道 (真理)

道は須臾も離るべからざるなり 離るべきは道にあらざるなり

Beneficiary‘s Personal Pension Fund ~Part 7 (再)

2015-02-02 16:27:02 | OPPT・NESARA・BPPF

2014年11月07日

奉仕すれば奉仕するほど見返りが多くなる社会

宇宙の壮大な営みが人類の生活と直結しています。世界経済が直接家計にひびくように、人類に訪れるスーパーライフは宇宙と一体のコミュニティです。宇宙の進化の為に、唯一絶対創造の分霊が付与された人類の霊(自性・仏性)、たとえ存在目的のために一時的に退化しているとしても、その魂は独自性を持ち永遠の光であり全存在の一部分です。それに対し身体は永続しない容器で、魂がその中で生まれた次元よりも低い振動を持った次元を訪れるために創造されたものです。この壮大なドラマを演じる時期に地球に生まれるためその身体を得たことはまさに奇蹟と言えます。

この身体で経験する様々な出来事はこの魂の変遷の一瞬一瞬の姿であり、何一つ予定通りでないものはありません。すべてのタイムラインが集合するためにおきている混乱は、生活を通じて道徳を実践し真理を追求する稀有な機会です。

つまり、存在の意義(天命)を成し遂げるため、3次元の物質世界でこの身体という容器を完全な状態に維持しなければなりません。衣食住を賄うため知恵を働かせ人口の増加とともに生産力を高め、円滑に共同作業を行うため様々なシステムを構築してきました。しかしやがてその知恵は部族の闘争に火をつけ資源や労働力を略奪する「経済」という歪んだ知恵は人々を財産として属隷化しました。この経済を消滅させ、今の慣習と意識から脱出して本来の道に回帰できるよう安心で安全な身体維持計画を創造することが急務です。

プロジェクト概要】

Beneficiary‘s Personal Pension Fund (BPPF)のBeneficiaryは、聖なる報酬に由来し、ここでは天に代わって奉仕をする者への報酬を意味します。 

BPPFは、相互扶助社会を創造するため、一元化された世界の公共信託基金から個人に信託される生涯年金基金です。生活の安心・安全が保証され、全人類の創意によって一体化を推し進めます。

世界の情勢が大きく変わってきた今、市民一人一人が直接世界の金融経済を担う第一歩となるようネット発進します。 このプランは神々の助言とその役目を担う方々によってさらに進化してゆくことを願っています。

BPPFについては本シリースBeneficiary‘s Personal Pension Fund ~Part 7に概要モデルを掲載しています。まだ内容が荒削りなので、一通り提示してから再偏して掲載する予定です。

統治体の財源も、BPPFと同じように、一元化された世界の公共信託基金からダイレクトに統治体に信託されます。

OPPTは世界の金融経済を大転換させ全ての資金の一元化を諮り、NESARAは、統治体と地域の安定と平和共存を実現し、そしてBPPFは、個人の尊厳と生活の安全・安心を守りながら人類と宇宙の進化を諮ります。この3つは一つのシステムです。

Beneficiary‘s  Personal Pension Fund(BPPF)とは】

年金制度・厚生年金・社会保険・生活保護・ベーシック・インカムなど社会保障制度は、BPPFを実現させるための段階的経験的コンテンツの役割を担っています。 そしてBPPFは次のステージのプロジェクトを補完するための一時的なプロジェクトの役割をしますが、国際的な合意が得られれば、その瞬間からすべてが順調に流れることになります。大宇宙の摂理という一貫性がこの計画全体の本質であることが証明されます。

一方、市民として、世界共通の最優先の関心は、家族を養うための生計の問題です。この壁を超えるためにBPPFの基本モデルを理解することと、そして人々の意識と反応に慎重に対処し、熟達者自身が大胆に創造的意識内軌道修正に挑戦することで、この生活プランをダウンロードできるようになります。

【BPPFのモデルプラン】

1、10億円/一人の生涯生産能力

一人当たりの生涯生産能力を10億円と評価し誕生と同時に賦与します。

債権や保険や株そのほかの金融商品の基礎は、人を労働力として3000万円の価値と見て、生まれた瞬間に奴隷として売買し帳簿に載せ、売買代金3000万円を貸出し、返済がなされないという理由で人に担保設定をして債権を運用する仕組みが原点で原資を減らさない原則になっています。生命保険付き住宅ローンはこの奴隷制の考え方をのぞかせます。

2、無限の生産能力と無尽蔵の公益性

BPPFは生涯を通じて一人の人がどれだけ社会に貢献できるかという評価を基準にします。この貢献の物差しは今までの労働力・生産力とは全く異なるもので、誰もが持っている天性を考慮すれば無限の生産能力をそなえていることになります。実際に一つの発見発明が無尽蔵の公益性をもたらす例はたくさんあります。これを金銭評価する基準はなく、相互扶助の奉仕活動のために基本的な生活基盤を維持・継続することがBPPFの主目的です。従って無限の可能性と一時的な経済システムを活用し、その柔軟な知恵にさらにオマケがつくことによって、相互扶助のエネルギーが人々の生活に引き寄せられ「奉仕すれば奉仕するほど見返りが多くなる」相互扶助社会の原動力となります。

3、自分で計画を立てる

3人家族の家庭の1ヶ月の収入が30万円とします。この30万円は3人分の生活費です。今の社会では税金・住居費・教育費・医療費・光熱費・食費…としてギリギリです。BPPFは自分で決めた計画に添って必要なだけの金額が使えるBPPFです。3人家族それぞれ別々に同じ条件です。

4、BPPFは1生涯100年分

誕生と同時に、生活するために割り当てられる一生分(100年)のPBPFの計画は、現在の生活状態からフレキシブルにスタートできます。100歳を超えた場合は新たな基金が用意されます。

例:日本人:Aさんのプラン:年齢18歳 高卒 女性 介護士 

月収18万円  年収250万円 

5、10億円のうち30%は個人の奉仕活動基金

BPPF10億円のうち30%は奉仕活動基金で、18歳までの18年間相当分1億8000万円は奉仕活動基金に充当されます。残りの9億8200万円をどのように人生計画に配分するかAさんは検討を始めます。

6、BPPFを管理するのは儒益者本人

収入を得ていた介護士の仕事を続けるか、方針を変えるか、また、計画を熟知することなど様々な面の検討をはじめます。そのため一定期間の様々な研修や専門家のコンサルを受けることができます。この期間仕事を休む場合は同額の収入が補償されます。一旦決めたら一生その計画でなければならないということはなく自由に変更できます。なぜなら資金を管理しているのはAさん自身だからです。

7、余裕のある計画

生涯計画は、宿命や運命にも左右されるので結婚・出産・など超越した領域の専門の占星術や易、あるいは透視などのアドバイスも得られます。そうした目安と十分な予備資金を確保し全ての面で余裕のある計画をたてました。はじめの5年間は月収30万円(就労収入は別)予備費 3000万円として、総額4800万円の計画となりました。

8、就労所得はそのまま収入に

介護士の仕事はもう少し経験が必要なので続けることにし、その収入はプラスになるので、月々合計48万円の収入で休暇を有意義に過ごす十分なゆとりができました。

9、十分な学習機会

残り9億3400万円を23才以降どのように計画するかは保留していますが、3億円の奉仕活動費の活用は、環境問題や医療・福祉の面で十分な学習が必要なので、休暇も含め忙しくなりそうです。

10、奉仕活動基金枠は個人裁量で10億円全額でも可能

70歳の場合、奉仕活動基金枠は3億円ですが、70歳までの7億円から奉仕活動基金枠3億円を引いた残り4億円は奉仕活動基金枠に追加することができます。自分の生活費として自由になる個人の儒益基金は残りの3億円になります。年金などの社会保障費の給付に影響はありません。お金の適切な使い方については十分なサポート体制が整っています。

11、豊かな世界観・宇宙観そして道徳を学ぶ

70歳で自己管理によるBPPFの給付が始まったとき、まず何を考えるでしょうか。健康に関し医療に対する認識が大きく変わり、様々な分野で豊かな世界観・宇宙観を持てるように導かれて行きます。当たり前のように神や生死、家族や友人など道徳ついて大切に考えるようになります。素晴らしい体験学習がビジュアルに始まります。。

12、シンプルライフ

10億円は浪費しない限りは使い切れない金額です。自己管理するお金は公のもので個人の生活は全体が一つであるという認識が自然に芽生えてきます。さらに万物の再評価システムによっていかに不要な物が欲望を満たしていたかが分かり、有害なものを排除することによって生活がシンプルになり、無駄が省かれ経済規模は大幅に縮小します。BPPFは生活のあらゆる分野を進化させ、経済を必要としない社会を創ります。

13、奉仕すれば奉仕するほど見返りが多くなるMutual Aid Credit

10億円の30%が奉仕活動基金で残り70%が個人のBPPFで、使い方は自由です。これをNPOへの寄付や災害救済基金などにあてることも自由です。使用した金額に対して等価の倍以上のPointが見返りとして得られます。つまり奉仕活動は評議会で適切に評価の上Point還元され世界共通のMutual Aid Creditとして自由に利用できるようになります。そしてMutual Aid Pointはまた一定のOmake Pointサービスがあり、年間にして使用額の倍以上、数倍が手元に還元されます。 

14、趣味やゲーム感覚で

これによって人類の環境保全などの奉仕活動は飛躍的に成果があがります。特に奉仕活動にあまり縁のなかった人々にとって趣味やゲーム感覚で、また心の触れ合いの場としてゆとりの効果を生み出します。 

15、貨幣をカラー(光)Pointに転換

Mutual Aid Creditは、貨幣の分野にPointが次第に浸透して、一定のシェアーを占めることになると、貨幣をカラーPointによる双方向システムに転換し、物物交換の基礎意識を開発し普遍化すること、つまり、物品のコピー装置の導入を早めることができるようになります。

転載: NEW SEED 2015 ・ One Personal

 本来の姿に戻すための一時的なプランです。不可能だと思いますか?

人類愛・世界愛・生命愛

2015-02-02 04:41:35 | 道・真理・ Deshi A

2015年2月1日 

  

21世紀、世界は公のものとなり,あらゆるものは人類の共有となります。

人種や国家の壁は取り払われ、人々は好きな土地に住み、好きな時に自由に往来し、自由な交易が行われます。

民族愛・国家愛は、人類愛・世界愛・生命愛に変わり、人々は互いに慈しみの心もって通じ合います。

国は、相互扶助の本体として再生し、人々は、道徳を以って相互扶助を実践してゆきます。

老人は皆自分の親とみなし、すべての子供は、自分の息子や娘とみなされ、愛着をもって大切にされるようになります。

やがて、人々の安全は保証され、恐怖や不安がなくなり、力ずくで搾取する必要もなくなります。

自己の能力を生かし、天職を尽くし人格を高め、奉仕貢献する者には尽きることのない報酬が約束されます。

人生の目的は、競争ではなく助け合うことに変わり、助け合うことによって進化しつづけます。

以前のことは過ぎ去り、悲しみや苦しみもなく、全てのものは新しくなって人生最高の幸福をしみじみと味わうようになります。

人類は、この理念の原則に順じて栄え、真の自由と平和がもたらされます。

 Deshi A

 

 


観音菩薩伝~第28話 大師、金輪山で毛人達に攫われる、 第29話 草鞋を施し、白象に乗って難を逃れる

2015-02-02 00:34:10 | 観音菩薩伝・観音様

2015年1月2日

 

第28話 大師、金輪山(こんりんざん)で毛人達に攫われる

村人達は翌朝早くから大師一行が泊まっている家を訪れ、この村に滞在して更に心法を明らかにしていただきたいと懇請しましたが大師は、一日も早く須彌山へ行き着きたいと鄭重に断りました。そして自分がやがて得道し、悟境に達した暁には更に法輪を転じに来ることを約束し、大勢の村人達が差し出す食糧も僅かばかり貰っただけで早々に出立しました。

村の長老が別れを惜しんで村外れまで見送ってくれましたので、大師は改めて長老に須彌山への道順を尋ねました。

「この道を南へ約三十里ほど歩いて行きますと、小高い丘に出ます。この丘を金輪山と言いますが、この山を越えてはなりません。その麓から東の方に廻ると山の向こう側に出られますから、そこからまた南に十七、八里ほど行きますと塞氏堡(さかしほう)に着きます。その村でお休みになって下さい。特に御注意申し上げますが、この金輪山の左側の道は少々危険ですから途中で休まず、黙ったまま急いで通り越して下さい。塞氏堡に着いたら、また次の順路をお訊ねになって下さい」

大師は長老の言う「少々危険ですから」の言葉を「道の悪いところ」と素直に受け取り、長老も理由については何も言わなかったので、三人はそのまま長老と別れ、教えられたとおり南に向かって進みました。

暫く歩いて行くと、やがて広漠とした平原に出ました。樹木もなく草も枯れて一面は、見渡す限り砂と土の平地です。丁度その時風が吹き始め、黄色い砂塵が舞い上がって目も開けられない状態になりました。灼熱の太陽は強烈に輝いていますが辺りにこれを遮るものもなく、砂が口に入り、喉が乾き切って唾液も出ません。付近には水溜まりもなく、一歩を踏み出すのも苦しい旅路でした。

三人は喘ぎながらも歩み続けて、昼過ぎ頃ようやく遠くに小高い丘の見える所まで辿り着きました。その小高い丘が、長老の言われた金輪山でしょう。三人は元気を取り戻し、勇を鼓して山林の見える山の麓に向かいました。

長い砂漠の道程を超えて緑の樹林にまでようやくの思いで到着したときには、三人はすっかり疲れ果ててしまい、木陰の下に坐り込んでしまいました。暫く休んで生気を取り戻した三人が改めて辺りを見回すと、近くに綺麗な小川が流れていました。三人は埃を払って流れに寄り、咽喉を潤してからゆっくりと身体を拭い、ようやく心からほっとすることが出来ました。微風が吹いて誠に爽やかな気分になり、永蓮は思わず「ああ涼しい」と声を挙げました。

金輪山はそれ程高くはないが、風光明媚な岡山で奇巌があちこちに突き出ていて、自然が造り出した素晴らしい景観を呈していました。

旅人が砂漠の平原を歩いて辿り着く緑の森と小川だけに、更に心の安らぎを覚えるのでしょう。樹林には名も知らない美しい鳥が囀り、丘には一面に多彩な百花が咲き乱れ、誰もが恍惚とするような風景でした。保母も、思わず感嘆の声を挙げました。

「大師様、私達は今まで幾多の道を歩き、色々な所を見てきましたが、こんな絶景が砂漠の中にあるとは思ってもいませんでした」

大師も肯いて言いました。

「本当に美しい。天地自然の造化は、人間の測り知るところではありません」

保母は、気持ちよさそうに四方を眺めながら

「こんな美しい所で一眠りしたいですね」

これを聞いた永蓮は、とんでもないと言った顔をして

「老人が言った言葉を忘れたのですか。危険だから休まずに急いで越せと言ったではありませんか」

「永蓮よ、それは山の左側の道でしょう。そう言えばここも山の左側になりますが、しかしまさか青天白日のこの白昼に何の危険がありましょう。妖怪変化でも出ると言うのですか。あの長老は注意してくれましたが、別に何の理由も言いませんでした」

保母と永蓮の遣り取りを黙って聞いていられた大師は、二人を制して

「永蓮が言うように、余りの美景に心を奪われて目的を忘れ、貪りの心をもって徒に行脚を遅らせることは宜しくありません。さあ保母よ、元気を出して行きましょう」

大師の言葉に促され、保母と永蓮は急いで荷袋を背負い、歩き始めました。ところが三歩も進まない中に、突然樹林の奥深い茂みから大勢の鬨の声が挙がりました。時ならぬ声に三人は思わず足を止め、声のする方を見ると、身体全体が毛に被われ、顔は夜叉さながらの怪物のような男が群れを成して迫って来るではありませんか。

余りにも不気味な姿に三人は驚き、仰天して足も止まってしまいました。けれども永蓮は気を取り直して、大師の手を取るや一目散に駆け出しました。しかし、余りの驚きに足が地に着かず、転んでは起き起きては転びの連続です。しかも、女の脚です。逃げ切れる筈はありません。懸命に逃げる大師は、不運にも石に躓いて倒れてしまいました。

背後から追いついた毛人は、倒れた大師の身体をむんずと掴み、小脇に抱え込んで走り去りました。永蓮は、大師と一緒に転んだ瞬間、気を失ってしまいました。やがて気を取り戻した永蓮が辺りを見回したときには、すでに毛人の群れも大師の姿もなく、また保母の姿も見当たりません。不気味なほどの静けさです。もの悲しく必死になって叫ぶ永蓮の声だけが、空しく流れるだけでした。

大師とも保母とも別れ別れになった永蓮は、仕方なく、とぼとぼに向かって歩き出しました。可哀相な大師様、折角ここまで修行されてきたのに夜叉のような毛人群に捕らわれるとは・・・流れる涙を拭いもせず歩いていた永蓮の後から

「永蓮、待っておくれ」

と言う声が聞こえてきました。二度、三度と呼ぶ声にようやく気付いた永蓮が後ろを見ると、気の毒に足を引きながら保母が必死になって追い付こうとしています。永蓮も駈け寄りました。

「保母様、ご無事で」

保母はこれに答えず、息を切らして

「大師様は何処に、そなたと共に御無事ではなかったのですか」

と訊ねましたが、永蓮は答えることが出来ず、首を振って只激しく泣くばかりでした。

「それでは大師様は、毛人群に捕らわれたのですか。全て、私の罪です。あのとき、私さえ休まずに速く歩いておればよかったのです。悪いことをしてしまいました。今頃大師様は、どう虐げられているのでしょう」

保母は、思わず坐り込んで泣き出してしまいました。二人は泣くばかりで、どうする術も知らず、動こうともしません。しかし暫くして、若い永蓮が先に気を取り直し

「見た目にも、あの怪物達は凶悪そうです。早く助け出さなければ、大師様の命が危ないと思います。早く塞氏堡へ行って、村人に助けを求めましょう」

 保母も現実の急務に気付き、二人して懸命になってへと急ぎました。足を引きながらも大師の救出に必死になって走る保母、また保母を助けて肩を支えながら懸命にへ向かう永蓮、修行者に災難は付き物とは言え、大師を攫われたことは余りにも大きな心の痛手でした。

 

第29話 草鞋を施し、白象に乗って難を逃れる

運悪く毛人群に捕えられた大師は、一人の全身剛毛の男に横抱きにされ、その後から大勢の仲間に脅かされながら山の中に連れ込まれました。毛人達は、洞窟の前で一旦立ち止まると、二人ずつになって中に這入りました。真っ暗な洞穴の中を暫く行くと、向こうの方に丸い穴がぽっかり空いた大きな広場に出ました。四方は密林に囲まれていて、誰からも発見されないような所です。

毛人達は、大師を広場の真ん中に降ろすと、遠巻きにして囲み坐り込みました。騒ぎが鎮まると一瞬水を打ったように静かになり、不気味な沈黙が続きました。やがて囲みの中から酋長格と覚しき男が立ち上がり、吼えるような声で何か叫ぶと同時に、四方の森の中から二百人以上の男女が跳び出してきました。彼らは、大師の周囲に集まり、何か奇声を発して騒ぎ始めました。

大師は、捕われた瞬間からすでに心は定まり、落ち着いておりました。周囲をゆっくり見回すと、今まで怪物か夜叉と見たのは誤りで、みな未開の人間のようです。彼らは背が高く肩を怒らせており、多毛のせいか身体には一糸も纏っておりません。全身に真っ黒な毛が密生した猩々(しょうじょう)のようで、猿に類似した人間と言ったほうがよいかも知れません。顔の毛は短いが、眼が窪んで凄みのある光を発しています。

実はこの人間達は原始民族の一団で、全く外界と遮断された生活を送っており、日常生活のための道具などもなく、狩猟をしてはその日暮らしをしているのです。

大師が連れ込まれた洞窟が外界への唯一の通路で、密林に囲まれて静かに生活している彼等には、旅人が黙って通り抜ければ聞こえないが、話し声を立てるとそれが山に谺(こだま)して響き、洞窟が伝声管の役割をするため、動物的感覚を持った彼等にはその声が手に取るようによく聞こえるのです。

彼等は普通人も動物も同じように感じ、異族と見れば殺して喰らうので一層恐れられていました。声を聞くと洞窟を出て襲い掛かり、生け捕りにして帰ってきます。平生その姿を滅多に見ないため付近の人々は、彼等を悪魔か妖怪と信じ、恐れてここを通りません。通り抜けるときには、決して声を立てず足早に越してしまうのです。そうすれば、危険はありません。今朝方長老が『黙って声を立てずに』と注意したのも、この意味を含んでのことでしょう。

やがて、大師を捕らえた男が皆の前に進み出て、腕を曲げ胸を敲いて自分が捕らえたと誇っているらしく、奇声を上げ語り掛けていました。群衆は歓喜と感嘆の声を挙げ、男の勇を讃えるかのように合唱し始め、それに合わせて大きな踊りの輪が広がりました。

こうした乱舞が続いて人間達は長い間踊り狂っていましたが、やがて疲れてきたのでしょう。一人、二人と地上に坐り込む者が多くなるに従い歌が止み、だんだんと沈黙の時が流れ、群衆は鋭い視線を大師に注ぎ始めました。

間もなく大師を生け捕りにした毛人がつかつかと前に進み出て大師をジッと見下ろしていましたが、大師が履いている草鞋に目が止まるや不思議そうに眺めてこれを指さし、皆に向かって何事か叫びました。

大師は、彼の視線が足下の草鞋に止まったのを見て、きっとこれが欲しいに違いないと察し、自ら草鞋を脱いで彼に差し出しました。毛人は奪うようにこれを取って撫で回すように表や裏を見ていたが遂に自分の足に履き、付近をぐるぐると歩き回ってから、これは素晴らしいという表情を示して皆に見せびらかしました。

この様子を見ていた毛人達の中から羨ましがるようなざわめきが起こり、二、三人が出てきて珍しそうに彼の足を見ていたが、急に大師に向かって、自分にも呉れというように手を差し出しました。大師は、これを見て、助かるかも知れないと思いました。

荷袋の中には、まだ百足ぐらいの草鞋が入っています。これを与えて彼等の歓心を買えば、多分直ぐには殺さないであろう、その内に逃げ出す機会があるかも知れないと考え、大師は荷袋の中から草鞋を出して一足ずつ毛人達に渡しました。

これを見ていた群衆が、吾も吾もと押し寄せました。一足の草鞋を片方ずつ奪い合ったり、一人で三足も取ったりするものですから、とうとう広場中が奪い合いの場となり、誰も大師の存在を意識する者がいなくなってしまいました。

大師は、この機会を逃さず、じりじりと後に下がり人々の側を潜り抜けるや素足のまま洞窟の入り口目掛けて駆け出しました。ところが大師の記憶していた洞窟は、何処を捜しても見当たりません。方々を捜し回っている中に、足は荊や棘で引っ掻かれたり刺されたりして傷だらけになりました。

このままでは、毛人達に見付かってしまいそうです。仕方なく足に任せて密林の中へ足を踏み入れましたが、一体何処を歩いているのか全然方角が分かりません。その内にだんだんと足が棒のようになり、歩くのが苦痛になってきました。どうなるかと心配していたそのとき、前方から一頭の白象が現れて、ゆっくりと大師の方に向かって来ます。

これを見て大師は、折角毛人の難から逃れたと思ったのに今度は象の出現か、と思わず立ち止まってしまいました。もう駄目だ、大師は心気を平静にして迫り来る象を見詰めました。ところが、どうしたことでしょう。その象は、大師の側まで来ると急に立ち止まってしまいました。そして鼻を上下に大きく振り、耳をちょうど扇を扇ぐように動かし、涼しげな目で大師を見ております。

大師も、静かに見返しました。襲い掛かる様子は全くなく、主人の命令を待っているかのような素振りです。暫く象を見ておりましたが、飼い馴らされている様に見えますので、この白象はもしかすると佛陀が私を救って下さるために遣わされたのかも知れない。古経典に、佛陀は白象に跨って下界されたとありますから、この象はきっと佛陀のお遣わしになった象に違いないと思い、大師は親しく優しく象の顔を撫でながら言いました。

「そなたは、私を救うために来てくれたのですか。もしそうであれば、鼻を三度振っておくれ」

すると不思議にも、白象は言われたとおり、鼻を上下に三度振りました。大師はこの霊獣の仕種(しぐさ)に喜んで

「そなたが私を救ってくれたら、将来私が須彌山で得道し正果を成就した暁には必ずそなたを畜生道から脱れさせ、佛門に救って上げましょう」

と語りました。

人語を解するかのように象は、大きな顔を縦に振っています。丁度この時森の奥では、毛人達が大師の逃れたことに気付き、大声で騒いでいる声が聞こえました。そしてその声は、こちらの方に迫ってきます。大師は驚かれて

「さあ、白象よ。この危難を救っておくれ」

この言葉が言い終わるか終わらないうちに象は、長い鼻を大師に巻き付けるや否や、軽々と背中に乗せて一目散に走り出しました。白象の巨体がまるで雲に乗っているようで、瞬く中に密林を突き抜けて金輪山の麓に出ました。

更に四、五里も走っただろうか、平野に出た所で白象は、大師を静かに地上に降ろしました。ここまで来てやっと生色を取り戻した大師は、衣服の乱れを整えてから、白象の顔を優しく撫でながら

「白象よ、有り難う。そなたのお陰で、私は一命を救われました。このご恩は決して忘れません。もう塞氏堡のも近いようです。ここでそなたと別れますが、将来正果を成就した暁には必ず救いに参ります。安心して山にお帰りなさい」

と語りましたが、象は帰ろうとしないばかりか、地上に坐り込んでしまいました。

今まであれほど大師の言葉を聞き分けていた象が、どうしたことでしょう。何かを訴えるかのように、白象は瞬きもせず大師を見ております。もしかしたらこの象は、私と一緒に須彌山へ行きたいのかも知れない。それならば、象に訊ねてみよう。そう思われた大師は、象の首に手を当てながら

「白象よ、そなたが金輪山に帰りたくないと言うのは、私と一緒に須彌山へ求道に行きたいからですか。もしそうならば、頭で三回頷いてご覧なさい」

すると象は、明らかに人語を解するように、はっきりと三回頷きました。そうして長い鼻を背中に回して、ここに乗るようにと勧める動作を繰り返します。大師は、深く感動しました。動物の象ですら、自分の求道にその身を捧げようとするのです。

「白象よ、そのようにそなたが佛縁に深いとは思わなかった。しかし私の騎象になることは、決して楽ではありませんよ。数多くの艱難を跋渉しなければならないのです。それを覚悟していますか」

 象は大きく頷き、再び背中に乗って下さいと言うように、長い鼻を振り曲げて背中を示しました。大師は喜んで背中に上り、ゆっくりと坐りました。象は大師を庇うように慎重に立ち上がり、静かに歩み出しました。その動作は昔から大師に仕えているかのようであり、騎象となったことを喜んでいるかのようでもありました。大師と象とは、塞氏堡へ向かって進み始めました。