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大久保バプテスト教会 聖書の学び

大久保バプテスト教会で祈祷会に配信されるメルマガを掲載しています。
聖書の学びを御一緒に

メルマガ #66 使徒行伝18章23節、19章1節~7節

2009-09-09 17:59:29 | 聖書
 主イエスの恵みと平安とが、あなたの上に今も豊かにありますように祈ります。

 みことば:「さて、アポロがコリントにいた時、パウロは奥地を通ってエフェソにくだって来た。そして、幾人かの弟子たちに出会い、彼らに言った、『信仰に入った時、聖霊を受けたのですか』。彼らは彼に言った、『聖霊のあることなど聞いたことさせありません』」。19章1~2節 岩波訳

 ここから使徒パウロたちの第三回伝道旅行が始まります。パウロは、先の二回の伝道旅行時にクリスチャンになったガラテヤやフルギヤ地方の兄弟姉妹とその教会を再訪して力づけます。パウロはどのように教会を力づけたのでしょうか。聖書には記されていませんが、いっしょに礼拝をささげ、御言葉に聴き、共に祈り、イエスがキリスト、主であると告白し、主によって約束された希望を確認し合ったのだと思います。現実だけに目を注げば、心が騒ぎ、希望を見出せない状況に陥ります。しかし、「神の御旨」を現実のみに見出すことはできません。いつも主の御言葉に聴き、祈らなくてはなりません。各自、神様からのラブレターである聖書を読む時間と神様と個人的に会話する時間を確保しましょう。ディボーションです。ディボートという動詞は、教会では「神様に自分の時間と心をささげる/充てる」という意味です。また、神様とのコミュニケーションに「専念する」という意味があります。礼拝、祈り、ささげもの、奉仕、交わりなど信仰生活に必要ですが、ディボーション(神への深い愛情、忠誠、忠実)も信仰の成長には大切なのです。
 さて、主の僕アポロについて先週学びました。彼は、旧約の預言に基づいてイエスがキリスト、メシヤであることを論証する特別な才能と情熱を持っていましたが、「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」、すなわち、アポロがいかに聖書に精通し雄弁であったとしても、それは人間の力において福音を伝えていたという事であって、神の力がまだ注がれていなかったことを先週述べました。バプテスマのヨハネのバプテスマは悔い改めのバプテスマ、過去の罪からの解放です。しかし、聖霊のバプテスマは、これからクリスチャンとして生かされてゆくための神の霊、御力の注ぎだと信じます。聖霊の導きと励ましと助けなくしては、私たちはクリスチャンとして主イエスの十字架と復活の証人として生きてゆくことはできないのです。

 過去の罪から解放されることは重要であり、確かに救いです。しかし、私たちの悩み苦しみの原因は、今をどのように生き、これからの人生を何の目的をもって生きてゆくべきかが判らなくなることです。しかし、イエス・キリストを救い主と信じた時に聖霊が私たちの心に宿り、主の御旨を慕い求める思いを起こし、聖書の御言葉を通して人生の目的、何を成して生きてゆくべきかを明確に教えて下さるのです。一歩一歩、私たちにクリスチャンとして歩む力を聖霊が与え、歩むべき道を聖霊が示し、導いて下さるのです。過去と現在と未来の苦しみから解放されるのです。
 今日、神様は私たちに問うておられます。「あなたは聖霊を受けているか」と。大久保教会がキリストのからだとして建て上げられるためにまず私たちに必要なのは、聖霊なのです。聖霊の導きと助けなしに教会の一致、形成、成長、実を結ぶことはないのです。エペソにてアポロを通してイエス・キリストの救いを信じた12人が、イエスの名によってバプテスマを受けました。パウロが彼らに両手を置くと、聖霊が彼らの上に降り、新しい力が注がれます。主イエス・キリストの十字架と復活を証しする力、また主と教会に仕える力を受けたのです。あなたは聖霊を受けていますか。あなたは神様の力によって生かされていますか。それとも自分の力で生きようとしていますか。私たちには神様の息、聖霊が必要ですから、どうぞイエス様を信じ、聖霊を求めて下さい。そうすれば、過去のしがらみから解放され、新しい人生の目的とその使命に生きる力が神様から与えられます。
 週の後半の歩みも、主イエス様が共に歩んで守り導いてくださいますように。
 主に在りて
大久保教会 牧師 河野信一郎