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<経産大臣指定伝統的工芸品> 愛知 名古屋黒紋付染

2021-05-15 07:47:57 | 経済産業大臣指定伝統的工芸品

 「名古屋黒紋付染」

 Description / 特徴・産地

 名古屋黒紋付染とは?
 名古屋黒紋付染(なごやくろもんつきぞめ)は、愛知県名古屋市周辺で作られている染織品です。婚礼や葬儀の際に着用されている衣類で、名古屋では江戸時代の頃から藩士から一般市民の間で親しまれてきました。
 名古屋黒紋付染の特徴は、家紋の型を使って染める「浸染(ひたしぞめ)」、または家紋をあとから手描きする「引染(ひきぞめ)」の2つの方法で作られる、鮮明な黒色です。
 「浸染」では名古屋特有の「紋当網付(もんあてあみつけ)技法」で、高温の染料に生地を浸けて染色を行います。「引染」では家紋を入れる部分に防染糊を施して、生地が染まっていない箇所にあとから紋を手描きします。
 History / 歴史
 名古屋黒紋付染の歴史は、1611年(慶長16年)まで遡ります。当時、尾張藩の呉服などを製造していた尾張藩紺屋頭の小坂井新左衛門は、染色技術を黒紋付染へと確立していきました。
 もともとは「紋糊伏せ(もんのりふせ)」と呼ばれる技法を用いていましたが、1830年~1843年(天保元年~天保14年)には現在の金網を使った家紋の染め抜きに通じる技法が生まれ、明治時代に入ってからはほぼ現在の製作技術になりました。
 1818年~1829年(文政元年~文政12年)には現在黒紋付染に従事している製造元の職人たちの祖先1,260名余りが存在していたことを、1848年(弘化5年)に著された「尾張・濃州紺屋惣帳」で確認できます。

*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/nagoyakuromontsukizome/ より

 

 「化けない黒」を持つ贅沢
 名古屋黒紋付染の特徴は、黒を染める段階から紋型紙を使って家紋の形を染め抜くことと、ゆっくりと時間をかけて染め上げることにあり、それによって年月を経ても色があせない堅牢度の高い黒色が得られる。注文を受けてからしか作れず、手間もひまもかかるが、この製作方法こそが高級品といわれるゆえんである。

 
 堅牢度抜群の名古屋黒紋付染
 天皇家の桐の御紋の輪郭は桐の葉の上に三つの花房がある複雑な形をしている。このような形の紋も、他の産地では、家紋の位置を丸く残して染めておいた黒生地を、最後の紋上絵(もんうわえ)の段階で輪郭に合わせて塗りつぶす。家紋の形に関わらずに地色の黒を染めることができるため大量生産には向くが、経年劣化して家紋のまわりが変色することがある。けれども名古屋黒紋付染は、最初から桐の葉と花の輪郭に合わせて作った型紙を当てて地色の黒を染めるため、紋のまわりの部分の色があせない。職人さんが「化けない」と表現する、抜群の堅牢度である。


 学生服でお得意さん回り
 大野さんは、江戸時代から続く染物屋の五代目だ。9歳の時にお父さんが亡くなり、数え年12歳で家業を継いだ。旧制中学時代は学生服で一宮や鳴海のお得意さん回りをしていたという。先祖代々のお得意さんの大きな呉服屋が何軒もあり、若い衆も6~7人かかえていた。まだ中学生の大野さんは必死だったという。「でも、今思っても、お得意さんには恵まれました。若い衆にも恵まれました。」それで、ここまでやってこられたという。大野さんが18歳だった昭和15年頃、奢侈(しゃし)品禁止令(庶民の贅沢を禁じた命令)が出て染物はできなくなった。20歳で出兵し、昭和21年5月に名古屋に戻ってきたとき、南桑名町(今の栄2丁目のあたり)にあった店は空襲で燃えてなくなっていた。


 戦地から戻って染物屋を再開
 その時、大野さんは25歳。それから、また再び染物屋を立ち上げた。以前大野さんのところで働いていた人が、焼け跡に一台だけ残っていた脱水機を保管していてくれて、大野さんが名古屋に戻ったときに持ってきてくれた。昔からのお得意さんが畳と自転車を融通してくれて再スタート。黒紋付染の着物は礼装用の衣装だ。世の中にゆとりがなければ売れる商品ではない。特に名古屋の黒紋付染は注文生産。再び商売が軌道にのるまでは大変な苦労があったのだろう。仕事のことを振り返って何が一番記憶に残っていますか、と伺って即座に出てきたのが戦争のことだった。


 黒の反物が並ぶ中でもひときわ目立つ黒
 大野さんの染めには特別の技がある。企業秘密だから詳しくは教えられないというが、浸す染料の温度に差をつけることによって黒に光沢を出すのだそうだ。多くの職人さんが黒紋付染を展示する展示会で、大野さんの黒はひときわ目立つという。「ウチの色を欲しがって、教えてくれってみんな来るんですよ。」と、大野さんは笑う。大野さんの秘伝の技は名古屋ではずいぶん広まったのだという。


 需要の減少からの後継者難
 けれども、黒紋付染をとりまく状況は厳しい。着物離れが進み、黒紋付染の主力製品の家紋入りの喪服や黒の羽織の需要は減った。他の商品に応用がききにくいのも弱点だ。「何とか後継者を育てたいね。今、組合にいる若い衆をこれからどうやって一人前にするか・・・。」大野さんの息子さんも黒紋付染の職人だったが、今は洋服の方をやっている。家紋の入った喪服は以前は嫁入り道具のひとつだったが、今、若い人で結婚する時に喪服を揃える人は少ない。それでも、和服の喪服を着る人を見た時には、その凛とした雰囲気に目をくぎ付けにされることがある。ブラック・フォーマルは10年もすると時代遅れで着られなくなるが、和服なら長く着られるし、と思ったりもした。


 職人プロフィール

 大野重信 (おおのしげのぶ)

 大正11(1922)年生まれ。
 江戸時代から続く染物屋に生まれ、数え年12歳で家業を継ぐ。以来、70年近く黒紋付染ひとすじ。

 こぼれ話

 家紋あれこれ・動物の家紋

 家を象徴する紋章は平安時代に使われるようになり、衣服や家具、牛車などにつけられました。後に武士の目印となり、江戸時代になって庶民の間にも広く普及しました。現在、日本全国で六千をこえる家紋があるといわれていて、その多彩さとデザインの面白さには驚かされます。
家紋には日本古来の動植物がいろいろ登場しますが、特に面白いのは動物の家紋です。

*https://kougeihin.jp/craft/0206/ より

 


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