お寺の床下から見つかった、戦争賛美の資料。
「仏教が賛美した戦争。」
「天皇がなされる戦争は聖戦である。」
そういう思考のもとに、仏教でさえ教えとは違う道を
進まなければならなかった時代。
今をになう住職さんや僧侶たちは
「まさか、うちの寺が・・・」
と、教えられてきたことと、正反対のことをしている史実に、
悲観的でショックだったようだ。・・・しかし、
そんな先祖たちを責めるのは、あまりにも酷というものだと思う。
自分がひとり反対の言葉を口にするだけで、周りにも迷惑がかかる。
何より捕まって殺されるか、家宅捜索され全ての資料が焼かれて
しまうかも。いや、殺されないにしても獄中で辛い思いをしながら
なにもできず、病気で死ぬかも知れない、そういう時代だったのだ。
私はむしろ、この資料を大事に隠し持っていたことに誇りを持つ
べきだと思う。
今、この資料を考える勉強会をしてらっしゃるとのこと。
だんだん、戦争を知らない人たちが増えて風化されることのない
ように続けられるよう、願いたいものである。
これは、この間TVで言っていたのを聞いたのだったかな。
あ、そうそう、「最後の赤紙配達人」って10日のTVドラマでやって
いたときに聞いた。眠くて、最後まで見れなかったが。。。
戦時中、兵士の世話役ともいえる兵事係の西邑仁兵氏が残した、
64年目にして見つかった本物の赤紙!
を押し入れに軍からの命令(=全て焼き尽くせ)を背いてまで
隠し持っていたこと。
この人は、本当の心ある人、戦争に反対する人だと思う。
軍や政府が隠そうとしたものを未来の子孫たちのために、
こんなことは二度とあってはならないと、
日本国の平和のために残してくれたのだと思う。
人による言い伝えは限りがあるが、いつかは、事実史上に
あった資料を無視することはできなくなる日がくるだろうと、
願って大切に保存していた。何よりも自分の罪滅ぼしを願うもの、
使命と感じたのかも知れないと思う。
64年の歳月を経て見つかった本物の召集令状と軍の書類!
戦争を風化しないためにも、
これは凄い日本の財産になるものでしょう!
64年目の終戦記念日に思うことでした。。。
【菅(かん・すが・すげ)】
東日本ではスガとかスゲとかいう。
中国、四国は多くカンと音読みにしている。
だから読み方で西日本の人か東日本の人かがわかる。
もちろん、スゲという湿地帯の茂生地から、地名苗字が発生した。
スゲ笠などにするあの植物で、昔は蓑などにも用い利用は多かった。
その生えているところが菅原(すがわら)で、この地名、苗字も多い。
ところで、菅はその菅原を略した場合がかなりある。
音でカンと読むのは、中国風に洒落てよんだのである。
「拙者、菅原道真の子孫で……」
などという人も多い。
しかし、中には須賀、洲賀などを一字にしたものもある。
この場合は洲処(すか)で、砂地を指す。
いずれにしても古代から続いた伝統をもつ名族だ。
(『姓氏・家系・家紋の調べ方』より)
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【丹下(たんげ)】
戦前、「丹下左膳」という小説が一世を風靡した。
片目片腕の剣士で、名優大河内伝次郎の扮する映画にもなって、
人気は絶頂に達した。が、もちろんつくりもの。
でも、丹下健三という現代建築の最先端をゆく人は実在する。
(国立代々木競技場)・大阪万博のお祭り広場等の設計者〕
この丹下という名称はかなり珍しいコトバ。
名称は河内国丹比(たじひ)郡、丹下郷(たじひしもさと)
《今の大阪府羽曳野市》の郷名から生まれた。
丹下は(たんげ)は音読みにしたのだが、そのもとのタジヒ
とは何か。これは、虎杖(いたどり)という植物の古名で、
今でいうスカンポという雑草。くきを煮て食べると腹の足しになる。
戦争中の食糧不足に食べた人は多い。
イタドリとは、「痛みをとる」という言葉に由来する。
古代は霊草として尊ばれ、傷口に当てて治療した。蝮(まむし)
が草に化けたものともいわれ、食べると超能力が生まれるという。
丹下左膳も丹下健三もやはり超能力者のような気がするが、
不思議な響きを持つ苗字ではある。
(『姓氏・家系・家紋の調べ方』より)
ちなみに、、「丹下左膳」の膳(かしわ)についても
goo友である忠太さんが御自身のブログのコメント欄にて
話題にして頂きました。興味ある方はご参考のほどを。。。
名優大河内伝次郎の動画(英字幕入り)もアップされています。
忠太さん、どうもありがとうございました。
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