定時制卒業式の式辞も「100万回生きたねこ」の話を題材に話したそうです。全日制と同じところが多いのですが、一部違う話にもなっています。ご紹介します。
9名の卒業生の皆さん、卒業、おめでとう。
卯高の4年間には様々な苦難があったことでしょう。苦難を乗り越えて卒業に辿り着いた皆さんの頑張りに、心から敬意を表しますとともに、最後まで頑張り抜いてくれことに感謝します。ありがとう。
保護者の皆様、ご子息の卯の花高校ご卒業、おめでとうございます。ご子息の栄えあるご卒業を心からお喜び申し上げます。皆様のご協力により、9名の生徒たちは卯高生活を無事に乗り切ることができました。お世話になりました。ありがとうございました。
本日ご臨席いただきました前教頭先生をはじめ、ご参列の皆様、ありがとうございます。皆様のおかげをもちまして、卯の花高校は、第63回卒業証書授与式をむかえることができました。心より感謝申し上げます。
3月11日、三陸沖でマグニチュード9.0の大地震が発生し、大津波や大火災、原発事故などにより多大な被害が出ています。なくなられた方や行方不明の方は2万人以上と言われていますが、被害の大きさは計り知れないものがあります。
皆さんの知り合いの方の中にも被害に遭われた方がいらっしゃるのではないでしょうか。皆さんもいつこのような災害に遭遇するか、わかりません。災害に遭ったときには、皆と協力して乗り切ってゆくしかありません。何かあったときに、人の役に立つ力を身につけておくことが必要です。また、どう生きるかという覚悟を持っていると、いざというときにフラフラしないですみます。
さて、昨年11月にがんで死去された作家の佐野洋子さんの代表的な作品に、「100万回生きたねこ」という絵本があります。この「100万回生きたねこ」の話を題材に、今日は、皆さんに「生きる」ということに関した話をしましょう。
「100万回生きたねこ」の話はこんなふうに始まります。
百万年も、しなないねこがいました。100万回もしんで、100万回も生きたのです。りっぱなとらねこでした。百万人の人がそのねこをかわいがり、百万人の人がそのねこがしんだとき、なきました。ねこは一回もなきませんでした。
以下は、あらすじを紹介しましょう。
主人公の猫は、ある時は国王の猫となり、ある時は船乗りの猫、サーカスの手品つかいの猫、どろぼうの猫、ひとりぼっちのお婆さんの猫、小さな女の子の猫…と100万回生まれかわり、飼い主のもとで死んでゆきます。飼い主は皆、猫の死をとても悲しみましたが、当の猫はまったく悲しみませんでした。猫は、飼い主のことが嫌いでした。
ある時、猫は誰のものでもない猫、野良猫となり、「俺は100万回も死んだんだぜ」と自慢する誰よりも自分が好きな猫になりました。周囲の猫たちも皆、ちやほやしました。
しかし、自分に関心を示さなかった一匹の美しい白猫がいました。この白猫の興味をなんとか引こうとしますが、白猫は「そう」と言ったきり。いつしか猫は白猫に恋をし、「そばにいてもいいかい?」と尋ねると、白猫は「ええ」と言いました。やがて白猫はかわいい子猫をたくさん生み、猫は「俺は100万回も…」とは言わなくなりました。猫は自分よりも、白猫や子猫たちのことを大切に思うようになっていました。やがて子猫達は巣立ち、白猫はお婆さんになり、あるとき猫の隣で動かなくなってしまいます。猫は白猫の亡骸を抱いて、生まれて初めて泣きました。100万回泣きました。そしてぴたりと泣きやみました。そして猫は、白猫の隣で静かに動かなくなっていました。
それから猫は、もう決して生き返りませんでした。
という話です。
この話にはたくさんの謎があります。何を謎と思うかについても、謎の答えをどう考えるかについても、読む人によって異なることでしょう。それは、皆さんがこの先、何を問題だと思うか、問題の答えをどう考えるか、ということと同じことです。皆さんが生きていく社会では、学校の試験問題と違って、問題は与えられるものではなく、自分から見つけるものです。また、たいてい答えは一つではないので、どの答えを選ぶかを決断しなければなりません。
さて、「100万回生きたねこ」の話で、私が感じた四つの謎と私の答えを紹介しましょう。
第一の謎は、猫はなぜ100万回も生き返ったのか。そして、死んだとき、なぜ一回も泣かなかったのか、という謎です。
一回も泣かなかったのは、その一生に泣くほどの思い入れがなかったからでしょう。100万回生き返ったのは、何も考えず、惰性で100万回も生き返っていたのではないか、と私は考えています。
それにしても、100万回も生きるチャンスを与えられたこの猫は幸運だとは思いませんか。私たちには、たった一度しか人生を生きるチャンスは与えられていません。
と考えたところで、疑問が浮かびました。
もしかしたら、私たちも100万回のチャンスを与えられているのではないか。惰性で生きているので、気づいていないだけなのではないのか、という疑問です。私たちにはいろんなチャンスが与えられているのに、それをつかもうとしていないことが多いのです。自らチャンスをつかもうとする人を運のいい人、自らチャンスをつかもうとしない人を運の悪い人というような気がします。
次の謎を紹介しましょう。第二の謎は、猫はなぜ飼い主が嫌いなのか、猫はなぜ野良猫になった自分が好きだったのか、という謎です。
猫は飼い主にかわいがられますが、飼い主が嫌いです。自由にさせてくれないので、飼い主が嫌いだったのでしょう。野良猫は自由なので、野良猫になった自分のことを好きになったのでしょう。きっと飼われているときは、自分のことも嫌いだったのだと思います。束縛されるのは誰でも嫌なものですから。
ここで疑問です。飼い主が嫌いで自由がほしいなら、なぜ早く逃げ出して野良猫にならなかったのか、という疑問です。この疑問に対する私の答えは、それほど自由がほしかったわけではなかった、というものです。嫌だ嫌だと不満を言いながら、自分から積極的に何とかしようとしない人がたくさんいます。自由がほしいと口では言うけれど、自由を得るために努力をしようとしない人もたくさんいます。
高校を卒業すると、皆さんは大人の仲間入りです。ですから、自分のことは自由に自分で決めることができます。仕事に就く自由がありますし、仕事を辞める自由もあります。でも、何かの仕事を選ぶと、何かの自由がなくなります。例えば、時間を自由気ままに使うことはできなくなりますし、仕事が上達するまでは思うとおりの仕事をさせてもらえません。一方、仕事が上達すれば、賃金も上がって、自由に使えるお金が増えるでしょう。
自由を得るということは、いろんな自由をあきらめて、ある自由を選ぶということです。皆さんはどんな自由を選びますか。
次の謎に行きましょう。「100万回生きたねこ」の話の最後は、「ねこはもう、けっして生きかえりませんでした。」で終わります。そこで、第三の謎です。猫はなぜ、生き返らなかったのでしょうか。
猫は野良猫になって初めて、主体的に生きることができました。そうして自分のことが好きになりました。さらに、一番好きだった自分よりもっと好きなものができました。白猫やたくさんの子猫です。白猫を愛し続け、子猫を愛おしみ育てました。きっと自分の一生に満足したのでしょう。自分の存在価値を見出し、使命を果たしたから、生き返らなかったのだと私は考えました。
皆さんも自分の存在価値を見出してください。自分のためだけではなかなか自分の存在価値を確かめることは難しいようです。誰のため、何のために自分は存在するのか。ゆっくりと考えていってください。
ところで、疑問があります。猫の飼い主と猫とはどこか違うでしょうか。どちらも同じような気もします。猫の飼い主たちは猫を愛し、かわいがりましたが、猫は愛されることをウザイと思っていたようです。一方、猫も白猫を愛しました。しかし、白猫は「そう」とか「ええ」としか言いませんでした。もしかしたら、白猫も愛されることがウザかったかもしれません。
そこで、最後の謎です。白猫は果たして生き返ったでしょうか。それとも生き返らなかったでしょうか。
白猫は一回目の一生でしたが、満足していたでしょうか。絵本には何も書いてありません。もし答えがあるとすれば、謎そのものが答えではないかと私は考えています。つまり、白猫が生き返ったか、生き返らなかったかを考えることそのものが答えなのだという答えです。
主人公の猫が白猫を一方的に愛していたのかもしれません。白猫は満足していなかったかもしれません。何しろ、私たちは、相手の気持ちを完全にわかることはないのですから。多くの誤解を積み上げ、わかったつもりになっているのが私たちです。しかし、そうしたあやふやなものを大事にし続けることができるのも、私たちです。はっきりとした答えがでない状態に耐えながら、相手の思いを大事にし続けようとするところに、生き返ることのない一生があるのだと私は思います。
「100万回生きたねこ」を題材に、様々な謎や疑問を追いかけてみました。大人が絵本を読むのもいいものです。
皆さんが社会に出て行くと、楽しいことやうれしいこともあるでしょうし、辛いことや悲しいこともあるでしょう。大災害に出遭うこともあるかもしれません。そんなとき、絵本や昔話を読み返してみてください。そこにはきっと前に進む元気や勇気を思い出させてくれるものがあります。
皆さんが自分の力で、自分の人生を作り上げ、自分と自分のまわりの人たちを仕合わせにしていってくれることを願っています。皆さんの幸せを祈っています。
結びに、ご臨席を賜りました来賓の皆様、保護者の皆様に心から御礼を申し上げ、式辞といたします。
平成23年3月25日
埼玉県立卯の花高等学校長 奥井 太郎