何時の間にやら7月になっています。
月日の立つのは早い!!
早く、梅雨が明けてほしい~!!! さて本題に!!
またも、ポイントに早く行くことに・・
磐越西線から転戦して着いたのは、もう夕刻迫る時刻こ、
とある東北本線の跨線橋に出向きましたが・・残念ながら、
カメラを構える位置は、撮影者で満杯で撮影を残念しましたが、
そこは、それで、コンパクトデジカメで動画を撮影して見ました。
しかし、このブログにアップするには、You Tubeに載せて
からでないとアップできません。そこで、Facebookには
その画像をアップしています。ここでの撮影は、ほんの数秒で
終了!! さて次の場所に移動しようと跨線橋から車の止めて
ある場所に帰ろうと県道を歩き始めた時に、
事件が起こりました。
県道を左右に分かれて、車の所に行くであろう、一人の方が
乗用車のプリウスが通るタイミングで・・頭から倒れた!!
プリウスは停まり運転手が飛び出してきました。
私は多分、はねたと思いました。
そして運転手が、救急車を呼んで!!と叫んでいるので
私が119に電話をしました。目標になる物と状況・・
ところが、この事故現場は、ちょうど救急車出動の
管轄の分岐点のようで、17時13分に電話をして連絡
したら、何と違う救急隊に電話を回されて、また同じ
事を説明を・・・その間にJRの職員の車が通りかかり、
交通誘導を・・・
プリウスが跳ねたと私は思っていましたが、
跳ねたのではないとの事。。。。運転手いわく、
丁度横を通過時に、突然倒れたらしい??
それもガードレール側に頭から・・・思っただけで痛そうです。
車の方に、倒れたらそれこそ一大事!!
私は、横の歩道を歩いていていましたので、
てっきり、車はねたと思い込んでいましたが違うようです・・
倒れた方は、「けいれん」を起こしていました。
私は、到着するであろう救急車の誘導を頼まれました
のでその場を離れましたが・・・
そして、
救急車が到着したのは17時40分・・
倒れた方の友人が見えて、事の事態が判明。
ガードレールには血痕が付いている。
救急車が到着した時には、意識も戻ってきていました。
本人に、事の真相を聞くことはできませんが、
車にはねられたのでは無い様です。
頭を打っていると大変です。
それから隊員の事情聴取を受けてやっと解放・・
倒れた方の容体は気になりますが・・
( こんな時はどうしたらよいのか、全く不安で
救急車の到着も遅く、気をもむ時間でした )
私たちは、次のポイントに移動することに・・
到着した時は、もう暗く田んぼが広がりカエルの
合唱が聞こえる、
県道の脇の広い場所に停めて車中泊・・
やはり。線路わきには、車中泊をする車がチラホラ
ここまで、来るまでの道中でコンビニ弁当を
購入・・勿論朝食も・・・・トイレは近くの駅のトイレを利用。
と言っても車で10分ぐらいかかりますが・・
ここも、テレビは映りません・・ラジオでニュースは、
聞きました。国営テレビの7時のニュースでは、
今回の車両485系の話がトップとか・・
馬鹿が、また電車を停めてしまったとも伝えています。
夜中は、貨物列車の音を聞きながら、お休みに・・
朝は4時半に起きて、
駅のトイレで顔を洗い用を済ませて
しかし、思ったほど天気はよくありません!!
曇り空です。さてポイントへ移動しましたが
もう、先客が場所を押さえています。一応
目ぼしを付けていたポイントが見つけてあったので、
そこに出かける事に・・そこには、地元の方がお一人・・
挨拶をして、お仲間に加えてもらった。そうこうしていると、
次々と車と歩いてくる方も、しかし、ここはそれほど沢山の方が、
カメラを向けられません・・・
あまりにも狭いので・・先客がいると立ち入れないのです。
私は、手持ち撮影ですので、邪魔にならない位置から・・
こんな風に撮影できます。
中々の迫力で貨物列車が通り過ぎて行きます。
「EH500 金太郎」の愛称で呼ばれています。
つい最近のネットのニュースにこんな文書が載っていました。
鉄道ファンに「国鉄時代に製造された車両」が人気のワケ
「JR」が誕生して早28年。国鉄時代などほとんどの人にとっては忘却の彼方だ。ところが、鉄道ファンの間ではJRよりも国鉄時代に製造された車両が人気なのだという。鉄道専門誌の編集者は次のように話す。「’90年代にJR東日本が開発・投入した車両がマズかった。製造コストを落として短期間で入れ替えていくという方針で画一的なデザインの車両を大量生産したんです。それがファンの間で使い捨て車両“走ルンです”と揶揄された。これですっかりJRの車両に悪いイメージがついてしまいました」以来、鉄道ファンの間では国鉄車両こそ正義というのが一般的になったのだ。そして、最近はそこに若い鉄道ファンも乗っているのだとか。確かに古い車両には最新型車両にはない独特の味があるのも事実。だが、子供の頃に乗った思い出があるならともかく、20代のファンにとっては“前世紀の遺物”にすぎないはずだが……。その背景を40年近いキャリアを持つ鉄道写真家はこう分析する。「昔の鉄道ファンは“経験派”。自分が乗った、撮ったことに意味があった。でも若いファンはネットで情報を得る“知識派”。乗ったことがない国鉄車両でも、知識から入っているから『貴重なもの』として意識するようになったのでは。SLや古い車両を使った臨時列車では、撮影に訪れる若い人がかなり増えている印象です」
国鉄時代の車両も現役は残りわずか。だが、ファンの増加を受けて、旧型車両でのリバイバル運転は今後増えるかもしれない。
― [昭和回帰ブーム]の意外な理由 ―
日刊SPA!
さてお目当ての車両が通過します。
こんな感じで撮影完了!!!
この色、この車両は、私が油の乗り切って仕事をしていた時代に
よく乗った車両です・・L特急と言う名前も思い出される・・
ほとんど指定席と自由席ですがね・・・
この、485系の国鉄色が今回のメインの撮影・・・
一編成だけ残っていましたが、寄る年波には勝てず、
廃車になる前に東北地方を走りました。
天気に恵まれた撮影になったのでよかったです。
また、改造こそされていますが・・これ以外の485系は
見ることが可能ですが・・・何と言っても国鉄時代をベースに
造られた物であることから、徐々に淘汰されていくのでは、
無いでしょうか・・・
上記の写真を撮影後、一路帰路に付きました。
ところどころ端折っていますが、旅編は残す一話を
最後としますが話としては、番外編を短く書きます???
本当に短くなるのかな????????
続く・・・・