かなり以前に社員の葬儀で神戸市北区山田の地を訪れたことがある。
そのとき三重塔が目にとまったが、近場でもあり“いずれ見に行こう”が無期限延期的になっていた。
R176を塩瀬あたりで有馬街道に入り、蓬莱峡などをちらっと横見しながら有馬温泉を通り、山田の地に抜けた。
怪しい記憶のそれらしい位置を地図で探すと「無動寺」がある。
塔はここに違いないと思ったのだが、見当たらなかった。
ここまでには手書きの表示があり、“対向車が来たらどうしよう”というような細道にも迷い込んだり・・・多少苦労したのに・・。あの表示はどう進めという意味だったのだろう。
寺は、なかなか風情があってよかった。
木々の季節はまだ夏であるが、しっかり秋の気配もあった。
きっと紅葉も美しいだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/26/72dc56f3739ef2996e24bb7275b859ac.jpg)
青青もみじ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/9c/9b0f3e5dd21844f2ce28f4086bec6f36.jpg)
秋の気配
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/04/deecdc615701882429c5f5bc7442b30b.jpg)
これはハイテク。近づくと蓮葉から手洗い水が出る。当時あったとしたら魔法であっただろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/7c/3ee533b9f151b20276721bfa89a50acb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/1e/4b2ace1af1668752f6e7a022ff73f141.jpg)
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藁葺の古寺。
塔を探したかったが、よそ見運転できないし、もう一つの予定、千年家がある。
もっと外れたところにあるのかなと思ったが、住宅地の中にあった。
赤い実のなっている大きな木に迎えられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/22/23580ad2114c035ca23ab2805f5fe05e.jpg)
受付のおばあちゃんに聞くと「なつめ」だそうだ。
立派な藁葺家屋である。
往時きっと“お館”とでも呼ばれたものだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/ca/06ce59e22adb5185048a580e6ff8de36.jpg)
しばし、内外
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/b3/379a10d2f57e0aceb54d315d5eaec531.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/b6/ded0a0bba35b6a6d926dc6cc9b7252c3.jpg)
こんな調度も滅多に持てなかっただろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/2c/ddd910ee069abb5561b7f085e8d81aab.jpg)
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ここで実際育った人がいるんだろうか? 古い教科書である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/3d/74a5f5af1c4bdbb4fe7ef1ddc040506b.jpg)
この板が超高級材。たて引き鋸もカンナも無い時代、チョウナだろうか、そういった道具で板に仕上げたのである。板敷きとして組む順番もあるんだろうなと思う。でこぼこしてしまうだろうから・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/85/1b740c5b050415808be6a4c3b9e71762.jpg)
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こちらは模型
予定はここで終わりだが、地図を見ると三木がほど近いので足を伸ばしてみることにする。
城跡に立つ。ここで「干殺し」と呼ばれる大攻囲戦が行われた。
素人だが、なるほど堅城だということは察しがつく構えである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/cd/c618621633e5f34ff289973aef573255.jpg)
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これを効果的に攻略するには兵糧攻めが一番というのはわかるが、それができる武将というのは限りがあるだろう。厚く囲まないと突破されてしまうし、厚く囲むこと自体が自身の兵糧代が嵩んで長続きできない。
東播の盟主で反織田(羽柴)親毛利の三木城主別所氏の隠れ糧道が花隈城から山田を通り三木に至る経路。山の中を重い荷を背負って進むのは大変なことだっただろう。
2.3人で進むなら隠しおおせるだろうが、それでは効果がないので大人数にならざるを得ないだろう。すると目立つ。経路上の基地は秀吉軍によって焼き討ちされている。
その後もこの糧道は細々と続いたそうであるが、所詮大勢には影響せず、ついに糧尽く。
三木城の場合、“諸寄り”というそうだが、非戦闘員である領民まで篭城した。
ただでさえ貴重な糧食、対して“口”が多いのである。
堅城三木城も飢えには勝てず、別所一族の首と引き換えに解放された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/2b/e6d626bdadd78e35c1c19477b004511b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/58/a4e8785cff5a7c3453b3588bed104fbe.jpg)
もちろん、花隈~三木糧道を辿ることなど考えも及ばないが、縮尺の大きな地図であれば山田からはほぼ沿った経路だったと思う。
また、後で調べてみると有馬から山田までは、一の谷に向かう義経軍の進路だった可能性もあるようである。
六甲山系と山陽道の間にも深い歴史があることを改めて知った。
そのとき三重塔が目にとまったが、近場でもあり“いずれ見に行こう”が無期限延期的になっていた。
R176を塩瀬あたりで有馬街道に入り、蓬莱峡などをちらっと横見しながら有馬温泉を通り、山田の地に抜けた。
怪しい記憶のそれらしい位置を地図で探すと「無動寺」がある。
塔はここに違いないと思ったのだが、見当たらなかった。
ここまでには手書きの表示があり、“対向車が来たらどうしよう”というような細道にも迷い込んだり・・・多少苦労したのに・・。あの表示はどう進めという意味だったのだろう。
寺は、なかなか風情があってよかった。
木々の季節はまだ夏であるが、しっかり秋の気配もあった。
きっと紅葉も美しいだろう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/26/72dc56f3739ef2996e24bb7275b859ac.jpg)
青青もみじ
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秋の気配
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これはハイテク。近づくと蓮葉から手洗い水が出る。当時あったとしたら魔法であっただろう。
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藁葺の古寺。
塔を探したかったが、よそ見運転できないし、もう一つの予定、千年家がある。
もっと外れたところにあるのかなと思ったが、住宅地の中にあった。
赤い実のなっている大きな木に迎えられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/22/23580ad2114c035ca23ab2805f5fe05e.jpg)
受付のおばあちゃんに聞くと「なつめ」だそうだ。
立派な藁葺家屋である。
往時きっと“お館”とでも呼ばれたものだろう。
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しばし、内外
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こんな調度も滅多に持てなかっただろう。
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ここで実際育った人がいるんだろうか? 古い教科書である。
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この板が超高級材。たて引き鋸もカンナも無い時代、チョウナだろうか、そういった道具で板に仕上げたのである。板敷きとして組む順番もあるんだろうなと思う。でこぼこしてしまうだろうから・・・
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こちらは模型
予定はここで終わりだが、地図を見ると三木がほど近いので足を伸ばしてみることにする。
城跡に立つ。ここで「干殺し」と呼ばれる大攻囲戦が行われた。
素人だが、なるほど堅城だということは察しがつく構えである。
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これを効果的に攻略するには兵糧攻めが一番というのはわかるが、それができる武将というのは限りがあるだろう。厚く囲まないと突破されてしまうし、厚く囲むこと自体が自身の兵糧代が嵩んで長続きできない。
東播の盟主で反織田(羽柴)親毛利の三木城主別所氏の隠れ糧道が花隈城から山田を通り三木に至る経路。山の中を重い荷を背負って進むのは大変なことだっただろう。
2.3人で進むなら隠しおおせるだろうが、それでは効果がないので大人数にならざるを得ないだろう。すると目立つ。経路上の基地は秀吉軍によって焼き討ちされている。
その後もこの糧道は細々と続いたそうであるが、所詮大勢には影響せず、ついに糧尽く。
三木城の場合、“諸寄り”というそうだが、非戦闘員である領民まで篭城した。
ただでさえ貴重な糧食、対して“口”が多いのである。
堅城三木城も飢えには勝てず、別所一族の首と引き換えに解放された。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/2b/e6d626bdadd78e35c1c19477b004511b.jpg)
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もちろん、花隈~三木糧道を辿ることなど考えも及ばないが、縮尺の大きな地図であれば山田からはほぼ沿った経路だったと思う。
また、後で調べてみると有馬から山田までは、一の谷に向かう義経軍の進路だった可能性もあるようである。
六甲山系と山陽道の間にも深い歴史があることを改めて知った。
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