富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

太子町葉室周辺をブ~ラブラ!!

2017年09月29日 | 南河内の遺跡・史跡

 

 

先ずは「敏達天皇陵」を訪れます。

「河内磯長中尾陵」(かうちしながのなかのおのみささぎ)太子西山古墳とも呼ば

れる太子町につくられた最初の天皇陵。また、太子町ただ一つの前方後円墳

(全長94m・2段造り)第30代敏達天皇(在位572-585)と母親の生母石姫(いしひめ)

皇后の墓といわれる。

背面(南側)にある墓碑

仏眼寺橋(ぶつげんじばし)

葉室地区を流れる太井川に架かる橋。太井川は梅川と合流し石川へ流れ大和川と

なる。橋を越え、「葉室」のバス停手前の細い道を左へ入ると小さなお宮と大き

な石碑が目につきます。

案内標識も何もありませんが、「葉室小宮」と「仏眼寺跡」です。

 江戸期に葉室の庄屋を務めた池田家の第十六代当主が伊勢神宮に三十三度参拝した

ことを記念して文久二年(1737)九月に私有地内に祀ったもの。その後私有地に宮を

設けるのは恐れ多しとして、村に寄贈され、村民で共同管理することとなった。

以来「小宮さん」として大切にされている。

御祭神:天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)

 

仏限上人の碑 西国巡礼元祖の寺(仏眼寺・ぶつげんじ)

仏眼寺のいいつたえ

 平安時代、葉室に沙門(さもん)さんと呼ばれる、眼が金色に輝いている乞食が

おりました。

 ある日、通りかかった花山天皇が沙門の姿を見て「仏か上人に違いない」と見抜

かれ、都に戻ると改めて沙門をお呼びになり、「只の乞食である」と固辞する沙門

を説き伏せて師とされ、仏眼(ぶつげん)上人の名を与えます。

 ある年、退位して法王となられた帝は仏眼から、衆生救済のため、途絶えている

西国三十三ケ所巡礼を復興すべきと勧められ、二人で西国三十三ケ所巡礼の旅に出

られます。

 終わったときに仏眼の姿は見えなくなってしまいました。

 法王は「仏が上人に姿を変え、私を導いた。」と深く感謝され、仏眼のために

葉室の地に寺を造営されました。これが「仏限寺(ぶつげんじ)」です。  

                                                                     富田林警察所HPから

「西国三十三所導師 仏限上人之遺跡」の石碑があります。

「葉室」バス停の細い道を南へ少し下ると、道の傍らに大きな石が見える。

(案内板はないので注意!)

 

「五右衛門石(ごえもんいし)」と、呼ばれている。

そうです、あの「石川五右衛門」です。石川五右衛門が怒りに任せてこの石を

殴ったり、キセルを叩きつけたりしたので、その痕跡が残っている(そんなの見

えない)とか、座ったとか言われています。

五右衛門夫婦が分かれた場所で、昔、地元の婚礼行列はこの石を避けて通ったとか。

「仏陀寺古墳」

仏陀寺古墳は、二上山から産出する凝灰岩を刳り貫いて造られた横口式石郭を持つ

古墳で、中大兄皇子と共に大化の改新を実行した蘇我倉山田石川麻呂の墓と伝えら

れています。

 

「左 小野妹子墓」の道標

「科長神社(しながじんじゃ)」

太子町唯一の式内社。級長津彦命(しながつひこのみこと)、級長津姫命

(しながつひめのみこと)など八柱を祀るために、八社大明神とも呼ばれる。

「小野妹子 墓」への石段

科長神社南側の小高い丘の上に、古くから「小野妹子の墓」と伝承されている

小さな塚があります。

妹子は、推古天皇(554-628)の時代に遣隋使として派遣された(607年)。

妹子が聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に

花を供えたのが池坊流の起こりになったとされています。

現在、塚は池坊により管理されています。

 「二子塚古墳」

双方墳という珍しい形の古墳で、連続した二つの方墳には、ほぼ同形・同大の横穴

式石室に家形石棺が収められている。東石室内では壁面に塗られた漆喰の一部も

確認された。

 「推古天皇磯長山田陵」

一辺約60mの方形墳。日本で最初の女帝であり、聖徳太子を摂政にし飛鳥文化を

花開かせた、第三十三代推古天皇(554-628)と、その子、竹田皇子(たけだのみこ)

の合葬墳とされている。

 「河内名所図会」から葉室の風景

 

参考 太子町観光map

        大阪府富田林警察署HP

     最後まで、見ていただいてありがとうございました。

  辰じいでした。  

  「修学院離宮」YouTube UPしました。こちらお願いします。

 

 

 


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