2011年8月に、CBNニュースで、“The lost shipwreck of Paul”(失われた使徒パウロの難破船)という新しいDVDが取り上げられていました。
現在、私たちも「徹底的な証し」の聖書研究で、使徒たちの活動の最後の2章を学んでいる訳ですが、ルカが記録した“マルタ”または、“マリタ”の候補地としての、地中海の「マルタ島」の決定的な証拠がないらしいのです。
マルタ島の大まかな位置は、下の概念図で理解できると思います。

マルタ島の大きさは、大ざっぱに言えば、淡路島より一回り小さいということです。
マルタ島民自身は、自分たちの島がパウロの難船地であることを既成事実として信じて疑っていないようで、「セント・ポール湾」や「セント・ポール島」という実際の地名が存在しています。(下の図に示しました。)

ところが、地元の地中海の嵐の専門家によると、ルカが記録した四つの条件、(!)深さが15ひろ(90フィート)(使徒27:28)、(2)浜辺のある湾(使徒27:39)、(3)どの側も海に洗われる浅瀬(つまり、二つの潮流が合流する場所)(使徒27:41)、(4)その島が「マルタ」または「メリタ」という島であること(使徒28:1)を満たす場所は、わずかしかなく、少なくとも一つの場所がこれに該当するということでした。それが、「セント・ポール湾」とは別方角の「セント・トーマス湾」の砂洲“Muxnar reef”でした。
下の写真が、セント・トーマス湾の衛星画像ですが、太い白線で示した部分が、地元の老人が指摘した、最も危険な浅瀬の“Muxnar reef”てす。水夫たちは、この浅瀬の北側を通ってセント・トーマス湾の中に入ろうとしたのでしょうが、自然条件がそれを許さなかったようです。


上の写真は、Google mapに投稿された地元の写真家の“Muxnar hill”です。画面の岬の延長線上に砂洲が伸びています。ここで、エジプトの穀物船は、地中海の冬の低気圧嵐に打ち砕かれた!
実は、1960年代初めに、ここで地元の老人ダイバー漁師が、錨を発見していたのでした。それで、このDVDの発行者である、カリフォルニアの退職警官が金属探知機を使って捜索したところ、実に10年ぶりに悲願の錨を発見したのでした。推定年代は、約2000年前!
この4本の錨は、マルタ島の博物館に展示されているとのことです。
やっぱり、マルタ島で間違いなかったワン
でも、みんな聖書を良く読んでなかったニャー
現在、私たちも「徹底的な証し」の聖書研究で、使徒たちの活動の最後の2章を学んでいる訳ですが、ルカが記録した“マルタ”または、“マリタ”の候補地としての、地中海の「マルタ島」の決定的な証拠がないらしいのです。
マルタ島の大まかな位置は、下の概念図で理解できると思います。

マルタ島の大きさは、大ざっぱに言えば、淡路島より一回り小さいということです。
マルタ島民自身は、自分たちの島がパウロの難船地であることを既成事実として信じて疑っていないようで、「セント・ポール湾」や「セント・ポール島」という実際の地名が存在しています。(下の図に示しました。)

ところが、地元の地中海の嵐の専門家によると、ルカが記録した四つの条件、(!)深さが15ひろ(90フィート)(使徒27:28)、(2)浜辺のある湾(使徒27:39)、(3)どの側も海に洗われる浅瀬(つまり、二つの潮流が合流する場所)(使徒27:41)、(4)その島が「マルタ」または「メリタ」という島であること(使徒28:1)を満たす場所は、わずかしかなく、少なくとも一つの場所がこれに該当するということでした。それが、「セント・ポール湾」とは別方角の「セント・トーマス湾」の砂洲“Muxnar reef”でした。
下の写真が、セント・トーマス湾の衛星画像ですが、太い白線で示した部分が、地元の老人が指摘した、最も危険な浅瀬の“Muxnar reef”てす。水夫たちは、この浅瀬の北側を通ってセント・トーマス湾の中に入ろうとしたのでしょうが、自然条件がそれを許さなかったようです。


上の写真は、Google mapに投稿された地元の写真家の“Muxnar hill”です。画面の岬の延長線上に砂洲が伸びています。ここで、エジプトの穀物船は、地中海の冬の低気圧嵐に打ち砕かれた!
実は、1960年代初めに、ここで地元の老人ダイバー漁師が、錨を発見していたのでした。それで、このDVDの発行者である、カリフォルニアの退職警官が金属探知機を使って捜索したところ、実に10年ぶりに悲願の錨を発見したのでした。推定年代は、約2000年前!
この4本の錨は、マルタ島の博物館に展示されているとのことです。
やっぱり、マルタ島で間違いなかったワン

でも、みんな聖書を良く読んでなかったニャー
