続けました。

 暫くして、大師は言いました。

「可哀そうな事をしました。折角ここまで私達と一緒に苦労をしながら来たのに、もう後一息というところで本当に気の毒な事になりました。私達は、永遠にこの事を忘れてはいけません。将来私達が無上の道を得、正果を成就し、菩提を証した暁には白象に報恩しなければなりません」

 保母も永蓮も、強く頷きました。大師は再度両手を合わせ、白象の方に向かって

「白象よ、そなたの献身護法に感謝を捧げます。汝は畜道に生じたが、尚よく菩薩行を手助けしたその志念の堅固なる事は、後人の尊崇するところとなるでしょう。生死の苦は永く尽きることなく、そなたは佛道を護侍して極楽への法に触れました。佛縁を生じた所以を以って罣礙(けいげ)なき妙法を得給い、往生あらんことを。願わくば私が無漏正覚を証された暁には、吾が騎象の役となることを望みます」

と祈りました。


シェルダン・ナイドルニュース 2015年2月3日

2015-02-05 22:48:40 | シェルダン・ナイドルニュース

2015年2月3日    

                                  

Sheldan Nidle's Update for the Galactic Federation of Light and Spiritual Hierarchy

from PAO ~ Planetary Activation Organization

 

8 Ik, 12 Yax, 11 Ik

ドラッツォ!世界の現実の変化の進捗に関するより多くのニュースを持ってきています。地球連合の多くのメンバーは数多くの繁栄プログラムのうちの配布部分を開始しつつあります。闇のカバールは私たちの連合があなた方への多くの恩恵の安全な配布手段の用意を止められませんでした。これらの種々の資金の配布は世界を新しい金融システムに切り替える大作戦の一部です。この進歩はその後、新しい統治体へと繋がり、あなた方が過去数千年の間無情にも耐えさせられてきた負債奴隷化を公的に終わらせます。これはあなた方が自由と遙かに公正な金融、通貨システムの恩恵を受けられるようになる時です。これらの通貨は、あなた方の富を守り、資金の安全性を確実にする手段を確立する、厳格で新しい銀行ルールによって裏付けられます。

これらのイベントと共に、新しい統治体とのより深い対話を可能にする新統治体による数多くの宣言が行われようとしています。あなた方はこれらの新統治体の真の擁護者となり、あらゆる不法行為を瞬時に防止する用意が出来るようになります。

これらの新統治体は今はまだ隠蔽されている数多くの技術を開放し、あなた方が以前支払った税を返還し、祝賀を起こさせるでしょう。それに加えて、これらの新統治体はデスクロージャーを起こし、私たちにあなた方との連絡をさせようとしています。私たちはこの時を利用して、過去三千年の間の数多くの宗教を創始したマスターたちが与えたメッセージの鍵となる部分をアヌンナキが如何にごちゃまぜにしたかについてあなた方が学べるようにする、次元上昇したマスターによる、一連の世界的なレクチャーの用意を支援します。これらの教えはこの世界を調和、平和、及びこれらの数多くの賢明なマスターたちによってあなた方に与えられている天の真実をこの世界に取りもどさせます。それに加えて、私たちの導師たちがこれらの偉大な教えについてあなた方と十分な話し合いを行います。天はあなた方全てに真の歴史について完全な認識と、これらの偉大な真実についてのより良い理解を得て欲しいと希望しています。この知識はあなた方の完全意識への移行の時に、あなた方を顕著に助ける事になります。それは又、アトランティスとアヌンナキが当初あなた方を操作しようとしたことをあなた方に分からせることになります。

見られるとおり、長い歴史についての歪曲の姿が明らかになるでしょう。これについての最も重要な部分は、あなた方が如何に制約意識に陥ったかということと、如何にしてアヌンナキがあなた方に誤った創造神話を押しつけたかに関することです。開示される多くの事実の中から、あなた方はより明解で、歪みの無いこの創始の物語と事実を容易に発見出来るでしょう。私たちの導師たちはあなた方が今陥っているこの現実に対する真の見方を得る助けが出来ます。それはあなた方に新しい現実を容易に受け入れさせ、あなた方を物理的な天使の世界へと戻させます。これが結局、私たちの再会の主な理由なのです。天は非常に粗末に扱われていた人達にこの歴史が理解出来るようにして欲しいと思っています。その後、あなた方は過去15000年(アトランティス時代2千年と、アヌンナキ支配下の13000年)に就いての理解に進むことが出来ます。あなた方が天へのサービスに戻るので、この全てがあなた方に許される必要があります。

 

あなた方の真の聖なる土地に私たちが来ている背後の目的は初めはアトランティスによって課せられ、後にアヌンナキと世界的な手下共の群れによって続けられた奴隷状態からの天による開放を助けることです。あなた方が千年毎に進歩したので、闇のカバールは規模と力を拡大しました。1900年代の終わりまでにこのグループは、 必要なら、”記録に残る”現在の時代の始まりに於いてアヌンナキが自分たちに課した闇のミッションを終わらせる事も出来た、と本当に信じていました。こうして1990年代の半ばには彼らの以前のマスターであったアヌンナキの止めるようにとの指令がこの言うことを聞かない者たちの耳に届きました。カバールはその後あなた方を永久に奴隷にするとの指示を不法にも実行してきました。今起きている事はこの恐怖を終わらせ、天が指令している通りに、あなた方を完全意 識と言う自然の状態に戻させることです。新統治体と繁栄、及び祝賀の起こりはこの天のゴールに到達するためのツールに過ぎません。

ナマステ!私たちは次元上昇したマスターです!あなた方は大いなる豊かさを受けられる瀬戸際にいます。これまでの祝福の時には祝賀は当たり前の事でした。これは50年毎に行われてきました。この時には、全ての負債を帳消しにし、ゼロから始めることが当然でした。これらの二つの方策が複合され、あなた方は以前の負債から削り取られた資金を受け取ることになります。それに加えて、今は隠されている数多くの法が施行されます。これは政府の再整理ときれいな状態への浄化に関するものです。これら全ては次になすべき事に対してあなた方を準備させるために行われるものです。私たちは姿を現して、あなた方にこの新しい現実についてお知らせをします。天はあなた方の長い間の忘却状態を終わらせ、知識と知恵を与えるように指令を下しました。私たちのレッスンはこの重要なプロセスの始まりにすぎません。後にはあなた方は導師たちに一連の重要な質問をすることが出来るようになります。

私たちのレッスンには数多くの質問セッションが含まれます。あなた方はアトランティスによって自分のアカシックレコードを見る機会が否定される意識状態に陥れられました。この能力の否定はあなた方を以前は持っていた内なる智恵の源から切り離してしまいました。このプロセス全体を再探索して自分たちがどのような存在なのかをより良く知る方策を心なくも奪った者たちをあなた方に許させるようにする必要があります。この内なる智恵は取りもどされる事になります。あなた方のように、私たちの多くは、アトランティスで過去生を過ごしました。私たちにはこの時代を振り返って、アトランティスが没落したときに如何に私たちが解放され生き残った者たちが新しい土地に移動したかを見てみる必要があります。私たち全てには当時起きたことについての一人一人の物語があります。次元上昇したマスターとして、私たちはこれらの問題の両側に立ってきました。今は思い出し、許す時です。

私たちが完全意識を取り戻す時には、私たち全てが銀河社会を構成します。この祝福の社会は私たちの天への奉仕と天が如何に私たちの為にこれらの社会を作り上げたかに関する十分な理解に基づいています。私たちは一緒になって私たちから突然取り上げられた社会に再び同化出来る、一種の天の”ブートキャンプ”を作ろうとしているのです。それから、私たちは新しい行き方の中でお互いを上手くわかり合えるようになります。私たちには穏やかな説明を受けることになるある種の義務が課せられています。私たちの新たな星間国家も新しい現実を構成する肉体を持たない者たちや自然の要素からなっています。天は私たちの新しい仕組みに大きい期待を寄せています。私たちは多くの新しい提案がなされるこの銀河のショーウインドウになろうとしているのです。ここでは銀河の平和が永遠のものであり、より大きい銀河間のユニオンが形成されようとしています。

私たちは今日も週間メッセージを続けました。天は私たちの地球表面に於ける現実に今起きていることを祝福しています。私たちも今起きている事について天に恭しく感謝をしています。私たちのスピリチュアルな宇宙ファミリーと会合し、この新しく、輝かしい現実の中に迎え入れましょう!親愛なる皆さん、天からの無限の供給と繁栄が実にあなた方のものであることを知ってください!そうあれ!セラマト・ガジュン!セラマト・ジャ!(シリウスの言葉、一つのものであれ!喜びの中にあれ!)

翻訳:Taki