さあ~てと 帯しめましょか。

人生、山あり谷あり
向かうはわが身の置き場所よ。
帯締め、気を染め、往きましょか・・・  ~part 2~   

家紋 11 ≪桐紋≫

2011年04月28日 09時28分00秒 | 家紋

 

桐紋 
(きりもん)

  

朝廷から下賜された名紋

 

images           images         images 

五七の桐       中輪に五三の桐       五七の桐に笹

 

images                 images   

桐車             五三鬼桐 

 

五三の桐 は ≪家紋4≫で呉服屋さんの陰謀かも知れないという

記事を書いたが、桐自体を書いていないようなので補足しておこう。

 

家紋の由来  

 リンク(主な使用家)

HP:KAMON WORLD様より~
いつもお世話になりありがとうございます。

 

 

皇室の副紋とされる桐紋は格式の高い紋章

後醍醐天皇足利尊氏に下賜された史実は、

朝廷の
御紋章として鎌倉末期に確立していた証拠でもある。 

尊氏は、拝領したこの桐紋を、一門の吉良細川新田

今川、山名、一色、斯波、畠山 
 などの諸氏に分け与えた。 

 豊臣秀吉も同様に、下賜された桐紋を多くの将士に与え、

いに普及させた。が、菊に継いで最も名誉ある紋章は、

武将の憧れの的であった。地方豪族の中には、いろいろな

理由をでっち上げて、この紋を使った者もあった。

 

〔『応仁後記 』には大河内備前守が遠江と三河の武士を集め、

菊一揆と称し十六葉の菊を用いたとある。これは皇室から下賜 

されたものではなかった。こうした不逞のやからが増え出すと

 あわてた皇室では、禁令をただちに発布した。天正十九年、

『多門院日記』 6月7日の記述には 、菊や桐の紋はつけては

いけないと、 奈良じゅうに御触れ書きが出た、とある。〕

 これが天正十九年の「菊桐禁止令」である。

ついに秀吉も”禁令”を発して、その無断使用を厳禁した。

*****************************************************

文禄三年(1594年)八月三日
『豊臣氏大老連署掟(おきて)追加』

 一、衣裳紋御赦免以外、菊・桐つけるべからず、御服拝領者
 においては、その御服所持の間は、これを着るべし、
染替、別の衣裳に御紋を付けるべからずの事、

 
この掟によると、限られた人々の衣裳の紋所には菊花紋と桐紋を
特に許可され、免許された特殊の人々以外は一切の使用禁止。
特許を蒙った本人のみで、当然、その家族・一族には及ばない。
また免許にも厳しい制約が設けられていて、「御服拝領者」とは
紋付の御服であるから、拝領の一着限りということになる。
免許は生涯着用の資格までには至っていないのである。

この法令は、菊花紋取締りに仮托した豊臣家の太閤桐を擁護
することによる太閤秀吉の権威の確立政策の一環であった。

*****************************************************

豊臣家滅亡後も

桐紋は天下の大紋として栄え、現在でもベスト5 に入る。

 

また、秀吉の養子となった結城秀康(家康の次男)系

越前家一門は、姓は松平氏であっても葵を用いず、桐紋を使用し、

豊臣朝臣(とよとみのあそん)”のシンボルを受け継いでいる。

桐紋は、花の数によって ”五三の桐” ”五七の桐” に分類する。

桐はゴマノハグサ科の落葉高木、スミレ色の花は下むきに咲く。

中国の伝説では鳳凰の住む聖樹 とされている。

 

 

「見る知る楽しむ 家紋の辞典」 真藤 建志郎著より

2008-07-06 20:40:20 記.

 

〔 〕内を追記致しました。ーー「家紋総攬図鑑」よりーー
2008-07-26 18:07:00 追記
 

******** から********までを追記致しました。
「日本紋章総覧」(歴史読本歴史百科シリーズ臨時増刊'74-12)より

 

 

 

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20 コメント

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仏壇の文様 (忠太)
2008-07-06 22:13:35
我が家の仏壇に五三の桐が刻まれています。輪がないので、鬼五三の桐ですかね。

坊さんが「お宅さんとこは、下がり藤ではなかったですか?」と尋ねられたので、覚えています。

・・・仏壇の紋が家紋と違うのはどうして?

いまだ解けない謎です。
返信する
はじめまして (rikkym)
2008-07-07 01:22:03
桐紋気になっていたので、良かった。

うんすっきり!!!
返信する
きりもん (影虎)
2008-07-07 08:47:44
書いて下さったんですね、有難う御座います。

ウチは中輪に五三の桐。
俺の誕生月の12月も花札では桐!
なにかと桐には縁があるみたいです。(笑)

祖父方が桐紋なんですよ。
ガキの頃に聞いた話だと祖父方の出身は近畿か北陸って事でしたがうろ覚えです。

祖母方は三つ柏で寺社仏閣関係って聞いてます。
苗字にも『寺』の文字が入ってます。
返信する
忠太さん、訂正しました。 (obichan)
2008-07-07 11:52:14
ありがとうございます。

ごめんなさい、訂正に気付きました。
「鬼五三の桐」→「五三の鬼桐」
「車桐」→「桐車」

鬼桐と桐は葉先が少し違います。
「中輪に五三の桐」の中輪をとったもの「五三の桐」もあります。

【仏壇に刻まれた紋と家紋の違いについて】
 
 昔からあるものなら、戦国大名のように桐紋を下賜されたことが考えられます。
 やはり偉いお方から頂いたものならお家にとっては勲章で、後世まで語り継がれたいものでしょう!

「下がり藤」は御当家の紋なのでしょう。
自分を示す紋としては当然こちらを使われるはずです。
返信する
rikkymさんへ♪ (obichan)
2008-07-07 12:11:26
はじめまして。コメントありがとうございます。

五七の桐紋入り5万円の万年筆、私なら
とてももったいなくて使えそうもないですが・・
すっきりして頂いて良かったです。

家紋ちょっと、面白くなってきましたので、
どんどん勉強していきたいと思っています。

またお越し下さいね♪
返信する
影虎さんへ♪ (obichan)
2008-07-07 13:02:00
いらっしゃいませ~♪
こちらこそありがとうございます。

あらっ、うちにも12月生まれ2人いるんですよ。
花札の桐はキリリとしてて、格好良いですよね。

御祖父方は、もしかしたら秀吉ゆかりのお武家様?
墨俣城・木下藤吉郎、一夜にして城を築く、な~んてのもありましたね。
なんか、いにしえの物語など浮かんできそうです。
いえ、歌詞は残念ながら浮かびませんが・・・

>祖母方は三つ柏で寺社仏閣関係って聞いてます。
>苗字にも『寺』の文字が入ってます。

あらら・・また宿題ですね。
次は、「柏」・・・わかりました。
ではでは、ゆっくりとお待ちくださいませ~♪
返信する
お仏壇 (来仁)
2008-07-07 14:56:24
家紋は仏壇にも記されるものなのですね。
(恥ずかしながら、知りませんでした・・・。)

長崎の実家に帰ったら、
探してこようと思います。
返信する
御祖父方は (影虎)
2008-07-07 17:48:10
>。。。お武家様?
そんな大そうなモンじゃ無いと思いますよ。(笑)

俺んちの苗字はウチと祖父方の本家と、市内に2件しか無く、たぶん県内でも極少数だと思いますので、よそ者だって事は分かるんですけどね!

自分の結婚式の時とか、身内が亡くなった時に、家紋について少々調べた事がありまして。。。
紋付とか作るじゃないですか!

家紋についての書籍も買ったりしました。
どっかに仕舞ってあるはずなんですが。^^;;
返信する
来仁さんへ♪ (obichan)
2008-07-07 19:00:42
ありがとうございます。

家紋は仏壇にも入れられますが、入れていないのもあります。
大きなりっぱなものなら大体は入れてあると思います。
うちのはマンション用の小さいものなので入れてません。
お祭りなんかで提灯出されるところなどは、面白いかもしれませんね。
返信する
影虎さんへ♪ (obichan)
2008-07-07 19:11:06
再びのご訪問ありがとうございます。

”県内でも極少数”ならば家紋の方でお名前を調べるというよりは、
姓名で調べた方が、大変面白いかもしれませんね♪
土地・行事・生活面などからつけられることありますでしょう!
返信する

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