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オフィス・ヤハのトホホな日々

エホバの証人の一プログラマが聖書研究と自転車の趣味等を徒然なるままに

The Watchtower December 15, 2010

2011年02月04日 | 聖書
Be Zealous for True Worship (January 31—February 6)
真の崇拝に熱心でありなさい



Page 8, paragraph 8

「新世界訳聖書」(New World Translation of the Holy Scriptures)
Psalms 69:9 "For sheer zeal for your house has eaten me up,
        And the very reproaches of those reproaching you
          have fallen upon me".

     「あなたの家に対する全き熱心がわたしを食い尽くし,
       あなたをそしっている者たちのそのそしりが
                 わたしに降り懸かりました」。

Page 9, paragraph 9

「今日の英語訳」(Good News Bible (Today's English Version))
Psalms 69:9 "My devotion for your Temple
         burns in me like a fire;
        the insults which are hurled at you fall on me".

      「神よ、あなたの家に対するわたしの専心の思いが
           わたしの内で火のように燃えています。
         あなたに浴びせられた侮辱が、
                   わたしに降り懸かります」。




2010/12/12(日)塔研究、2010/10/15号,p8,5節

2010年12月12日 | 聖書

        自分を義とすることの危険

 5   使徒パウロは,ローマのクリスチャンたちへの手紙の中で,神の義を首尾よく第一に求めてゆこうとする人すべてが避けるべき,ある危険を強調しました。パウロは同胞のユダヤ人について,こう述べています。『わたしは,彼らが神に対する熱心さを抱いていることを証しします。しかし,それは正確な知識にるものではありません。彼らは神の義を知らないで,自分たち自身の義を確立しようと努めたために,神の義に服さなかったからです』。(ローマ10:2,3)パウロによれば,それら崇拝者たちは,自分たち自身の義を確立しようと躍起になっていたため,神の義を理解することができなかったのです。*

*ある学者によれば,「確立する」と訳されている元のギリシャ語には,「記念碑を立てる」という意味もあります。ゆえに,それらユダヤ人たちは事実上,神ではなく自分たち自身を賛美するために比喩的な記念碑を立てていた,と言えます。**

**http://bible.cc/romans/10-3.htm

    Vincent's Word Studies / God's righteousness

To establish (στησαι)

Or set up, indicating their pride in their endeavor. They would erect a righteousness of their own as a monument to their own glory and not to God's.

    ビンセントの、み言葉研究 / 神の義

   ローマ10:3の「確立する」(ギ語.ステイサイ)の部分は、次のようにも訳せる。

    「自分たちが努力していることを誇らしく掲げた。彼らは、神の栄光ではなく、自分たち自身の栄光を象徴する記念碑として、自分たち自身の義を立てようとした」。

 

結論 : 記念碑を建てたことが記録されている聖書中の人物は、サウルとアブサロムだったということを思い起こそう。何事も誇ってはあかん。すべてはエホバのおかげと感謝すべし。不公正な扱いを受けていると感じているなら、ヨブ記を読め、(は、ちと乱暴か?)。ということで、これにて一件落着。 (今日は、朝から低血糖ぎみで、集会中はトイレに駆け込みだし・・・)

 

    


最後の仕上げに

2010年10月23日 | 聖書
    今朝のNHK放送、「今日は何の日?」を何気なく寝床で聞いていました。1996年の10月23日は、カトリックの教皇(ヨハネ・パウロ二世?)が、聖書の創造論を捨てて、人間が進化によって生じたという学説を認める旨の公式見解を表明した日なのだとか。

    あらあら。聖書を心から信じたいと願っている誠実なクリスャンに何という失望を与えることをしてくれたのでしょうか。特に、カトリックというのは、何事も真剣に取り組みたいと願っている信者が多いという印象を与えているキリスト教会ですのに。

    スーパーカーの本場もイタリアではありませんでしたか。フェラーリの芸術的とも言える制作に取り組む真摯な姿勢は、多くの人の心を打つのではありませんでしたか。ロードバイクにしても然り。コルナゴ・ピナレロ・デローザ・ウィリエールなどのイタリア、ルック・タイムなどのフランス、オルベアなどのスペイン。いずれもカトリック国のブランドだと思うのですが、究極の製品造りに並々ならぬ情熱を注ぎ込んでいることでは、だれも否定はしないと思います。

    現代科学全体が生物進化論という、当のダーウィンすら単なる憶測に過ぎないと認めている大した理論的基盤の無い、仮説に呑みこまれてしまっている現実に、聖書の絶対性を擁護すべき急先鋒が白旗を振っているのでは何をか言わんやです。

    チンパンジーと人間の遺伝子がわずか三つしか違わないとしても、その生物種の壁を乗り越えることは、何十億年の時間をもってしても事実上、確率ゼロでは? どんな原始的な単細胞生命体でも、細胞膜の驚嘆すべきフィルター機能だけに注目したとしてもあまりのすばらしさに言葉を失うのでは?(全能の神エホバが「これは私が造ったのだ」と私たちに訴え掛けておられると受け取れないだろうか?)。

    最後の仕上げに、カトリックは、2007年か2008年に、創世記 22章14節からまでもキリストの父なる神ヤーウェのみ名を削除するというご丁寧な(爆)ことまでしていました。



DNA解明などの天才たちの業績も、
驚嘆すべき神の業に結び付けられなければ何の益になるのか










ええっ、本当に?!

2010年10月08日 | 聖書
    いやはや、この話が本当ならば、まさに夢を見ているような思いです。

    下の写真だけで、すぐに名前が浮かぶ方も少なくないのではないでしょうか。

    まずこちら。



    1980年代の世界のミュージックシーンを引っ張っていた、PRINCE。個人的には、変態っぽいところが好みでなくて、アルバムは一枚も買っていませんでしたが、この話を聞いてすぐにYOU TUBEでPurple Rainをチェックしてみました。なるほど、史上最も過小評価されているギタリストNo.1に選ばれたというだけあって、なかなかいい音でおいしいフレーズを弾きまくっていました。聴きたい方はこちら


    そして、こちらも負けず劣らずのビッグネーム。



    ジャズギターをやっていて、この人を知らなければもぐりですね。日本人にも人気のギタリスト・ポーカリストです。ブリージン、マスカレードなどなど、大ヒット曲も沢山の、George Benson。

    この人も、先ほどYOU TUBEでチェックしてみましたが、ナベサダさんやアール・クルーさんたちとの共演も楽しめました。これまた、おいしいフレーズ満載で、流動工学研究所勤務時代の音楽同好会の頃に戻って、再びエレクトリックギターを抱えたくなってきました。

    で、これがどうしたって? で、この人たちがJWになってるんですって。実際に野外奉仕もしているとか。鵜呑みにはしないとしても、これが本当の話なら、ニャハハです。

    情報源は、こちら。適応状況はちょっと違いますが、次の聖句がすぐに浮かびました。

   「エホバがシオンの捕らわれ人を連れ戻されたとき,
      わたしたちは夢を見ている者のようになった。
    その時,わたしたちの口は笑いで,
      わたしたちの舌は歓呼で満たされるようになった」。    
                    (詩編 126:1,2)。







    

ヨセフの坑

2010年09月11日 | 聖書
    明日の「ものみの塔」研究記事では、ヤコブの息子ヨセフの試練から学ぶことができます。ヨセフが異母兄弟たちに投げ込まれた「坑」とは、自然の窪地ではなく、人工的な井戸の穴のようです。

    シェケムから移動してきたドタンで兄たちを見つけたということであれば、多分このような所ではなかったでしょうか。



    この写真は、テル・ドタンの南斜面の坑です。別の資料によれば、もっと平地に掘られた普通の井戸を「ヨセフの井戸」とクレジットしていました。いずれにしても、こうしたドタンのテルの周辺のなだらかな谷間の草原で、ヤコブの息子たちは羊を飼っていたのでしょうね。

    過去のものみの塔の資料では、ヨセフの際立った辛抱強さを、見倣うべき模範として読者に注意を喚起していました。今回も同様です。辛い試練を耐えた人物は数多く記録されていますが、ヨセフ程の不当な扱いを受けた人はそうは思い浮かびません。

    それもそのはずで、ヨセフはキリストの試練を予型的に示していたのですから。なぜ、ヨセフが忍耐できたのでしょうか。今回分析してみたのは、ここに至る経過とヨセフの置かれていた状況です。

    (1)ヨセフの誕生
     レアがルベン、シメオン、レビ、ユダを産む。ラケルの奴隷女ビルハが、ダン、ナフタリを産む。レアの奴隷女ジルパが、ガド、アシェルを産む。レアがイッサカル、ゼブルンを産む。レアが娘ディナを産む。ラケルがヨセフを産む。ヤコブ晩年の子ゆえ、ヨセフは寵愛される。
    (2)ディナ事件
     シェケムで、ディナ事件が起こり、シメオンとレビを始めとするディナの兄たちが虐殺・強奪を働く。ベテルに移動。
    (3)ベニヤミンの誕生とラケルの死
     ベテルからベツレヘムへの移動中に、ラケルはベニヤミンを産み、死ぬ。
    (4)ルベン事件
     レアの長子ルベンは、ヤコブのそばめビルハと寝て父の寝床を汚す。
    (5)ヨセフ十七歳
     父ヤコブはヨセフの敬虔な特質ゆえにもヨセフを寵愛し、長男に与えられるしま柄の長い衣をヨセフに与える。異母兄たちは妬む。
    (6)ヨセフの夢
     ヨセフは、父・母・兄弟たちが自分に仕える夢を見たことを報告して、一層異母兄弟たちに妬まれる。
    (7)ドタン事件
     ヨセフは父の指示で、ヘブロンからドタンにいる兄たちに遣わされる。そこで、エジプトに奴隷として売られる。
    (8)ヨセフの成功
     ヨセフはファラオの護衛の長ポテパルの家で、勤勉・有能ゆえ家の監督者とされる祝福を受ける。
    (9)ポテパルの妻事件
     誘惑を退けた故に、獄屋に。


以上の状況からすれば、ドタンで兄たちに捕まってエジプトに売られた時点では、ヨセフは父ヤコブから実質的な長子扱いされており、事実、異母兄弟たちの悪い性向はそれを裏付けていましたから、アブラハム契約の相続人として既に自覚していたことでしょう。(後に、ヤコブの臨終の預言ではっきりとしました。)

    しかも、ヨセフが見た二つの夢は、聡明なヨセフにエホバからの特別の何かがあることを確信させたに違いありません。それが証拠に、エジプトに売られても、すぐに祝福されて苦々しい恨みを抱く暇もない日々となりました。



    ポテパルの妻による冤罪も、少し時間が経過しましたが、やはりエホバからの祝福でファラオの夢の解き明かしという特権に与り、ファラオに次ぐ支配者に任命されるという夢のようなことが起きました。

    この時点で、ヨセフの予感はまさに劇的に現実となりました。もう、何もうらむことはなくなりました。まぎれもないエホバからの祝福であることが明らかになったのです。

    イエス・キリストの場合もそうですが、極限の苦難という試練にぎりぎりで耐えられるのは、やはり単なる辛抱・忍耐ではなく、その先に見えているとてつもない報いがあるという希望が支えとなっていたということでした。

    それと、ヨセフは、自分の父祖たちのこともよく観察し、黙想していたことは明らかです。直接の父親のヤコブも、エサウに憎まれて20年間の苦難を余儀なくされました。それでも、父がエホバにどのように導かれ祝福されたかの結末を見ていたわけですから、自分も同じような試練を予期しそれに備えていたに違いありません。

    祖父たちのアブラハムも然り、イサクもリベカと結婚して20年間子供ができませんでしたから、やはり試されました。しかもエサウのカナン人の妻に苦しめられました。敬虔な信仰の人が経なければならない忍耐の過程をヨセフは知っていたのでした。