がんばれナラの木

震災にあわれた東北地方の皆様を力づけたくて
The Oak Treeを地方ことばに訳すことを始めました

ケセン語ー山浦玄嗣先生のこと2

2011年04月20日 | エッセー
 方言について口はばったいことを書いた。「アマチュア方言ファン」である。しろうとのことだからご容赦いただき、続けたい。
 「耳」は脳が若いときでなければだめで、私は18歳で仙台に行ったが、仙台弁はあまりマスターできなかった。ヒアリングは8割程度、しゃべりは60点くらいではなかろうか。落第である。調査で岩手に行くようになり、大船渡などの海岸部はけっこう石巻などと似ているのがわかった。ただもう少し重い響きがあった。すぐ隣なのだが、釜石はまた少し違い、その内陸の遠野はずいぶん違った。遠野はおっとりとし、布でいえばリネンのような暖かさ、色でいえばコーヒー色のような安らぎがあるようだった。
 30代のころ、大船渡でシカの調査を終え、仙台に帰るときに本屋に立ち寄ったら、奇妙な本があった。山浦玄嗣著「ケセン語入門」とある厚い本だった。なにげなくページをめくって面食らった。基本文法があり、発音もちゃんと発音記号があり、会話の実例などもある。パロディなのかと思ってながめていたが、それが「本気」であることがわかった。
 そもそも「気仙弁」ではない。「ケセン語」である。ここにも山浦先生の哲学がある。東京が上で地方が下だという考え方そのものに対するプロテストである。宮城県の海岸部の北部から岩手県の南部にかけてを気仙地方という。いまの気仙沼(宮城県)はその代表だが、宮城岩手の県境を超えた大船渡あたりまでを含む。先生によれば、気仙人はそもそも日本の一地方でありながら、太平洋を見ながら生きて来たのであり、東京ではなくアメリカを見ていた。東京を中心とした日本という国があるなら、俺たち気仙人はそれに匹敵する「ケセン」という国の国民であり、そのことばを「ケセン語」というわけである。「その心意気、よし」ではないか。
 山浦先生は何事も根本から考え、あくまでも明るく実践される。その本の中に、言葉というものについても、実に深い考察がなされていた。
 自分の心の中から出てくるものを本当のことばだとすれば、すべての人のことばは自分を育ててくれた親のことばであろう。だが、東北地方にあっては、その自分のことばが「汚い」とされ、公の場では使用禁止とされた。戦前の小学校では不用意に方言を使った子は首から札を下げさせられ、その数がたまると廊下に立たされたという。そうしたことがいかに理不尽なことであり、いかに子供の心を傷つけたろうか。東京に出た東北出身者が東北弁を使って笑われたために自殺したという話があるという。
 十分ありうる可能性として、明治政府が首都を京都においたとする。おそらく標準語は京都弁を母体としたであろうから、関東人は自分のことばを使うことを禁じられ、「汚い」といって笑われたであろう。思えば日本の古典文学は「関西弁」で書かれているのだから、標準語が関西弁であるほうが自然だったのかもしれない。以上は自分のことばが笑われることがどういうことであるかを知らない関東人に想像してもらいたくて書いた。
 ともかく、私は「ケセン語入門」を手にして衝撃を受け、ちょっと高かったが購入して読んだ。そして方言が好きで、道楽のように楽しんでいたが、なんとなくその底のほうにはもっと大切なことがあると感じていたことの鉱脈をガツン、ガツンと叩かれた気がした。「方言は道楽なんかじゃないぞ」と。

つづく

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