昨夜遅く次女からメールが入りました。以下原文のまま記載します。年は取っても父娘の関係は幼い時のままですので、お見苦しい点はご容赦を。
「今日の赤旗の投書欄に戦争と花火大会のことが載っていたね。ばあちゃんも同じこと言っていたよ。夫がいなくなり、子供2人を自分一人で守って行かなくてはならず・・・。ばあちゃんにはいろいろな想いが思い出されるるんだろうねー。」私はその投書を読んでいませんでした。妻は「読んだよ」と出してくれました。それにしてもまたしてもです。母が花火が戦争の思い出に結びつていたなど娘に言われるまでまったく知らないことでした。そう言えば母と花火見物に行った覚えもないです。
以下朝撮れです。
自宅のではありません。わが家のもオレンジになっている物がありますがこれほど大きくはありません。
咲き出したガクアジサイ、いつまで咲くのやら。木瓜は三輪咲いただけであとはなしでしたが。
こちらもわが家の物ではありませんが、コンパクトカメラでも露出補正をしてやると逆光でも結構撮れるものです。
母の8回目の命日です。家の掃除、仏壇は少々きれいに、シャワーでさっぱりしてお墓参り。市営公園墓地です。芝生墓地で私が抽選に当選した当時は、墓石の規格が限定されていました。ですからほとんどの墓石は同型です。この数年のうちに建てられた物にはデザインされた物が見受けられます。「みんな同じ」ではいやと要望が増えたのでしょう。所詮限られた墓地たいしたことはできませんが、なかには「これ音楽家?」「書家かネー?」と一目でわかるものもあります。
母は、30歳前から子供を育てるためにただ働き続けました。造船所の下請け、米軍弾薬庫の草刈り、病院の雑役婦に雇用されてからは同じ勤務先で定年まで働けました。家庭内の葛藤、子供たちの不始末の後始末、一人で二役三役をこなした56歳までの人生でした。定年後は私と同居し、孫娘二人の面倒を見ることになりました。これが30年間。86歳で逝ってしまいましたが、最後の夜偶然私は病院からは何も言われませんでしたが、一晩付き添いました。これが「虫の知らせ」とでも言う物でしょうか?夕方の容態を見て「今晩泊まるわ」とかってに決めました。深夜ベッドのそばで寝顔を見ながら「この人の86年間っていったい何だったのだろう!苦労の連続で」としみじみ思いました。しかし、後半の30年間は息子夫婦とはともかく孫娘とは、楽しく過ごしその分取り替えさえたのかな?終わりよければすべてヨシ!と言うし。
未明容態が急変し「家族を呼んでください」と言われた時は手の施しようがありません。「家族がそろうまで心臓だけは動かせておきますか?」と問われた時はいささか腹立しくなりました。もう良い!安らかに休ませて!丁重にお断りしました。
命日で久しぶりに思い出しました。公園墓地に咲いていた花です。
一泊二日の松山での結婚式はやや疲労気味です。あと一日泊まってくれば良かった!率直な感想です。娘たちは元気に出勤したようですが老夫婦はあまり元気ではありません。
それでも「家にいなかったのだから汚れていない」と非難されながらも一応掃除だけは済ませます。これで汗びっしょり、さらに疲労が増します。シャワーでさっぱりし、氷水で身体を癒し、12時から卓球に出かけます。
体育館に入っただけで汗が噴き出ます。みなさん挨拶は「暑いですねー」それでもラケットを握ればペースがでてきます。久しぶりにコーチの指導を二度もうけ、調子がでかかったところで時間となってしまいました。もう少し時間があればナー。しかし、汗を気持ちよいほどかいたせいか、朝方の重い疲労感はいつの間にか消えていました。やっぱり、少々疲れたと言ってごろごろしていては駄目!元気良く身体を動かした方が気持ちもスッキリです。
異変です!紫陽花が咲き出しています。この様子ではまだ咲きそうです。
キンカンが今年も二度目の開花です。そばには最初に咲いた物が実になっています。
妻の姪の結婚式出席のため一族郎党で真夏の特別暑い松山に行って来ました。羽田発7寺20分発の全日空に搭乗。記念撮影、結婚式、披露宴とすべてに参加です。そのため全員4時前の起床と相成り、孫は飛行機搭乗と同時に深い眠りについてしまいます。前日から行っていれば楽に行かれたのに。
結婚式はキリスト教徒ではないけれど、なぜかキリスト教方式で行われました。だからといってどうこう言うつもりはありません。一番必要なことはいつまでも仲良く、だれにでも自慢できる家庭を二人で作ることだから。結婚式の形態が問題でないことは当たり前のこと。
結婚式会場は道後温泉のホテルで宿泊も同じホテルです。すべてが終わってからぞろぞろと「天下の名湯」道後温泉へ。傷ついた白鷺が湯に浸かって傷が癒えたのが始まりとか、神世の昔、大国主命と少彦名命の二神が国造りのために伊予に来られたところ、おり悪しく少彦名命が重病に倒れ湧き湯に浸したところ重病がたちまち治った、等々諸説あるようです。
3階建てで3階は個室となっておりここに、夏目漱石が構想を練り小説を書いた伝わる「坊ちゃんの間」があります。2階は大広間で汗取り用の浴衣を貸してくれ、湯上がりにはお茶とお菓子がでます。1階は通常の銭湯と同じです。道後温泉の雰囲気を楽しむのは2階の大広間です。
部屋の中は他のお客さんがいるので撮影できません。右側に大広間があります。熱いお湯ですが孫も楽しんだようでした。
道後温泉本館。大きなホテルはどこも温泉を引いていますが、道後のお客さんはここに来ないと納得しません。
松山城。松平15万石と言いますから徳川幕府直結なのでしょう。松山市街どこからも見える、と言うのが一つの自慢のようです。一度ここの桜を撮影したいものと思っています。
展望デッキからシャッタースピード1/60で撮ったのですが少し早かったようです。もう少し背景が流れる予定でした。この次の便は自分たちの乗る便故撮り直しききませんでした。
少々忙しい結婚式参列の旅でしたが、久しぶりにみんなで参加できて楽しい旅行でした。
今朝も富士山がきれいに見えました。こんなに連続してきれいに見えることなど真冬でもめったにないことです。今年の夏の大気は澄んでいるのでしょうか?相模湾から見れば伊豆半島から箱根の山々に雲がかかって姿を見せてくれないことが多いのに!発生する台風の数は多いのに、その多くが沖縄を通過し、そのまま西に行ってしまったり、北上してしまうことが多いこととも関係しているのですかね。九州から西日本には水害をもたらす雨が降っているのに、こちらでそろそろ一雨欲しいと田畑が言っています。
少し古くなってしまいましたが、8月19日付、しんぶん赤旗日曜版より。消費増税では大手新聞こぞって政府の応援団になってしまいました。最近選挙近しの情勢で「大阪維新の会」の報道が多くなっている気がしますが。憲法に抵触するような条例を連発したり、公務員攻撃を容赦なく行うなどいささか常軌を逸しているのではと思われる勢力の動向を何故に国民が関心を持つようし向けるのでしょう?
毎週金曜日、官邸前に数万人規模で「大飯原発再稼働反対」で集まっていることや、経済産業書前の座り込みなどは報道されないのでしょう。
昨日、猛暑の鎌倉で撮影したのが多少影響しているのか、今日はいささか疲労きみです。午前中、済ませるべきこと終わり、シャワーでさっぱりしたあと、生後4ヶ月の子と一緒に昼寝をしてしまいました。医師のアドバイスによれば昼寝は15~30分が最適と言いますが、私のはだめです。1~2時間寝てしまいます。「それはだめです!認められません。睡眠のリズムが狂ってしまいます」と言われました。認められないと言われても、30分ぐらいなら寝ない方がまし、その程度で起こされたら頭がボーとしています。たまたま昼食時間だったため、起きてから「食べる?」と聞かれましたが、あまり食欲もなく昼食はなし、そう言えば昨日のお昼も適当に済ませてしまいました。検診結果どこも異常なし、腹位のみ基準オーバー。明日も昼食抜きにすれば少しは減るかな?
迎えに行く時いつもの花畑、チラッと目の端に入りました、鮮やかな色の花が。