みことば:「パウロは、自費で借りた家に、まる二年間住んだ。そして、彼のもとに訪れて来る者をことごとく迎え入れ、実に大胆に、また妨げられることもなく、神の王国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けたのである。」28章30–31節 岩波訳
2年間学んできた使徒行伝も、今回で終了となります。
イエス・キリストを救い主と信じる人々が集まり、祈りをささげていた時に聖霊がその一人ひとりに注がれ、初代の教会が誕生しました。なぜ救い主イエスを信じる者たちに神の霊、神の力が注がれ、教会が誕生したのかをこの2年間学んできましたが、その理由が本当にうまく、そして明確に使徒行伝の最後に記されているのではないかと思います。上記の箇所を今一度お読み下さい。
使徒パウロが伝道者として主に召されたのは、ユダヤ人と異邦人に神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教えるためでした。パウロの宣教活動は、多くの実を結びましたが、ユダヤ人たちの妨害と迫害を絶えず受けました。念願のローマに到着しましたが、身柄は緩やかですが拘束されたままの状態ですので、自分から率先して人々の中に入って行けなくなりました。しかし、彼のもとに訪れてくる人たちをすべて迎え入れ、神の国とイエス・キリストについて妨げられることなく、大胆に語ったとあります。当時のローマは異教の国で、そこでパウロが妨げられることなく大胆に福音を語れたということは驚くべきことです。パウロは鎖につながれていても、キリストの福音は自由であるということを証明しています。パウロが大胆かつ妨げられることなく福音を伝えることができたのは、神の力・聖霊の力によってすべての試みから福音宣教活動が守られ、聖霊の力によって大胆に語ることができたからです。神様のご臨在と力づけがいつもあったのです。
使徒行伝は、1章3節でイエス様が弟子たちに神の国について語ったところから始まり、使徒パウロが救い主イエス・キリストと神の国について大胆に語ったという言葉で閉じられています。1章6節で弟子たちは「主よ、あなたがイスラエルの国を復興なさるのは、この時なのですか」と主に質問をしましたが、イエスを救い主と信じるすべての人、ユダヤ人と異邦人に「神の国」が備えられ、招かれていると使徒行伝全体は答えます。「神の国」への道は、イエス・キリストの十字架の贖いの死と復活によって整えられました。私たちがイエス・キリストを心に受け入れる時、主が一人ひとりの心をご支配くださり、心に喜びと平安を与えて下さいます。そしてこの地上での使命を私たちが終える時に、私たちは「神の国」へと招かれます。私たちクリスチャン、そして大久保教会の使命とは、救い主イエス・キリストの十字架と復活を証しすることだと使徒行伝は教えてくれます。
キリストの福音は、聖霊の力に押し出されてエルサレムからローマへ、そしてこの日本に伝えられました。使徒パウロがその後どうなったのか等、いろいろと知りたいと思うのですが、使徒行伝は突然31節で終わっています。それは、福音宣教に終わりがないからではないでしょうか。主の再臨まで、私たちには主イエス様の十字架と復活の福音を伝えてゆく使命があるからだと信じます。ご一緒に、神様の愛、イエス様の十字架と復活を聖霊の力を受けて証し続けてまいりましょう。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。主の恵みに感謝しつつ。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎
2年間学んできた使徒行伝も、今回で終了となります。
イエス・キリストを救い主と信じる人々が集まり、祈りをささげていた時に聖霊がその一人ひとりに注がれ、初代の教会が誕生しました。なぜ救い主イエスを信じる者たちに神の霊、神の力が注がれ、教会が誕生したのかをこの2年間学んできましたが、その理由が本当にうまく、そして明確に使徒行伝の最後に記されているのではないかと思います。上記の箇所を今一度お読み下さい。
使徒パウロが伝道者として主に召されたのは、ユダヤ人と異邦人に神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教えるためでした。パウロの宣教活動は、多くの実を結びましたが、ユダヤ人たちの妨害と迫害を絶えず受けました。念願のローマに到着しましたが、身柄は緩やかですが拘束されたままの状態ですので、自分から率先して人々の中に入って行けなくなりました。しかし、彼のもとに訪れてくる人たちをすべて迎え入れ、神の国とイエス・キリストについて妨げられることなく、大胆に語ったとあります。当時のローマは異教の国で、そこでパウロが妨げられることなく大胆に福音を語れたということは驚くべきことです。パウロは鎖につながれていても、キリストの福音は自由であるということを証明しています。パウロが大胆かつ妨げられることなく福音を伝えることができたのは、神の力・聖霊の力によってすべての試みから福音宣教活動が守られ、聖霊の力によって大胆に語ることができたからです。神様のご臨在と力づけがいつもあったのです。
使徒行伝は、1章3節でイエス様が弟子たちに神の国について語ったところから始まり、使徒パウロが救い主イエス・キリストと神の国について大胆に語ったという言葉で閉じられています。1章6節で弟子たちは「主よ、あなたがイスラエルの国を復興なさるのは、この時なのですか」と主に質問をしましたが、イエスを救い主と信じるすべての人、ユダヤ人と異邦人に「神の国」が備えられ、招かれていると使徒行伝全体は答えます。「神の国」への道は、イエス・キリストの十字架の贖いの死と復活によって整えられました。私たちがイエス・キリストを心に受け入れる時、主が一人ひとりの心をご支配くださり、心に喜びと平安を与えて下さいます。そしてこの地上での使命を私たちが終える時に、私たちは「神の国」へと招かれます。私たちクリスチャン、そして大久保教会の使命とは、救い主イエス・キリストの十字架と復活を証しすることだと使徒行伝は教えてくれます。
キリストの福音は、聖霊の力に押し出されてエルサレムからローマへ、そしてこの日本に伝えられました。使徒パウロがその後どうなったのか等、いろいろと知りたいと思うのですが、使徒行伝は突然31節で終わっています。それは、福音宣教に終わりがないからではないでしょうか。主の再臨まで、私たちには主イエス様の十字架と復活の福音を伝えてゆく使命があるからだと信じます。ご一緒に、神様の愛、イエス様の十字架と復活を聖霊の力を受けて証し続けてまいりましょう。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。主の恵みに感謝しつつ。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎