富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

賽(さい)の神

2015年03月16日 | 館内活動

 

富田林市 彼方(おちかた)地区 彼方小学校に至る南北道の地蔵祠の中にあり。― お供えのお花の葉牡丹がきれい!(2015.1.16.撮影)

 コンクリート製の祠にお地蔵さんや一石五輪塔と共の置かれているのが、賽の神さん。

「ええ、だだの丸石やんか?」と思われるかもしれませんが、

「そうです!ただの丸石です。」

近くの石川でゴロゴロしている丸まっちい、ただの川原石なんです、これ重要!!

 

富田林市 伏見堂地区 町の西のはずれ。

 よくみると、このお地蔵さんの敷石も丸石ですね。

しかもですよ!この丸石全部、砂岩なんです!ここ注目!!

石川にころがっている砂岩というと、7500万年前に形成された和泉層群の砂岩で、「和泉青石」とも言い、泉州・南河内の江戸期の墓石によく使われていますね。

先ほどの写真のお地蔵さんや一石五輪塔も同じ和泉砂岩ですね。

 

 富田林市 伏見堂地区 正面からみたお地蔵さん この敷石が和泉砂岩の丸石。

 

 富田林市 錦織(にしこおり)地区 旧東高野街道沿いの安楽寺跡の賽の神さんと思われる丸石 傍らに卵塔、お坊さんの墓も見えます。現在、中薬師のお堂と安産地蔵があり、お近くの方がよくお参りされています。

石川の源流は和泉山脈 蔵王峠付近ですから、ここから流されてくる石は和泉砂岩な訳です。そして、お不動さんに行く「高橋」の下流の川原石をみるとそれに加えて、蔵王峠より下流部の基盤である1億年前の領家帯花崗岩類が混じり、さらに100万年以上前の大阪層群やもっと新しい河岸段丘堆積物のなかに含まれているチャート類、よくよく見ると上流の横山地区のある1500万年前の汐の宮火山岩の「横山潮湧石」の柱状節理の玄武岩質安山岩がまれに見られます。

関連記事: 私の富田林百景+  「 横山潮湧石 」 2013.10.4.

ざっとですが、石川 錦織―彼方地区の「高橋」付近の川原の石の構成(個数比)は、

・和泉砂岩         40%       

・領家帯花崗岩類      50%

・チャート          9%

・汐の宮火成岩(安山岩)   1%  くらいかなと思います。

で、何が言いたいかといいますと、先ほどの丸石はこの川原の石の中でわざわざ和泉砂岩を選んでいるということが重要です。

何で和泉砂岩の丸石ばかり集めているのかは、すみません、わかりません。

しかし、この辺の古いお家(うち)の石垣を見ると、川原の丸石で積まれていますが、構成比に近く花崗岩が一番多く積まれています。

ということは、賽の神さんは、砂岩を選んでいるということになります。

 館内講座では、「砂岩は、他の岩石より丸くなりやすいのではないか?」というご意見が出ましたが、そうかもしれませんね。

丸いから砂岩を選んだのか、それとも砂岩の材質や質感が重要であったのか、どちらだと思われますか?

ちなみに、これからたくさん「賽の神」らしきものをご紹介しますが、全部砂岩の丸石です。

  

 南河内郡太子町山田 大道地区 花崗岩製のお地蔵さんとともに

賽の神さんとは、

賽の神は村内と村外の境界や道の辻などに祀られている神で、村に災いが入って来ないように守っている神といわれています。集落の村の入口、 村はずれの境界、道の辻、三叉路などにあり、自然石(富田林市の場合)で祀られる道の傍らにある神様です。特に、自然の丸石を集めた賽の神は、旧錦部郡(現在の富田林市南部および河内長野市)に多いのではいかと思います。

 

富田林市 甲田(南甲田)地区   町に入った地車庫の横 チリンサン

以前この「富田林百景+」でご紹介したチリンサン。これも砂岩の丸石。

5個の自然石(和泉砂岩の丸石)でできています。

 関連記事:チリンサン 2015.2.25.

 

 富田林市 甲田(南甲田)地区

 

 

道祖神との違い

「道祖神」は全国的に広い分布をしています。特に甲信越地方や関東地方に多く、厄災の侵入防止や子孫繁栄等を祈願するために村の守り神として主に道の辻や三叉路に祀られていますね。とりわけ道祖神が多いとされる安曇野では、文字碑と双体像があり、アルプスを背景に農村地帯の仲睦まじい双体像が特に有名です。

南河内地方での「道祖神」としての石造物は少なく、「賽の神」、「衝波除」、「地蔵」が多いようです。

 

 

  史料『才之神改帳 彼方村』 元禄5年(1692)10月

出典:『富田林市史 第5巻 資料編』 

 なんと賽(才)の神さんに関する珍しい古文書。江戸時代前期の彼方村(現在富田林市彼方)の賽の神を調査し、「差上ノひかへ...」とあるので、お上に報告した書類の控えです。

なんと元禄5年(1692)。柳沢吉保が側用人になり、松尾芭蕉が3年前に「奥の細道」へ片雲の風にさそはれて漂泊し、10年後に赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしたほど昔です。

ここで才の神は、田畑の脇だけでなく屋敷の一角にあると書かれています。むしろ、そのほうがずっと多い。現在も、旧錦部郡のお家では敷地の一角に「賽の神」を祀っているところがあるそうです。これも丸石が多いようです。

そして、融通念仏宗の布教エリアや西国三十三度満供養塔の多いエリアと一致するのは偶然でしょうか...

 

 富田林市 佐備(下佐備)地区 下佐備地区の集会所の地蔵祠と共にあり。  

 地蔵祠の横の祠に、祀られている賽の神?

 

  富田林市 佐備(さび)(下佐備)地区

 このように二つ並びになっています。左側の祠の中に、賽の神と思われる丸石があります。

 

  富田林市 廿山(つづやま)地区 

 いろんな石が置いてありますが、まんまるの石がありますね。元来、これが賽の神として祀られているのではないでしょうか?

 

  富田林市 廿山地区 大神宮灯籠や地蔵祠と共に、街中にあります。

 

 河内長野市西代町 西代(にしんだい)神社 花崗岩製の祠(2基)の中にあります

 神社の境内にも、なぜかこうゆう形で存在します。がっちりした花崗岩の祠の中に、砂岩の丸石が...よくみると祠の外にも大きな丸石がありますね。

 

 

  富田林市 彼方地区 春日神社内 梶原大明神 瓦器の小さい祠の中にあり。

 瓦素材の祠の中に、大きな丸石が...

 

  富田林市 佐備(下佐備)地区 佐備神社 瓦器の小さい祠の中にあり。

一番奥に丸石があります。ほかにも、そこら中の石ころがいっぱい集められている。

 

岸和田市八幡(はちまん)町 弥栄(やえい)神社 瓦器の小さい祠の中にあり。

 岸和田にもありました。

 

富田林市若松町3丁目(旧 新堂)地区 清水大師堂

 銭箱の向こうにあるのはの神 ?

 

 

 2015.3月16日 ( HN:アブラコウモリH )

 


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