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富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

龍雲寺 ウエサカ祭2025

2025年05月08日 | イベント

2025年5月5日 12:39 富田林市加太 智福山 龍雲寺(りょううんじ)。禅寺の黄檗宗のお寺です。

 

12:47 禅宗のお寺で見かける開梛(かいぱん)。時を報ずるための魚板で「木魚」の原形です。 ​口から出ている謎の珠。 これは人が持つ煩悩を表す「あぶく」だそうです。

 

12:46 雲版(うんぱん)。青銅製の鐘で雲形をしているので、この名があるそうです。

黄檗宗は臨済宗・曹洞宗とならぶ日本三大禅宗のひとつ。江戸時代初期に来日した隠元隆琦(りゅうき)(1592 - 1673年)が開きました。本山は宇治の黄檗山萬福寺。

 

12:48 5月5日の子供の日、きょうここで特別な催し「ウエサカ祭」開催されます。ブッダ(お釈迦様)のお祭りです。

 

12:33 きれいに飾り付けされた祭壇。

スリランカ、タイなどの南方の仏教国では、お釈迦さまのお生まれになった日、さとりを開かれた日、亡くなられた日はいずれもインド暦のウエサカ月(4月)の満月の日(15日)であると伝えられ、盛大なお祭り=「ウエサカ祭」が行なわれています。

 

12:49 羅漢さん(尊者像、お釈迦さまのお弟子さま)が祭壇の両側におられます。

龍雲寺では古くから行ってきた涅槃(ねはん)会(だんごまき)を「ウエサカ祭」と改め、「楽しみながらお釈迦さまの教えにふれ、みな共に生きよう」をねらいとして行われています。

 

12:50 龍雲寺は、狭山藩(大阪狭山市)1万石、北条家(小田原北条氏の子孫)の菩提寺として、享保九年(1724)、藩主 北条氏朝の援助のもと、独園和尚が黄檗宗として河内長野市石見川地区より移し開山しました。

 

12:58 まずは隆琦(おもき)宗徹ご住職のごあいさつ。ご高齢ですがお元気です。

 

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13:29 お釈迦様の涅槃図〈お釈迦さまが入滅(お亡くなりになる事)された時の様子を描いたもの〉

沙羅双樹の木の元で亡くなられたのですが、右の4本が枯れ、左の4本が緑の葉を付けています。これは、お釈迦様がこの世の命を終えたことを悲しんで白く枯れたということ。しかし、肉体は滅んでもその教えは枯れることなく受け継がれていくことを示しているといわれます。絵の上部の真ん中には満月(十五夜)があり、陰暦15日であることを意味しています。

 

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天界にいるお釈迦さまの母・摩耶夫人(マーヤ)が描かれています。摩耶夫人は釈迦を産んだ7日後に亡くなったと言われ、釈迦入滅に際して天から不老長寿の薬を与えようと赤い薬袋を投げましたが、釈迦の枕元の木に引っかかってしまいました。(この行為から、薬を与える=投薬という言葉が生まれたとも言われています。)

 

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お釈迦様は北枕で、お顔は西を向かれています。よく見るとお弟子さんたちや菩薩様が悲しんでいます。

 

〈画面をクリックすると拡大します〉

多くの動物たちも嘆き悲しんでいます。

先ほどのひっかかった薬袋をなんとかそれを取ろうと一匹のネズミがするすると沙羅の木に登り、枝をかみ切らんとかじり始めました。しかし、それを見た猫がネズミを追い払ってしまい、結局薬袋は届くことなくお釈迦様はお亡くなりになってしまったとされています。

 

13:25 今回は「沖縄かりゆし会」の方々による沖縄の歌と踊りのご披露です。「かりゆし(嘉例吉)」とは、沖縄の方言で「めでたい」という意味だそうです。

 

13:40 大東市在住の沖縄 久米島の出身者を中心に昭和60年(1985)に結成されました。今年でちょうど40年ですね。

 

13:37 沖縄の伝統芸能「エイサー」を明るく力強い演技で踊られます。

 

13:38 大人数で来ていただき本堂内に全員入れず、本堂前でも踊っていただいています。

 

13:54 このあと、ご住職の説明で「お釈迦様めぐり」をさせていただきました。境内で巡れるよう巡拝していく事ができます。

 

〈誕生〉甘茶を供えます。

約2500年前 インドの北部(現在のネパール)の釈迦(シャーキャ)族の王子として生まれます。

お釈迦様がお生まれたなった時に、「天上天下唯我独尊」と言われたという逸話があります。

直訳すると「この空間において尊い者は私一人である」になりますが、意訳すれば「生きとし生けるものすべてが尊い」の意。すなわち、「すべての生き物がこの世の中で大切な役割を持っていて、それぞれが尊い」と言われています。

 

〈出家〉29歳の時、王子としての立場や地位を捨て、妻や息子からも離れ、全てのものを捨てて、旅立つことになりました。

 

13:56 インドの伝統的衣装「サリー」のご婦人にその解説をしていただきました。

 

〈苦行〉すべての人が直面する「生きること・老いること・病気になること・死ぬこと」。この4つの苦しみから人々を解放できないかという悩みがありました。自ら答えを見つけようと、6年間過酷な修行を自らに課し続けます。ところが、体が極限までやせ細り、骨と皮だけの姿になるまで苦行に励んでもなお、その苦しみを解決することはできませんでした。

 

13:57 苦行を続けたお釈迦様の肉体は限界に到達。死線をさまよったお釈迦様は、少女スジャータによって助けられ、一命をとりとめます。お釈迦様が悟りを開く直前に乳がゆを供養し命を救いました。

なお、コーヒーフレッシュで有名なスジャータめいらく(株)の商品名の由来は、お釈迦様に乳がゆを差し上げた少女の名「スジャータ」から来ています。

 

13:58 乳粥を供え、みなさん合唱。

 

〈成道〉35歳 その後のお釈迦様は苦行をやめ、菩提樹の下で瞑想をするようになります。その姿は周囲から理解されませんでしたが、来る日も来る日も瞑想を続けました。そして、城を出て6年が経った12月8日にお釈迦様はついに悟りを開いたのです。このとき、お釈迦様は35歳になっていました。

 

13:59 そして「極端な生活は極端な考え・心を生み出してしまう」と改めて気づきました。これをきっかけに、ついに苦から解き放たれた"さとり"の境地に達し、仏陀(=さとりを開いた人の意)となったのです。この"さとり"の内容をかつて一緒に修行した5人の僧侶に伝えました。

 

〈説法〉45年間 ここで法輪を回します。法輪は仏教の教義を示す物として八方向に教えを広める車輪形の法具として具現化され、卍と共に仏教のシンボルとされてきました。

お釈迦様は80歳で亡くなるまでの約45年間、仏教の開祖として人々に教えを説き続けました。つまり、真理を説き続け、多くの人々を進むべき道へと導いたのです。その教えは年を経るにしたがって、誰にでもわかりやすいように、また、実践的になっていったと言われています。

 

14:02 そして最後堂内の涅槃図に至り、「お釈迦様めぐり」は終わります。

「南無釈迦牟尼仏」の読みは「なむしゃかむにぶつ」。意味は「私は釈迦牟尼仏=お釈迦様に帰依します」。「南無釈迦牟尼仏」を唱える宗派は天台宗、曹洞宗、黄檗宗、臨済宗など禅宗のお寺です。

 

12:45 玄奘(げんじょう)三蔵法師 唐時代の実在の僧。629年にシルクロードで天竺に向かい、ナーランダ僧院などで巡礼や仏教研究を行って、645年に経典657部や仏像などを持って帰還。

 

14:13 この後、ご住職によりおつとめと講話がありました。

 

14:04 『三帰依』 「お釈迦さまを信じ、その教えを実践し、それを伝えるお坊さんの教えを信じます。」

 

14:17 「ブッダがせんせい」(仏教伝道協会)という本をいただき、ご住職の講話はブッダ(お釈迦様)の教えを通して、やさしく、正しく、つよい心を育んでいくことのお話しをされました。

また、「沖縄かりゆし会」の方々による沖縄の歌と踊りにちなんで、太平洋戦争 沖縄戦の悲惨さを『鉄の暴風』(筑摩書房 復刻版)の紹介も含めお話しされました。

 

14:44 やなせ たかしさん作詞の「手のひらを太陽に」を身振り手振りを交えてみんなで歌いました。

 

14:54 最後におさがりのお菓子を賜(たば)りました。

 

14:50 「三蔵法師はこんなたくさん経典を持って帰ったんや。」

唐から天竺へ17年間、3万kmも旅をしたといいます。仏教の経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した法師で『西遊記』のモデルにもなったお坊さん。

「ウエサカ祭」をご紹介いただいた「さやか観光会」の谷上様を始め、今回も楽しくためになるお祭りを開催していただいた龍雲寺ご住職、加太三友会をはじめ地元の方々にお礼申し上げます。

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写真撮影:2025年5月5日

2025年5月8日 アブラコウモリH

 

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