〈リバイバル・アーカイブス〉2022.3.28~4.11
原本:2017年6月24日
当時の「授業風景」
制服の移り変わり
化粧品の量り売り(大きな容器から小瓶へ詰め替え)や、鋳掛け屋さんも来ていた。
「どうま」と、言っていた。
空き地があれば、遊んでいた。女の子はしない。(入れてやらない)
男子が一緒に遊ぶのは、ちょっと恥ずかしかった。
「べったん」にロウを塗ったりした。
丸いべったんやスポーツ選手のべったんを引き出しいっぱいに集めて遊んでいた。
紙芝居屋のおばちゃんが、最後にクイズを出し、当たればお菓子をくれた。
箸に着けた「水あめ」を練りまわし、一番白くなった人が勝ち!
ズボンのポケットには、ラム玉がいっぱい。
ガラス屋さん(クリスマス用とかのガラス玉を造っていた)へ、ラムネの空き瓶を
持っていき、ラム玉(ビー玉)を造ってもらった。
昭和30年頃、石川は水量も豊、魚も沢山いたのに・・・・・・
① 伸針 糊付けした着物地を、皴にならないよう干すときに使った。
②と③ 木の洗濯タライと洗濯板。ある時は「お風呂」にもなり、産湯にも使った。
④ 針箱
⑤ 糸巻き車
⑥ 木槌 草履を造るときに、藁を柔らかくするために使用した。
⑦ 炭火アイロン
皆さん、説明なんて要らなかったですネ
「玉切り」当時の主婦の内職
製品は、クリスマスツリーの飾りとして海外へも輸出された。
原材料はガラスそのものなので、よく破片でケガをした。治療法は「新聞紙」を
ちぎって貼るだけ。
お父さんの夜なべの仕事。
今も、駅の跡地は残っている。けど、この駅は知らない。
小学生の時、近鉄で新車両(ラビットカー?オレンジ色だった)が走るとき喜志駅まで小旗を
振りに行った。低学年だったので駅ホームへ入れず改札前で旗を振った。
自宅前の四つ角に、共用の井戸があり町の人総出で「井戸さらえ」をした。
石川は「自然のプール」
夏休みが終わり、新学期が始まる。
でも、楽しみはまだある。大ケ塚の「八朔」だ。
小銭を半ズボンのポケットに入れ、誘い合って出かけた。
もちろん、歩いて!!
700年前
300年前
250年前の「喜志村」と「石川」
この頃は、「河州石川郡喜志村」と呼ばれていた。
常夜灯が2基見える。
石川の「剣先舟」
喜志の川面 小在所なれど うらにどんどと 船が着く
「桜井戸」
ザリガニ(えびがに)釣り夢中だった数十年前を思い出します。
追記
長々とご紹介しましたが、最後まで見ていただいてありがとうございました。
もっとカットして、短くしたかったのですが御免なさい。
どのシーン(スケッチ)も捨てがたく、長くなってしまいました。
スケッチの作者に感謝します。
By 辰じいでした。 2017年6月24日
Youtube UPしました。
「叡福寺の桜」 10分 https://youtu.be/cuI6OMApxGE
「弘川寺と桜」 13分
タイトルをクリックしてください。
チョット長いけど、よろしくお願いします。
とてもとても、私には画才がなく、メンバー
からお借りしたものです。
作者の方も、OPENすることには賛成の様ですので
UPさせていただきました。
昔懐かしい、田舎の風景です。