主イエスの恵みと平安とが、あなたの上に今も豊かにありますように祈ります。
みことば:「悪霊は彼らに答えて言った、『私はイエスを知っており、パウロのこともわかっている。しかし、お前たちは何者だ』」。19章15節 岩波訳
使徒パウロは、アシア州エペソに約3年弱滞在し、キリストの福音を伝えます。今までの伝道旅行で最長期間です。今回は、3つのことを学びたいと思います。
第一に、使徒パウロはいつもようにユダヤ人の会堂シナゴーグでユダヤ人と信心深い異邦人たちに神の国について、キリストの福音を3ヶ月に亘って大胆に宣べ伝えます。福音を聞いて主イエス様を信じる者が起こされますが、ある者は頑で信じようとせず、反対にキリストの福音の悪口を言い始めます。執拗な反発であったので、残念なことですが、パウロたちは会堂を出る事にしました。昨年、東京のある教会で同じ様なことが起こりました。一人の信徒の頑さ故に、牧師と大半の信徒が教会を出て、新しい教会を始める事を総会で決議し、その人ともう一人を残してバプテスト教会を出ました。周囲の教会たちは残念がりました。約2000年前、ユダヤ人たちの頑さ故に使徒パウロは弟子たちを連れて会堂を出ますが、悲観したりする必要はありません。主の備えが必ずあります。福音を伝える場所が会堂から講堂に代わったのです。公共の場に移ることによって、ユダヤ人や信心深い人たちだけでなく、すべての人々にキリストの福音を伝えるチャンスとなったのです。ピンチがチャンスとなったのです。その講堂で2年間、使徒パウロは福音を語り、聖書に「アシア州に住んでいる者は皆、ユダヤ人もギリシャ人も主の言葉を聞いた」(10節)のです。
第二に、エペソはその地の文化としてまじないや魔術、迷信を信じていましたから、多くの霊能者や魔術師や占い師がいました。しかし、そのような中で「神様はパウロの手によって並々ならぬ力ある業を行なわれた」と11節にあります。口語訳では「異常な力ある業を次々に」とあります。パウロが身につけていた手ぬぐいやエプロンを病人に当てると、病気が去り、悪霊が出て行ったとあります。エペソの人々は神様の偉大なる力に圧倒され、イエス様を信じるようになります。長血の女性がイエス様のうしろからみ衣を触って癒されました(マルコ5:27以降)。多くの病人たちも「せめてその上着のふさにでも触られて」くださいとイエス様に頼み、そして触った者はみな癒され」ました(マルコ6:56)。日本でも占いや迷信、魔術を信じている人、それらに寄りすがろうという人が多くいます。その人たちのために、わたしたちは主イエス様のみ衣のふさ、パウロの手ぬぐい、エプロンにさせていただきませんか。私たちを通して、一人でも多くの方が神様の愛を受け、イエス様を救い主と信じるように、また私たちを通して主イエス様が崇められるように、主の道具となりましょう。主の御声に聞き従いたいと願います。
第三に、神様の力に圧倒された人々の中に、ユダヤ人霊能者たちが数名いました。ユダヤ人祭司の息子7人もいたそうです。彼らは、使徒パウロが主イエスの名によって人々を癒し、人々から悪霊を追い出しているのを見て、試しに悪霊に憑かれている人から悪霊を追い出そうとして「パウロが宣べ伝えているイエスによって命じる」と唱えます。その言葉に対して悪霊が「私はイエスを知っており、パウロのことも判っている。しかし、お前たちは何者だ」と言って彼らに襲いかかります。「イエスの名によって」私たちは祈ります。しかし、この言葉はまじないの言葉ではなく、妄りに唱えるものではないのです。主イエス・キリストを救い主と信じる者にしか与えられていない神様へのアクセスの言葉なのです。妄りに唱えるとどういう事が起こるか、悪霊に「お前は何者か」と聞かれ、そして16節にありますが、彼らは裸にされ、自分の家から逃げ出すはめになる、つまり大きな恥をかくことになるのです。悪霊は、イエス様が神の子であり、力あるお方であると知っています。悪霊は、使徒パウロも誰だか判っています。さて、悪霊は、私たちを知っているでしょうか。主イエス様をキリストと信じている者を悪霊はすぐに識別できます。もし、私たちがクリスチャンとして主と共に生きているならば、悪霊は直ぐに判るのです。しかし、私たちがクリスチャンとして歩んでいない時に、悪霊は「お前は何者だ」と言い、私たちを、あなたを辱めるのです。今日も、主に信頼し、主の御名によって歩ませていただきましょう。ヤコブ2:14-20をお読みください。
神様の御力を「おもちゃ」にしないように気を付けましょう。悔い改めて、私たちの心の中にある自分の力に頼ろうとする思いを捨て去り、主に従いましょう。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎
みことば:「悪霊は彼らに答えて言った、『私はイエスを知っており、パウロのこともわかっている。しかし、お前たちは何者だ』」。19章15節 岩波訳
使徒パウロは、アシア州エペソに約3年弱滞在し、キリストの福音を伝えます。今までの伝道旅行で最長期間です。今回は、3つのことを学びたいと思います。
第一に、使徒パウロはいつもようにユダヤ人の会堂シナゴーグでユダヤ人と信心深い異邦人たちに神の国について、キリストの福音を3ヶ月に亘って大胆に宣べ伝えます。福音を聞いて主イエス様を信じる者が起こされますが、ある者は頑で信じようとせず、反対にキリストの福音の悪口を言い始めます。執拗な反発であったので、残念なことですが、パウロたちは会堂を出る事にしました。昨年、東京のある教会で同じ様なことが起こりました。一人の信徒の頑さ故に、牧師と大半の信徒が教会を出て、新しい教会を始める事を総会で決議し、その人ともう一人を残してバプテスト教会を出ました。周囲の教会たちは残念がりました。約2000年前、ユダヤ人たちの頑さ故に使徒パウロは弟子たちを連れて会堂を出ますが、悲観したりする必要はありません。主の備えが必ずあります。福音を伝える場所が会堂から講堂に代わったのです。公共の場に移ることによって、ユダヤ人や信心深い人たちだけでなく、すべての人々にキリストの福音を伝えるチャンスとなったのです。ピンチがチャンスとなったのです。その講堂で2年間、使徒パウロは福音を語り、聖書に「アシア州に住んでいる者は皆、ユダヤ人もギリシャ人も主の言葉を聞いた」(10節)のです。
第二に、エペソはその地の文化としてまじないや魔術、迷信を信じていましたから、多くの霊能者や魔術師や占い師がいました。しかし、そのような中で「神様はパウロの手によって並々ならぬ力ある業を行なわれた」と11節にあります。口語訳では「異常な力ある業を次々に」とあります。パウロが身につけていた手ぬぐいやエプロンを病人に当てると、病気が去り、悪霊が出て行ったとあります。エペソの人々は神様の偉大なる力に圧倒され、イエス様を信じるようになります。長血の女性がイエス様のうしろからみ衣を触って癒されました(マルコ5:27以降)。多くの病人たちも「せめてその上着のふさにでも触られて」くださいとイエス様に頼み、そして触った者はみな癒され」ました(マルコ6:56)。日本でも占いや迷信、魔術を信じている人、それらに寄りすがろうという人が多くいます。その人たちのために、わたしたちは主イエス様のみ衣のふさ、パウロの手ぬぐい、エプロンにさせていただきませんか。私たちを通して、一人でも多くの方が神様の愛を受け、イエス様を救い主と信じるように、また私たちを通して主イエス様が崇められるように、主の道具となりましょう。主の御声に聞き従いたいと願います。
第三に、神様の力に圧倒された人々の中に、ユダヤ人霊能者たちが数名いました。ユダヤ人祭司の息子7人もいたそうです。彼らは、使徒パウロが主イエスの名によって人々を癒し、人々から悪霊を追い出しているのを見て、試しに悪霊に憑かれている人から悪霊を追い出そうとして「パウロが宣べ伝えているイエスによって命じる」と唱えます。その言葉に対して悪霊が「私はイエスを知っており、パウロのことも判っている。しかし、お前たちは何者だ」と言って彼らに襲いかかります。「イエスの名によって」私たちは祈ります。しかし、この言葉はまじないの言葉ではなく、妄りに唱えるものではないのです。主イエス・キリストを救い主と信じる者にしか与えられていない神様へのアクセスの言葉なのです。妄りに唱えるとどういう事が起こるか、悪霊に「お前は何者か」と聞かれ、そして16節にありますが、彼らは裸にされ、自分の家から逃げ出すはめになる、つまり大きな恥をかくことになるのです。悪霊は、イエス様が神の子であり、力あるお方であると知っています。悪霊は、使徒パウロも誰だか判っています。さて、悪霊は、私たちを知っているでしょうか。主イエス様をキリストと信じている者を悪霊はすぐに識別できます。もし、私たちがクリスチャンとして主と共に生きているならば、悪霊は直ぐに判るのです。しかし、私たちがクリスチャンとして歩んでいない時に、悪霊は「お前は何者だ」と言い、私たちを、あなたを辱めるのです。今日も、主に信頼し、主の御名によって歩ませていただきましょう。ヤコブ2:14-20をお読みください。
神様の御力を「おもちゃ」にしないように気を付けましょう。悔い改めて、私たちの心の中にある自分の力に頼ろうとする思いを捨て去り、主に従いましょう。
週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎