使徒行伝14章19節~28節から使徒パウロとバルナバの第一回目の伝道旅行の最終部分を学びます。
伝道旅行では、ピシデヤ・アンテオケ、イコニオム、ルステラなどで大胆に福音が語られ、多くの人々がイエス・キリストを救い主と信じましたが、同時にユダヤ人たちからの迫害に苦しみました。
今回は、イコニオムや160キロも離れたピシデヤ・アンテオケから迫害者がパウロたちを追いかけてルステラにきて、群衆をそそのかしてパウロを石で打ち、殺そうとするのです。
160キロもの道のりを何日もかけて追いかけてくる執念、とても恐ろしいですよね。
神様は私たちを人の命を奪う為に造られ生かして下さっているのではありません。
私たちは愛し合って、互いに生かし合うために、仕え合うために生かされているのです。私たちはそのような思いや時間や能力を人の命を狙ったり、奪うことに使わないで、人の命のために、神様の祝福が人々にあるようにとの働きのために私たちは使いたいですね。
迫害者たちに石で打たれてひん死の状態になった使徒パウロでしたが、命は守られました。
神様が守られたのです。
その理由は、神様にはパウロ先生をもっと用いる多くのご計画があったからです。
私たちが日々命が与えられていることにも神様の目的があります。
福音の種まき人として私たちを用いる事です。
イエス様の十字架と復活の証し人としてこの世につかわされているのです。
翌日パウロ先生たちはルステラを出て、デルベに向い、そこでキリストの福音を伝えます。
大勢の人が弟子となったとあります。
デルベという町は伝道旅行の中でも最も東南に位置し、パウロ先生たちを派遣したシリア・アンテオケ教会に最も近いのですが、パウロ先生たちは最短の道を通って帰ろうとはせずに、命の危険をも顧みずに伝道によって生まれたルステラ、イコニオム、ピシデヤ・アンテオケで救われた兄弟姉妹を再訪します。
自分たちの命よりも、新しくクリスチャンとして生まれた兄弟姉妹へのケアを最優先してゆくのです。
この姿勢は牧師である私が見習わなければならない大切なことです。
また大久保教会が成長する為に、新来者や求道中の方々、教会員への配慮が大切だという事です。
牧師と一緒にケア・配慮の一端を担っていただけないでしょうか。
ミニストリーチームに加わって下さい。またお祈りください。
21節から23節でパウロ先生とバルナバ先生は3つのことを各教会に戻ってしています。
1)弟子たちを力付けたと22節にあります。クリスチャンは一人では成長できません。
互いの存在と励ましが不可欠なのです。
2)次に「信仰をもち続けるようにと奨励し」たとあります。
3)最後に教会に長老をリーダーとして任命しました。各教会にはリーダーが必要です。
今の日本には牧師が不在の教会・伝道所がたくさんあります。その群れの信仰が守られるようにお祈りましょう。
パウロ先生たちは奨励の中で「わたしたちクリスチャンが神の国に入るのには、多くの苦難を経なければならない」と語りました。
皆さんにもクリスチャンであるが故に苦難があると思います。
クリスチャンでなくても色々と人には言えない苦しみが多くあるでしょう。
しかし、クリスチャンとクリスチャンでない人には大きな違いが2つあります。
1つは「神の国へ招かれる」という永遠の祝福です。
もう1つは第二テモテ3:10-12にあります。迫害や苦しみから主が救い出してくださるという約束です。
この祝福の約束を信じて歩みましょう。
週の後半も主が共にいて一人ひとりを守り導いて下さいますようにお祈り致します。
主に在りて 大久保教会 牧師 河野信一郎
伝道旅行では、ピシデヤ・アンテオケ、イコニオム、ルステラなどで大胆に福音が語られ、多くの人々がイエス・キリストを救い主と信じましたが、同時にユダヤ人たちからの迫害に苦しみました。
今回は、イコニオムや160キロも離れたピシデヤ・アンテオケから迫害者がパウロたちを追いかけてルステラにきて、群衆をそそのかしてパウロを石で打ち、殺そうとするのです。
160キロもの道のりを何日もかけて追いかけてくる執念、とても恐ろしいですよね。
神様は私たちを人の命を奪う為に造られ生かして下さっているのではありません。
私たちは愛し合って、互いに生かし合うために、仕え合うために生かされているのです。私たちはそのような思いや時間や能力を人の命を狙ったり、奪うことに使わないで、人の命のために、神様の祝福が人々にあるようにとの働きのために私たちは使いたいですね。
迫害者たちに石で打たれてひん死の状態になった使徒パウロでしたが、命は守られました。
神様が守られたのです。
その理由は、神様にはパウロ先生をもっと用いる多くのご計画があったからです。
私たちが日々命が与えられていることにも神様の目的があります。
福音の種まき人として私たちを用いる事です。
イエス様の十字架と復活の証し人としてこの世につかわされているのです。
翌日パウロ先生たちはルステラを出て、デルベに向い、そこでキリストの福音を伝えます。
大勢の人が弟子となったとあります。
デルベという町は伝道旅行の中でも最も東南に位置し、パウロ先生たちを派遣したシリア・アンテオケ教会に最も近いのですが、パウロ先生たちは最短の道を通って帰ろうとはせずに、命の危険をも顧みずに伝道によって生まれたルステラ、イコニオム、ピシデヤ・アンテオケで救われた兄弟姉妹を再訪します。
自分たちの命よりも、新しくクリスチャンとして生まれた兄弟姉妹へのケアを最優先してゆくのです。
この姿勢は牧師である私が見習わなければならない大切なことです。
また大久保教会が成長する為に、新来者や求道中の方々、教会員への配慮が大切だという事です。
牧師と一緒にケア・配慮の一端を担っていただけないでしょうか。
ミニストリーチームに加わって下さい。またお祈りください。
21節から23節でパウロ先生とバルナバ先生は3つのことを各教会に戻ってしています。
1)弟子たちを力付けたと22節にあります。クリスチャンは一人では成長できません。
互いの存在と励ましが不可欠なのです。
2)次に「信仰をもち続けるようにと奨励し」たとあります。
3)最後に教会に長老をリーダーとして任命しました。各教会にはリーダーが必要です。
今の日本には牧師が不在の教会・伝道所がたくさんあります。その群れの信仰が守られるようにお祈りましょう。
パウロ先生たちは奨励の中で「わたしたちクリスチャンが神の国に入るのには、多くの苦難を経なければならない」と語りました。
皆さんにもクリスチャンであるが故に苦難があると思います。
クリスチャンでなくても色々と人には言えない苦しみが多くあるでしょう。
しかし、クリスチャンとクリスチャンでない人には大きな違いが2つあります。
1つは「神の国へ招かれる」という永遠の祝福です。
もう1つは第二テモテ3:10-12にあります。迫害や苦しみから主が救い出してくださるという約束です。
この祝福の約束を信じて歩みましょう。
週の後半も主が共にいて一人ひとりを守り導いて下さいますようにお祈り致します。
主に在りて 大久保教会 牧師 河野信一郎