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スピルバーグと映画大好き人間、この指とまれ!

カフェには、映画が抜群に良く似合います。
大好きなスピルバーグとカフェ、アメリカ映画中心の映画エッセイ、
身辺雑記。

「スピルバーグの人間像~その2~」

2008-03-21 05:34:00 | 連載コラム~スピルバーグ~

スピルバーグの人間像~その2~ 

(画像は、「雑誌BSfan1998年2月号の特集記事映画の神様スピルバーグ全仕事 ㈱共同通信社」より)

 プライベート面では、最初の女優エイミー・アーヴィングとの結婚生活は恵まれたものでは無かった。映画監督ブライアン・デ・パルマが「キャリー」のディナー・パーティの席上で彼女を紹介したのがきっかけである。彼女は、少年のようなところが父と似通っていたので魅かれた。出会ってから一年後ハリウッド真北のローレル・キャニオンの地味な田舎の家で同棲を始めた。1980年日本へ来る機上で破局を迎える。1983年によりを戻し1985年に結婚するが1989年に離婚。エイミーはスピルバーグにとって光り輝く素晴らし女性で利発、才能もあり美しいが、怒りっぽく挑発的で競争心が強く安らぎを与えてくれなかった。そして、スピルバーグが家に帰っても暖かい雰囲気は無かった。そんななか、「インディ・ジョーズ・魔宮の伝説」で主演女優を務めたケイト・キャプショーと知り合い、初めて会った時からおたがいに夢中になっていたが、その後、離れ離れになった。離婚を機に再びつき合い始め1991年ロングアイランドのスピルバーグの自宅でキャプショーと結婚した。キャプショー言わく、スピルバーグの印象について「家族のようなにおいがした」とのこと。彼女は、エイミーとは正反対で世話好きで母性的なタイプ。スピルバーグはそこが気に入った。それは、まるで彼の母リアと同じものを感じたのだろう。現在子供7人がいる。女優ケイト・キャプショーと前夫の子供ジェシカ(29歳)、スピルバーグと前妻女優エイミー・アーヴィングとの子供マックス(20歳)、ケイトの間にできた3人の子供たち娘のサシャ(15歳)とデストリー(9歳)、息子のソーヤ(13歳)、2人のアフリカ系アメリカ人の養子テオ(17歳)とミカエラ(9歳)。家では、良き夫であり良き父である。特に妻に対する愛情は、異常なまでに嫉妬深い。それほど愛している証である。そして、一家の父親となってからは家族を理解するために家庭での時間を多く割く。特に映画の仕事がない期間は子供たちにべったり。子煩悩ぶりが伺える。また、スピルバーグはよく言われるようにストーリーテーラーな監督だが、自分の子供に対してもその力量を発揮しているのが微笑ましい。子供らが小さかった頃は、毎晩、話を作ってきかせた。それも、オリジナルな新作だった。2児の父親である私にとって、子供の接する姿勢は、見習いたいものだ。

 スピルバーグの住まいは、ロングアイランドのハンプトンズ、マリブ、ニューヨークのトランプワターなどがあるが主な住居は、ロス市郊外の太平洋に近いパシフィック・パリセイズに建つ日当りの良い地中海風の邸宅である。母屋は、大きな白い建物で風通しが良い。庭は、高価な椰子の木が立っている。敷地内には、映写室、オフィス、ゲストハウスがあり、居間には小さなモディリアーニの絵、向かい側には、明るいモネの大きな絵、家具の多くはガスターヴ・ステイックリーによる19世紀後半のアーツ・アンド・クラフッ運動のスタイルのものがある。モネの絵の下のテーブルには、スピルバーグがお気に入りのオーソン・ウェルズが監督・主演した「市民ケーン」及び「カサブランカ」の脚本、そして、やはりオーソン・ウェルズがラジオ放送した「宇宙戦争」のオリジナル脚本がある。さらに彼が大好きなノーマン・ロックウェルの絵もある。このようなものに囲まれて彼は、妻と子供たちとリラックスしているのだ。(参考文献:「はじめて書かれたスピルバーグの秘密」1996年Frank Sanello著 翻訳 中俣真知子)


「スピルバーグの人間像~その1~」

2008-03-20 09:24:56 | 連載コラム~スピルバーグ~

 スピルバーグの人間像~その1~  (画像は、「別冊ロードショーJAWSのすべて」1975年㈱集英社刊より)

 子供の頃の環境が、ネガティブなものにかこまれていたので、ポジティブになるしかなかった。そこから楽天主義が生まれた。歴史上に名を残す偉人と言われる人は、楽天的である人が多いが、スピルバーグもその人である。

 彼の性格は、『スター・ウォーズを鳴らした巨匠/ジョン・ウィリアムズ 2000年神尾保行著(音楽之友社」)』によると、良きパートナーであるジョン・ウィリアムズが語っているように「外交的」である。そして、冗談好きで、エネルギーにあふれた子供のようなところがある。まさしくその通りだと思うが、「宇宙戦争」のプレミア・ジャパンで来日した時に強く感じたことだが非常に引っ込み思案な面と開放的な面が同居している。

 映画の事となると本当にサービス精神旺盛に話しをするがそれ以外では無口な印象を受ける。それを裏つ゛けることがある。2004年に「ターミナル」が第17回東京国際映画祭特別招待作品のクロージング作品に選ばれ主演のトム・ハンクスが来日した際に舞台挨拶でスピルバーグについて「ピカソのように映画をつくるために生まれてきた男」とのコメントを残している。

 『プレイボーイ日本版1999年6月号』によると「ドリームワークスの経営者としても活躍しており、非常に礼儀正しくいくつもの仕事を並行してこなせる。」とあるが、どうすればそう出来るのかその秘訣を教えて欲しいものだ。「アイデアマンで優れたビジネスマンでもある。友人のトム・クルーズは、ハリウッドでは、皆、成功すると慎みを失って傲慢になるがスティーブンのいいところは、そうならないこと」と語っている。

 彼を成功に導いた理由として挙げられるものに人々と知り合うチャンスを最高に生かす強さとコミュニケーション力を持っていることだ。これはスピルバーグが強運の持ち主であると同時に今挙げた彼の性格が影響を与えている。


「スピルバーグの映画創作方法」

2008-03-16 06:38:22 | 連載コラム~スピルバーグ~

 スピルバーグの映画創作方法 画像は、書籍『THE FILM OF STEVEN SPIELBERG Neil Sinyard著』より)

 まず、スピルバーグの映画作りの基本となるバックボーンは、技術と伝統を重んじるバランス力がある。新しいテーマにも挑戦する。子供時代、青年時代に見た大好きな映画や尊敬する監督の演出を手本にしてアレンジする。演出する模倣の技をたくさん持っている。時代の流行を読むのがうまい。人は本来、飽きやすい。いろいろなジャンルの映画を撮る。それが出きるのは、小さいころから見た映画の膨大な記憶によりアイデアの引き出しが非常に多いためである。あるものをどのように活用するか、組み合わせ、変換するかを工夫や苦労を伴いながら考える力がある。

 さて、実際のスピルバーグの映画作りは、シナリオの作成に脚本家と一緒になって時間をかけ、完成するとストーリーボードから演出の仕事を始める。この仕事が何よりも好きだが、彼の絵はあまり上手くないがストーリーボードにカメラの位置、動きを書く。このため仕事がはやく予算を超過しない。この段階では、紙に鉛筆でじっくり構想を練って書く。この紙に書く作業をメーキング映像でよく見かけるが自分のイメージを紙に書くことによって明確にしてゆく姿勢は素晴らしい。

 そして、撮影現場に入る前に必ず黒澤 明監督の「七人の侍」を見てテンションを高め、「宇宙戦争」のところでも触れたが過去の映画作品を参考に見る。

 撮影現場では、彼は子供時代からムービーカメラで撮るのが好きなため彼の演出の基本は、きわめてカメラマン的立場である。被写体とのかかわり方も基本はどの目線でとるかを重視し、撮影現場では、絵コンテから作りあげたイメージから撮影する場合と感情や自然の流れの中や偶然の出会いの中から撮る場合がある。また、いろいろな角度や変わった撮り方し、表現方法によってレンズやフィルムの種類を選ぶ。 どちらの方法でもスピルバーグは、とにかく早くたくさんの映像を昔から撮ってそれを並べて全体の中でどの映像がベストかを編集監督と考え編集する。それは、同じテーマでも切り口によって感動が違ってくることをよく知っているからだ。また、脚本を持たずにあらかじめシーンを頭に入れて撮影をする。その際、長年映画を作ってきた、見てきた映画的記憶が生かされる。また、時には即効演出もあり臨機応変な面もあり楽しみながらやる。しかし、現場では様々なトラブルが発生するが、スピルバーグは言う。「たいていの時間、どうすれば問題を解決できるか考えている。映画監督は、予想外の問題を解決するのが仕事。最大の難関が最高にクリエーティブな解決策を生む。現場で何か問題が起こるのが楽しみ。それを乗り越える方法を編み出す。」(「プレミア」日本版2002年12月号より)この発言からわかるように撮影中の彼のポジティブな面から編み出された映画作りが撮影中の映画を面白くし、作品自体を素晴らしいものにしている。その例として、以前私は、「レイダース/失われアーク」のメーキング映像を見たときに、撮影が猛暑も影響してか順調に行かずにスピルバーグが頭を抱えて悩んでいる姿を見たが、しばらくすると彼は「中断していては映画はできない。ワンシーンでも先に進めばそれだけ映画が完成に近つ゛く」と。

 最後に映画のアイデアについてスピルバーグは次のように語っている。「それまでの人生のすべてを通じて蓄積された印象から生まれる。」(「エスクァイア」日本版1996年1月号より) 非常に含蓄のある言葉だ。

 


スピルバーグのアクション

2008-02-08 05:28:17 | 連載コラム~スピルバーグ~

 スピルバーグのアクション映画を見ると、背筋がピンと張り「明日もがんばろう!」という気になり、エネルギーがもらえる。だから彼のアクション映画は素晴らしい。その素晴らしさについて、スピルバーグが尊敬する監督の1人デビッド・リーンからの賛辞を紹介しょう。これは、リーンが「激突!」を見たときのものである。「わたしは、すぐさまひとりの非常に聡明な監督が登場したことを悟った。スティーブンは、アクション・シーンはすばらしく流れるような動きをつくりあげているという官能を心から楽しんでいる。彼には驚くべき視野の広さ、すなわち映画を耀せる広がりがある。反面、かつての映画の姿そのままであり、ひたすら映画製作を愛している。彼は、10代のころの自分を楽しませているのだ」まさしく、この言葉のとおりアクションシーンは、バレエダンサーのように流れ、しかもダイナミックである。そして、そのようなことが出来るのはスピルバーグの数々の映画体験から裏付けられているのだ。演出する場合は、ヒッチコック、ジョン.フォード、ハワード・ホークス、黒澤、マイケル・カーティスら彼が尊敬する監督たちを手本にして自分の作品に取り入れている。

  さて、スピルバーグが最初にアクション映画を撮ったのは少年時代である。しかも、最初の劇映画というから彼がアクション映画が好きだったことは確かである。内容は、以前にも触れたので詳しく書かないが、4分間ほどの「西部劇」である。そして、彼自身も語っている。「僕は、小さいときから冒険映画、連続活劇が大好きだった」。そして、彼が監督する映画作りの基本は、絵コンテにあるが、特にアクション映画となるとその絵コンテに詳細かつ綿密にカメラの位置、動きを書いている。だからこそ迫力のあるスピード感あふれる映像ができあがる。

 また、彼が監督したアクション映画は、次の2つに分けられる。平凡な人間がヒーローになる映画と、主人公が最初からヒーローで強くてたくましい映画。注目すべきなのは、後者は、ご存知のとおりインディ・ジョーズシリーズだが残りは全部前者であることだ。

 作品としては、前者が「激突!」「続.激突カージャック」「ジョーズ」「E.T」「フック」「マイノリティ・リポート」。後者は「レイダース/失われたアーク」「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」。

 

 印象に残るアクションシーン・演出を挙げてみよう。

「続.激突カージャック」のターナー警部指揮するパトカー数10台の出動シーン。

「ジョーズ」では、伏線の張り方が心憎いほど上手く、サメ退治に3人の男たちが出掛ける後半のシーンからラストまでのサメとの対決。

「レイダース/失われたアーク」は、まず、小道具を使っての演出に目を見張るものがある。インディがアークが載っているナチのジープを乗っ取ると今度はサイドミラーに猛スピードで追って来るナチの姿を映す。そして、横移動撮影が素晴らしい。つまり、横移動で動く被写体を追いかける撮影方法で、疾走トラッキングと別名で呼ばれているもの。砂漠でドイツ軍を追いかけるインディの追跡シーンに代表される。ドイツ軍将校にインディがトラックのフロントガラスを破って放り出される。インディは、車の前にへばりつき、車の下へもぐり込む。そして、トラックの下にムチをまいて後にひきずられる。しかし、ムチをたどってトラックに戻ってくる。この手に汗握るスピード感あふれるシーンをダイナミックにそして、リズミカルに処理している。また、よりスピード感を出す為にコマを落とし、埃を道にひくなどしている。これは、他のインディ・ジョーンズシリーズの中でも使われている。「魔宮の伝説」のトロッコ・チェイスのシーン。「最後の聖戦」の冒頭のインディ少年と泥棒の追跡シーン。

「E.T」のNASA当局からの追跡から自転車で逃げるシーンは、自転車の車輪のクローズアップ、疾走トラッキングを使用。E.Tが自転車で空を飛んで追っ手から逃げるシーンでは、E.Tのクローズアップ、カット・ズームインで極度の緊張感をかもし出している。スピルバーグは、アクションシーンでは、この例のようにめったにクローズアップやカット・ズーム・インを使わずここ一番という見せ所のシーンで使っているため絶大な効果を発揮する。そして、カメラアングルに彼の演出の特徴がある。ハイ・アングル、つまり、見下ろした印象を与える俯瞰撮影とローアングル、映像をドラマチックにさせる印象を与えるもので、別名あおり、と呼ばれており下から上へ向かう視線をストーリー展開に応じて縦横無尽に多用している。ハイ・アングルは、E.Tがエリオット少年たちと空を飛ぶシーンで際立っている。

また、スピルバーグは、先程も触れたがヒッチコック監督がお気に入りで彼のオマージュともとれる「鳥」を小道具としている作品がある。「インディ・ジジョーンズ/最後の聖戦」でインディとヘンリーがナチスのメッサーシュミット機の攻撃を受けピンチに立たされたときヘンリーが日傘を使用して浜辺にいた鳥たちを大空へ飛ばし敵の飛行機を撃ち落す。

「フック」は、巨大なセットを作ってマイケル・カーティス監督の「ロビンフッドの冒険」のような剣劇がフック船長とピーターの間で見られる。

そして、「マイノリティ・リポート」ではインディ・ジョーンズばりのスピーディな迫力あるアクションが見られる。特にアパートが立ち並ぶ狭い路地での間で繰り広げられるジェット・パックを背負った犯罪予防局の仲間と主人公との空中戦。司法省の捜査官たちと主人公の自動車組立工場を舞台にした体を張ったアクションが堪能できる。


スピルバーグの恐怖演出

2008-02-08 05:07:33 | 連載コラム~スピルバーグ~

 スピルバーグ映画の楽しみの1つに恐怖を題材にした映画を見ることがあげられる。彼の映画は、童心に帰らせてくれるSFファンタジーの監督というイメージが強いが、私は、恐怖演出が数多くちりばめられている映画で彼の大ファンになったので、ここでは「激突!」に代表されるように恐怖演出の数々を作品を例に具体的に述べていきたいと思う。

 

 よく言われることだが、映画監督の初期の作品には、その監督の特徴が色濃くでている。スピルバーグにしてもそうだ。彼の「激突!」や「ジョーズ」は、恐怖を題材にした映画である。ということは、恐怖に大きな関心があるのだ。では、なぜなのか?それは、彼の生い立ちと関係がある。これは、以前にも触れたことだが、少年時代のスピルバーグは、父と母が頻繁に夫婦喧嘩をしたり、特に父は、ワーカーホリックであったので父と触れ合う時間も少なかったため常に不安な気持ちであった。そのため、家の中で惨事が起きるという空想が育った。彼自身、語っている。「木や雲や風、そして、暗闇が怖かった。でも怖がるのが好きだった。ぞくぞくするからね。」また、妹たちを恐がらせようと緑色のトイレットペーパーを濡らして顔に巻き付け、不気味なマスクにしておどかしたり、妹アンの部屋の窓の外に隠れて「月だぞ」と叫んだりしたそうだ。

 

 さて、スピルバーグは、強大な物体に人間が追いかけられる恐怖を描くのが好きな監督だ。「激突!」のタンクローリーのトラック、「ジョーズ」のホオジロザメ、「未知との遭遇」のUFO、「レイダース/失われたアーク」の巨大な石、「ジュラシック・パーク」のティラノサウルス、「宇宙戦争」のトライポッドなど。そして、スピルバーグの恐怖演出方法は、彼の尊敬するヒッチコック監督を手本にして自分流にアレンジしている。その恐怖を表現するテクニックは、天下一品であると思う。このことをあらためて感じたのは、以前に読んだ書物、『西村雄一郎著 巨匠の映画に学ぶビデオ撮影術 学習研究社』を読んだときである。一つ一ついちいちうなずける事ばかりなので挙げておきたい。「①加害者の姿を小出しに見せてゆく②扇情的音楽を入れて観客をあおる③あおりのカメラ・アングル④望遠と広角のレンズの使い分け⑤怪物に人間臭いキャラを加える⑥恐怖と同時に日常ののどかさを描く⑦適度にユーモアを入れる⑧観客のうそをついてショックを与える⑨カット・ズームで極度の緊張を表現⑩往来ワイパーでサスペンスの変化⑪めまいカットで強度のショック表現⑫ズーム・アウトで意外性強調⑬ズーム・インで強固な意志を盛り上げる⑭子供ぽさを秘めた男のロマンとして描く」である。

 

 これらの要素を作品にをおきかえてみると、加害者の姿を小出しに見せてゆく演出は、「ジョーズ」のサメや「宇宙戦争」のトライポッド、扇情的音楽を入れて観客をあおるのは、「激突!」やジョン・ウィリアムズ作曲による「ジョーズ」、「未知との遭遇」、「宇宙戦争」で、あおりのカメラアングルは、「ジョーズ」、「ジュラシック・パーク」、「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」、「マイノリティ・リポート」「宇宙戦争」で、望遠と広角レンズの使用は、「激突!」や「ジョーズ」で見られ特に広角レンズはスピード感や恐怖を生み出す。怪物に人間臭いキャラを加えている作品は、「激突!」、「ジョーズ」、「ジュラシック・パーク」、「マイノリティ・リポート」、「宇宙戦争」。適度にユーモアを恐怖の中にブレンドしているのは、「激突!」、「ジョーズ」、「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」、「ジュラシック・パーク」、「マイノリティ・リポート」。恐怖と同時に日常ののどかさを描いているのは、「激突!」、「ジョーズ」、「未知との遭遇」。⑧から⑫までは、「ジョーズ」に、そして、ズーム・インを使って、主人公が恐怖の物体に勇気を持って立ち向かうのは「激突!」、「ジョーズ」であり、最後の要素である子供ぽっさを秘めた男のロマンとして描いている作品は「激突!」、「ジョーズ」、「未知との遭遇」、「レイダース/失われたアーク」、「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」、「ジュラシック・パーク」「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」である。

 

 今、挙げた西村雄一郎氏が指摘していた要素に加えて、私がスピルバーグの作品を観てきて感じた恐怖の演出の要素を挙げると、まず、主人公はヒッチコックの作品のようにごく平凡な人間であること。また、恐怖を演出するアイデアが素晴らしい。車のサイドミラーやバックミラーをつかって恐怖の対象になっている物体を映す。例えば、「激突!」のトラック、「ジュラシック・パーク」のティラノサウルス、「宇宙戦争」のトライポッド。そして、「ジュラシック・パーク」のティラノサウルスが出現する前兆として飲料水のコップ、水溜り、ラプトルが登場するシーンでは子供たちが手に持って食べようとしたゼリーを使って振動の映像をみせる。「ロストワールド/ジュラシック・パーク」のジャングルの森を俯瞰で撮って、樹の動きでティラノサウルスの出現を予感させる。次にカメラワークの素晴らしさである。まず、カメラポジション。「ジョーズ」では、アイ・レベル。「ジュラシック・パーク」は、ティラノサウルスの襲撃シーンは、ハイ・ポジションでラプトルはロー・ポジションで撮っている。クレーン撮影を多用。特に「ジュラシック・パーク」が印象的で、クレーン.アップでティラノサウルスを、クレーン.ダウンでラプトルが人間を襲うシーンだ。そして、これは最近の傾向であるが手持ちカメラ、薄いブルーを基調にした色調の使用だ。「シンドラーのリスト」で手持ちカメラのステディカムを使ってナチのユダヤ人大量虐殺の狂気の恐ろしさを描く。薄いブルーの映像は、「マイノリティ・リポート」や「宇宙戦争」にみられる。


スピルバーグ映画に見るコミュニケーション

2008-02-07 06:13:42 | 連載コラム~スピルバーグ~

 彼の映画には、言葉が通じない者同士がいかにしてコミュニケーションをとるかを見せるシーンが非常に多い。そして、そのやり方によっては幸せになれるときもあるし、不幸を招くこともある。

 幸福を招く例としては、「未知との遭遇」「E.T」「カラーパーピル」「太陽の帝国」「オールウェイズ」「アミスタッド」「プライベート・ライアン」「ターミナル」がある。

「未知との遭遇」は、人類と宇宙人との友好的な初の出会いを音を利用して描いている。

「E.T」は、エリオット少年とE.T。愛情注ぐ事、そして、様々な手段を使って友情を深めてゆく。

 「カラーパープル」は、主人公の心の支えである妹との大事なコミュニケーションの手段は手紙である。

 「太陽の帝国」は、「これは何かの間違いです」と片言の日本語で日本兵の怒りを抑えさせたおかげでジム少年は日本軍捕虜収容所の中で日本軍にほめらて生き延びることができた。

 「オールウェイズ」では亡くなってしまって姿も声も聞こえないが、その人のそばにいるだけで心で感じることができる幽霊と今、現実に生きている人との愛情を描いている。スピルバーグの言葉を借りれば「見えも聞こえもしないのに、愛した人があなたの肩の上にいて何か伝えようとしている考えかたには、どことなく信じられるものがある。」

 「アミスタッド」は、反乱を起こした黒人奴隷の弁護士と黒人奴隷の間で全く言葉が通じない。そこで、通訳を見つけてコミュニケーションをとる。

「プライベート・ライアン」は、ドイツ兵であるスチームボート・ウィリーが、命乞いをして友好性を示すために英語を話す。

 そして,「ターミナル」のトム・ハンクス扮する外国人は、アメリカ人との間で英語を必死で覚えようとする。

 また、不幸を招く例としては「激突!」「ジョーズ」「1941」「レイダース/失われたアーク」「ジュラシック・パーク」「A.I.」「マイノリティ・リポート」「宇宙戦争」がある。

 「激突!」は、姿が見えないドライバーの運転するタンクローリー車がモンスター化して人間を襲う。

 「ジョーズ」は、サメと人間。

 「1941」は、日本軍がドイツ人、アメリカ人との間で交わす語学力不足のために間違った場所を攻撃してしまうコメディ。

 「レイダース/失われたアーク」は、神と人間を結ぶ通信機としてアークを登場させているが、そのアークをインディ・ジョーンズから奪って中を開けてしまったナチスが神の怒りをかい骸骨と化す。

 「ジュラシック・パーク」は、恐竜を人間の力で最先端の科学技術を使って復活させたにもかかわらず、パーク内に不備が発生したために恐竜が大暴れする。しかし、復活させたはずの人間は、恐竜の前でただ逃げ回るのみ。

 「A.I.」は、ロボット少年と人間である母親のコミュニケーション不足から起こる悲劇。

 「マイノリティ・リポート」は、犯罪を予知できるプロコグとそれを利用する側の刑事の話であるが、利用したことにより逆に犯罪者になってしまう。

 「宇宙戦争」は、人間に敵対的な宇宙人との闘いを描いており、その宇宙人に人間的な思いを馳せることができないほど全くコミュニケーション不可能な存在として描かれている。


スピルバーグの描く家族

2008-02-06 06:40:13 | 連載コラム~スピルバーグ~

  スピルバーグの映画の中では、しばしば家族が描かれる。そのわけは、彼の生い立ちと関係がある。青年時代に両親が離婚したことが影響し、擬似家族も含めた家族のシーンが登場する。そして、そこでの母親は、優しくたくましく、父親は、父としての存在が薄い。それは、スピルバーグ自身の父、母の分身として登場している。彼自身も語っている。僕は特定のスタイルをもたずに作っていきたいと思います。でもこれまでの作品を通じて共通のスタイルがあることに気つ゛きました。それは、引き裂かれた家族が再び結びつき合うというものです。と。離れ離れになった家族の悲しみや寂しさ、一家団欒への憧れを大なり小なりテーマの一部となっており家族の絆の大切さを訴えている。

 スピルバーグの名を最初に広めた「激突!」では、主人公のサラリーマンがタンクローリーに遭遇した直後に、途中から自宅に電話を入れて何やら早朝から妻と言い争っている。そして、妻の電話の隅では子供たちがおもちゃ遊びに夢中になっている姿がうつっている。そのいらだちが、もしかしたら、タンクローリーに後で本格的に追いかけまわされる発端となったかもしれない。

 「.激突カージャック」は、服役経験があるために赤ん坊を養子にだされてしまった若い母親が服役中の夫を脱獄させ、赤ん坊を取り戻すために車を盗み、あげくのはてにパトカーもハイジャックする話。

「ジョーズ」は、スピルバーグの作品としては始めて家族の生活の描写が具体的に映像化されており警察署長一家(妻と息子2人)にみることができる。そして、気弱で海に小さい頃おぼれた経験があるために海が怖くなってしまった警察署長が重い腰をあげて海へサメ退治に行ったのは、自分の責任で自分と同じくらいの息子をサメに殺されしまった母の悲しみが彼の心に重くのしかかり、さらに自分の息子にもサメが接近し危うく殺されかけてしまいそうになったからである。初期の作品としては、珍しく父がヒーローになる映画。父への憧れがある。

「未知との遭遇」は、スピルバーグが長年温めて来た作品で、自ら脚本も書いている自伝的要素が色濃く反映された。主人公の電気技師一家の父親は,スピルバーグの父が電気関係の技術者であったことをモデルにしている。そして、父が小さいスピルバーグを車に乗せて夜遅く大流星群を見せに連れていった出来事がスピルバーグの心にずっと残っていた。夜空の美しさに感動したにちがいない。同じようなエピソードが映画にも登場している。ところで、この作品はアメリカの郊外における一般的な中流家庭の生活を描いているが自分の憧れ、ヒーローであって欲しい父親がダメな父として登場している。これは、スピルバーグの父がワーカーホリックで子供たちと触れ合う時間を持たずに家庭をあまりかえりみなかった父に対する気持ちの表れである。そして、映画も宇宙人に魅せられ家庭を捨てて宇宙船に乗り込む主人公の姿で終わっている。スピルバーグの父も母と離婚し家庭を捨て仕事に情熱をかける。夢の仕事にむかう。家庭を捨てた父に対するスピルバーグのうらみ、憎しみ、それは、父のいない寂しい生活の裏返しである。一方の母親というと、映画では母子家庭の母として登場させており小さい一人息子を宇宙人に連れ去られしまったが、息子の帰りをひたすら待つ強い母親である。そして、映画の最後、主人公に一緒に宇宙人と行こうと誘われるが、断る。その後、宇宙船から最愛の息子がけなげに無事に帰ってくる。涙をうかべ微笑みながら息子を抱きしめる母。ここにこの息子の立場で映画を撮っているスピルバーグにとって、母がヒーローであるという心境がある。ところで、この父と母の対比は、男性には夢を追いかける少年のようなところがいつまでもあり、女性は、夢を追いかけることよりも現実に目を向けてそのなかで夢をもつところがあることを象徴しているようで興味深い。

「E.T」は、「未知との遭遇」以上にスピルバーグの家族に対する考え方や気持ちが全編にわたってはりめぐらされた作品で、しかも彼の「宇宙戦争」までの作品のうちで一番スピルバーグ家に近い。そして、特にヘンリー・トーマス扮するエリオット少年を主人公にすえて彼の立場から家族を描いている。つまり、エリオット少年はスピルバーグ自身である。エリオット家には、父が不在。どうも別の女性のところへ行っている。母と兄と妹の4人暮らし。母はエリオットとの良き優しく陽気でたくましい母、いわば母と父の両方の役割をこなしている。このモデルは、間違いなくスピルバーグの愛すべき母である。エリオットの母は、NASA達が一家の自宅に土足で無断でE.Tの調査にあがりこんでくるシーンで子供たちを必死で抱きかかえ「ここは、私の家です。」と家族を守り抜こうとする姿、E.Tを温かく見守ってあげる姿にエリオットは母こそがヒーローと思っている。しかし、それでも、父のいない寂しさはかなりある。そんな時にE.Tが現れる。エリオットは父がいない寂しさで孤独。一方のE.Tも仲間から取り残されて孤独。その2人がやがて友情で結ばれる。しかも、E.Tが時おり口にする言葉は「ホーム」、つまり、家、本当の家族の元へ帰りたい。そこで、エリオットはE.Tを家族の元へ帰し自分は家族のいる地球に残る。これは、「未知との遭遇」と逆のエンディングだが家族の大切さをエリオットがE.Tとの友情を通して身にしみて感じたからである。そうすると、この作品は少年の心の成長の物語である。また、スピルバーグが語っているが「自分が親になりたくて欲求不満になり、自分の子供が欲しくて撮った作品でもある」とのことから考えてE.Tは、スピルバーグ自身の心の成長を色濃く反映したものであり、自分が父親となって家族のヒーローになりたいと思った作品である。

「インディ・ジョンーズ/魔宮の伝説」は、インディ、ウィリー、ショート・ラウンド3人の冒険の旅を通して擬似家族ができる話。もちろん、インディが父、ウィリーが母、ショート・ラウンドが息子である。インディが家族のヒーローになる。

「カラーパープル」は、苦難に満ちた1人の黒人女性の波乱万丈の物語。夫の暴力に耐え忍ぶ中で唯一の心の支えは、妹。

「太陽の帝国」は、第二次大戦下の租界都市、上海を舞台に外交特権に守られていたイギリス少年ジムが、日本軍進攻により両親と離れ離れになる作品で「E.T」のエリオット君がもう少し成長した「E.T」少年版。

「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」は、スピルバーグが父親になったこともあって父親をテーマにした最初の作品である。考古学の仕事一筋であった厳格なインディの父親ヘンリー、そんな父を息子のインディは少年時代から憎んでいた。親子の触れ合いが欲しいのに無い。それは、まさしくスピルバーグと父との関係がそうであった。しかし、父を探し出す冒険の旅を経て父と息子が和解しショーン・コネリー扮するインディの父が息子のヒーローになる。

「フック」は、スピルバーグが父としての自分と子供の心を持った自分とどう折り合いをつけていったらよいのか悩み始めている気持ちが反映されている。主人公である一家の父であるピーターが、2人の子供をフック船長から取り戻すには仕事一辺倒の生活をやめ子供の心を復活することでしか出来ない経験を通して2児の父である私に子供の心をいつまでも持ちながら大人として成長してことが人生を楽しくしてくれることだと気つ゛かせてくれる素敵な作品。

「ジュラシック・パーク」は、スピルバーグが「インディ・ジョンーズ/魔宮の伝説」で取り上げた設定、擬似家族を一段と子供の視点から掘り下げて描いている。サム・ニール扮するグラント古生物学者(父役)、ローラ・ダン扮するエリー古生物学者(母役)、そして、恐竜公園をつくる実業家リチャード・アッテンボロー扮するハモンド氏の孫2人(娘・息子役)らが、危機の中で家族の結束がはかられる作品。家族の崩壊が叫ばれて久しい世の中を反映したものであり、また、特に子供嫌いだったグラントが子供たちを恐竜の襲撃から必死で守ることを経て温和で子供好きに変ってゆく姿は、ここでもスピルバーグが父親をヒーローにしていることの現われである。そして、この父親像は後の「宇宙戦争」で本格的に取り組むことになる。

「シンドラーのリスト」は、具体的に家族を描いていないが、スピルバーグ家のルーツであるユダヤ人をめぐる作品。実際に母方の親戚がナチスによって虐殺された。そして、スピルバーグは語っている。「この作品は、母のためにつくった映画」だと。

「ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク」は、前作にも登場したマルコム数学者を黒人の1人娘を持つ父親として再登場させ、その娘を恐竜から守るためヒーローになる。特筆すべきは、スピルバーグ自身、養子の2人がアフリカ系アメリカ人であることと関係がありそうで興味深い。また、ティラノサウルスに代表される恐竜の親子の愛情も描いている。そして、この作品でもマルコムは、妻と離婚し恋人サラと娘ケリーが擬似家族となっている。

「アミスタッド」は、主人公の黒人奴隷シンクが自由を勝ち取るまでの話だが、彼の心を支えたものは故郷、そして、何よりも家族の事を思い浮かべること。

「プライベート・ライアン」は、第二次大戦中ビルマ戦線で通信技師をしていたスピルバーグの父のために作った。4人の息子のうち3人を戦死させてしまった母親。残りの1人生き残った息子を戦場から母親のもとへかえしてやる心温まる戦争映画。この作戦に参加した兵士たちの心の支えは、故郷、そして、家族である。

「A.I」は、親への愛、とりわけ母への愛をインプットされて誕生した人工知能を持ったロボット少年の話。

「マイノリティ・リポート」は、最愛の息子を失い最愛の妻からも去られてしまい過去を引きずって生きてきた刑事である父親が、未来をみすえて前向きに生きる話。

「キャッチー・ミー・イフ・ユーキャン」は、16歳の少年が愛する両親の離婚をきっかけに21歳までに400万ドルを稼ぐ詐欺師となった実在の話で、スピルバーグのその頃に近い作品。そして、彼を追うFBI捜査官は、離婚して娘と離れて暮らしている。この孤独な者同士が奇妙な友情関係からやがて息子と父親のような関係になる。

「ターミナル」は、祖国が政治的クーデターにあいアメリカの空港で長い間足止めされた男が、孤独や不安にめげずに前向きに空港内で生きる話。アメリカでのある約束を果たすために。その約束とは、愛する今は亡きジャズが好きだった父親にかわりニューヨークであるジャズ・ミュージシャンのサインをもらうことだった。時を越えて育まれる息子の父への愛情あふれる作品で、父親をヒーローとしている映画。

「宇宙戦争」は、2児の父親である男が、地球を侵略しようとするエイリアンの攻撃から2人の子供を守り抜くストーリーである。しかも、別れた妻との間の息子と娘を守る。さえない父親が、スーパーファーザーになる。そのきっかけが、恐ろしい宇宙人の襲撃から父としての行動をとらなければ自分も子供たちも生き残れないところからきている。

 そして、「ミュンヘン」は、1972年のミュンヘンオリンピックでパレスチナ人ゲリラによるイスラエル選手団襲撃事件の報復をする暗殺者の一人である主人公アブナーが、繰り返される虚しい暗殺のなかで、愛する妻と生まれたばかりの娘のため裏社会から足を洗う。

 ところで、スピルバーグは両親の離婚によって親の不在を経験してきたが、自分が親になる前は母親が尊敬の対象だったが、1人の親となってからは父親が尊敬の対象となったため彼の撮る映画にも影響されている。それは、彼の発言からもわかる。「男の最大の責任は、妻と子供を守ること。」また、私事であるが2002年秋に第一子長男誕生。2005年夏に第二子長女誕生と今や2児の父親となった身としては、これから子供に対してどのように接していったらいいのかと自問自答するとき家族をテーマに映画を撮り続けているスピルバーグの作品から今後も大いに参考にしたいと思う。

 最後にこの章を終えるうえでこの文章で締めくくりたい。スピルバーグが今も昔も好む画家ノーマン・ロックウェルは、ある批評家言わく「家庭のくつろぎこそがロックウェルの世界の秘密であり夢である。家庭は、彼の描くすべてであり、彼のテーマーだった。」と言っているが、スピルバーグもそうだ。


映画監督スピルバーグ誕生~独学の天才~

2008-02-05 06:23:52 | 連載コラム~スピルバーグ~

 多感な時期を過ごしたスピルバーグも1964年、彼、18歳の時に、とりあえず進路が決まる。大学に行くしかなかった。高校を卒業した時の成績は平均して「C」という悪いものだった。しかし、進学しなければベトナムへ徴兵されるおそれもあった。そこで、必死になって勉強して、USCの映画学科に行きたかったが不合格したもののカリフォルニア州立大学ロングビーチ校英語学科に何とか入学できた。しかし、この大学には映画学科が無かったのであまり大学には行かず独学で映画の勉強に専念した時代だった。ルーカスやスコセッシ監督のように希望する映画学科に入り恵まれた環境のもとで映画作りができたのに比べるとさぞ悔しかったことだと思うがそれをきっとばねにしたのだろう。そして、これは、わたしも同じ大学時代に感じたことだが人間が勉強することは本来独学なんだということを改めて共感させてくれる。回顧上映で、映画史上の名作から娯楽映画まで何でも見た。また、何とか金を工面できたときは16ミリのカメラを借りて映画を5本作った。

 そして、その後の数年間は、映画作りの技術全般の専門家になることを自分の課題としている。また、この頃今では神話化したがユニバーサル撮影所へ通い、編集の仕事を手伝わせてもらえた。そうこうしているうちに映画監督になるには35ミリ映画でないと説得力がないことを痛感しはじめた。しかし、それには金がいる。そんな時、特殊効果の会社を経営していたデニス・ホフマンと出会った。彼は、プロデューサー志願の裕福な若者でスピルバーグの8ミリ、16ミリを見て1万ドル投資していいと言った。そこで、出来た作品が彼の初35ミリ映画「アンブリン」であった。この時、スピルバーグ20歳。24分の短い映画でセリフ無し。ストーリーは、見知らぬハイティーンの男女が、ヒッチハイクのため車を止めようとしたが、うまくいかず歩きだし、夜を過ごし次の朝別れてゆくもので、見終わった後にさわやかさが残る。ところで、アンブリンとは、ゆっくりと行こうという意味で、これは、後に「E.T」のマークで有名になった製作会社アンブリンをスピルバーグが立ち上げるが、その名前の由来はここからきている。この作品は、1969年ヴェネチア映画祭・アトランタ映画祭学生部門入賞。後に日本では、「ぴあフィルムフェティバル」で上映された。また、この映画祭でジョージ・ルーカスと会っている。

 そして、ユニバーサルテレビの副社長、後にユニバーサルの親会社MCAの会長に就任した実力者,シド・シャインバーグが「アンブリン」を見た。彼は、いち早くスピルバーグの才能を見抜き、テレビ映画の監督として7年間の契約をむすんだ。21歳の誕生日を迎える前だった。大学は中退となった。この若さでプロの監督として契約を結んだのは、テレビの分野でもハリウッドはじまって以来の出来事だった。しかし、スピルバーグの納得がいく仕事はこないし監督になったといっても所詮テレビ映画である。そんな失意の時代でも彼のすごいところは、くさらず辛抱してテレビの仕事をこなしていったことだ。結局この時があったからこそ、後に映画監督になれたのである。映画監督修行時代であった。

 そこで、この時期の作品のの主なものを紹介してみよう。1970年「怪奇真夏の夜の夢」。これは、12時間だけ眼が見えるようになりたいため盲目の女性が賭けに負けた男の眼球を買うストーリー。しかし、ニューヨークの大停電で眼球を買えたのに、物を見ることはできなかった。戦前の大スター、ジョーン・クロフォードが65歳で主演。「笑いを売る男」。人を笑わせなければならないのにできないコメディアンと自分の力を試そうとしている妖精の話。「ドクター・ホィットマン」は、学校でも家庭でも品行のよくない十二歳の少年が眠りの中で空想の世界をひろげる。1971年刑事コロンボシリーズ「構想の死角」。シリーズ第一回作品。2人で1つの名前を持つミステリー作家の一人が、相棒と目撃者の女性を殺す。

 「激突!」。初めて手がけたテレビムービー。SF・サスペンスの小説家・脚本家であるリチャード・マシスンが、「プレイボーイ」誌に発表した短編小説。デニス・ウイヴァー演じる温厚なセールスマンが、ハイウェイでタンクローリーに追いかけられ、死に物狂いで逃げ回る。秘書がスピルバーグにすすめたのがのきっかけ。初めて自分のやりたい題材に取り組めた。1971年11月13日、ABCテレビで放映。評判も良く高視聴率。1972年モンテカルロ・テレビ・フェスティバルに出品し選外佳作として表彰。1973年1月フランスアヴォリアッツ第一回ファンタステイック映画祭グランプリ受賞。ヨーロッパ、日本、南米では劇場公開され興行的に成功。キネ旬ベスト8位。赤のプリムス・ヴァリアント。カリフォルニアを北へ向かううちタンクローリーが追い抜いたので何気なく抜きかえし、抜きつ抜かれるがくりかえされる。タンクローリーが攻撃してくる。原題のとおり決闘(デュエル)となる。一対一の対決。単純なドラマの中にサスペンスとショッカー演出。その間にユーモアをはさむ。タンクローリーの運転手を画面に出さず体の一部を見せる演出。カメラワーク、車のミラー・疾走感。音と映像を密接に結びつける。

 1972年「恐怖の館」。テレビ・ムービー。若い夫婦ペンシルベニアの農家へ引越。その家は、奇怪な怪死事件があった。悪霊が一家を襲うホラー。後の「ポルターガイスト」に通じる。母の愛が子供を悪霊から救う。1973年「サヴェージ」。ポール・ヴェージなるテレビのジャーナリストたちが、最高裁判事候補を中傷せんとする事件の謎を追う。「スパイ大作戦」のマーティン・ランドー主演。

 これらの作品郡を監督するなかでスピルバーグは、「怪奇真夏の夜の夢」、「激突!」に代表される彼独特の演出スタイルが育まれた。撮影方法としては、広角レンズの使用・ドラマテックなライティング・俳優に向かってカメラが動くトラッキング撮影など。そして、テレビの仕事は、予算が少なく撮影日数も短いので早く作品を仕上げなければならない。そんな環境のもとで絵コンテの作成と撮影現場でのアイデア、アドリブ、臨機応変さをみにつけたのである。

 そして、この時代の仕事振りが「スティング」のプロデューサーであったリチャード・ザナックとデビッド・ブラウンに評価されてスピルバーグは、劇場映画第 一作「続・激突!カージャック」を監督することができた。彼この時27歳。作品は、批評家からはある程度の良い評価をもらえたが、興業的にはあまりふるわなかった。しかし、周知のとおり1975年の監督第2作目「ジョーズ」が、歴史を塗り替える大ヒットを記録しアメリカ映画史にかつていなかったスター監督が誕生したのである。スピルバーグ29歳の時であった。

※参考文献『スピルバーグ 筈見有弘著 講談社現代新書』、『地球に落ちてきた男/スティーブン・スピルバーグ伝 ジョン・バクスター著 角川書店』

 


スピルバーグが影響を受けた人達

2008-02-01 05:58:51 | 連載コラム~スピルバーグ~

 長々とスピルバーグが影響を受けた人達について、書いてきましたが、最後を飾るのは、イングマール・ベルイマンとデビット・リーンです。

 イングマール・ベルイマン

イングマール・ベルイマンは、1918年7月14日にスウェーデンのウブサラに牧師の子として生まれる。映画監督になってからは神の存在について問いかける作品が共通してある。「第七の封印」(1956年)でカンヌ映画祭審査員受賞、「処女の泉」(1959年)でアカデミー外国映画賞受賞を果し世界的名匠と呼ばれている。また、人間の心の内面を追求した人で、暗の中に明を見る傾向がある。主な作品は、上記の他に「不良少女モニカ」(1952年)「夏の夜は三たび微笑む」(1955年)「野いちご」(1957年)。神の沈黙3部作と言われている「鏡の中にある如く」(1961年)「沈黙」(1963年)「冬の光」(1963年)、「仮面/ペルソナ」(1966年)「叫びとささやき」(1973年)「鏡の中の女」(1976年)「ファニーとアレクサンデル」(1982年)などがある。

 スピルバーグが、ベルイマンの映画を始めて見たのは大学時代である。ちょうどその頃彼の映画の勉強が本格的に始まった時で、それまでは両親に映画館で映画を見ることを禁じられていてもっぱら昔の映画をテレビで見るだけだった。この大学時代になって初めて自分一人で映画館で映画を見ることが出来るようになり時間を費やす。その中で特に夢中になってみた監督の一人がベルイマンだった。「ベルイマン週間がありベルイマンの映画は全部見て最高だった」とスピルバーグは語っている。

 ところでベルイマンの影響を大きく受けるようになるのは実はずっと後で映画監督として行き詰まっていた1980年代後半からである。スピルバーグにとってまさに救世主となったのがベルイマンだった。ベルイマンの感性がスピルバーグの心や彼の持つユダヤ的な悲しみに深く印象を与えることになった。作品で言うと「カラーパープル」でスピルバーグが初めて大人のドラマ、シリアスな映画を撮った時からである。その後は「オールウェイズ」で継承し「シンドラーのリスト」で顕著になる。ちょうどその頃撮影監督のヤヌス・カミンスキーと出会う。彼は、暗い画面、特にブルーを基調とした映像を撮ることが特徴として挙げられるが彼をスピルバーグが撮影監督にその後もずっと起用しているのも明らかにベルイマンの影響である。「プライベート・ライアン」「マイノリティ・リポート」「宇宙戦争」はその代表格だ。そのベルイマンも昨年惜しくも亡くなり、さぞ、スピルバーグは、悲しみにくれたことでしょう。

 デビッド・リーン

デビッド・リーンは、1908年3月25日にイギリスのクロイドンに生まれる。レイトン・パーク・スクールを卒業後に撮影助手として映画界入りし編集に携わり1942年にノエル・カワードと共同で初監督をする。1957年の「戦場にかける橋」と1962年の「アラビアのロレンス」でアカデミー監督賞を受賞する。激動期の人間の壮大なドラマをでっかいスケールとがっちり緻密に構成された作劇術で描くのが上手い大監督で風景描写も超一流である。主な作品は、上記の他に「超音ジェット機」「逢引き」「旅情」「ドクトル・ジバコ」「ライアンの娘」「インドへの道」など。

 スピルバーグは、リーンの「アラビアのロレンス」が大好きでこの作品を見て映画監督になることを決めた。リーンの影響は「カラーパープル」「シンドラーのリスト」などに見られるが、最たるものは「太陽の帝国」である。この作品は、最初リーンが演出することになっていたこと、登場人物らがリーンの「戦場にかける橋」を彷彿させる。そして、ベルイマンと同様にスピルバーグが今後、歴史的作品・人物を演出する時には、必ず影響を与え続けるリーン監督である。

 

 

 


スピルバーグが影響を受けた人達

2008-01-31 05:21:51 | 連載コラム~スピルバーグ~

オーソン・ウェルズ

 オーソン・ウェルズは、天才、奇人と呼ばれている。1915年5月6日にアメリカのウィスコシン州クノーシャに生まれる。少年時代は、絵の勉強していた。この頃の彼は、肥満児であったためいじめにあっていた。しかし、トイレに行って赤いペンキを顔に塗り脅かしたり、ハロウィーンで学校を恐怖に陥れたりした。偶然だが、スピルバーグの少年時代と似ている。やがて、ラジオに出演するようになり1938年10月30日にCBSラジオで放送した「火星人襲来」が大ヒットする。これは、H・G・ウェルズの小説「宇宙戦争」の翻案で、臨時ニュースで始まりオーソン・ウェルズ演じる火星人を目撃した人物が、ドキュメンタリーの手法でドラマを展開する。同時期に舞台の演出・出演も数多くしていた頃、1941年ハリウッドのRKO映画「市民ケーン」の製作、監督、脚本、主演をこなし映画史上の名作が誕生する。映画出演では、「第三の男」(1949)のハリー・ライムの友人役が、特に有名である。また、「チャップリンの殺人狂時代」(1947)の原案もしている。 

 スピルバーグに与えた影響は、「市民ケーン」で使用された橇をオークションで6万5000ドル、日本円にして約1625万円で買ったことからもわかるようにまず、「市民ケーン」の映画である。スピルバーグは、18歳の時にこの映画を見て感動し、何度も繰り返し見た。史上最高の映画とも語っている。この映画は、新聞王ケーンの波乱に満ちた生涯を描いたもので、「バラのつぼみ」という言葉を言って亡くなった。この「バラのつぼみ」とは、何を意味するのか?この言葉をキーワードにしてケーンの謎に包まれた人生をめぐる旅に観客を誘う。 バラのつぼみと書かれた橇は、この映画の象徴である。『シネマの天才スティーブン・スピルバーグ DOUGLAS BRODE著 シンコー・ミュージック』の書物によるとスピルバーグは、「芸術的・知的、個人的感情的な意味で賞賛している。楽しい子ども時代の西部から突然、引きはなされはなやかな生活となったが、実は地獄だった。幼い主人公のチャールズ・フォスター・ケーンの姿が自分とダブル。母とのつらい別れが主人公の心のキズになっている。バラのつぼみは、無邪気さ、純粋さのシンボル。バラのつぼみのそりを手離すまいとした」。この個人的感情的意味は、主に主人公の少年時代のシーンに凝縮されている。もう一つの芸術的・知的な意味とは、まさしく映画の技術的側面である。過去の出来事を回想形式で語る。ケーンに関係した人物の証言によって彼の少年時代、青年時代、活躍したバラ色の時代、そして、晩年時代を縦横無尽に順不動に行き来する手法。編集によるリズムとテンポの良さ。広角レンズの多用などである。

 プレストン・スタージェス

この名前を聞いて知っている人がいるとなるとよほどの映画ファンだろう。私も実は、知らなかった。しかし、あるインタビューでスピルバーグがこの監督の名前を尊敬する人として挙げていたので色々な書籍を捜してみたが見つからず諦めかけていたときにインターネットのサイトであるgeocitiesで調べることができました。

 このサイトによると「1898年8月29日にアメリカのイリノイ州シカゴ生まれ。舞台の脚本家としてデビューし、ニューヨーク演劇界の寵児ともてはやされた。その後、1933年『力と栄光』の脚本を担当し、孤独な鉄道王の生涯を知人の回想形式で語るナタラージュを編み出して『市民ケーン』(41)に強い影響を与える。」とある。スピルバーグは、きっと『市民ケーン』を見て痛く感動してその繋がりで『力と栄光』を見て「ナタラージュ」を生み出した彼の才能に惚れたと思う。

 また、このサイトによると『ローマの休日』や『ベン・ハー』で有名なウィリアム・ワイラー監督の『お人よしの仙女』(1935年)の脚本を手がけている才人である。その後、政治コメディ『偉大なるマッギンティ』(1940年)で監督デビューをする。この作品は、脚本家が監督も努めた初めての作品で大ヒットした。続く、『七月のクリスマス』(1940年)を監督し、スクリューボール・コメディの代表作『レディ・イヴ』(1941年)を手がける。この作品も大ヒットし、『サリヴァンの旅』(1941年)では、製作、監督、脚本をする。そして、1942年に『パームビーチ・ストーリー』を手がけるが、これもコメディ作品として高い評価を得た。

 さて、スタージェスの影響を受けたスピルバーグ作品は、「1941」、「インディ・ジョーンズシリーズ」、「ターミナル」である。これらの作品は、いずれもスタージェス独特のスクリューボール・コメディのスタイルが継承されている。「1941」は、騒がしくハチャメチャな奇想天外さがあり、「インディ・ジョーンズシリーズ」と「ターミナル」は、ヒーローとヒロインが掛け合い漫才をするようにギャグやセリフを連発して観客を笑いの世界に誘っている。