写真・四季のたより

風景や花などの写真で季節をお届けします。
政治・社会問題にも目を背けることなく主張します。
率直なご意見歓迎です。

夷隅大多喜城址~養老渓谷

2015-12-10 20:20:16 | 撮影日誌

 某省の官僚であった従兄の話によれば、徳川家康公四天王と称された「本多忠勝」は父方の先祖。確かに父方の姓は「本多」で、かつて本多姓を名乗っていた時期もあった。それを聞かされたときはこちらは自分のルーツについて関心もなかったので、それ以上には聞いてはいない。父が愛知県出身であったことは母から聞いていたので「まったく根も葉もない空想話でもないか?」と思っている。1590年徳川家康が豊臣秀吉により、関東に移封された際、上総の国夷隅郡大多喜に家康公家臣団中第2位の10万石を与えられたという。

 関ケ原の合戦の戦功により、伊勢の国桑名藩10万石に移され、大多喜城は次男の忠朝に引き継がせたという。数年前から、旅行の行き先を決めるとき常に話題にはなっていたが、なかなか機会が作れなかった。今回「養老渓谷の紅葉」を見よう、と決め、それならば大多喜城は行かねばならないとなる。

 外房線が「いすみ鉄道」に替わる大多喜駅前を通過。

 せっかくだからと記念写真、ちょうど電車が発車するところ、駅員さんが「早く早く」と手招き、ホームに入って写真を撮れということ、どうやら発車のたびに手を振って見送っているよう

 駅舎近くに木造の大門「房総の小江戸」の文字がある 町の案内図によれば、昔の街並みらしきものもあるらしい

 大多喜城は山城、急な登りを上がりきったところに駐車場がある 平日の曇り空、広い駐車場には数台が留まっているだけ 間違えた、平日もお天気も関係なかった 館内展示替えのため休館日

 お城見学ならば桜の時期の方が楽しめそう

 珍しい松を発見! 中に入れないのでは、本多家の資料も見られない 系図だけでも見たかったもの 駐車場内あるソバ屋で「自然薯とろろそば」を食べたが、これは「うまい」と思わず口にしたほど

 ここへ来るのに地図は全く見ず、フェリーを降りでカーナビの示すまま走ってきた。今度の行き先は「養老渓谷、瀧見荘」 20年以上前、房総半島を金谷から九十九里浜まで走った経験があるが、トンネルの入り口で必ずブレーキを踏みたくなる狭い道路だったが、今は改善されている。

 チェクイン時間前に着いてしまったので、車を置いて目の前の養老渓谷に降りていく。一気に川岸まで降りてしまう、かなりきつい階段と坂道 上ってくる人とすれ違うにはどちらかが立ち止まらなければいけない狭い道

 紅葉は確かにきれい、例年より一週間遅いという、それが幸いした。しかし、曇り空では撮影意欲もわかず 予報では明日は朝から晴れ、実は今日もそのはずだったが、

 開けて9日、雲一つない晴天、しかも午前9にはすでに深い谷底まで陽が差し込んでいる 妻は昨日の経験から「もう下には下りない」と拒絶、仕方ない一人で遊歩道を歩く

 展望台から「養老乃瀧」

 どこを向いても絵になりそう

 水面の反射をなくすためPLフィルターをくるくる回し、低くしたり、横に動いたりしてこれが限界

 見逃してしまう小さな滝がある この辺で約束の一時間は、急ぎ戻る 戻る時間だけタイムオーバー 仕方ないよ、もっと流れに沿って行きたかったのを我慢し戻ってきたのだから

 御宿海岸「月の砂漠」記念碑

勝浦で干物を買って、一路金谷港へ

 10月9日付しんぶん赤旗より  以下同