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うちの芝生が一番青い

Tokyoに暮らす、ごくごく平凡で標準的な【ナイスサーティーズ】の奮闘記。

宮城県の農家

2009年10月30日 | 建築、デザイン
先週末、家族で(義理の妹家族含めて9名様御一行)義父の実家へ行ってきました。

実家は宮城県、ほぼ岩手県との県境に近い登米市というところにあります。


兼業農家である実家ですが、「農家建築」は同じ東北でも、場所が変われば様子も随分違うもの。

今日はその特徴をご紹介します。





まず屋根のフォルムが独特です。

形式は農家に多い「入母屋」屋根ですが、若干弓なりにカーブを描いており優美な印象を受けます。



雪を滑りやすくするためでしょうか、材木をどのように加工するのか興味をひかれます。

(私の実家「滋賀県湖北地方」も積雪が多い地域ですが、このような形は見られません)





また屋根形状が単純な「大屋根」ではなく、細かな屋根を組み合わせた構成であり、手の込んだ作りといえます。



屋根材も特徴的。

瓦ぶきではなく、鋼板ぶきの家がほとんどです。(色もエンジやブルーといった明るい色が多い)


おそらく積雪の荷重が大きいので、屋根を軽くするためなのでしょう。

雪の滑りを良くする目的もあるかもしれません。



国内、海外とも、田舎の住宅は屋根に特徴がみられることが多いのですが、

ここ宮城県北部地方も例外ではないようです。


  軒裏も木組みがそのまま見えます。美しい。




敷地内の構成をみると「母屋」以外にも、農作業のための「納屋」が大小3つほど。

納屋の面積を合計すると、母屋より大きくなるくらいです。


 納屋のひとつ


昔の農作業は今のように機械化されておらず、いろんな手間がかかったのでしょう。

また、牛(農作業に使った)や鶏などの家畜小屋、食糧保存のための収納庫、などなど

農家には様々なスペースが必要だったのだと思われます。



現在は自家用の農作物しか作っていないようでしたが、畑はかなり大きい。

そして多種多様な作物が植えられていて、手入れも行き届いている!


  


雑草だらけの「マイファーム」とは訳が違う。

それだけ農業が生活に密着しているのだなぁ、と感じさせられました。

夢か・・・?

2009年09月03日 | 建築、デザイン
2008年の3月、もう一年半前の話になるが、一か月ほど入院していた。

20代の後半からずっと悩まされ続けてきた腰痛と決別すべく、「椎間板ヘルニア」の手術に踏み切ったのである。


つらい、辛い入院生活・・・というのは手術後の一週間までである。

そう、整形外科の入院患者は基本的に健康なので暇なものなのだ。


福島に引っ越してくるまで、ずっと住宅設計の仕事に携わってきた私は基本的に「お家大好き」。


そんなわけで病室にプランニング用のスケッチブックを持ち込んで、「架空のお家」を何件もデザインしては

そう「暇つぶし」をしていたのです。


そこには「建築主」の要望が全くないため、まったくの「自分の好みの家」ばかりつくっていました。



話はとんで一年半後の本日、営業の外回りで隣町の電気工事店さんを何件も廻っていた時のこと。

ふとこんなお家が目に飛び込んできた。



 南側外観。


そう、入院中にデザインした中の一軒にすごく似ているのだ。

平面計画といい、外部のデザインといいとても似ている・・・。


  東側外観

東側の立面、すごくいい雰囲気です。

片流れの勾配天井をそのまま内部空間に活かした計画であることがわかります。


  アプローチの軒裏


「どうしてあのうちが建ってるんだ・・・?」

とまではさすがに思いませんでしたが・・・。(こちらの設計者の方、大変失礼な言い方で申し訳ございません・・・)



ちなみにこちらの建物は地域の公会堂。

こんなすてきな公会堂を計画した方々、ナイスセンスです!

(なんとも間接的に自分を誉めてるようですが・・・)



ちょっと不思議な経験でございました。

建築家 前川國男の足跡を訪ねて~いざ弘前へ~

2009年07月20日 | 建築、デザイン
建築やデザインが好きである。

そもそもこっちに引っ越してくる前は10年ほど住宅の設計に携わっていた。


前川國男や吉村順三(いずれも故人)といった昔の巨匠の作品が好きである。

古いものや、懐かしいものが好きだからだと思う。



ちょうど今から一年前の今頃、前川氏の作品が多く残る、青森県の弘前市へ

いわゆる「前川詣」に行ってきました。


バイクを北へ走らせること450キロ、同じ東北でも青森はずいぶん遠い。

弘前は城下町。


お濠の内側の弘前公園を囲むように、美しい街並みが広がる。

コミュニティセンターでレンタルサイクルに乗り換え、いざ建築探訪。



さて、まずは一番みたかった 弘前市民会館(1964年)へ
ここは音楽ホールだ。

天井高をぐっと抑えたアプローチから吹き抜けのエントランスホールへ。
感動的な演出だ。

 
 

写真は2階ホール前のホワイエ

あぁ、やはり前川建築はいいなぁ。ナンパなところが一切ない。

結構派手な色を使っているにも関わらずエレガント、そしてどこか親しみのもてる雰囲気。


シャンデリアが美しい、こちらもオリジナル。

細かなディティールに至るまで、デザインに込めた思いが塊となって迫ってくるようだ。

音楽ホールは地元高校の発表会のため入ることができず、残念。

東京文化会館もそうだけど、ハレの場を作らせたら一級品です。


皆さん見たことありませんか。上野の美術館、博物館の並びにあるあれです。

建築に興味のない方も、一度中を見てみてください。

感動的な空間ですよ。




次は木村産業研究所(1932)へ。

地図を頼りに探していると、住宅地の中に古いけど何やらタダならぬ雰囲気の建物が。

こちらは前川氏の記念すべき第一作目。

大学卒業後フランスに渡りコルビジェに従事していた彼が帰国後手がけたものである。


 

東側ピロティ。

ちょうどサヴォア邸と同じころの作品だが、近代建築5原則が盛り込まれているんですね。

写真だけ見ても、「独立柱」「ピロティ」「連続水平窓」が見えますね。

 

エントランス天井

なかなか斬新な色を使ってます。80年前ですよ、しかも弘前で。


かのブルーノタウトが

「何故、こんな極東の辺境にコルビジェ風の白亜の建築があるんだ!」と驚愕したそうです。

このあたりの80年前の街並みを考えると、相当浮いてたはずです。

建築家としては周囲との調和は絶対押さえるべきですが

若きフランス帰りの彼は、さぞかしとんがりまくっていたのでしょう。



「弘前市庁舎(1958)」、「緑の相談所(1980)」 などを見たあと

最後に「弘前中央高校講堂(1954)」へ



ここは普通の県立高校なので、外から電話を入れると先生が「どうぞ」と正門まで迎えに来てくれた。

以前取り壊しの話もあったらしいが、文化財としての価値から存続が決まったらしい。



この建物は弘前で2作目だが、庇が付いている。

木村研究所ではフラットルーフだったが、弘前の気候風土に合わなかったらしい。

やはり日本の建築には庇が欠かせない。

そういえば東京文化会館あたりは、大きく張り出した庇がデザインのアクセントにもなっているし。


軒裏が赤く塗られ、前川テイストが感じられる。

でも親しげな印象の建物だ、ここの学生は幸せだなぁ。





ざっと駆け足で半日の建築探訪。

青森ってえらい田舎だろうと思っていたら、なんとも洗練された美しい場所なのです。

建築好きならぜひ一度来るべし!

次回もっと腰を据えて、「前川詣」にきたいと思います。