【羽生(はにゅう・はぶ)】
ハニュウは「埴生」、ハブは「埴生」「土生」とも書き、二通りに読む。
ハ二ュウ(ハ二ウ)が古く、略されてハブになった。
もともとは埴生(はにう)で、埴(はに)は土のこと。生(ふ)は“ある”
ところぐらいの意。土のあるところとはどんなところか。耕すに良い土
のあるところで石ころや、砂などのない土地。
この土(埴)を元にして、器を作ったり人形を焼いたりする人が
植師(はにし)で、土師(はじ)とも書く。この姓もある。
昔でいう埴輪(はにわ)を焼く人たちの子孫で、殉死を禁止して、
埴輪で間に合わせたという野見宿禰(のみのすくね)の子孫だ。
羽生さんの中にはこの系もある。
しかし、清和源氏で源頼光の子孫だと言っている人も多い。
≪ハ二ュウ≫
①下総国岡田郡羽生村(茨城県常総市羽生町)から起こった土豪羽生氏が室町期に羽生城、横曽根城(常総市横曽根)に蟠踞したが、戦国時代に断絶。
②清和源氏広田流が、 戦国初期に武蔵国埼玉郡羽生(埼玉県羽生市)を領して羽生氏を呼称。忍城の成田氏にほろぼされた。
③中臣氏庶流が、常陸国南郡羽生(茨城県行方市羽生)を領して、羽生氏を呼称。鎌倉初期から江戸末期まで鹿島神社の大祢宜。
④土佐にも羽生氏があった。
≪ハブ≫
①桓武平氏上総常澄の子常益が、下総国埴生郡羽生荘(成田市の西北部)を領して埴生氏を呼称。
②越智系河野流遠藤親家の子親遠が伊予国温泉郡埴生郷(松山市埴生)を領して、埴生氏を呼称。
③桓武平氏北条時治が、南北朝期に和泉国土生郷(大阪府岸和田市土生町)を領して、土生氏を呼称して、南朝に加担、弘治年間(1555‐7)に末裔が安芸に移住。
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『姓氏・家系・家紋の調べ方』丹羽基二著
『日本家系・系図大辞典』奥富敬之著