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イッピンNHK 「さりげなく“粋”に~東京 小紋・刺繍・浮世絵~」

2023-12-31 07:49:22 | イッピンNHK

 第252回 2020年5月26日 「さりげなく“粋”に~東京 小紋・刺繍・浮世絵~」リサーチャー: 野村佑香

 番組内容
 江戸時代に培われた、粋の文化。江戸の庶民は、着物や帯にさりげないオシャレを楽しんだ。そこから、江戸刺繍や江戸小紋など、独特の工芸が生まれた。派手さを売りにせず、よく見るとすごさがわかる。そんな粋の伝統を受け継ぐ職人たちが、新たに付け加えたものとは?また、さりげないオシャレの象徴としてもてはやされた浮世絵の美人画。それを現代によみがえらせた、彫師(ほりし)・摺師(すりし)の超絶技巧に迫る。

*https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A202005261930001301000 より

 

 1.さりげなく”粋”に「東京染小紋」(「石塚染工」・石塚久美子さん)

 「小紋」とは、型紙を用いた「型染め」の方法により、模様を繰り返し反物に染めた着物のことです。
 中でも「江戸小紋」は、遠目には無地に見えるほどのごく小さな柄を、一色のみの型染めで染め上げた小紋のことを言います。
 
 「型染め」には「大紋」「中紋」「小紋」の3種類があり、その一つ「小紋柄」は江戸時代に武士の裃(かみしも)に取り入れられたことで本格的に発展しました。
 江戸時代の中期になると、庶民の中にも小紋に染めた着物や羽織を着る人が増え、粋な柄が多くなり、また動物や植物、更に七福神や宝尽くしなどユニークな柄も登場するなどバリエーションが豊富になるにつれて小紋は盛んに作られるようになります。
 余りに高価なものが現れるに及んで、幕府は再三、「奢侈禁止令」を出して取り締まりを強化したのですが創意工夫により、遠目には無地で地味に見えても、注視すれば細かい型彫りによる「小紋柄」に人気が集まりました。
 明治時代になると、断髪令の発布や欧米化などの影響を受けて男性が小紋を着ることは急速に減少しますが、女性の間では小紋を着る人がむしろ増えました。
 昭和51(1976)年には「伝統的工芸品」として国から指定を受けました。

 明治23(1890)年に小田原で創業した「石塚染工」さんは、明治30(1897)年に糊落としに最適な清水の流れる淺川近くの現在の八王子の地に移り、「江戸小紋」を中心に、型彫師によって生み出された精巧な「伊勢型紙」を使用し、鮫・通し・行儀などの「錐小紋」や万筋・微塵などの「縞小紋」などを伝統の技法で染めています。
 現在、機械捺染が多くなる中、手つけの染め技から蒸し・水元・地直し迄を一貫して行う「石塚染工」の仕事は貴重です。

 極の「江戸小紋」を手掛けるようになったのは、現当主の4代目・石塚幸生さんからです。
 平成12(2000)年には、伝統芸品公募展にて「内閣総理大臣賞」受賞。
 平成28(2016)年には、「叙勲瑞宝単光章」を受章しました。

 「江戸小紋」は型紙を繋ぎ合わせて1反のきものが染め上がるため、染めの美しさは、職人の「コマ」(へら)の力の入れ具合、型の繋ぎ合わせにより決まります。
 型紙の繋ぎ目を合わせるには、「星」という1㎜程の2つの点を重ねるのですが、これには超熟練の技が求められます。

 最高峰とされる「極鮫」(紀州徳川家の「定め小紋」)には、型紙3cm四方には何と900もの丸紋があります。
 石塚さんは40cmの型紙を長さ13mの生地に寸分違わずに繋げて染め上げていきました。
 
 他にも伝統的な4つの柄を独自のデザインで組み合わせたオリジナルの着物も披露してくれました。

 娘で5代目の久美子さんは、女子美術大学日本画科を専攻し、アパレル会社勤務を経て、お父様の石塚幸生さんに弟子入り。
 日々修行に励み、「江戸小紋」も染め始めています。
 
 一方、伝統の染め物をアピールするための新たな試みも始めました。
 着物に馴染みのない人にも手に取ってもらいたいと、自身のブランド「形梅」(かたうめ)を展開。
 従来の「江戸小紋」の概念に捉われない明るい色合いの手拭いや浴衣、数種の型紙を組み合わせて独自の柄の作品を制作しています。
 
 石塚染工 東京都八王子市元横山町1丁目16-1

 

 2.万華鏡のような不思議な輝き「江戸刺繍」(竹内功さん)

 東京・千住で3代に渡り「江戸刺繍」を営む竹内功さんは、「相良縫」(さがらぬい)や「駒縫」(こまぬい)と呼ばれる伝統技法で、「江戸刺繍」の伝統的なスタイルとされる幾何学模様を表現。
 使用する糸の色を増やすなどして、刺繍が立体的に見えるよう工夫を凝らすなど、伝統的な手法での新たな表現にも取り組んでいます。
 帯や着物、和装小物から、インテリアまで幅広いアイテムを制作し、令和元(2019)年には、厚生労働省の令和元年度卓越した技能者(通称「現代の名工」)に選ばれています。
 
 江戸時代中期、天下泰平ムードを背景に経済力をつけた町人階級が台頭し、彼らは簡素な装いに飽き足らず、あらゆる染色技術に刺繍を加えて、絢爛豪華な着物を次々と生み出していきました。江戸の繁栄とともに「江戸刺繍」は大いに隆盛しました。
 「日本刺繍」には、京都の「京繍」、金沢の「加賀繍」に東京の「江戸刺繍」があって、その土地独特の刺繍があります。
 「江戸刺繍」は空間を楽しむ、すっきりとした構図と押さえ気味の色を特徴とし、高度な技術を継承しています。

 竹内功さんはまた、東京都や組合主催の伝統工芸品展などに積極的に参加して、組合のリーダーとして、日本刺繍の技能継承にも尽力していらっしゃいます。
 マネをされてもいいが、やったら絶対に大変だというものを作っていきたいとおっしゃっていました。

 

 3.現代によみがえる江戸の粋「江戸木版画」(高橋公房)

 「江戸木版画」は、江戸時代そのままの手法を守り、材料や道具を制作する「工房」があり、「絵師」「彫師」「摺師」がそれぞれの熟練の技を発揮し、「版元」が職人を束ね、作品をプロデュースする・・・。
 皆が一丸となり、美しい木版画を創り上げる総合芸術です。
 
 「高橋工房」は安政年間(1854~1860)に創立した、代々続く江戸木版画の「摺師」の家系で、四代目からは「版元」の暖簾も兼ねていらっしゃいます。

 「江戸木版画」は、日本における印刷技術のルーツと言われています。
 当初は墨一色であったものを、色を板木で摺る工夫により、次第に複雑な着色が施されるようになり、明和2(1765)年には、金や銀まで摺り込み中間色も木版で刷り上げることが出来るようになり、多色摺りのスタイルが確立されました。
 庶民は江戸時代の人々は、浮世絵版画を通して、流行のファッションや旅などの最新情報を手にしていました。
 庶民の生活に寄り添いながら成長したのです。
 喜多川歌麿、東洲斎写楽、葛飾北斎、歌川広重といった江戸の天才浮世絵師達が彼らは競い合うように新しいデザインの浮世絵木版画を発表し、日本独自のユニークな印刷文化を創り上げました。
 平成19(2007)年3月9日、「経済産業省指定伝統的工芸品」に指定されました。

 浮世絵には、街で評判の美人をモデルにし、その上、名前や住所を公開したことから、幕府は名前、住所を書き込むことを禁じましたが、喜多川歌麿は、絵の中に「なぞなぞ」のように隠してしまう「判じ絵」(はんじえ)にしてしまいました。

 「絵師」が薄い和紙に墨一色で原画を描いたら、次に「彫師」(ほりし)が原画を貼った板に小刀で彫ります。
 職人達は1mm幅に何本の髪の毛を掘ることが出来るかを競い合いました。
 使う道具は小刀のみです。

 それから「摺師」(すりし)が版木にそれぞれの色の顔料を塗り、馬簾(ばれん)で紙の背面より力を入れてこすって仕上げます。
 絶妙な力加減と動かし方によって、美しい女性の柔らかな生え際が摺り出されるそうです。

 「高橋公房」現代表の高橋由貴子さんは、摺りの技術を父に学んだ後に六代目代表に就任し、江戸木版画の文化の普及と発展のため、版元としての活動も開始しました。
 
 江戸時代から継承する技術を基礎に、浮世絵の復刻作品から現代アート作品、雑貨まで意欲的に制作をする他、伝統の技術を伝承する環境を整え、その文化を普及・発展させるために、自ら業界を牽引し、世界中を駆け回って、講演会・実演会の開催や職人育成に当たっていらっしゃいます。
 
 江戸木版画「高橋公房」 東京都文京区水道2丁目4-19

*https://omotedana.hatenablog.com/entry/Ippin/Tokyo/Tokyokomon/EdoshishuUkiyoe より


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