我輩は主婦である。名前はみえり。
どんな時に髪を切りますか?
我輩は、定期的に美容院に行くわけではなく、
自分自身が停滞していて、
「いっちょ、変わるか!」っていうタイミングに行くのである。
ベタだけど、失恋した時、
仕事がうまく行かない時、
人間関係に行き詰った時、
にっちもさっちもいかない時。
ほら穴の底に突き落とされた時。
美容室で髪を切られている間、鏡を見つめて「よしっ」と決意をする。
昨日は、「ザ・母になる儀式」というタイトルで美容院へ。
母になることは、とても嬉しくて楽しみなことなんだけども、
妊娠10ヶ月の今になっても全然実感が湧いてこない。
ほんとに母になれるのかな~?!大丈夫なのかな~?!!!
っていうか、ぽよ太郎ってホントに生きてるのか?!
胎動をバリバリ感じるのにそんなこと思ったりもする。
先日の日曜日。
バイクのレースの手伝いに行っていたオットが、
友人の車に乗せてもらって帰宅。
その友人(夫婦共々仲良くしてもらっているので)夫婦に久しぶりにあったのだが、
「うわぁ!こないだまで「みえりちゃん」って感じだったのに、
肝ったま母ちゃんって感じになったねぇ。
ママっていうよりも、母ちゃんって感じ!」という感想を言われた。
ショック。
ショックだったのだ。
ママという柄じゃないので、子どもには母ちゃんと言わせようと思っているが、
魔女の宅急便のオソノさんみたいな肝っ玉母ちゃんにものすごく憧れているが、
やっぱりまだ、我輩ってば「おね~さん」でいたかったことが、
その時初めてわかった。
まだまだ若くてカワイイオンナノコでいた~い!!!
もう若くないのに、女心だけは健在。
いや、一生健在させるつもりだけども、女心。
そんな気持ちを思い知り、
でも出産前に潔く「母ちゃん」になる儀式をしておいた方がいいのかもしれない。
そんなことを、ふと思う。
後から「こんなんじゃなかった」と泣く前に。
独身時代から通っている青山の美容院へ行き、母になる儀式をしよう。
もう遠出するなと言われているのに、片道2時間近くかけて妊婦決別の旅を昨日決行。
髪を切られている間、鏡の前の自分に唱えてきた。
「ファンキーな母ちゃんになる」と。
ファンキーな母ちゃんとは、
母としての我輩を人と比べず、子どもも他人の子と比べず、
自分の尺度をもって子育てする。
我輩にとって、そんな定義。
我輩を育てた祖母も母も世間体をものすごく気にするタイプ。
高い学歴、いい会社、いいものを身につけること、
結婚が女の幸せということを一番だと思っている。
お陰でデパートで買ってもらった服しか着たことないし、
門限もしつけも厳しくお嬢様育ちな我輩なのであるが、
いつも、いつも、祖母や母の価値観を突き破りたくて、
お嬢様育ちな自分を外では隠して生きてきたのだ。
「あたしの人生はあたしが決める」それが、これまでの人生の合言葉。
祖母も母も私のことを思っていてくれるのは、よくわかる。
感謝しなければいけないとも頭ではわかっている。
しかし、我輩は祖母と母の価値観がどうしても子どもの頃から理解できず、
違和感を感じる毎日を過ごしていた。
幸せって、「人からどう幸せに見えるか」じゃないだろう。
それを追いもとめて、我家は幸せな家庭じゃなかった。
祖母も母も全然幸せそうじゃなかった。
いつもヒステリーでイライラしてて。
子どもがどう感じているかということより、
自分の価値観を押し付けていることが大事。
家族団らんだなんて、サザエさん家しかないって思ってた我輩。
うすっぺらな家族はもう嫌だ。
「ファンキーな母ちゃんになる!」
それは、もう家族ごっこを繰り返さないために、
ホンモノの家族を築く覚悟でもあった。
大げさだけれども、信頼する美容師に髪を切られながら、
何度も心の中で唱えた。
オットと子どもの気持ちを見失わないように。
オットと子どもにとって居心地のよい家でありますように。
そして、サヨナラ。オンナノコの自分。
たぶんしばらく青山の美容院に行くことはないだろう。
帰りに青山のキルフェボンで桃とチーズのタルトを買いつつ、
サミシイよりも、
ウキウキが先立っている自分にヨシと思いながら、
ショーウインドウに映った「魔女の宅急便のオソノさん」にそっくりな髪型の自分に満足して、
夕暮れの青山の雑踏に消えた。
どんな時に髪を切りますか?
我輩は、定期的に美容院に行くわけではなく、
自分自身が停滞していて、
「いっちょ、変わるか!」っていうタイミングに行くのである。
ベタだけど、失恋した時、
仕事がうまく行かない時、
人間関係に行き詰った時、
にっちもさっちもいかない時。
ほら穴の底に突き落とされた時。
美容室で髪を切られている間、鏡を見つめて「よしっ」と決意をする。
昨日は、「ザ・母になる儀式」というタイトルで美容院へ。
母になることは、とても嬉しくて楽しみなことなんだけども、
妊娠10ヶ月の今になっても全然実感が湧いてこない。
ほんとに母になれるのかな~?!大丈夫なのかな~?!!!
っていうか、ぽよ太郎ってホントに生きてるのか?!
胎動をバリバリ感じるのにそんなこと思ったりもする。
先日の日曜日。
バイクのレースの手伝いに行っていたオットが、
友人の車に乗せてもらって帰宅。
その友人(夫婦共々仲良くしてもらっているので)夫婦に久しぶりにあったのだが、
「うわぁ!こないだまで「みえりちゃん」って感じだったのに、
肝ったま母ちゃんって感じになったねぇ。
ママっていうよりも、母ちゃんって感じ!」という感想を言われた。
ショック。
ショックだったのだ。
ママという柄じゃないので、子どもには母ちゃんと言わせようと思っているが、
魔女の宅急便のオソノさんみたいな肝っ玉母ちゃんにものすごく憧れているが、
やっぱりまだ、我輩ってば「おね~さん」でいたかったことが、
その時初めてわかった。
まだまだ若くてカワイイオンナノコでいた~い!!!
もう若くないのに、女心だけは健在。
いや、一生健在させるつもりだけども、女心。
そんな気持ちを思い知り、
でも出産前に潔く「母ちゃん」になる儀式をしておいた方がいいのかもしれない。
そんなことを、ふと思う。
後から「こんなんじゃなかった」と泣く前に。
独身時代から通っている青山の美容院へ行き、母になる儀式をしよう。
もう遠出するなと言われているのに、片道2時間近くかけて妊婦決別の旅を昨日決行。
髪を切られている間、鏡の前の自分に唱えてきた。
「ファンキーな母ちゃんになる」と。
ファンキーな母ちゃんとは、
母としての我輩を人と比べず、子どもも他人の子と比べず、
自分の尺度をもって子育てする。
我輩にとって、そんな定義。
我輩を育てた祖母も母も世間体をものすごく気にするタイプ。
高い学歴、いい会社、いいものを身につけること、
結婚が女の幸せということを一番だと思っている。
お陰でデパートで買ってもらった服しか着たことないし、
門限もしつけも厳しくお嬢様育ちな我輩なのであるが、
いつも、いつも、祖母や母の価値観を突き破りたくて、
お嬢様育ちな自分を外では隠して生きてきたのだ。
「あたしの人生はあたしが決める」それが、これまでの人生の合言葉。
祖母も母も私のことを思っていてくれるのは、よくわかる。
感謝しなければいけないとも頭ではわかっている。
しかし、我輩は祖母と母の価値観がどうしても子どもの頃から理解できず、
違和感を感じる毎日を過ごしていた。
幸せって、「人からどう幸せに見えるか」じゃないだろう。
それを追いもとめて、我家は幸せな家庭じゃなかった。
祖母も母も全然幸せそうじゃなかった。
いつもヒステリーでイライラしてて。
子どもがどう感じているかということより、
自分の価値観を押し付けていることが大事。
家族団らんだなんて、サザエさん家しかないって思ってた我輩。
うすっぺらな家族はもう嫌だ。
「ファンキーな母ちゃんになる!」
それは、もう家族ごっこを繰り返さないために、
ホンモノの家族を築く覚悟でもあった。
大げさだけれども、信頼する美容師に髪を切られながら、
何度も心の中で唱えた。
オットと子どもの気持ちを見失わないように。
オットと子どもにとって居心地のよい家でありますように。
そして、サヨナラ。オンナノコの自分。
たぶんしばらく青山の美容院に行くことはないだろう。
帰りに青山のキルフェボンで桃とチーズのタルトを買いつつ、
サミシイよりも、
ウキウキが先立っている自分にヨシと思いながら、
ショーウインドウに映った「魔女の宅急便のオソノさん」にそっくりな髪型の自分に満足して、
夕暮れの青山の雑踏に消えた。