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大久保バプテスト教会 聖書の学び

大久保バプテスト教会で祈祷会に配信されるメルマガを掲載しています。
聖書の学びを御一緒に

メルマガ#65 使徒行伝18章24節~28節

2009-09-02 17:58:35 | 聖書
 みことば:「ところで、アレクサンドリア生まれのアポロというユダヤ人が、エフェソにやって来た。この人は雄弁家で、聖書に強かった。」18章24節 岩波訳

 ここにアポロという主の働き手が彗星のごとく登場します。彼はエジプト生まれのユダヤ人でしたが、神様によってクリスチャンとせられ、キリストの福音を伝える者として立てられました。アポロについては、コリント第一の手紙1:12,3:4-9,22,4:6,16:12にも記されています。パウロもアポロを引き合いに出しますので、「アポロはパウロの良きライバル」と取り上げられますが、そんなことはありません。教会に派閥などありません。主イエス様が中心です。ペテロもパウロもアポロも主のために働く同労者です。16:12では、アポロを「兄弟」とパウロは呼んでいます。すべては全世界にキリストの福音が伝えられるためです。私たち教会員が、主にあって同じ目的を持つ時、心は一つにされ、同じ方向へ前進し、教会の成長と実りがあります。

 アポロがどのような経緯でクリスチャンになったのかは記されていませんが、大切なのは、彼は聖書に強かったということ、つまり深い聖書の学識を持っていたということと、キリストを伝えることに情熱を注いでいたということです。彼は、旧約の預言に基づいて、イエス・キリストがメシヤであることを論証する特別な才能を持っていました。しかし、アポロは、「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」という事実が記されています。イエスの名によるバプテスマではなく、バプテスマのヨハネによるバプテスマ。つまりアポロは「悔い改めのバプテスマ」を受けたけれど、イエスの名によって聖霊のバプテスマ」を受けていなかったということです。使徒行伝をずっと学んできましたが、イエス様の名によってバプテスマを受けたすべての人に聖霊が注がれましたが、アポロが受けていないとはどういうことなのか。

 つまり、いかにアポロが聖書に精通し雄弁であったとしても、それは人間の力において福音を伝えていたという事であって、神の力がまだ注がれていなかったということです。私たちも自分はクリスチャンであると告白したり、神様の愛を証しをすることは自分の思いや力だけでできます。しかし、聖霊という神が共にいて下さらなければ継続的には告白し続けることはできないのです。聖霊という神の息が吹き込まれていないと、いつか息切れを起こしてし、息絶えてしまうのです。ですから、聖霊を求めましょう。聖霊によるバプテスマとは、自力で生きることではなく、神の生命によって新しく生かされていくことなのです。

 さて、アポロには聖書の学識、イエス様の言葉の知識はありましたが、アクラとプリスキラはアポロに欠けているものがあると彼の話しを聞いて感じました。ですから、アポロを自宅に招き、彼に神の道をさらにくわしく説き聞かせたと26節にあります。何がアポロに足りなかったのでしょう。記されていませんが、私は28節の御言葉を通して次のように考えます。1)神の愛、キリストの福音は、ユダヤ人だけでなく異邦人にも与えられている。2)律法によって救われるのではなく、神の無償の愛、恵みによって救われるということです。私たちは、ただ神様の愛と憐れみによって救われたのであって、私たちの努力、行いによるのではないのです。感謝ですね。

 週の後半の歩みも、主が共に歩んで守り導いてくださいますように。
 主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎