橘紋
(たちばなもん)
絵画的に描かれた“カラタチ”の花
カラタチは「唐(から)のタチバナ」に由来する
常緑低木。五月ごろ、白い小さな5弁花が咲く。
橘はもちろん橘氏一族の家紋。
奈良朝のころ元明天皇(女帝)は、ことのほか橘を好まれ、
お気に入りの女官“三千代”に橘の呼び名を与えられた。
その三千代の子が橘諸兄(たちばなもろえ)で、
母の愛称を記念して橘姓をたてた。
橘が次第に衰えて、公家から姿を消してゆくが、
江戸期になると、
井伊、久世・黒田・島原・松平などが用い九十余家に及ぶ。
『見聞諸家紋』・・・薬師寺・小寺が初見とされる。
日蓮宗が橘の紋を用いるのは、
井伊家との氏族関係によった。
三つ葉裏橘 向こう橘
丸に橘 日蓮宗橘(井筒に橘)
三つ割り橘 丸に三つ足橘 対かい橘
いつもお世話になっている↑↑家紋ワールドさんです。
ありがとうございます。
『紀』によれば、垂仁天皇の九十年に
田道間守(たじまもり)を常世の国に遣わし、
世にも珍しい美果「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」を求めさせた。
「いま橘といふはこれなり」と記されている。
常世は常夜(=死の国とよく間違われる)ではなく、
『雄略記』二十二年の条には、「蓬莱山」の傍訓にトコヨノクニと
あり、トコは床の意味で安定長久、永久不変などを指しヨは世。
つまり、常住不変の国の意味。
神仏思想と結びついて、長生不死の国と解されている。
時を定めず四時実る果物、それは正に不老不死の果物。
という地方豪族たちの説話があり、
実際には幾度か天皇に献上されたと想像される。
後に、朝廷の庭にタチバナが移植される動機となった。
(橘は古代名で、現在のカラタチの花のこと)
奈良時代には好んで庭に植えられ、京都御所の紫宸殿には
『日本家紋総覧コンパクト版』:参照
『見る 知る 楽しむ「家紋」の辞典』真藤建志朗:著