茶の実紋
(ちゃのみもん)
橘紋からの転化とされる
茶はツバキ科の常緑低木。
中国南東部の山地や、チベットと高原の高知が原産地。
枝は細かく分かれ、葉は互生し革質であるがあまり厚くはない。
濃緑色で光沢があり、先のとがった長楕円形で、鋸葉を持つ。
茶の実紋は橘紋に似ているが、
実の背後の三つ葉や実の頂点の小点がない。
種類も橘紋とほとんど同じで、
果実の数によって分類される。
一つ茶の実、向こう茶の実、浮線茶の実など一果のもの。
対(むか)い茶の実、違い茶の実、割り茶の実の二果。
三つ盛り茶の実、三つ寄せ茶の実、などは三果。
また、輪違いは四果で、五つ茶の実まである。
これは茶道数奇者の用いた紋か。
藤原氏系の良文流の堀江氏、秀郷流の松村、赤堀氏、
支流の室田、鵜飼、太田、米野、他、菅原氏流の土田氏、
伴氏流の伴氏、新田流の村上氏。
石持ち地抜き茶の実 違い茶の実
丸に茶の実
片折れ茶の実 三つ茶の実 三つ葉茶の実
いつもお世話になっている↑↑家紋ワールドさんです。
ありがとうございます。
茶は周代(紀元前1122~771)のころ
すでに用いられていたといわれ、
魏(ぎ)・晋(しん)の時代に煎茶が盛んだったと伝える。
唐代に入って※〔磚茶(たんちゃ)〈団茶〉〕ができ、
(※磚茶と団茶は違うようなので参考にリンクしてます。)
今日の緑茶の形は宋代、紅茶は明代に始まったという。
日本に茶が渡来するのは、
奈良期の聖武天皇のころ中国からだといい、
平安初期に最澄が唐から茶の種子を持ち帰った
のが栽培のはじまりと伝えている。
茶道が最も盛んとなったのは15~16世紀。
茶道とは茶の湯の道のことで
数寄道(すきどう)とも呼んだ。
古くは寺院で茶湯(さとう)と称したのを、
一般俗家では茶の湯と呼んだのに始まる。
数寄とは茶ずきの略。
「茶の実」の写真→ここ
『日本家紋総覧コンパクト版』:編集 能坂利雄