〈リバイバル・アーカイブス〉2022.4.11~4.25
原本:2017年6月23日
富田林寺内町は、今から約450年前戦国時代末期の永禄(1558~1569)初年頃、西本願寺派興正寺の門跡証秀上人が、守護代より富田の「荒芝地」を購入し開かれた宗教自治都市です。民家は江戸中期までは藁または茅葺きで、密集した街並みではなっかたとおもわれます。江戸時代は公儀御料となり、また、東高野街道、巡礼街道などが交わる交通の要衝であり、酒造業、木綿業をはじめ、近世以降南河内一の商業地として栄え、財をなした家が多く、江戸中期以降、豪壮な白壁造りの町家(厨子(ずし)2階本瓦葺)が軒を連ねる街並みが作られた。現在も17世紀中頃から明治にかけての町家が多く残り、町そのものが国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。現在の町家(古民家)を小生の独断で一部を紹介します。 2017.06.17ー22 撮影
厨子(ずし)二階造り、入母屋造りが母屋で、切妻(きりつま)造りか明治に増築されたそうです。中二階の虫籠窓(むしこまど)の形がその時代により変わっている。
入母屋が「むくり屋根」(低姿勢を表するもので、商人の家屋におおく見られる。)
棟の上の「煙出し」 入母屋が「むくり屋根」
旧杉山家 江戸時代代表的な厨子二階造り 棟の上に「煙出し」入母屋が「反り屋根」
角が交差点ため「はかま腰屋根」か
厨子二階造りが比較的に多い。入母屋が「むくり屋根」か
本二階造り
平屋造り
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平屋(長屋)・町家
切妻屋根
三階建 蔵の改装かな
大塀造(だいべいつくり)敷地を塀で囲み門があり、奥に玄関がある。
お寺の屋根、入母屋造り、「そり屋根」が多い。
看板建築
大和棟かな、切妻屋根の上棟の屋根が急勾配のため、藁葺の上にガルバリウム鋼板で覆っているのかな。
切妻屋根造りと厨子二階造り
数が多く、又、家屋や屋根の知識が乏しいため、誤表示があればご指導ください。
2017.06.24 kusu
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