7月31日(日)赤松良子さんの「男女平等への長い列」を読みました✌
日本経済新聞で連載していた私の履歴書をまとめたものです。
赤松さんは男女平等関係では本当に女性官僚のパイオニアとして男女雇用均等法の母と呼ばれ、その後はウルグアイ大使、細川内閣で文部大臣も務めた超有名人です。
官僚としてはほんの少し先に進まれた方々がいたにしてもずいぶん苦労されたようです。
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1975年は国連で定めた「国際婦人年」でそれに続く10年を国連婦人の10年として世界中で男女平等に向けて大きな動きがありました。
中心は「女子差別撤廃条約」の署名と批准で、日本が批准するためには、3つの大きなハードルがありました。
1つ目は国籍法の改正でそれまで日本では父親が日本人の時だけ日本国籍を取得できましたが、こ
れを母親でも取れるようにすること、
2つ目は男女別教育カリキュラムの改正で女子のみ必修となっていた家庭科を男女とも必修にすること、
3つ目が労働における男女平等規定を作ることでした。
そして、すったもんだの末、男女雇用機会均等法が1985年にできたわけです。
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私は1981年にちょうど民社党本部に入り、今でいう男女平等担当でした。
この均等法の審議が労働省(当時)の審議会でやっていたので、当時の同盟の皆さん方が審議会を傍聴するための手続やらなんやら一番下っ端で働いていました。
同盟本部のTさんには本当に仕事面でお世話になり、感謝しています。
時として厳しい𠮟咤激励もありましたが、大いに勉強させていただきました。
審議会は公労使の三者からなっていましたが、労使の主張の隔たりが大きすぎて議論はかみ合わず、結局三論併記になりました。
最後は定年のみ差別が禁止されて他は努力義務になってしまいましたが、労働における男女平等としては大きなエポックメーキングだったと思います。
とにかく皆が差別撤廃条約の批准に向けてやれ行けそれ行けという感じでまだまだ弱いながらも大きな塊になって進んでいったように思います。
私も若いながらもそんな一端を担わせていただき、高揚感をもちながら仕事をしていたと記憶しています。
それから様々な分野で男女平等がそれなりに進んでいきましたが、現実としては残念ながらまだまだ道半ばですね。
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本のタイトルにもなっている「男女平等への長い列」は赤松さんが励まされるフレーズで、「男女平等の実現のための、長い列に加わる」という言葉だそうです。
多くの先輩の方々の努力があり、差別撤廃条約ができ、均等法ができ、さらにこの列に加わって働く多くの後輩がいる。当初のざる法も明確に男女差別を禁止する法律になった。まだ足りないこともあるから列は続いていく。
赤松さんも戦前に少女時代を送り男女平等をうたう新憲法のもとで大学を卒業し、女性官僚のパイオニアのひとりとなった。長い列に加わり、92才の今も歩き続けているのだ。
というところは大拍手です👏
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私もこの長い列に加わっていたいと思います✌
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