オフィス・ヤハのトホホな日々

エホバの証人の一プログラマが聖書研究と自転車の趣味等を徒然なるままに

2010/12/12(日)塔研究、2010/10/15号,p8,5節

2010年12月12日 | 聖書

        自分を義とすることの危険

 5   使徒パウロは,ローマのクリスチャンたちへの手紙の中で,神の義を首尾よく第一に求めてゆこうとする人すべてが避けるべき,ある危険を強調しました。パウロは同胞のユダヤ人について,こう述べています。『わたしは,彼らが神に対する熱心さを抱いていることを証しします。しかし,それは正確な知識にるものではありません。彼らは神の義を知らないで,自分たち自身の義を確立しようと努めたために,神の義に服さなかったからです』。(ローマ10:2,3)パウロによれば,それら崇拝者たちは,自分たち自身の義を確立しようと躍起になっていたため,神の義を理解することができなかったのです。*

*ある学者によれば,「確立する」と訳されている元のギリシャ語には,「記念碑を立てる」という意味もあります。ゆえに,それらユダヤ人たちは事実上,神ではなく自分たち自身を賛美するために比喩的な記念碑を立てていた,と言えます。**

**http://bible.cc/romans/10-3.htm

    Vincent's Word Studies / God's righteousness

To establish (στησαι)

Or set up, indicating their pride in their endeavor. They would erect a righteousness of their own as a monument to their own glory and not to God's.

    ビンセントの、み言葉研究 / 神の義

   ローマ10:3の「確立する」(ギ語.ステイサイ)の部分は、次のようにも訳せる。

    「自分たちが努力していることを誇らしく掲げた。彼らは、神の栄光ではなく、自分たち自身の栄光を象徴する記念碑として、自分たち自身の義を立てようとした」。

 

結論 : 記念碑を建てたことが記録されている聖書中の人物は、サウルとアブサロムだったということを思い起こそう。何事も誇ってはあかん。すべてはエホバのおかげと感謝すべし。不公正な扱いを受けていると感じているなら、ヨブ記を読め、(は、ちと乱暴か?)。ということで、これにて一件落着。 (今日は、朝から低血糖ぎみで、集会中はトイレに駆け込みだし・・・)