limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

life 人生雑記帳 - 53

2019年10月19日 13時00分29秒 | 日記
“指宿スカイライン”の中ほどへ差し掛かると、僕はマーチを停車させた。昼食に摂った大量の水分を放出しなくてはならなかったからだ。女性陣もトイレへ向かう。僕はバックから1眼レフを取り出すと、素早くフィルムをセッティングした。137MAQは、正常だった。「手慣れてるね。流石作ってる人だ」と岩崎さん目を丸くする。「持たせてくれない?」と言うので手渡しをすると「重い!ズッシリ来る」と言うが「これは軽い方の機種ですよ。RTSⅡならkg単位になりますから」と言うと「よく平然と言えるわね!まあ、それが貴方達には“当たり前”なんでしょうけど」と言われる。「バラバラに分解したら、どの位部品点数になるの?」永田ちゃんが言う。「約1000個にはなるだろうな。ビスやワッシャーも含めれば、約1200個にはなるね!」と言うと「あたし達の扱ってる製品とは比較にならないなー!」とため息交じりに返される。「でも、元を辿れば1枚の金属の板なんでしょう?」と千絵が言う。「ああ、そこから絞って形にするまでの工程が長い。そして、磨いて下処理をして塗装を噴く。更に組み立てもブロック単位で組んで行くから、全工程を言い出したら切りがないよ!」「1つの部品の精度が出なかった。又は不良だったら?」「分解して組み直しになるさ。1つとして疎かに出来ないのはサーディプと一緒だよ。少し違うのは、多種多様な機種がある事と、アクセサリー品が本体とは別に存在する事だろう。レンズだけでも30~40本はあるし、ストロボも5種類、キャップやフィルター、フードも含めれば数百の商品構成になるからね」と言うと3人は固まってしまった。「どれだけ裾野が広いの?これ1台に対してどれだけの関連商品があるの?やってる事が複雑怪奇過ぎるよ!」千絵が悲鳴を上げた。「まあ、それは考えない方がいい。僕だって全てを把握してはいないよ。最小限の構成がこれだからね。ともかく、景色を2~3枚撮って見るか!」と言うと、僕はファインダーを覗いてシャッターを切った。「顔つきが変わるね!撮影者になると豹変するって聞いてたけど本当だ!Y、小さい頃から身近にカメラは常にあったの?」岩崎さんが聞く。「勿論、でも本格的に始めたのは、高校に入ってからだよ。写真部に言えば機材は自由に借りられたしね!」「そして、作る側に身を投じたか。自然な流れだね。国分も色んな事業部があるけど、コアの部分はセラミックだから、どこへ配属されても余り変わり映えはしないの。長野だったら、全く違う事をやれるんだろうね。しかも、目に見える形でお客さんの手に渡って画像が残る。その点は羨ましいな!」彼女はふと遠い目をした。「Y先輩、4人で1枚撮れませんか?」と千絵が言い出す。「ちょっと待ってくれよ!三脚が無いとすれば、車の屋根に置くしかないな。大まかに合わせて見るか。永田ちゃんを中心に周りに集まれば何とか撮れそうだ!セルフタイマーにセットしてと、岩崎さん、もう少し左に寄って!千絵は右に。真ん中に僕が中腰で入るから。では、行くぞ!」セルフタイマーがピーピーと鳴る中、僕は真ん中に飛び込んでレンズを見た。シャッター音がして撮影は終わった。「多分、上手く行ったはずだが、現像してみないと何とも言えないな」「大丈夫、美形が3人揃ってるんだから!」僕等は笑いながら車に乗り込んだ。後日、現像して結果は、概ね良好だった。記念すべき“最初の1枚”は、アルバムの片隅に今も残っている。

池田湖を抜けて、更に南下すると綺麗な成層火山が海沿いにそびえていた。「あれが開聞岳。“薩摩富士”よ!」海に面してそそり立つ開聞岳は、一面の緑に覆われていた。「標高は1000m無いけど、綺麗でしょ!」永田ちゃんが言った。「本当に姿は富士山そっくりだ。山頂に雪があれば完璧だね!」と言うと「数十年に1度、雪が薄っすらと積もるの。直ぐに溶けて無くなっちゃうけどね。乗鞍も白馬も雪は溶けてるでしょう?」「いやいや、完全に溶けるのは7月以降だよ。雪渓はまだ健在だ。今頃なら、乗鞍だったらスキーが出来る!」「えー!でも、もう5月だよ!」永田ちゃんが腰を抜かしそうになる。「開聞岳の3倍の高さがあるから、朝晩は氷点下まで冷え込む。雪渓が消えるのには、まだ早いよ。天気が悪ければセーターを着て行かないと凍えてしまうんだ!」と言うと「空恐ろしい世界だね。3000mは侮れないな。酸欠とかになりそう」と岩崎さんが言う。「確かに、不慣れな人が行くと“高山病”になって、ヘリで麓の病院へ搬送されるし、運が良くても頭痛と吐き気で苦しむだろうな!」と言うと「Yは慣れてるでしょう?車で行けないの?」と聞かれる。「乗鞍なら、2800m地点までは車で行ける。でも、相応に道は狭くてカーブの連続だから、僕等でも酔うのは覚悟しなきゃならない。アルプスを甘く見るとしっぺ返しは大きいよ!」「“しっぺ返し”ってどういう意味?」「あー、ごめん!“見返り”って言った方が良かったか。こっちでは通用しなかった言葉だよね?」「あたし達にも分からない表現の仕方は多々あるのね。“へ”の3段活用と同じか?」岩崎さんの言葉にクスクスと笑いが起きる。鹿児島では“へ”の3段活用がある。“火山灰”“蠅”“おなら”を微妙な音程差で“へ”と言い分けるのだ。「“長崎鼻”まで行こう!外海を間近で体感してみて!」車は海岸へと進みだす。岩崎さんが運転を買って出た。錦江湾とは違う荒々しい波が打ち寄せる海岸に車は停まった。「左手に見えるのが佐多岬。本州の最南端よ!離島を結ぶフェリーは、少し手前で枝分かれしてるの!」彼女はそう言って左側を指さした。「薄っすらと見える島影は?」「種子島よ!ロケットを打ち上げてる島よ!」天気も良く風も穏やかな日だった。「雄大なスケールだ。来て良かった!」僕は海風に吹かれながら言った。「まだまだよ!日南海岸へ行けば、また違う景色が広がってるの!今度は宮崎へ乗り込むわよ!」岩崎さんは血気盛んだった。しばらくしてから、僕等は国分への帰途に就いた。こちらに来て初めての長旅は無事に終わった。

翌日、昼前に千絵がインターホンで僕を呼び出した。「今日は2人だけでドライブに行かない?」「いいけど、どこへ行く?」「地図を片手に気ままに走るのはどう?今度は山の中!」千絵は愉しそうに言う。「いいよ。じゃあ、15分後に」「待ってるからね!」と言われてまたまた、赤いマーチのハンドルを握った。「まず、空港へ行って。飛び切り美味しいお土産を教えてあげる!」と言うので鹿児島空港へ向かう。駐車場へマーチを押し込むと、ターミナルの土産品コーナーへ行った。「これ!“かるかん”って言うお菓子。山芋を使っていて美味しいのよ!」千絵は、ばら売りを買って僕に差し出した。ふんわりとした食感と絶妙な甘さが口の中に広がる。「クセになるな!」「でしょう!実家に送ると喜ばれるよ!宅配も受け付けてるし、ここへ来ればいつでも送れるから」と言う千絵の服装は、昨日とはガラリと変わっていた。白いノースリーブにジーンズのミニスカート。白い素肌が眩しい。僕も青いTシャツにジーンズと言うラフな姿にしていた。5月とは言え、鹿児島は30℃近くまで最高気温が上昇する。長袖を折るのは暑いだけだと悟ったからだ。「ねえ、ネックレス見せてよ!」ベンチに座り込むと千絵が僕の首元を探り出す。「あら、2重にしてるの?」「ああ、長いヤツは、高校からずっと付けてるモノだが、短いヤツは来る直前に先輩に貰ったヤツだよ」僕はネックレスを外すと千絵の掌の中に置いた。「先輩って年上の?」「何故そう思う?」「岩崎先輩が言ってたの“Yは、年上に狙われやすいよ”って。“そう言う岩崎先輩はどう思います?”って聞いたら“そうなる前に横取りしちゃえ!でなきゃあたしがやるから”って言うのよ!他にも“(山口)千春とか、永田ちゃんも意識してる。競争は始まってるのよ”って脅かすの!あたしは、じっくりと狙うつもりだったけど、周りが強敵ばかりとなるとね、速攻を仕掛けるしか無いと思ってるの!」千絵は真顔で言った。そして、和歌子先輩から貰ったネックレスを掴むと「これは、あたしが預かるわ!だから、これを付けて!」と言って自分のネックレスを差し出した。「千絵の鈴を付けろか?これ、みんなに知れ渡るぞ!それでもいいのか?」「うん、覚悟上だよ!年上なんて忘れさせてあげる!」と言うとキスをして来た。逃れる場も無いので受け止めるしか無かった。千絵は高校の時の長いネックレスを僕の首に戻すと、自分のネックレスを僕の首に巻いた。「これでよし!絶対に外さないでね!Y先輩は、あたしのモノだから!」彼女は真剣だった。こうなれば、僕も腹を括るしか無い。誰がどう見ても“千絵のネックレス”だと知れ渡っているモノを付けられたのだから、逃れる事は不可能だった。「じゃあ、行こうか?」千絵が僕の手を引いて歩き出す。「どこへ行くんだ?」「分かり切った事は言わないの!あたしに着いて来て!」と言うと、空港ターミナルを出てマーチに押し込んでから、近くのモーテルへ入った。「どの部屋にする?」腕を僕の首に巻き付けると、甘えた声で言う。一瞬たじろいでいると、千絵は勝手に部屋を決めて僕を引きずり込んだ。スカートを落としてから僕をベッドに押し倒すと「頑張りなさいよ!」と言ってノースリーブを脱いでブラを外す。大き目の弾力のある乳房に手を持って行くと「好きよ」と言って唇を重ねて来た。3回戦までを終えると、シャワーを浴びに行く。バスタブに湯を張って2人で入ると「優しいんだね」と言って抱き着いて来た。その表情は安心した顔だった。「初めての時は、乱暴にされたから、すごく悔しかったの。でも、今は心からしあわせな気分」千絵はずっと余韻に浸っていた。

月曜日、千絵と僕は肩を並べて出勤した。この日からずっと一緒に寮から歩くのが日課になった。「おはようー!」後ろから岩崎さんと永田ちゃんが走って追い付いて来る。「あっ!千絵!やったわね!」岩崎さんが僕の首元をみて言う。「先手必勝か!でも、まだ、指輪が残ってるもんね!」永田ちゃんが負けまいと強がりを言う。「そうそう、千絵に独占させるつもりは無いわよ!最終的に決めるのは、Yなんだから!黙って引き下がるもんですか!」岩崎さんも負けじと言う。朝から熱いバトルが幕を開けた様だ。これは予想通りだったが、僕は別の事を考えていた。毎週、月曜日の朝は“特別な日”である。とにかく朝礼が長いのだ!全体朝礼に引き続き事業部の朝礼、課の朝礼、係の朝礼と続き、通しで1時間半は軽くかかるのだ!特に“安さん”の熱い話は事細かに延々と続くから付き合う我々も必死である。始業が午前6時だから、7時半にならないと各員は作業を開始できない。8時半にはパートさん達が出勤して来るので、1時間で段取りを組まなくてはならないのだ。それが、結構な“地獄の作業”で、アタフタとしていると出荷検査に煽られる一因になるのだ。眠い目を擦りながら整列していると、田尾がやって来た。「上手く行ったぜ!これでしばらくは静かになるだろうよ!」「そうか、次はヤツ等も迂闊には接近してこないだろうよ!同じ手を食わないためにもな!そう来たら“卑怯者”といって罵れば、逆上して突っ込んで来るだろう。そこで、穴でも掘って置けば簡単に落とせる。後は包囲して土でもかけてやればいい!」「相変わらず抜け目がないねー!それにしても“チカン撃退スプレー”って何気に凄いな!4人を動けなく出来たのは大きかったぜ!」「警察が使う催涙弾と成分は変わらない。しかも、至近距離でモロにかかれば、苦痛はより強く長く続く。目を奪われれば戦力は無いに等しいし、1対1に持ち込めれば腕力がモノを言う。最後はスプレーで決めただろう?」「ああ、そこは抜かり無く仕留めたぜ!それにしても、ここまで知恵が回るヤツはお前が初めてだ!これからも宜しくな!」田尾はそう言うと慌てて列に戻った。“安さん”が踏み台に立ったからだ。田尾達の喧嘩の“作戦参謀”としての仕事は、帰任するまで続いた。様々なシュチュエーションでの喧嘩のサポートは、高校時代に積み上げた経験が生きた形となって表れたものだった。“安さん”はこの日ご機嫌斜めで、次々と叱責を続けた。やり玉に挙げられる方もたまらないが、聞いている方も“明日は我が身”と身を縮めていなくてはならない。僕は縮こまりながらも要点をメモして、パートさんの朝礼の種をまとめて行った。課の朝礼にも“安さん”は立ち合い気合をかけられた。そして、係の朝礼にも同席すると、徳田・田尾コンビに具体的な指示を出して行った。どうやら、先週の金曜日に“早出残業”をしたのが祟ったらしい。帰り際、「Y、パート朝礼は8時半だな?」と言われ「そうです」と言うと「今日は俺からも話がある。時間を取ってくれ!」と釘を打たれた。「分かりました」と言って“安さん”を見送ると急に震えが来た。「これは、タダでは済まねぇ!Y、覚悟しときな!」と田尾が言う。確かに、ここに配属されてから“安さん”の雷が落ちていないのは僕だけだった。「いよいよ来るのか!」腹を括ると慌てて段取りを組み始めた。

午前8時半、“安さん”を迎えてのパート朝礼が始まった。返し工程と出荷検査工程の合同である。これは、いつも通りだが、“安さん”の存在が重い空気を作り出していた。「伝達事項は以上です。安田さんお願いします」と言って僕は“安さん”に場を譲った。「おはよう!Yが今言った通りに、いよいよ新しい製品が流れ出す。細心の注意を払って取り組んでもらいたい!これは、我々にとっても大きな受注の糸口になるモノだ!返しはYの指示に、出荷は徳田の指示に従ってくれ!全員で大口の受注を掴み取る!各自心してかかれ!以上だ!」“安さん”の話は呆気無く終わった。「では終わります。今日も宜しくお願いします」と言って朝礼を閉じると「Y、ちょっと来い!」と“安さん”に部屋の隅へ連れて行かれる。「要点をまとめてあるとは驚いた。一筋縄では行かない“おばちゃん達”だが、上手くバランスを取ってるじゃないか。お前をここへ据えたのは間違いでは無かったな。これで、“任期延長”の申請をする必要性と理由が見つかった!お前は簡単に帰任させん!むしろ、このまま留まれ!要望は聞いてやるが、ここの統率をしっかりと取り続けろ!分かったな?」「はい、承知しました」「うむ、小賢しいヤツだ!俺に指導をさせぬとは、お前だけだ!」と言うと不敵な笑みを浮かべて引き上げて行った。「珍しいな!“安さん”の雷が炸裂しないなんて、やはりタダ者じゃない!」聞き耳を立てていた徳田と田尾のコンビが首を捻っていた。「それより、今日の急ぎは何だ?」「RCAとTI台湾の金ベースとキャップから。8ピンと12ピンのベースは出次第で」徳田がメモを見ながら言う。「OK、直ぐに手配する。金ベースとキャップ優先でお願いします!」「はいな!みんな行こうか?」“おばちゃん達”も慌ただしく動き出した。1週間の始まりにしては上々だった。首元には千絵のネックレスが付いているが、襟のヨレていないTシャツで隠している事もあり、気付いた人は居ない様だ。“次の山場は昼休みだろう”と思っていたのだが、その前に“大事件”が起こってしまうのだった。

「あれ?このキャップ全部逆ノッチだわ!Yさん、このロット全滅かも知れないわよ!」「ええ!全滅ですか?前後のロットはどうなってます?」僕は冷や汗が伝うのを感じながら言う。「前の前までは、問題無し。途中からですね。急に逆ノッチに変わってますよ!」“おばちゃん達”の目に狂いがあるはずが無い!「至急、検査工程に連絡を!僕は塗布工程に行ってきます!現物と工程管理表を!被害状況も至急調べて下さい!」僕は部屋を飛び出すと、塗布工程の橋元さんに駆け寄り「逆ノッチが多発しています。目下、1ロットの全滅を確認しました!現物と工程管理表はこれです!」と言うと橋元さんの顔が青ざめる。「本当だ!完全に真逆じゃないか!8ピンのキャップの塗布は誰が段取りを取った?」塗布工程も蜂の巣を突いた様に慌ただしさの中に放り込まれる。「今村です!引き続いて高城が夜勤で塗布をやってます!」「直ぐに今村を呼べ!高城も叩き起こせ!Y、どこからこうなっている?」「今、調べてますが、あるロットの途中から突然真逆に変わってます!ともかく、現物の確認を!」「よし、取り敢えず工程を止めろ!焼成炉と返しに分かれて確認を取る!溝口、今村は?」「今、自宅を出ました!30分で来るでしょう。高城は叩き起きしてもらってる最中です!」「整列工程に磁器の在庫があるか確認を取れ!無いとなると大事になるぞ!徳永さんにも知らせろ!Y、行こう!事は急を要する!」橋元さんと僕が返しの部屋に戻ると、徳田・田尾コンビも駆け付けて、仕分けが始まっていた。「遅番の最後からだな。夜勤の分は全滅!途中で機械の調整をしてませんか?」田尾が橋元さんに聞いた。「段取りをしたのは、今村だよ。こんなミスが起きるとは考えにくい!高城の時にトラブルがあったかどうか・・・」「地板を逆に入れた可能性は?」徳永さんが駆け付けて来た。「それはあり得ません!逆にすれば、はまらない様になってるんです!塗布する以前に機械が動かない構造になってます!」「だが、現実は真逆になってる。途中でスクリーンを交換してるか?」「そこまでは断定できません!今村に聞くしか手が無いんです!」橋元さんのセリフも歯切れが悪い。全ロットの約3分の2が不良になったのだ。ダメージは大きい。「橋さん、磁器の在庫がありません!次回の生産は来月になるとの事です!」溝口さんが駆け込んで来る。「それじゃあ、今月の出荷に間に合わない!徳永さん、川内に言って作ってもらえませんか?」徳田が言う。「交渉しないと分からんが、飛び込みで入るかな?ともかく、聞いてみる!営業にも言っては置くが、どこまで引き延ばせるか保証は無いぞ!」徳永さんは急いで2階へ向かった。入れ替わって“安さん”が怒鳴り込んで来る。「誰だ?!つまらんドジを踏んだ間抜けは!」雷全開で湯気を立てている。「今村と高城は何処だ?!事と次第に寄っては懲罰モノだぞ!橋元!2人を連行しろ!首を洗っている暇は無い!」と真っ赤に燃え上がっている。その時、僕はある“違和感”を感じていた。「橋元さん、この地板なんですが、こちらが上ですよね?」僕は地板の方向性を聞いた。「ああ、こっちが上で間違いない。そもそも、機械もこの方向でしか受け付けないんだ!それがどうした?」「ある時を境に、整列方向が全て逆になってませんか?」僕が地板を凝視しつつ言うと「あの馬鹿野郎共が!Yの言う通りだ!整列方向が全部逆になってやがる!こんな簡単なことに気付かないとは、何たる不覚!橋元!下山田も引きずって来い!あの野郎、居眠りでもしてるとしか思えん!一番経験の浅いYに見抜けて、我々が見抜けないとはどう言う事だ!2階で待っている!直ちに関係者を出頭させろ!徳田!梱包済の製品も再検査に回せ!恥を晒すのは許さんぞ!」と言うと湯気を立てたまま“安さん”は踵を返して立ち去った。橋元さん達は整列工程に抗議へ向かうと同時に、不良品の仕分けを始めた。僕も「もう一度見直しをかけましょう」と言って再検査に協力した。下山田、今村、高城の3人は、“安さん”に油を絞られて散々に罵倒された。しかし、同時に川内に掛け合って、飛び込みの生産を依頼した。大車輪での製造が行われて、納期には間に合ったのでクレームにはならなかった。「Yに救われたな。あそこで気付かなかったら大問題になっていただろうよ。心眼いや、神の眼差し“神眼”だな!」昼休みに橋元さんはそう言って僕の肩を叩いた。

大騒動が勃発した月曜日が暮れると、僕と千絵は疲れた足取りで寮に向かって歩き出した。途中から岩崎さん、永田ちゃんが追い付いて来る。「あー、疲れたー!Y、大活躍だったじゃない!」と言って腕を絡ませて来る。千絵は左腕を掴んで「付け狙っても無駄です!」と言って膨れた。永田ちゃんは背中に手を置いて「まあまあ、みんなの共有財産ですから、多少事は目をつぶって下さいよ!千春先輩だって“今度はドライブに誘って!”って言ってましたから。みんなY先輩で遊びたいんですよ!」「それは・・・、ダメって言えないって事なの?」千絵は僕の顔を覗き込む。「パートさんも含めれば50人の女性陣が居るんだ。今度、“取り調べ”飲み会をやるって言うし、それも断るのは野暮だろう?こっちに着てまだ半月も経っていないのに、これだけお声がかかるのは良いのか?悪いのか?自分でも判断が付きかねるとこ。高校以来だよ。こんなに女性陣と会話するの。“安さん”からは“半永久的に釘付けにする”って、朝言われたばかりだし、正直、先が見えないトンネルの中に居る感じなのさ」と言うと「“安さん”が“半永久的に釘付け”云々を言ったって事は、意外にマジなのかもね。あの人、そう言う事は本気出してやるから!Y、これを機会に居付いちゃえば?」岩崎さんが前向きに言い出す。「あたしは、帰さないつもりだから!どうしても“戻る”って言うなら着いて行くよ!」千絵は左手をしっかりと握りしめた。「あたしとしましては、地下牢に閉じ込めたい気分!勿論、牢なんて無いけど、Y先輩と仲良く仕事して遊びたいのが本音!」永田ちゃんが後ろから言って来る。時折、僕の作業帽子を自分の頭に載せている。「千絵、基本は貴方の彼氏だけど、職場ではみんなの“共有財産”って事で妥協できない?Yだって向こうに彼女居るんだし!Yをこっちのモノにするなら、みんなで協力しなきゃダメよ!いずれは、譲るにしてもね!」岩崎さんは着地点を示した。かなりの軟着陸だが・・・。「そうか、まずは“奪還”されない様にしなきゃダメですよね。色仕掛けでも、集団で囲ってもY先輩を捕られない様にガードしなきゃなりませんね!いいでしょう!薩摩の女の子の意地と誇りに賭けてやり抜きましょう!」千絵はメラメラと燃え出した。こうなると“薩摩おごじょ”は強い!「今度の週末も、このメンバーでドライブに行きましょう!目的地は宮崎、日南海岸でどうです?」千絵が言い出すと「乗ったー!」と2人が合唱する。「あたしが車を出すわ!Y、スカイラインを転がせる?」岩崎さんが言う。「何でも来いですよ!余り飛ばしませんから」「基本、男子の車だから、お手並み拝見よ!」「コースは、あたしが当たりを付けますから、ナビゲートは任せて!」と永田ちゃんも言う。こうして、週末はまた遠出の旅が決まった。「Y、貴方は“薩摩隼人”にならないでね。“そのままのY”がみんなの憧れなんだから」岩崎さんがダメを押すように言う。「地の言葉に土地に慣れなくてもいい。Y先輩は“今のまま”で居て!」千絵も言う。「不思議だな、出口が見えた気がする。ここでの生活も悪くは無いね。何より明るいのがいい。みんな前向きだし情熱的だ。“住みつくのもありかも”って思えて来たよ!」寮の入口が見えて来た。「そう思ってくれるなら、あたし達も応援する!Y先輩、また明日!」永田ちゃんがそう言うと、3人は手を振りながら女子寮へと向かった。間もなく第3次隊がやって来る。「あっと言う間に半月か。早いなー!」と呟きながら寮へ入ると、克っちゃんが出勤するところに出くわした。「よお、早番なのに遅いな。残業かい?」「品質トラブルの余波を喰らって大変だったよ。吉田さんは?」「遅番だよ。同じ事業部でも横の繋がりは無いのか?」「無いね。向こうが何してるか?考える前に、目の前の蠅を叩かないと帰れないんだよ」「それは俺も同じだ。取り敢えず行って来るぜ!残業もあるから、9時を過ぎないと帰れねぇ。戸締りは任せた!」「気を付けてな」すれ違うだけでも貴重な時間だった。50名はそれぞれの時間帯でバラバラに動いていた。休みが平日のヤツもいる。4直3交代、365日連続稼働の職場もあった。わずか半月、されど半月。僕等は国分に組み込まれて動いていた。抗う事は出来ないのだ。翌日の昼休み、昨日の余波がまだ残っている中、僕は岩崎さんに呼び止められた。「Y,当然ながらMTの運転、大丈夫だよね?」「ええ、問題ありませんが?それが何か問題でも?」「何でもなくは無いか。千春、Yに話してもいい?」「うん、アンタがその気なら、止める権利は無いもの」と山口千春先輩は言った。「あたしの心の闇に興味ある?千絵は知ってるから、貴方も知って置くべきかと思ってさ!」出荷検査のトップであり、笑顔を絶やさない岩崎さんの心の闇とは何なのか?僕は吸い込まれる様に、彼女達の前に座った。

life 人生雑記帳 - 52

2019年10月17日 06時49分13秒 | 日記
「ドスン!」と結構な衝撃を伴って、飛行機は鹿児島空港に着陸した。名古屋の小牧空港を経ってから、1時間余りのフライトだった。今では“セントレア”だろうが、当時はまだ形すらなかった。鹿児島空港の滑走路の長さは3000m。ジャンボジェットがギリギリで離着陸可能な範囲だ。離島への便だろうか?小型のプロペラ機も駐機場に居た。規模の割には、離着陸回数が多いのがこの空港特徴であった。“姶良カルデラ”の外輪山の縁に空港は立地しているので、国分工場へ行くには山を下ってカルデラの底へ降りて行く必要があった。「遂に来ちまったな!」誰とも無く口を突いて出たセリフに、僕も身震いをした。既に国分からの迎えのバスは、ターミナルに横付けされていた。大きな手荷物をバスに押し込むと、バスはゆっくりと走り出す。外気温は28℃を指している。「暑いな!」誰とも無く言った声で、全員が背広の下に着ていたカーディガンの類を脱ぎだした。「長旅、お疲れ様です。ここから国分工場までは、およそ1時間で到着します。みなさんが事前に送られた荷物は、既に寮への搬入を終えております。本日は工場到着後に、工場長からの挨拶を含めた工場全体の説明を行ってから、寮へ入って頂きます。夕方には寮での“歓迎会”が予定されておりますのでご承知置き下さい」総務の担当者がマイクで説明を始めた。「食事はどうするんです?」第2次隊の隊長である田中実さんが聞いた。「工場には、2つの食堂が24時間、365日営業しております。御心配には及びません。他には何かございますか?詳しくは、工場に着いてから子細にご説明しますが?」問いかけに答える者は居なかった。全員が極度の緊張状態に置かれていて、車窓の景色を見る余裕すら無かったのだ。「間もなく到着します」と言うアナウンスでやっと全員が我に返った。国分工場は、全社で最も規模の大きい工場である。バスが走って行く先には、巨大な建屋が延々と続いている。“田の字”をした敷地は大きく4ブロックに分かれていた。その中を市道が取り巻き貫いていた。道幅は広く片側2車線は取れるぐらいに広い。総務部門があるメインブロックにバスが滑り込むと、総務部総出の歓迎が待っていた。正面玄関の前にバスが横付けされると、僕等は国分の地を踏みしめて整列した。「O工場第2次隊、只今到着しました!」と田中さんが言った直後にドーン!と轟音が轟いた。思わず振り返ると、南の方向に灰色の噴煙が高々と盛り上がっていた。「みなさんの到着を桜島が祝っております。今日は、一段と盛大に噴いておりますよ!」工場長は眉1つ動かさずに笑って答えた。「遠路よりご苦労様です。みなさんの活躍に期待しております。既に第1次隊のみなさんには、現場の戦力としてご尽力頂いております。慣れない地での勤務は何かと大変でしょうが、各事業部の期待に添うようにご協力をお願いします!さあ、立ち話はもういいでしょう。会議室へお入りください。冷房は効かせてありますから」と会議室へ通される。これから何が待っているか?誰もまだ知らされては居なかった。

総務での大まかな説明を終えると、僕等は歩いて寮に向かった。「広いなー!寝坊したら速アウトじゃねぇか?」「ああ、吊るされるのは間違いないだろうな!ここは“本丸”だから余計に厳しいだろうぜ!」などと言いながらゆっくり歩く事10分で寮に着いた。「部屋割りは、先程説明した通りです。まずは、各部屋へ荷物を運びこんで下さい。1時間後に寮長から具体的な説明を受けますので、談話室へ集まって下さい」と言われ、僕等は各部屋へ荷物の搬入を始めた。幸いなことに、僕の部屋は同期の進藤克彦と3期先輩の吉田豊の3人だった。もう1人は、1か月後に来る第3次隊が来ると言う。「2段ベッドか。寝相の悪いヤツは下だな。克っちゃんはどうする?」「俺は上にするぜ!」「吉田さんは?」「俺は絶対に下だ。直ぐに動けないと損をするからな!」彼は窓のカーテン越しに北側の女子寮を見つつ言った。「覗けるみたいだから、俺は窓側で決まりだ!」と言うので、僕が廊下側の下を取った。克っちゃんも窓側の上を取った。クローゼットに背広を押し込んで作業着に着替えると、事前に送った段ボール箱を開けた。「細々したヤツの整理は後回しだ。もう直ぐ時間になるぞ!」吉田さんが時計を見て僕等を急かす。5階建ての寮の部屋へ私物を運び上げるだけでも、かなりの時間を費やした事になる。エレベーターなんて気の利いたモノはあるはずも無い。慌てて1階の談話室へ入ると、半数が集まっていた。「よお!これから寮長の説明会か?俺は早番だったから寝かせてもらうぜ!」1足先に進駐している同期の赤羽が上がって来た。「馬鹿野郎!そうは問屋が卸さねぇよ!近くにコンビニはあるのか?」赤羽を羽交い絞めにして克っちゃんが問い詰める。「残念ながら国分には1軒も無いよ。買い出しに行くなら自転車で市内まで走るしか無いんだ」赤羽の言葉に僕等は愕然とした。「マジかよ!とんでもねぇとこに俺達は居るのかよ!」克っちゃんが言うと「とにかく俺達の常識は通用しないんだ。自販機だって工場を出たら見つけるのに苦労するぐらい田舎だからな!言っとくが、自転車は5台しか無いし、車は3台しか無い。全部予約制だから、気を付けろよ!その代わりに“門限”は無いけど、夜中は入るだけの一方通行になる。休みの日も夜10時を過ぎたら出歩かない事だよ!」と言って釘を打ってくれる。「市内までの所要時間は?」僕が聞くと「歩けば40分。自転車でも15分はかかるだろうな。ただし、迷わなければの話だがね」と少し穏やかに言う。「赤羽、もう休んでくれ。疲れただろう?」僕は克っちゃんから引き剥がすと赤羽を解放した。「思っている以上に現実は厳しいぞ!どこへ配属されるか知らんが、3交代は間違いないだろうよ。じゃあ、お休み!」赤羽はあくびをしつつ部屋へ消えた。「2交代はやって来たが、3交代か!灼熱の地で昼間寝れるかな?」吉田さんは腕を組んで考え込んでいた。「“郷に入れば郷に従え”ですよ。腹を括ってかからないと、まともに生活出来そうにありませんね」と僕が返すと「遊んでいる暇も無しかよ!」と克っちゃんが言う。「ああ、そう言うところに俺達は来たんだ。無事に帰れる保証も怪しいって事さ!」と吉田さんが言う。こうして、僕等の国分での生活は始まったのだ。

寮長からの説明は、赤羽の話を裏付ける事に終始した。ただ、「女子寮とは、インターホンで繋がってます。相互に連絡を取り合うには、部屋番号と氏名を言って取り次いでもらって下さい。ただし、午後9時以降の連絡は禁止ですのでご承知下さい」と言う部分は抜け落ちていた。その夜は、寮での歓迎会が開かれたが、余り酒は進まなかった。配属先と勤務形態が分からなくては、誰も落ち着けなかったのである。翌日の朝、総務棟での会議は配属先の事業部の説明から始まり、昼を挟んで午後からは辞令が交付された。“半導体事業本部サーディプ事業部配属を命ずる”と書かれた辞令を受け取ったものの、何をするのか?はとんと浮かんで来ない。克っちゃんは、同じ半導体事業本部でも“レイヤーパッケージ事業部”に吉田さんは僕と同じ“サーディプ事業部”へ配属が決まった。事業部毎に会議室へ振り分けられると10名が顔を揃えた。一様に表情は硬い。しばらくすると、1人の紳士がやって来た。「サーディプの吉越と申します。みなさんをご案内しますので、事業部へお越しください」と丁寧な言葉で言った。多少の訛りはあるが、なるべく分かりやすく喋ろうとしているのは意識している様だった。事実、外へ出て歩き出すと「吉越、派遣隊の引率か?」と鹿児島弁で声が飛ぶ。「そうや、こいから座学じゃ!」と言うのが自然に映った。「すみません。なるべく地の言葉を使わない様にしてはいるのですが、事情を知らぬ者も多々居ります。初めはびっくりされるかと思いますが、慣れて下さい。悪意は無いですから」と吉越さんは言って建屋の中へ僕等を通した。「今日と明日は、“サーディプとは何か?”に始まり、作業上の安全衛生までを勉強をして頂きます。講師は、随時呼び入れますが、聞き慣れぬ言葉がありましたら、ご遠慮なく言って下さい。では、技術の下福岡からセラミックパッケージ全般についての説明を行います」と言って勉強会が始まった。ひたすらに学ぶこと1日半、2日目の午後になるといよいよ配属先の責任者が呼び出された。「諸君、ご苦労である。私が国分のサーディプを預かる安田順二だ!貴様ら!全員、徹底的にしごいてやる!1日も早く、増産に向けての戦力となれ!」安田順二。通称“安さん”、この男との出会いが、僕を後に大きく変えることになる。任期を終えてもなお、国分に2ヶ月間足止めさせたのは、彼の指導に寄るところが大きく影響している。僕は徳永さんと言う課長に引き渡された。「では、行こうか。岡元が待っておる」と言われて、迷路のような建屋を進む。焼成炉の奥に僕の働く場所はあった。「岡元、Yさんを連れて来たと。引継ぎを頼んだぞ!後、防塵服のサイズと帽子のサイズを知らせてくれ!」と言って引き渡された。かなり大きな部屋だが、岡元さん以外に人は居なかった。「ワシが岡元じゃ。宜しくな!ここは、パートさんが主力の職場なんだ。今日は全員帰って居ないが、25名のパートさんと共同でここを回すのがお前さんの仕事だ。俺は、2週間後には別の職場に異動になる予定だ!時間は限られているが、それまでに全てを伝える。まずは、後工程を見せてやろう!」と言うと二重のドアを開けて別の部屋へ案内された。顕微鏡を覗いている女子社員が25名居た。「出荷検査工程だ。俺達は焼成炉から上がって来た“キャップ”と“ベース”を治具からトレーへ移し替える“返し工程”を担っているんだ!簡単な検査も引き受けている」と岡元さんが話していると、全員が僕を見ていた。女子の集団は高校以来になる。「徳田、田尾、俺の代わりに“返し工程”へ入るYさんだ。この2人が出荷担当になる。検査と出荷と連携することも職務の内だ。2人ともお手柔らかにな!」残業で出荷にいそしむ2人と軽く顔を合わせていると、女子社員達が群がって来た。「あっ!ネックレス付けてるよ!」「でも、指輪はしてないから、彼女に鈴を付けられたな!年上?年下?」早速僕の首元の見分が始まった。遠慮も何も無しだ。「細かい事は追々聞け!“衣装合わせ”に案内もまだなんだ!今日は顔見世だから勘弁しろ!」方々の鄭で出荷検査室を出ると「明日から大変だぞ!女性達を黙らせるには、半月はかかるな。薩摩の女達は話が長いんだ!覚悟はいいか?」「ええ、今ので何となく分かりましたよ。パートさんも同じでしょうね?」「新しい“おもちゃ”だと思ってイジられるぞ!防塵服はLサイズでいいだろう。ロッカーはこっちだ」岡元さんが案内してくれる。タイムカードの場所や建屋への出入り口を回ると、再び元の部屋へ戻り「基本は早番勤務になるが、残業も入れると帰りは午後5時前になる。寝坊は厳禁だぞ!“安さん”に2時間は吊るされて怒られる!明日から早起きだが、しっかり付いて来いよ!それと、明日の朝礼で自己紹介がある。何を喋るか考えて置け」と申し渡される。「はい、宜しくお願い致します」「うむ、会議室へ戻れ。階段を上がって左手だ」僕は一礼をすると会議室へ戻った。3人が深刻な顔つきで待っていた。「女の子の集団か。厄介なことに巻き込まれなければいいが・・・」多難な船出の予感がした。

「おはようございます!朝礼を始めます。本日の連絡事項は・・・」あっと言う間に2週間は経過して、岡元さんから工程を引継ぎ、パートさんの朝礼も僕が実施するようになった。最も、朝礼に関しては1週間前から特訓として早々に引き継いでいたので、多少の経験は積んでいた。だが、言葉の壁は大きく地の言葉で喋られると意味不明なことが多々あった。それを補ってくれたのは、牧野さんと吉永さんいう共に横浜出身のパートさんだった。「懐かしい言葉を聞けるのは嬉しいわ!」と2人は言った。ご主人が共に鹿児島人で、10年前に帰郷されてから勤務していると言う。僕にとっては頼もしい“通訳”だった。出荷検査にもパートさんが3名居るので、総勢28名の“おばちゃん達”と25名の検査工程の女子社員に“おもちゃ”にされたのは言うまでもない。社員では永田さんと山口千絵、後々まで僕の心に残り続ける女の子が中心になって、あれやこれやと世話を焼いてくれた。「Yさんは、綺麗な言葉で喋られるから、気が引ける」と言っていたパートさん達とも徐々に打ち解けて、仕事は次第に順調に回り出した。「Y、後で作戦会議だ!知恵を貸せ!」田尾がドアから顔を出して言う。「今度は何人が相手だ?」僕が聞くと「7~8人は居る。こっちは3人だ。どうやって煙に巻いて戦う?」田尾は近隣企業のワルを相手に喧嘩に明け暮れていた。「昼休みに考えよう。場所を選べば不利は埋められる」「頼むぜー!あいつらを叩いて置けばしばらくは平和で過ごせる!」と田尾が言っていると「邪魔よ!田尾、出荷間に合うの?」と永田さんが顔を出す。「ヤバ!伝票を出さねぇと」田尾が引っ込むと永田さんが「TI(テキサス・インストゥルメント)台湾の銀ベースはまだ?」と聞いて来る。「今、炉から出始めてる。もう少し待てるかな?」と返すと「明日の出荷だから優先で返して!キャップは後でいいから」「了解です!」と言っていると「サンプルをいただきに来ました」と言って田井中さんがやって来る。品質保証部の子だ。1トレーを持ち帰って製品検証をして記録を残すのが彼女の仕事だ。「どんなに急いでても田井中さんは、Yさんを指名するね」パートさん鋭く突っ込んで来る。そんな姿を見ていた永田さんが、“ヤバイ”と察して千絵に報告に行く。千絵はぶっ飛んで来ると「Y先輩、RCAの金ベースまだ出てきますか?」と露骨に割り込みをして来る。僕は田井中さんに1トレーを渡してから、工程表に記載をすると焼成炉を見に行った。当然、千絵も付いて来るのだが2人きりで話すとしたら、これしか手は無い。「後、1時間前後だな。急いでも午後一になりそうだ。姫のご要望はなんですか?」「あたしの車、ポンコツだけどさ、エンジンのかかりが悪いのよ!週末空いてる?」「目下、がら空きでね、時間は?」「土曜日の午前9時でどう?もし、空いてるなら日曜日もあたしに付き合ってよ!」千絵は肘で僕を突いて言う。「姫のご要望とあれば付き合いますよ!ところで、車のバッテリーとかは弱って無いの?」「先週、車検から帰って来たばかりなのよ。あたしメカ音痴だから原因突き留めてー!」ダダをこねられる。後が厄介だ。千絵のご機嫌を損ねると、出荷検査のお姉さま方もすべからく敵に回す事になる。「とにかく、やってみるか?案外簡単な理由だったりするしな」と言って引き受ける。「土曜日の午前9時、寮の裏手で待ってるから。お願いだよ!」と言ってにわか煎餅を持ち出して千絵はねだった。「了解だ。金ベースは出次第返して送り込む。切れる事は無いよね?」さりげなく仕事の話をしつつ、部屋へ戻ると「それは大丈夫。ただ、時間がかかるから、急がされると苦しいのよね!」と千絵も調子を合わせて来る。この辺は妙に心得ている。千絵はVサインをさり気なくしてドアの奥に消えた。「ふー」と息を吐くと自身を落ち着かせてから、作業に戻る。「Yさん、ネックレスは何時からなの?」“おばちゃん”達の逆襲が始まった。「高校の時からですよ。それ以来、外した事は余り無いですね」とさり気なく返す。「高校でネックレスなんて、怒られなかったの?」「クラスの女の子達は化粧してましたから、何も言われませんでしたね。勿論、校則では禁止でしたけど」「高校生が化粧してるなんて、こっちでは考えられないね!東京では、それが普通なの?」「普通かどうかは分かりませんが、同級生は、ほぼ一通りの化粧道具は持ってましたね。帰りに化粧品を見てから帰るのも珍しく無かったし、僕のネックレスのチェーンが切れると、長くて丈夫なヤツ探してくれたりしてましたし。今のチェーンは、高校3年の時に探してもらったモノですけど」「ここには無い、安価なブランド化粧品とかあるでしょう?種類も多いし」吉永さんが言う。「そうですね、高校生が買えるのは、大手メーカーじゃありませんから。財布の中身は知れてましたからね、その中で如何にいいモノを買うか?結構悩んでましたよ」「それに付き合っていたYさんも恥ずかしくはなかったの?」「最初は恥ずかしいと言うか、違和感はありましたね。“男子がファンデ見てる”って視線も感じはしましたよ。でも、グループで行けば、気にならなくはなりましたね。男子2名、女子5名ですけど」「そう言う事か!これだけの女性に囲まれても物おじしないのは、高校時代にルーツがありそうね!」石井さんがやって来た。出荷検査工程のパートさんだ。「これ、残念だけど逆ノッチよ!1個だけだけど、工程表の訂正をお願い!」と言うと数字の訂正を求められる。「1個だけですか?他は?」「大丈夫だったわよ!今度、あたし達と飲み会しない?“Yさんの高校時代”を取り調べるの!興味のある人手を挙げて!」彼女が言うと全員が手を挙げた。とことんまでやる気らしい。“薩摩おごじょ”は手を抜かないと見た。「折を見てやりましょう!決まったら連絡するわ!」「取り調べは厳しいわよ!」牧野さんが苦笑しながら言う。「腹は括ってます。その代わり潰さないで下さいよ!」「大丈夫よ。遅くまではやらないから」と石井さんが言ったが、一抹の不安が過ったのは確かだった。

週末の土曜日、午前9時に寮の裏手の駐車場へ向かうと、赤いマーチの陰で千絵が待っていた。しかも、何故か同伴者が居る。岩崎さんと永田ちゃんだ。彼女は「“さん付け”じゃなくて“ちゃん”と呼んで下さい!」と申し出て来ていた。彼女は昨年度に入ったばかりだと言う。今日は、どうやら“お目付け役”で付いて来たのだろう。「おはよう」と言うと「おはようございます!千絵の車を見てくれるんでしょ?あたし達も同席させてね!」と岩崎さんから先制パンチが繰り出される。予感は当たりだった。「OK、まずは、整備記録簿を見せてくれる?」と言うと「あたしにはチンプンカンプンなんだけど、バッテリーは新品になってるらしいのよ」と言いつつ千絵が記録簿をダッシュボードから取り出した。分解整備記録簿に寄れば、特段の不具合は無かったらしい。ブレーキパッドの交換、プラグの掃除と調整、エアクリーナーとバッテリーの交換、特段の異常は認められない。「エンジンを始動させて」と千絵に言うと音を聞いた。セルモーターが回っている時間がやや長いが、エンジンは確実に始動した。ただ、アイドル回転が安定しない。「妙だな?温まっていない事を差し引いても、回転が不安定だ。一旦、エンジンを止めて!ボンネットを開けて見るか!」僕が言うと「どうやって開けるのよ?」と女性陣から言われる。「レバーを引いてね、ロックを外せば、ほら空いた。確かにバッテリーは新品だな。となると、プラグコードの接触不良かもね。掃除をして見るか!」軍手をして千絵にウエスを出させると、慎重にプラグコードを引き抜いて行く。プラグの頭を拭いて、コード内の接点も拭き上げる。黒い埃がウエスに付いた。プラグコードを奥までしっかりと差し込むと「エンジンかけて見て」と千絵に促す。軽くセルモーターが回るとエンジンは始動した。アイドル回転はしばらくすると安定し始めた。「こんなもんですが、どう?」と言うと「よく出来るね!あたしなら怖くて出来ないよ!」と岩崎さんが言う。懐疑的だった口調が明らかに変わった。「たったこれだけで随分と変わるものね。Y先輩、工業科か機械科を出てるんですか?」と千絵が聞く。「いや、普通科だよ。だが、自分の車は、自分でいじれる範囲で手を入れてるから、全く知らない訳じゃない。多分、コードの差し込みが甘かったんだろうよ」「Y先輩、加速も鈍くなってるんですけど、何か手はありますか?」千絵は更に踏み込んで来る。「車を使う頻度はどれ位?」「週末に動かすぐらいかな。長期休暇の時は自宅まで帰りますが・・・。ともかく、職場は近いし、買い溜めもしてるから、ほとんど動かないと思ってもらっても構いませんよ」「そうなると、タンクの中に水が溜まっているのと、キャブレターの中で詰まりが発生している事は否定出来ないな!この辺でカー用品を扱っている店はどこ?」「市内の海沿いにあるけど、どんな手が浮かんでるの?」岩崎さんが聞いて来る。「ガソリン添加剤で水と詰まりを追い出すんですよ!一番安価で確実に分かる方法ですよ。添加剤を入れたら満タンにすればいい。少し走ればより結果は早く出ますよ」と言うと「千絵、Y君連れてドライブに行かない?時間はあるし、彼に鹿児島を案内するのはどう?」岩崎さんは“行こうよ!”と提案しているのだ。「うん!みんなで行こうよ!運転は交代でやれば疲れないし、何よりここで話しててもらちが明かないし!永田ちゃんもいいかな?」千絵も前のめりになって来た。「うん、行こう!Y先輩、美味しいラーメン食べに行きません?」断る理由が無かった。「いいよ。財布と免許証を持ってくるよ!」と僕は3人の提案に乗った。「車、正面に付けるね。永田ちゃん、岩崎先輩、支度しましょう!10分後に男子寮の前に集合でいい?」「OK、急いで支度しなきゃ!」「じゃあ、10分後に!」僕等は寮の部屋を目指して動き出した。10分後に赤いマーチが男子寮の前に止まった。「運転、お任せします!」千絵は助手席に移動した。後部席には永田さんと岩崎さんが乗っており、化粧を続けていた。「道が分からないが、取り敢えずどう行く?」と僕が聞くと、「真っすぐ、海に突き当たるまで進んで!」と千絵が言う。僕はアクセルを踏んで車を走らせた。「Y先輩、カセットテープとか持ってます?」永田ちゃんが言い出す。「ああ、バックに4本ばかりあるけど、趣味が違わないか?」と言うと「それが知りたいのよ。どれどれ、これ長そうだからいって見ようか?」岩崎さんがセレクトしたのは、滝と共同企画した“night driving Music”だった。別名は“中央フリーウェイ体感テープ”である。「岩崎良美からスタートか!あたしが偶然選んだにしては、出来過ぎてない?」車内は笑いに包まれた。海岸に出ると、桜島が遠くに見え、噴煙を棚引かせていた。「いざ、指宿へ!」岩崎さんが勢い込んで言った。

カー用品店で添加剤を買い込んで、スタンドでガソリンを満タンにした赤いマーチは、国道10号線を西に向かって走り出した。ハンドルは千絵が握っている。僕は、永田ちゃんと後部席に並び、助手席には岩崎さんが座った。加治木町を過ぎると、日豊本線と平行して海沿いを南下するルートに入った。桜島が一際大きく迫って来た。「Y先輩、これ完全オリジナル企画のテープですよね?CMはどこから持って来たんです?」永田ちゃんが首を捻る。「音源はFMラジオさ。番組を丸ごと録音してCMだけを切り出したんだ。手間は半端なくかかったけどね」「“趣味の領域”ってヤツですね。録音は自宅で?」「いや、東京の友達の下宿先さ。機材は友達が選りすぐった品で固めてある。簡易スタジオと言ってもいい設備がある!」「それにしても、寸分の隙も無く曲とCMを繋いだ真の目的は何なの?」岩崎さんが問う。「新宿から高速バスで、ある“場所”を目指して走る事を想定して計算してあるんですよ。もうじき曲がかかりますから分かるでしょう」と返すと“中央フリーウェイ”が流れ出した。“右に見える競馬場。左はビール工場。この道は、まるで滑走路。夜空に続く”有名なフレーズを聞いた彼女は「“中央フリーウェイ”って実在する場所なの?」と驚いたように言う。「ええ、中央道の調布ICを過ぎると、実際に歌詞の通りの景色が見えますよ!」と言うと「まさか、自分で走りにいったりしてない?」と聞いて来るので「ええ、やりましたよ!帰りの首都高でラジオから流れた時は笑いましたが」と言うと「東京には敵わないか?ドラマのロケ地なんかも都心に結構あるし、東京に車で数時間以内に行けるのは、大きなアドバンテージよね」とため息交じりに言う。「でも、住みたいとは思いませんよ。気ぜわしいし人混みは多いし、何より人工物が多過ぎます!目の前の景色は、東京では絶対にあり得ないモノなんです。山に囲まれて育った僕にしてみれば、海と山が共存する風景が憧れなんですよ。都会には喧騒と無表情な人々とビルしか無い。最先端は行ってるかも知れませんが、それが何だと言うんです?」僕はそう返した。「確かに、東京は疲れる街だものね。何事もおおらかが良しか。Y、アンタ変わってるね!こんな南の果てに来ても、土地に馴染もうとしてる!その姿勢、気に入った!さあ、千絵!絶対に逃すなよ!釘づけにして、あたし達の“おもちゃ”にするよ!」岩崎さんは、またまた勢い込んで言いだした。「あたし達からは、簡単には逃げられませんよ!」永田ちゃんも妖艶な笑みを浮かべて牽制して来る。鹿児島市内に入る手前で、車は左折してラーメン店に立ち寄った。「チャンポンが有名なんです!“白くまセット”で行きましょうよ!」永田ちゃんは、サッサとメニューを決める。昼前にも関わらず、テーブル席を確保出来たのは“奇跡に近い”との話だった。巨大な丼に山程の野菜が積まれたチャンポンが運ばれて来た!「太麺ですから、底から麺を引き出して、野菜にスープの旨みを染み込ませるのが、美味しく食べるコツですよ!」永田ちゃんはさり気なく教えてくれた。チャンポンを流し終えると、これ又巨大な氷菓子が運ばれて来た。「“白くま”です。暑さ対策としては鉄板的なモノですよ!」熱々のチャンポンの後に食した甘い“白くま”は意外にも合う!4人での食事は賑やかだった。再び車に乗り込もうとすると「Y先輩、お手並み拝見しますよ!」と言って千絵はキーを投げて寄越した。「ナビゲートはあたしに任せて!この先は山道よ。かっ飛ばして見せて!」と岩崎さんが言う。「よーし、やって見るか!」赤いマーチを勢いよく走らせると、フル乗車をモノともせずに進みだす。「“指宿スカイライン”へ入って」と言われ有料道路へと乗り入れる。赤いマーチは軽快に南へと走りだした。

life 人生雑記帳 - 51

2019年10月15日 16時33分32秒 | 日記
第5章 社会人白書 〜 薩摩の国へ

新入社員歓迎会で酔い潰れた僕は、軽い頭痛で眼を覚ました。Tシャツにトランクス姿で派手なダブルベッドに寝ていた。着ていた服は、丁寧に畳まれて水色のソファーの隅に置かれている。「此処は、何処だ?」眼鏡は枕元に置かれていた。「Y,お目覚めかな?」後ろから声が飛んで来た。振り返ると、酒井和歌子先輩があられも無い姿で微笑む。上は、白のキャミソールだが、ノーブラでピンクのパンティ1枚と言う格好である。「シャワーを浴びてな!あたしも後から行くからさ・・・」どうやらお持ち帰りになったらしい。こうなると、行き着くところまでは、規定路線だろう。やたらと広いバスルームで、シャワーのカランを捻りバスタブには湯を張った。やがて、和歌子先輩が全裸で入って来た。細身だが均整の良いプロポーションだ。シャワーを浴びながら「Y,知らないとは言わせないわよ!男と女が何をするか?分かるでしょ?」乳房に手を触れさせると、キスをして来る。後は成り行き任せだった。3回戦を終えると「真面目な顔してる割には、慣れてるじゃない!それなりに遊んで来たな!」と笑顔で言われる。「まあ、知らない訳じゃありませんから」と返すのが精一杯だった。「もう1回シャワーを浴びよう!綺麗にしてあげる!」先輩にバスルームに連れて行かれると、お互い洗いっこをした。「Y,あたし綺麗?」改めて和歌子先輩が聞いて来る。「はい」「気に入った!今日から弟分にしてあげる!お姉さんの身体、好きにしていいよ!さあ、触って!」小ぶりだが形の良い乳房に左手を触れさせると、右手は下に導かれる。「まだ、元気じゃん!後ろから突いて!」彼女は底無しだった。帰りにホテル代を払おうとすると「ダメよ!お姉さんの顔を立てなさい!」と言われて、オゴリにされてしまった。迎えの車は、もう1人の酒井である酒井保美先輩が運転手だった。「和歌子、どうだった?」「うん、合格だよ!あたしの弟分にして、オモチャにするの!」と言うと「やったね!和歌子も遂にオモチャを手にしたか!Y,これからは、あたし達がバックアップしたげるから、安心しな!」と言って車を走らせる。この日を境にして、女性社員の先輩達が何かに付けて助けてくれたり、口添えをしてくれる様になり、仕事が格段にやりやすくなったのは確かだった。彼女達の“試験”に合格した事で、僕は職場に急速に溶け込んで行った。

卒業式から僅か1週間後に始まった新入社員研修は、高原地帯での合宿で幕を開けた。久々の“大量採用”と言う事もあり、精鋭達が集って居た。長官や久保田も“同級生”から“ライバル”に変わった。普通高校故のハンディなどあるはずも無く、実力が全てを決める世界である。専門学校や工業高校出の同期に立ち向かうには、自らの“腕”を磨くしか無いのだ。僕の配属先は、金属部品を加工するプレス部門になった。全てを1から教わらなくてはならないだけで無く、1回で理解して付いて行かねばならないのである!最初の2週間は、付いて行くだけでもしんどい日々が続いた。「ここは、息抜きでやるラインだから楽勝だよ!」と保美先輩に言われても、僕には息つく間もない程の忙しい工程だったりして、機械に煽られる始末に陥ったりしたものだった。1通りの現場研修が済むと、今度は“段取り”と呼ばれるプレス機への型のセッティング作業を叩き込まれる番になった。「最初は、見てろよ!次は自分でやるんだからな!仕事は盗んで覚えるもんだ!人に寄ってもやり方は違う。自分のやり方は、自分で極めろ!」と言われて、ひたすらに実践が繰り返された。無論、寸法や精度も出してやらねばならない。あらゆる測定器や測定方法も覚えなくてはならない。平面度や直角の出し方は、殆どの場合“勘”が頼りだった。「後、0・02踏み込め!」と言われても、ほんの僅かな微調整で“狂い”が出るシビアな世界である。それを、言葉で説明するのは非常に難しく、身体に覚えさせるしか無かった。「“筋”はいい。後は経験を積んで覚えて行け!」指導を担当してくれた日向さんは、良くそう言った。「工業高校出だと、自分の“我”が邪魔になるが、お前にはそれが無いだけ、教えがいはあるな!」同じく、大型機担当の下村さんもそう言った。要は“なまじ経験がある”と勝手に突っ走るが、僕には裏打ちが無いから、必ず確認してから仕事を進める。つまりは、“不良を大量に作るリスク”は少ないと言うのだ。プレス機の操作にも慣れて、ある程度「任せられる」と踏まれた部品の加工段取りは、次第に僕が自身で判断して進めて良い事になり、次第に扱う部品点数も増えた頃には、パートタイムの女性社員を付けられて、その人を如何に使って行くか?も僕が判断して良い事になった。忙しくなると、日向さんからも応援要請が来る。その隙を縫って次の段取りを組んで、ブランク(総抜きと呼ばれる全体の形を大まかに打ち抜く工程)が間に合わなければ、自分でプレス機を回して素材を確保する。仕上がった部品が溜まれば籠に移してフロンで洗浄すると(1984年当時、フロンでの油脂洗浄は当たり前だった。今では絶対に不可能である)計数か次工程へ送り込む。関わる人々は多く、“どの部署の誰か?”も覚えなくてはならない。そして、自分の仕事もテンポ良く回して行かなくてはならない。瞬く間に3か月が過ぎて半年が過ぎた。気づけば一応の戦力として“計算される立場”になっていた。それでも、技術で劣る僕は貪欲に“腕”を磨いた。ライバル達は数歩先を行っているのだ。唯一無二の存在にならなければ、彼等には追い付けない。僕は、日々の一瞬一瞬に賭けた。やがて、自分の“腕”がモノを言う時がやって来た。

機種は忘れてしまったが、“MU地板”と言う部品でトラブルが発生して、大きな問題に発展してしまった事がある。別の金属部品をカシメる(金属の軸を通してから押しつぶして固定する事)際に動きが悪くなり、ミラーが復元しないと言う問題だった。肝心の穴径は、±0.05の公差が設定されており、素材段階ではプラス上限のピンゲージが“自重落下”する事が定められていた。後工程は“窒化処理と塗装”だった。「Y、寸法管理は指示通りにやってるよな?」日向さんが確認を入れに来る。「ええ、ご覧の通りです」僕はピンゲージが自重で落下する様を見せた。「そうなると、処理後に穴径が小さくなってるとしか考えられんな!向山が来るはずだから、型をセットして“実験”に協力してやれ!なーに、この間の事は忘れてるさ!」僕は直ぐに段取りを替えて、ブランクも用意した。“この間の事”とは、向山さんを怒らせた事だった。2週間程前に、ちょっと生意気な口を聞いたのが気に要らなかったらしく、それ以来無視されていたのだ。「アイツは“瞬間湯沸かし器”だからな。そろそろ湯も冷めてるだろうし、事が事だからケロリと忘れてるだろう!付き合ってやってくれ!」日向さんはそう言って笑ったが、僕は緊張していた。程なくして向山さんが、数本のピンを持って現れた。「Y、悪いがサンプルを3種類ばかり作りたい。手伝ってくれ!」彼はすっかり前回の事を忘れたかのように言った。「じゃあ、最終工程直前までに120個ばかりあればいいですか?」と聞くと「上等だよ!俺はピンを替えるから、工程を進めてくれ!」と言う。向山さんと組んでの作業が開始された。0.02ミリ単位で穴径の大きさを換えた試作品を50個づつ製作して、問題の穴径を測る。「全部自重で落下しますね。プレス素材としてはOKですが、何が違うんです?」と聞くと「0.02ミリ単位で穴径を大きくしてあるんだよ。窒化処理の結果次第だが、どうやら大き目に作らないと相手部品がスムーズに動かないらしい。ただ、これ以上大きくすると“ガタつき”が出る可能性もある。ギリギリを狙って結果が出れば事は済むが、もしダメなら相手部品や軸もいじらないといけない。俺の見立てでは、0.04ミリ穴径を大きくしてやれば、窒化処理後に寸法が安定すると見てはいるが・・・」向山さんも手探り状態だった。「型に“突き当てピン”を追加して深く入らない様にするのは?」僕が何気に言うと「うーん、やはりそれは必要かもな。どっちにしても、デカクするんだし穴径を安定させるには改造は不可避だろうな。Y、在庫は大丈夫か?」「リーマーで修正したヤツでしばらくは持ちますよ。窒化前で止めてある在庫があるんで、切れる心配はありません!」「よし、型を外してくれ。必要な改造を進めて見よう!窒化処理に8時間、アッセンブリーと試作に2日はかかる。その隙に済ませとくよ!」向山さんは型を持って引き上げて行った。それから4日後に結論が出た。向山さんの“勘”は当たりと出て、穴径と寸法公差が改定されたのだ。“MU地板”は早速大車輪で加工を進めなくてはならない最優先部品になった。だが、肝心の最終工程の型が上がって来ない!僕等は止む無く、最終1歩手前までの加工を優先して進めて、型を待った。その日の昼休み。向山さんがようやく型を持って来たが、同伴者が付いて来た。同期の工業高校出のヤツだった。「Y、悪いが早速テストにかかりたい。まずは、コイツの作ったピンで穴径を確認してくれるか?」「やりましょう!夕方までには、窒化の釜へ入れたいので!」「Y、頑張りな!」保美先輩からチョコを口に押し込まれると、僕はプレス機に型をセットした。10個程を加工すると寸法測定に入る。「“寸法通り間違いありません!”って言って譲らねぇんだよ!」と彼は苦虫を噛み潰したように言う。「どうだ?」日向さんも下村さんも気になったのか、結果を見に来た。「僅かですが、引っかかりがありますね。バリも大きい」僕の判断に同期は色をなして「そんなはずは無い!セットミスじゃないのか!」と食って掛かって来た。「Y、言う通り僅かに小さくねぇか?バリも高めに出てるし、バレル時間を長めに取ってもこのバリは取り切れない恐れがある!」と日向さんも僕の意見を支持した。「刃の付け方が甘いな!追い込んだりしたら、ガタの原因になるぞ!」と下村さんも言った。「どうだ?俺の言った通りだろう?お前さんのピンは、0.01ミリ単位で違うんだよ!日常的に穴径やバリの立ち具合を眼で見てる人間に誤魔化しは通用しないんだ!数十万個の加工を手掛けたY達の触覚は侮れないんだよ!コイツの指先を納得させられるモノを作るのが俺達の仕事なんだ!Yを甘く見てると足元をすくわれるだけだぞ!」同期のヤツはうな垂れて言葉を失った。「Y、後15分くれ!ピンを戻して調整をやり直して来る。コイツにはいい薬になっただろうよ!休んでるところを悪かったな」と言って向山さんは引き上げて行った。「どうだ?少しはいい気分だろう?」「同期の鼻をへし折ったんだ。こう言うところで“現場の強み”は出る。アイツも内心穏やかじゃないだろうな!」日向さんと下村さんがニヤリと笑う。初めて同期と肩を並べられたと実感した瞬間だった。

就職したと言う事は、地元に残る=消防団・青年団などの厄介な組織に組み込まれる事を意味する。案の定、それらは雨あられの如くやって来たのだが、残業や休日出勤が多い事から活動への参加は事実上不可能に近かった。優先順位は仕事であり、和歌子先輩との“遊び”にあった。それらの隙を縫って、僕は東京へも頻繁に出かけた。滝が専門学校へ通うために大田区の蒲田に下宿していたのだが、遊ぶカネが無かった。そこで、財布を持って出かけて行っては、レンタカーを借りて都内をドライブして遊びまわったのだ。宿泊先は彼の下宿に泊めてもらい、諸々の費用はこちらが出す。日頃の憂さを晴らすには、お互いの利害は一致していたのだ。基本給は、安かったが残業代と休出でそれらの費用は楽に捻出出来た。高速バス代は特急料金よりも安かったし、都内での移動手段はいくらでもあった。秋葉原や神田で電気街や古書店巡り、高速道路で“中央フリーウェイ”を実体験する。車のショールームを巡っての試乗会などなど、都心ならではの遊びを満喫したものだ。オリジナル選曲に寄るカセットテープの作成企画などもあった。地方では中々手に入らないメタルテープなどは、東京から買い付けるしか無かったからだ。これらが無ければ仕事は続かなかったに違いない。無論、消防団・青年団などの厄介な組織は、あの手この手で引き込もうと必死になったが、それ以上に僕は逃げ回った。定時退社日でも、家に帰るのは午後10時以降にして車で田舎道の探索をしていたし、休日は、和歌子先輩からの呼び出しが来るのだ。ともかく、自宅に居座る事をしなかった事で、厄介な組織の魔手からは逃れる事に努めた。僕の同期の中にも、わざわざ会社の寮へ入り厄介から逃げ出す者達は多かった。彼等に共通していたのは「自分の自由な時間を奪われたくない」と言う共通の認識だった。確かに、消防団や青年団に関わると、何かしらの行事に付き合わされて、休日を“無意味に奪われる”か“ギャンブルにはめられる”のだから、率先して付き合いを保つ意味が無かった。やがて、交代勤務に組み込まると、厄介な組織も手を引かざるを得なくなった。夜勤明けで、引きずり回すのは流石に気が引けたのだろう。最も、次の時代は“金属からプラに部品の主役は変わる”と読んだ僕の“勘”が当たった事もあるのだが・・・。

光陰矢の如しでは無いが、1年目はあっという間に過ぎ去って後輩たちが配属されて来ると、僕等はそれぞれの持ち場立場で“欠かせない戦力”になっていた。そして、この年の春先に困った注文が入って来た。開発コード“5AB”ポラロイドフィルムパックをベースにした特殊カメラで、3年から4年に1度しか部品を作らない“特殊中の特殊機種”だ。月産は、無い月の方が多く完全受注生産上に、全てが手作りと言う変わり種であった。故に1000台分の部品があれば、3~4年は持ちこたえてしまうのだ。前回の生産は、僕の入社の前年で、今回は早く切れた方だと言う。ラインからの要求は2000台分だったが、表面処理や次工程での不良を見込むと、素材ベースでは2500台分を確保しなくてはならない。部品点数は少ない方だが、プレス加工工程は意外にも長いモノが多く、手間と人手がかかる上に、引き継ぎ書と図面を持って前任者に聞かないと分からないと言う“いわく付き”であった。幸いにも、前任者の北原先輩は隣の棟に居り、全容解明は比較的に容易ではあったが、問題は“誰が主担当”になるか?だった。「Y、にやらせるのが順当だろう。頭が柔らかいヤツにやってもらわんと、型の判別すらおぼつかない」日向さんはミーティングでそう主張した。「よし、材料の手配はこっちでやってやる!ブランクから含めて、Yの腕に賭けよう!」リーダーの小松さんも同意した。「1機種を通しで担当するのは、いい機会だ!Y、デカいモノは手伝ってやる!お前の真価を見せてくれ!」下村さんもそう言って背を叩いた。こうして、“5AB”の生産は僕の双肩にかかって来たのだった。それからは、本当に大変だった。ブランクから曲げ1工程で済む部品はなるべく後へ回して、次工程のある工数の長い部品を優先させたのはいいが、数年に1回しか生産しない関係上、型のオーバーホールから始めなくてはならず、思った以上の苦戦を強いられた。後工程からの要請もあり、3000台分を加工する事に変更されたのも大きかった。他の部署でも同じ事ではあったが、精度が厳しい部品も多々あり、追加要請は2度に渡って上積みされた。「普段はやらないに等しいヤツだからな。みんな忘れてて当然さ!工程を間違えたり、落としたりと一筋縄では終わらないのが“5AB”の悪魔たる所以さ!」北原先輩も七転八倒したと言っていたが、正に“いばらの道”であった。1ヶ月半の苦闘の末に、何とかやり遂げた次は“引き継ぎ書”の作成が待っていた。型を1台づつ丁寧に油で防錆処理して、部品名と工程順を書き入れてしまい込み、サンプルを添付して分かりやすく図解して行くのだ。この作業が意外にも地獄だった。北原先輩が作成した“下敷き”はあったが、自分なりに工夫したり苦労した個所は、細大漏らさずに記載して置かないと後で必ず自分に跳ね返ってくる。最終的に決着が付いたのは2か月後だった。“5AB”の生産はその後もしばらく続いたが、次の生産は4年後になり、僕は夜勤明けで引継ぎと説明に追われる事になった。“忘れた頃にやって来る悪魔”としては、サービスパーツもそうだった。生産終了から7年間は、部品を揃えて置く必要があったが、“5AB”同様に500~1000台分を確保するのに、苦労が絶えなかった。後に、量産が軌道に乗った際や最終生産時に、サービスパーツを上乗せする方式が取られる事となり、予期せぬ発注が出る事は少なくなったが、機種に寄っては、生産完了後10年を経過しても“補充部品”の生産が継続されるケースも無くは無かった。“5AB”をやり切った事で、僕の存在はより大きくなり、新機種の試作も任される様になった。新人教育は当然の役目として申し渡されたし、日々の進捗管理や後工程との連携も担う事になった。

しかし、順風満帆は長く続かなかった。いわゆる「αショック」がカメラ業界に激震をもたらしたのだ。この年にミノルタから発売された“α7000”“α9000”シリーズは、爆発的なヒット商品となり、本格的なAF1眼レフの先駆けとなっただけで無く、業界の勢力図を一気に塗り替えてしまったのだ。それまでのMFレンズとの決別、専用の新マウントと共に開発されたAFレンズとの高度な通信機能を備え、露出やフラッシュの照射角度までコントロールする高度な電子回路。従来のMF機とそれほど大差ないボディ体積や精度の高いAFは、歓喜を持って市場に受け入れられた。実は、ミノルタの社内プレゼンでは、“バカチョン1眼レフなど売れるはずが無い”とこき下ろされ、開発チームはけちょんけちょんに言われたとの話だったが、蓋を開けてみると、発売と同時に品切れ状態に陥るほどの勢いで売れまくり、ミノルタは増産に大慌てになったのだ。AFレンズも徐々に本数を増やして行き、年末には“勢いは本物”と言う認識業界にが広まった。他社もこれを黙って見過ごすはずは無く、急ピッチで追随機種の開発を加速させて行った。僕の会社も当然、“α7000”を手にして分解して徹底的な解析を行ったが、“MFレンズとの互換性をどうするか?”で壁に突き当たった。既に市場には、万単位でMFレンズが出回っており、これらとの互換性が無ければ、システムとして真っ新の状態から開発をしなくてはならないのだ。商品企画や開発部隊は焦りを隠さなかったが、結局は新マウントを開発せざるを得ない状況を悟った。しかも、ゼロからの追随である。“α7000”の弱点を突いて機能の向上を図るのは当然だが、どうやっても1年半はかかる大仕事になるのは明らかだった。「αショック」の影響で在来機種の売り上げは下降線をたどり、生産量も調整を余儀なくされた。この事は、人員配置に直結した事であり、半年後には200人前後の“余剰人員”を生み出す事になった。“α7000”の追随機種の生産が軌道に乗るまでの間、200余名を遊ばせる事は不可能だった。しかし、ここで“救いの神”が手を挙げた。鹿児島の国分工場である。電子部品の受注が好調な国分工場では、慢性的な人手不足に悩まされていた。ここで両工場の思惑は一致した。約200人の余剰人員を受け入れる方向で、国分工場は人員の派遣要請を本社に願い出たのだ。本社は、様々な角度から検討した結果、半年間の“長期出張”扱いを認め“国分派兵計画”は承認されたのだ。僕の工場では、密かに人選が進められ、50人単位で4隊を編成、翌年の4月から順次派遣すると国分工場側に通告をした。「Y、鹿児島に“長期出張”させる話、聞いてる?」僕の腕の中で和歌子先輩が言う。「あちこちで噂は聞いてますが、具体的には何も聞いてないですよ」ダブルベッドに全裸で腕枕をしつつ僕は返した。「置いてくなよー!あたし、Yと遊べない世界なんて信じられないから!」彼女は急に僕の胸に顔を埋めると、必死にしがみついて来た。「2年目の若造に国分はありえないでしょ!僕も先輩のいない世界は信じられませんから!」と言うと優しく抱きしめた。時折、こうして抱き合うが、和歌子先輩の身体はすっかり僕に慣れ親しんだモノになっていた。「Y、作っちゃおうか?今まで避妊はして来たけど、この際、手段は選んではいられないからさ!生でしようよー!」彼女の我がままが炸裂した。「このところ、生でしてますが、出来た兆候は無いんですか?」「全部白なの!だから、本気出してよー!」彼女は馬乗りになると腰を使いだす。「今度こそ、モノにするからね!Y、ドレス着られる内にゴールするよ!」和歌子先輩は必死になったが、何故か僕との間には“出来なかった”のである。そして、年が明けた1月の末に僕は“第二次派遣隊”に選ばれた事を部長から通知された。「時期が来たらまた指示するが、覚悟は決めて置いてくれ!」部長は笑って言ったが、僕は暗澹たる気持ちで部長室を出た。

2月も半ばになると、“派遣隊”に選抜された者に対する説明会が数回に分けて行われた。“派遣隊”の構成は、製造部隊に留まらずに総務からも選抜者が居た。勿論、男女の差は無かった。ただ、若手中心で年寄は“お目付け役”的な人選がなされていた。僕等の世代は否応なしに中心に位置づけられており、およそ半数が“派遣隊”に選ばれていた。1次から4次までの“派遣隊”は1ヶ月毎にまとまって出発し、半年間鹿児島に滞在する予定だった。僕は5月6日に出発する2次隊なので、11月の始めまでの任期となった。1次隊からの情報を元に準備が出来るのは朗報だったが、いずれにしても生半可な事では通用しない世界へ送られるのだ。不安だけが脳裏をよぎった。「片腕を持ってかれるんだ!俺は死ぬ気でやっても支えられるか心配だよ!」工場に残る日向さんは、そう言った。「行も地獄、残るも地獄!お前が無事に帰ってもここが残れば御の字だな!」下村さんも自虐めいた事を言う。「何で北原が行かないのよ!Yを行かせるなんて酷だわ!あたしも付いてく!」和歌子先輩は半狂乱であった。「体積の問題で、北原は飛行機に乗れないのよ!悔しいけどYを行かせるしか無いでしょう?浮気するような子じゃ無いから、ちゃんと和歌子の元に帰って来るわよ!」保美先輩がなんとかなだめにかかる。「半年も居ないなんて考えられない!Y、直ぐに助けに行くから電話寄越しな!お姉さんから離れないでよ!」廊下の片隅で和歌子先輩が泣きながら訴えた。「夏休みには帰って来れますよ。それは、保証されてます。必ず戻りますから、先輩こそ浮気しないで下さいよ!」僕は軽くハグをすると泣いている彼女を納得させようとした。「嫌よ!嫌よ!」彼女は泣いて泣き崩れた。成す術無く時は過ぎて、4月に突入すると第1次隊が出発した。彼らは新入社員の顔も見ずに旅立つ事を余儀なくされた。そして、2週間もすると、僕等第2次隊に向けて“情報”を送って来た。「予想を超える暑さと、水が合わないから腹を壊す者が続出か。予断を許さないな」「“味噌と醤油は持参しろ!”って言っているらしい。食事でも苦労があるらしいな」僕等は小声で情報交換をして、青ざめた顔を突き合わせた。「交代勤務に放り込まれるらしいぞ!思っている以上に過酷な勤務になりそうだ!」寒冷地で育った僕等にとって、暑さは致命的なダメージを追うことになりかねない。鹿児島が氷点下を余り知らない様に、僕等は猛烈な暑さと湿気を知らない。冷房はあるだろうが、どんな世界が待ち受けているのか?不安は更に増した。だが、恐れてばかりはいられない。「行かないと分からない事もある。まずは、着任してからだな」僕がそう言うとみんなが頷いた。荷造りも引継ぎも日を追うごとに急がねばならない。日向さんに対する引継ぎでは、僕が専任して担当していた機種の部品に関して、事細かに伝えて行った。「無事に帰って来るのよ!アンタはあたしの息子も同然なんだから!」根橋さんが言う。入社以来、ずっと背を見つめてくれていたパートさんだ。「帰ってくる頃には、霜が降りてますね。寒さと共に戻りますよ!」作り笑顔で言うと「アンタなら大丈夫!心はいつもここにあるからね!」と言って顔を背けた。肩が微かに震えていた。大型連休に入る前、和歌子先輩から呼び出しがあった。「Y、必ず戻りなさい。あたし、待ってるから」そう言ってネックレスを僕の首に着けた。「あたしの印だよ。これで、誰も手出しさせない!」そう言うと唇を重ねていつもの事をし始めた。彼女を抱くのは、当分お預けになると思うと僕もつい熱が入る。「Y、結婚しようね!あたし、決めたから!」一通りが終わると、和歌子先輩が真顔で言う。「うん、そうする。だから、必ず戻る!」細い彼女をしっかりと抱きしめると僕もそう言って誓った。「Y!Y、あたし、女の子が欲しいの。きっと可愛い子を授かるよ!」「それがいい。美人さんになるな。そして、大酒呑みにも」「あたしの血が流れてるから必然的にそうなるね」和歌子先輩は微かに微笑んだ。別れ際「行くからには、存分に働いて来い!Yならどこに居ても通用するだけの実力はあるから!」と言って励まされた。「Y、見送りには行かないよ。でも、きっと帰っておいで!」と言うと和歌子先輩は車に乗り込んで走り去った。5月7日、天気は快晴だった。塩尻で“しなの”に乗り換えると、一路、小牧空港を目指した。そして、午前11時。飛行機は小牧空港を離陸した。遥か雲の下に紀伊半島を見ながら、飛行機は南下して行った。

life 人生雑記帳 - 50

2019年10月10日 16時34分39秒 | 日記
「Happy new year!!」神社の境内に10人の声がこだまする。人の波にもみくちゃにされながらも、本殿へ賽銭を投げて各自が願い事を念じた。「おい!野郎共!絵馬を書くぞ!合格祈願だ!」竹ちゃんの一言で、男達は絵馬を書き始める。女の子達は社務所でお守りの吟味に夢中だった。「参謀長と竹が車を出してくれたから、助かったよ!電車じゃのんびり出来ないからな!」松田が絵馬を書きながら言った。僕も竹ちゃんも親父の車を拝借しての参拝に漕ぎつけられたのは、大きかったが“駐車場”の確保には頭を痛めた。通行禁止区域外で、割合に神社に近い場所と言う条件に合致するスペースが中々見つからなかったからだ。結局、信用金庫の敷地を拝借して切り抜けたが、取り締まりに引っかかったらアウトに変わりは無かった。「いいって事よ!その時はケツをまくるしかねぇんだから!」竹ちゃんのセリフには妙な説得力があった。絵馬を書きあげた頃、女の子達が戻って来た。「さあ、自分のサインを入れてくれ!これで合格間違いなしだぜ!」絵馬を埋め尽くす様に“必勝!○○大学合格!”と大書された絵馬に、みんなが名前を入れるとしっかりと結び付けてから、改めて祈願をした。「今日だけは“例外”だもの。じゃあ、お守りを渡すね!」と道子が言うが「ちょっと待った!年賀状の交換が先さ!今年も宜しく!」と僕が言うと恒例の年賀状交換が始まった。「さち、今年は何を揃えたんだ?」僕が白い袋を覗き込むと「合格祈願に交通安全と厄除け祈願、心身健勝もあるよ。後は、縁結びに恋愛成就!」さちは嬉しそうに言う。他のペアも袋の中身を見ていた。「参謀長、見て下さい!」「今年はグラデーションになりましたよ!」と石川と本橋がお守りを掲げる。赤・青・黄・白の見事なグラデーションだった。「いいじゃないか!いよいよ、お前達に後事を託すんだからな!万事予定通りだろう?」「ええ、早速、生徒会会則の改正から始めます」「大ナタを振るっての大改革ですから、気合を入れ直して臨みますよ!」随分と逞しくなった2人はキリリと引き締まった表情をした。こうでなくて困るのだ。僕等のカウントダウンは日に日に進んでいる。3学期はあって無い様なものなのだ。「露店を見て回るぜ!集合は2時間後に信用金庫の車の前だ!迷子にならないでくれよな!」竹ちゃんの言葉を合図にして5組のペアはそれぞれに散って行く。僕とさちの後ろからは、石川と中島ちゃんのペアが付いて来た。「Y、迷子にならないようにお願いね」「地元で迷子は無いよ。安心して着いて来て」と言って2組で露店巡りに向かう。途中で堀ちゃんと松田も合流した。やはり、方向感覚に自信が無かったらしい。お好み焼きやイカ焼きにかぶりつきつつ、つかの間の非日常を愉しんだ。そんな中でも松田は、コンパクトカメラで情景を切り取っていた。「根っからのカメラマンだな」「この人込みで1眼レフを振り回すのは、危険だからな。余計な心配をせずに使えるとしたら、これしか無いだろう?参謀長、是非ズーム付のコンパクトを開発してくれ!体積は多少大きくなっても構わない。単焦点もいいが、やはりズームはこれから必須になるだろうよ!」「そうだな、だが鏡枠をどうする?プラで精度の高い枠が出来なければ、小型軽量化はハードルが高い。AFの精度も上げなきゃならんし、インナーフォーカスにしなくては、測距速度も上げられない!課題山積の中ではあるが、一番の問題は電子回路と電池だろうな。回路の集積度を上げて新しいICの製作、大容量のバッテリーも開発しなきゃならない。ともかく、5年は待ってくれ!要望に応えるには様々な技術を開発しなきゃならん!メーカーとしては、プロを満足させられるモノを作る義務はあるが、現状では限界がある。そう言う声に答えられる技術者にならないといかんな!」僕は松田にそう返した。「期待してるぜ!それだけ分かってるなら、画期的なブレイクスルーをやってのけられそうだ!」「先は長い。だが、必ず今言った事は具体化してみせる!」僕と松田はニヤリと笑った。「Y-、松田くーん、今度はたこ焼きだよー!」堀ちゃんが呼んでいる。「置いてけぼりを喰らう前に、追い付かないとはぐれちまう!松田、急ごう!」僕等は慌てて追いついた。松田と交わした“5年は待ってくれ”の約束はやがて現実となる。僕の入社から1年後にいわゆる“αショック”が業界を駆け抜けたのだ。当時のミノルタから発売された“α7000”が爆発的なヒットを飛ばし、カメラ業界はAF1眼レフ開発に狂奔し始めるのだ。我社も追随製品として“230AF”を世に送り出すのだが、僕は開発に携わるどころか、地の果てに飛ばされる事になる。もっも、今の時点では知る由もないが・・・。集合時間に信用金庫にたどり着くと、竹ちゃん達の姿が無かった。「ヤバイ!明らかに迷ってるな!」僕は直感的にそう感じた。「だとすると、どうします?」石川が心配そうに言う。「普段は通らない経路だからな。路地1本でも間違えればたどり着けないのは明らかだ。お前達はここを動くな!僕が捜索に行く!」地元人としては、間違えやすい経路は容易に推察が付く。最初に通った経路を戻って行くと、坂道の途中で迷える子羊達を見つけられた。「わりぃー!右か左か分かんなくなっちまってよ!」竹ちゃんが頭を掻いていた。「無理も無いよ。普段は通らない場所だし、夜中だからな。さあ、車に戻ろう!」僕が先導して無事に全員が車にたどり着いた。「締らねぇ結果になったが、無事に帰れるな。参謀長、松田達を頼むぜ!さち達は俺が責任を持って送り届ける!」「ああ、また学校で会おうぜ!」互いに車のエンジンをかけると、それぞれに乗員を乗せる。僕の担当は、松田達と中島ちゃん達と本橋だ。定員オーバーは承知の上だ。「じゃあ、またなー!」2台の車は左右に分かれて走り出した。

年末年始の休暇が明けると、クラスの誰かしらが居ない日々が続いた。推薦・自力を含めた入試のためだ。クラス全員が揃う日の方が珍しくなった。共通一次試験当日は、クラスの半分が受験のために居なくなった。「とにかく、祈るしかねぇ!俺達に出来るのはそれだけだ!」「ああ、無事に突破してくれればいいがな」竹ちゃんと僕は、窓際でそう呟いていた。「櫛の歯が欠けたみたいね。教室、こんなに広かったっけ?」「改めて思い知らされるな。みんな頑張ってくれるといいが・・・」伊東と千秋が寄り添って来る。「僕等は行くべき道が定まっているが、受験組は3月の頭までギリギリの攻防が続く。ある意味残酷な現実だよな」僕がため息まじりに言うと3人も頷いた。「でもさあ、みんな笑顔で旅立ちたいよね?どんな結末が待っていてもさ」千秋がそう言い出した。「そりゃそうだが、現実は甘くは無いから、どうだろう?」伊東は現実から眼を背けずに返した。「浪々の身を受け入れるヤツも出るかも知れないが、千秋の言う様に明るく旅立ちたいのは、誰もが思ってる事じゃないかな?そのために、今、戦っているヤツ等を応援するのが、僕等の精一杯の気持ちじゃないかな?例え叶わなくても“これからだよ!まだ出来るよ!”って励ましてやるのが救いになる様にさ」「そうだね、あたし達は幾多の戦いを切り抜けて来た勇者だもの。“胸張って行こう”“夢は続いてるよ”って言えるよね?」千秋が僕の顔を覗き込む。「そう言う事を言える様なクラスにして来ただろう?みんなで戦って、数々の勝利をものにして来たんだ。3年間、伊達に同じ釜のメシを食って来たんじゃない。みんな、それは分かってるはずだろう?」「歯痒いな。俺が代わりを務めたい気分になる」伊東が言うと「不正入試にする訳には行かねぇだろう?お前さんが受けたら、みんな赤点になっちまうぞ!」と竹ちゃんが鼻で笑う。でも、少し気分が和んだ。「頑張れー!扉をこじ開けろー!」千秋が窓を開けて叫んだ。その声は届いたのかも知れなかった。共通一次試験は全員が突破を果たして、2次試験に進んだのである。そして、“最後のバレンタイン”が訪れた。

「早いものね、あなた達が卒業なんて信じられないわ。昨日、入学して来たと思ったら、もう居なくなるのね。あたしも歳を取ったと言う事かしら?」生物準備室でのお茶会の席で、明美先生から包みを受け取る時に、彼女はそう言ってため息をついた。「今年は、千里が留守だから安心かと思ったが、謀られたぞ!宅配便で自宅は大騒ぎになりおった!最後までワシを困らせるとは、何と言う仕打ちだ!」長官は、怒り心頭と言うかあきれ果てていた。「どうしろってんだよ!今年も手荷物が減らないのは!」3期生や4期生からと思われる包みの山を持って久保田が逃げ込んで来た。「仕方ねぇよ!“最後のバレンタイン”だからな!」と言う竹ちゃんも大荷物を下げて逃げ込んで来た。「それはそうだが、2人共去年より多いな。俺も気を付けないと大変な事になるかも知れないな」伊東は意気消沈だった。狙われているは間違いないが、千秋の手前、下手に受け取ると後が恐ろしいからだ。実際、朝から伊東は“籠城”を決め込んでいる。「参謀長は、事前に受け取ってるんだろう?それにしても今年はやけに静かじゃないか?」伊東が羨ましそうに言う。「そろそろ厄介なのが押しかけて来るだろうよ。災厄はこれからだろうな」と僕が言った途端に上田達が押しかけて来た。「参謀長、お疲れさまでした!あたし達の感謝の気持ちを受け取って下さい!」白い袋が2つ。目の前に差し出される。「多いじゃないか?誰からだ?」と聞くと「参謀長の下で働いた女子全員からです。4期生の子からも預かって来ましたから」とスラリと流される。数えだしたら切りが無さそうなので、受け取ったものの袋はパンパンに膨れ上がっている。「上田、遠藤、水野、加藤、済まんな。後は君たちに託して行く。万事予定通りに進んでいるか?」「はい、順調に進んでいます。参謀長の教えを守り、4期生で“太祖の世”に復して見せます!」遠藤が笑顔で返してくる。「頼んだぞ!本校の伝統を紡いでくれ!私の眼に狂いは無かった。石川と本橋を盛り立てて未来への道を切り開け!」「はい!確かにお引き受けしました!」4人はそう言うと引き上げて行った。「まさに災厄だな。悪い予感は良く当たるぜ!」伊東が身震いをした。実は、生物準備室の前には、数名の女子が伊東を狙ってピケを張っていたのだが、その1人とドアが開いた瞬間に眼が合ってしまったのだ。「伊東、覚悟を決めて男になれ!彼女達に恥をかかせてはマズイ!」長官の声は地獄の底から響いて来るように聞こえた。「仕方ない。行って来るか!」伊東は外に出ると女の子達から包みを受け取った。そして、やおら僕達の袋に包みを投げ込んだ。「おい、そりゃあねぇだろう!」竹ちゃんが抗議するが伊東は「命の問題なんだよ!協力してくれ!」と言って僕等に包みを押し付けた。「死にたくないのは分かるが、いずれ千秋の耳には入るぞ!」と久保田が釘を打つが「現物が無ければいいんだよ!証拠隠滅さえ出来れば・・・」「でも、受け取った事実は確認したわ!ちょっと顔貸しな!」生物室側のドアに千秋がもたれかかって手招きをしていた!伊東は蒼白になりつつ千秋に連行されて行った。「アイツ、選ぶ相手を間違えたんじゃないか?」久保田も蒼白になりつつ言う。「いや、間違えてはおらん!“カカア天下”は家内平穏の象徴だ!」長官はニヤリと笑いそう言ってのけた。

慌ただしく2月が過ぎ去ると、受験組の合否が次第に明らかになって来た。さちと雪枝は専門学校に、道子と堀ちゃんは東京の4年制大学に、中島ちゃんは地元の短大にそれぞれ合格を果たした。西岡は4年制大学だったが、関西へ行くことになった。その他も志望していた大学や専門学校への合格が相次ぎ、滝は東京の専門学校への進学を決めた。しかし、全てが順調だったか?と言うとそうでも無い。長崎や、あの赤坂は浪々の身となった。「まあ、挫折の無い人間など居ないさ。ここで、敢えて立ち止まるのも悪くない。来年こそは、必ず受かって見せる!」赤坂も長崎も明るく前を見据えていた。2人以外にも数名が浪々の身となったが、全員が悲観することなく明るく前を向いていたのが唯一の救いだった。卒業式が数日後に迫ったこの日。僕は、ブラリと校内を歩き出した。講堂・大体育館・柔道場・東校舎・西校舎、それぞれに思い出が詰まっている。決して忘れない様に脳裏に焼き付けるようにゆっくりと校内を巡った。自分としては、2度とこの校舎に足を踏み入れるつもりは無かった。ここは、常に戦いの場であり続けたからだ。「戦ってばかりの3年間だったが、後輩達には大きな“遺産”は残せたかな?」最後に空き部室の前の廊下にたたずんで呟いていると「そうですね、“大いなる遺産”を残されましたよ!」と声をかけられた。「西岡、そう言ってくれるとは光栄だよ」彼女は僕の右に並ぶと「この景色を、この学校を守り抜いたのは、参謀長の力があればこそ。やっと、戦塵から身を離せられますね?」「ある意味ではな。だが、私には新たな戦場が待っている。ここ以上に厳しい戦いの場になるだろう。一足先に社会に飛び出すのだ。現実は甘くは無いはず。しばらくは、1兵士として最前線に立たねばならない。まあ、それも望むところだがね」僕は微かに笑った。「あたしにもそれは同じ事。いずれは、戦場に立たねばなりません。でも、あたしには“お手本”があります。あなたが“如何にして難局を乗り切ったか”と言う貴重な参考書。あたしはそれを“武器”にして乗り越えていきますよ」「勇ましいな。いずれは部課長クラスにでも昇進するだろう。共に戦ってくれてありがとう。君ならどんな局面でも正しい判断が出来るだろう。活躍を期待しているよ」「ええ、迷ったらあなたの言葉を思い出して踏ん張りますよ。“どんなに巧妙に仕組まれても、仕組んだ本人の性格は出る。反撃の糸口を掴むとしたら、そこに着目して行けばいい”菊地との戦いで、あなたがよく言ってましたね。あたしはこの言葉を支えにします」「説得力はゼロだぞ。ほぼ勘で動いてたからな」「その勘の鋭さがクラスを幾度も救ったんですから、ゼロじゃありませんよ」西岡はそういって微笑んだ。春の訪れの感じられる暖かな日よりだった。

「卒業証書授与」卒業式の当日も、快晴に恵まれた。1人1人に卒業証書が手渡されて行く。僕も、校長先生から証書を授かった。「Y君、元気でな」校長先生は小声でそう言った。だが、僕は実感が無かった。本当に、これが学生生活の最後だと思いたくは無かった。しかし、時間と共に“遂にこの時を迎えたか”と実感が湧いて来た。石川が在校生を代表して“送辞”を堂々と述べる。「アイツ、やるじゃねぇか!最初、ビビッてたのがウソみたいだぜ!」竹ちゃんの声が微かに聞こえる。“答辞”を返すのは原田だ。こう言う場になるとヤツは無類の強さを見せる。東京の大学へ行き、将来は弁護士になると言う。いずれは“左側通行”の大物になるだろう。ヤツとの一騎打ちを果たしたのは、僕にとっても自信になっている。式が終わって謝恩会が始まると、僕の周りにはあちこちから手や足が飛んで来た。「Y、お前は最高の指揮官だった!俺達は生涯忘れねぇ!」坂野、宮崎、今野、飯田、吉川、小松の6人に執拗に絡まれる。みんな共に戦った“最強の戦士達”だ。「Y、体を壊すなよ!ボチボチやって行けばいい!お前さんが倒れる姿は見たくねぇからな!病院送りにだけはなるな!」宮崎が真顔で心配してくれた。「なーに、コイツの事だ。上手く手を回して立ち回って楽をするつもりだろう!」今野は僕を羽交い絞めにすると、吉川と小松にくすぐる様に促す。こうなると無茶苦茶である。「Y-、今日でバイバイだけど、ちゃんと生きてろよー!」「いつの日か、また原田と決戦に及ぶ折には俺を呼べ!助太刀には直ぐに駆け付ける!」小池と益田が今野を引き剥がすと、握手を求めて来る。「ああ、必ずな!」僕は2人と固く握手を交わすと、ジュースで乾杯をして前途を祝った。坂野達も乾杯の輪に加わる。「進む道は違うが、俺達は永遠の仲間だ!Y、いつかお前さんの指揮で、原田とまた決戦だ!完膚なきまでに叩いてやろうぜ!」乾杯の輪は何時果てること無く続いた。坂野と小松は、後に海外青年協力隊に身を投じ、異国の地で命を落としてしまう。これが永遠の別れとなるとは夢にも思わなかった。「Y、ご苦労だったな!」いつの間にか原田が来ていた。「長い戦いの日々だったが、お前さんが居なければ、今日の日は迎えられなかっただろう。菊地との戦いの戦功は忘れんよ!」「らしくないセリフだな。そっちこそ、陰に日向に忙しかっただろう。何かあれば、依頼を持ちかけるよ“原田弁護士”にな!」「必ず司法試験には受かって見せる!だがな、お前さん程の男が大学に進まなかったのが惜しまれるよ。研究室で熱心に文献を分析してる方が似合うのにな!」「そんな未来もあったかも知れんが、僕は“モノづくり”に魅力を感じた。製造・開発に携わる方が性に合ってるのさ!」「うーん、何となく見えて来たぞ!誰にも代えがたい人材になるつもりだな?天性の閃きと発想力でいい品を世に送って見ろ!陰ながら見守ってる!」「5年後を愉しみに待ってるがいい。カメラ業界はこれから大きく変わるだろう。その時、僕の手掛けた何かを纏った製品が世に出るだろう」「そうか、期待してるよ!」僕と原田は喧騒の中で乾杯をして別れた。手近なテーブルで制服を直していると、僕はひょいと担ぎ上げられた。「Y、どこに行っても俺の教えを忘れるなよ!」佐久先生が寸止めの背負い投げをしつつ言う。「はい、掃除は手抜き無し!年長者を敬い、後輩にも優しく接する。あいさつは大きな声で!」「うむ、合格だ!お前なら必ずや成功するだろう!」「ワシは、貴重な生徒を送り出したくは無いが、やむを得ず手放すのだ。無理はするなよ!体は堅固とは言い難いのだから、最初から飛ばしたりはするなよ!」床に落とされた僕を中島先生が起こしてくれる。「Y、お前は忘れがたい存在になるだろう。これから先、お前の様な聡明な生徒に出会う事は、恐らくあるまい。達者でな!」中島先生と固く握手を交わすと佐久先生も手を重ねた。「偉大なる男に敬礼!」先生達は軽く敬礼すると僕の背を叩いて、他のテーブルを回り出した。「参謀長、そろそろあたし達のテーブルへ。みんな待ちかねております」西岡が呼びに来た。「今度は何だ?」制服を直してから西岡に連れられて行くと、上田達が待ち構えていた。「参謀長、長い間お世話になりました。今、こうして見送れるなんて夢のようです!」「上田、遠藤、水野、加藤、君たちは自らの力で這い上がり、栄光を掴んだ。誰もが出来る事では無い事を見事にやってのけた。その道のりは長く険しかっただろう。最後に1つ言わせて欲しい。みんな良くやった!後は任せたぞ!」「はい!」4人の眼に涙が溢れた。「ほら、泣かないの。あなた達には“太祖の世に復す”と言う大きな使命があるのよ!笑って!笑顔であたし達を見送って!」西岡がそう言って4人を諭した。しかし、すすり泣きは続いた。“向陽祭”で僕達と苦楽を共にした4期生の子も来ていて、眼を赤くして立ちすくんでいた。「泣くな!僕等は居なくなるが、心はいつも共にある!泣きたい時は空を見ろ!青空は地球に居る限り何処までも続いている!この空の下に僕等は繋がっているんだ!だから、湿っぽいのは無しだ!」僕は4期生の子達の肩を叩いて回った。袖を掴んで着いて来る子、抱き着いて来る子、涙を拭いてハイタッチをする子。1人1人に声をかけて回った。「Yらしいなー!誰1人疎かにしない。だから、みんな慕っていたのね」道子達が1つ離れたテーブルで僕を見ながら言った。「あれが、Yと言う男性そのもの。そんな彼に出会えたのは奇跡かもね!」さちがそう返した。「惜しいな、また、バラバラになるなんて・・・」雪枝が唇を噛んだ。泣くまいと必死になっていた。「Yがさっき言ってたじゃない“この空の下に僕等は繋がっているんだ!”って。あたし達の友情は消えやしないわ!何年、いえ、何十年経っても変わる事はあり得ない!いつの日かまた、会えるわよ!」道子は僕を見ながらそう言った。「みんな、乾杯しましょう!あたし達の卒業と本校の発展を祈って!」西岡が呼び掛けた。「あたし達も行こうよ!」道子が言うと、さち、堀ちゃん、雪枝、中島ちゃんも頷いた。「さあ、グラスを持って、持って!」西岡が音頭を取る。道子達も僕の周りに集まった。「本校の発展と僕等の卒業を祝して、乾杯!」「カンパーイ!」女の子達の盛大な声が響いた。みんな笑顔を作って精一杯叫んだ。「加奈、これを!」僕は襟の校章を外すと、彼女に手渡した。「これは?どうして、あたしに?」「“参謀長”の肩書は君が継いでくれ!みんな、今日から上田が参謀長だ!宜しく頼むぞ!」「分かりました。参謀長の名に恥じぬ様に精進します!」加奈は眼に涙をためて答えた。「へー、やるじゃん!後継者に校章を継がせるなんて!」さちが肘で脇腹を突く。「去年から決めてた事だよ。4月からは別のバッチを付けるんだし!もう、荷物は降ろしてもいい時間だろう?」「そうね。ご苦労様でした!」さちは僕背から何かを降ろすしぐさをして笑った。その瞬間に全ての任務から解放されて楽になれた気がした。長い任務は終えたのだ。謝恩会はその後も続いて、最後に校歌を大合唱して幕を閉じた。道子と堀ちゃんは東京の大学に進学。さちと雪枝は専門学校へ進学。中島ちゃんは県内の短大へ進学して行った。松田と小佐野は、写真の道を究めるべく写真科のある大学へ進んだ。今は、プロの映像クリエーターになっているだろう。伊東と千秋は、市役所へ入り公務員として勤務に就き、やがて結婚した様だ。カカア天下なのは間違いあるまい。長官は、僕と同じ企業に就職したが、携帯事業への参入に伴って東京へ異動したが、行方は途絶えた。久保田もそうだ。5年後に会社を辞めてコンビニ業界へ参入したらしいが、その後は不明である。竹ちゃんは、別の企業に就職したが、今も勤めているかは分からない。西岡は、関西で就職したのか不明だが、消息は途絶えた。今井は、海外青年協力隊に身を投じてから、ラオスで命を落としてしまった。赤坂と長崎も今はどうしているか不明である。有賀は名古屋の大学に進んだが、名古屋に居付いたと聞いた。6年間、僕の背後を取り続けた彼女もしあわせを掴んだ様だ。千里や小松もどこかで生き抜いているだろう。

謝恩会が終わった後、僕達は最後に大体育館を出た。ある“儀式”を打ち合わせていたからだ。僕とさち、道子と竹ちゃん、堀ちゃんと松田、雪枝と中島ちゃんの8人がゆっくりと正門に向けて歩き出した。石川と本橋、上田達が見送りに着いて来る。僕等は改めて校舎を振り返った。「3年なんてあっと言う間だったね」「ああ、でも俺達は掛け替えのないモノを手に入れられた。素敵な仲間達だ!」道子と竹ちゃんが言う。「常に戦ってたよな。見える見えないは別にしても、戦い抜いた3年間だった」「でも、我らは勝利し続けた。Yの活躍でね!」僕とさちも言った。「また、バラバラになっちゃうけど、心はいつもここにある!空は繋がってるものね!」雪枝が言うと堀ちゃんと中島ちゃんも頷いた。「さて、“儀式”を執り行いますかね?」僕達は正門の前に進んで、横1列に並んだ。「ここを抜けた瞬間に高校生活が終わる。みんな、心の準備はいいかい?」その時「先輩!また、会いに来てくれますよね?」加奈が僕に問いかけた。「残念だが、僕は2度と校内に足を踏み入れる事は無いだろう。激務が待ってる。だが、心は常にここにある!加奈、頼んだぞ!」「おめぇら、後は任せるからよ!俺達の母校を守ってくれよ!」竹ちゃんが振り返って言った。「先輩!また、どこかで会えますよね?」加奈が涙声で聞いて来る。「ああ、どこかできっとな!」僕は笑って手を振った。「さあ、行くぜ!せーの!」竹ちゃんの掛け声で、僕等は正門をまたいだ。校外に出たことで僕等は卒業生して去って行く身分になった。全員で振り返ると手を振って「バイバイ!」と叫んだ。「先輩!ありがとうございました!ご卒業おめでとうございます!」遠藤が力の限り声を出して叫んだ。「ありがとう。また、いつの日か会おう!」僕等はゆっくりと歩き出した。「これで、新たなスタートラインに向かってかなきゃならない。余りうかうかしてもいられないな!」「そうね、新しい世界があたし達を待ってる!また、競争だよ!」僕と道子が言うとみんなが笑って大根坂を下って行く。「さて、神社に寄ってから帰るか!」竹ちゃんが言うと「いいね!神様にも感謝しなきゃ!」と堀ちゃんが言う。「Y、バイバイは言わないよ!また、休み明けにね!」さちが茶目っ気たっぷりに言う。「そうだね。休み明けにまた会おうよ!坂のこの辺で待っててよ!」中島ちゃんも言う。いつもと変わらない雰囲気でワイワイと言いながら僕等は坂を降りて行った。春の日差しが暖かかった。

life 人生雑記帳 - 49

2019年10月09日 14時16分37秒 | 日記
時計の針が午後1時を指した。投票は締め切られ、午後4時からの開票を待つだけになった。12日間の選挙戦が幕を降ろしたのだ。「やれる事は全てやり遂げた!後は、結果を待つだけだ!さあ、午後の授業に集中しようじゃないか!」僕はそう言って、選挙本部となった生物室を出た。石川以下7名と西岡やさち達は、黙して頷いた。三々五々に教室へと向かう中「参謀長、あたし達は勝てたと思いますか?」と加奈が必死の形相で聞いて来る。「際どいが押し切れたとは思う。己を信じて結果を待て!」と諭した。加奈は何度も頷いてから身を翻した。原田陣営は、僕の予想以上に粘り強く追い上げを見せたからだ。“皇太子”は、やはり廃されて新たな候補者が立てられたし、“実弾”は容赦無しに撃ち込まれた。原田の取った戦略は、加奈達の“処分歴”を叩いてイメージダウンを狙い、“実弾”を岩盤支持層にも撃ち込んでの組織固め、4期生の切り崩しにも3期生にも“実弾”を撃ち込んでの露骨な形での組織分断にまで及んだのだ。3期生に撃ち込まれた“実弾”は、山本と脇坂が全てを回収したが、その数は20発にも達したのだ。だが、これらは裏を返せば“原田への求心力”が低下している事の現れでもあった。実際問題、原田は“選挙本部”の人選に腐心するハメに陥った。自分が定めた生徒会会則によれば、“正副会長や閣僚達は選挙活動に参加出来ない”と定められており、本部を指揮する選挙参謀に“子飼いの将”を使えなかったのだ。僕と長官は“会長特別補佐官”であり、閣外協力者に過ぎないので、自由に動けたが、長官は“インフルエンザに感染した”との理由で早々に離脱して原田から逃れ、僕は“対立側の総指揮を執る敵対者”になっており、言うまでも無く対象から除外せざるを得なかった。原田の女も“靖国神社”の撹乱工作の餌食になった上に、“皇太子”のスキャンダルにも絡んでおり、相対的なイメージダウンから起用は見送るしか無かった。止む無く、原田は“大番頭”の吉沢を起用したが、彼には政治的な経験が無い上に知略・智謀にも長けておらず、裏から原田が糸を引くしか無かったのだ。事実上、原田と僕との“一騎打ち”の様相を呈したのだ。それでも、原田陣営は善戦したと言える。“立会演説会”での演説は、唐の太宗李世民の“貞観の治”を例えて「“花匂う向陽”の継続と発展をお約束します!」と結ばれる壮大なモノになったし、4期生への切り崩しでは、“実弾”を惜しむことなく費やしての猛チャージをかけて来たのだ!「参謀長、これでは太刀打ち出来ません!」と石川と上田が訴えに来る程の勢いだったが「揺れるな!慌てるな!自分達の地盤をしっかりと固めて置け!3期生が揺るがなければ、原田はジレンマに陥るだけなのだ!ヤツは明らかに焦っている。“実弾”を使い切れば、反撃する機会はある!今は何事も無かったかの様に右から左へ聞き捨てて置け!」と言って意に介さなかった。石川と上田の演説は、宋の太祖趙匡胤の“石刻遺訓”の逸話を使い「“宋に国を譲った柴家の面倒をこの後もずっと見る事。言論を理由として士大夫を殺してはならない”これこそが私達の受け継ぐべき遺産に他なりません!自由で開かれた学校。この校風をこれからも未来永劫受け継ぐ事をお約束します!」と結ばせた。先生方の評価もそれぞれだったが、校長先生は「太宗李世民は“玄武門の変”での兄弟殺害の暗さがあるが、太祖趙匡胤の“石刻遺訓”は人間味に溢れておる!草稿の出来では3期生が上だろう!」と僕等が高い評価を得た。歴史に理解のある先生方は、我々側の演説に感銘を受けられ、「Y、草稿だろう?上手いところを突いているな!」と口々に言ったものだ。そこで、原田は、上田達の“処分歴”を叩き「過去に後ろ暗い事のある人に、人を率いて行く資格は無い!」と個人攻撃を仕掛けて来たが、僕等はこれまでの実績を強調して“泥試合”を回避した。非難の応酬が繰り広げる“醜さと危うさ”の轍を踏まなかった事で、原田陣営への支持の拡大に急ブレーキがかかった。更に、坂野達がリアルタイムで原田陣営の動きを掴んでいた事もあり、常に裏をかいて動けた事も大きかった。「過去は否定しません!過ちは繰り返しません!今の私達を見て聞いて判断して下さい!」各クラスを回って上田は胸を張って言い放った。これが意外に効いたのである。原田は、様々な手を繰り出して来たが、全てが裏目に出た。4期生の切り崩しには成功したが、我々2期生の“離反”を止められなかったのだ。坂野達と益田・小池グループの裏工作によって、岩盤支持層以外の大半が原田を見限ったのだ。「“悪しきもの”は残せない!我らの母校が、未来永劫あり続ける様に力を貸してくれ!」そう言って草の根の運動が繰り広げられ、3期生への支持拡大に繋がったのだ。「さて、どう転んだかな?」勝ちは見えていた。問題はどれだけの“差”が付いたか?だった。

「参謀長、結果が出ました!我々が650票、原田陣営が250票!」「大勝利です!」山本と脇坂が興奮しつつ、生物室へ転がり込んで来た。「よっしゃぁー!」「勝ったぞ!」関係者が雄叫びを挙げてハイタッチを交わし始める。僕は静かに立ち上がると、石川と上田と固く握手を交わし「戦いは終わった。敗れた者達への配慮を忘れるな!」と言い含めた。「はい!」「必ず1つにして見せます!」と言う2人の言葉を聞くと、生物室を出て準備室のソファーに座り込んだ。「まずまずかな、少し勝ち過ぎた感はあるが・・・」と呟いていると「Y、お疲れー!今、アールグレーを淹れるからさぁ、少しゆっくりしなよ!」と言いながら、さちと道子、雪枝に中島ちゃん、堀ちゃんがやって来た。久しぶりのお茶会が始まった。「どうしたのよ?浮かない顔してるよ?」「大勝利なのにどうしたのよ?」中島ちゃんと堀ちゃんが僕の顔を覗き込んで言った。「“勝ち過ぎた”Y、そう思ってない?」道子がアールグレイの入ったカップを差し出しながら言う。「ああ、その通りだよ。勝つのは分かっていた。だが、ここまで“差”が開くとは思わなかった。多分、関係の修復には時間を要するだろうな。僅差ならこんな心配をしなくとも済んだはずだが、倍以上の差が付いたからには、石川達には相応の苦労を覚悟してもらわねばならん。計算外の事態だよ」僕はゆっくりとアールグレイを飲みながら言った。「でもさ、それはもうYが考えたり悩んだりする事じゃないと思う。新体制の役員の問題だよ。1つ荷物を降ろしな!」さちが頭を撫でて言う。「そうね。新体制を無事に発足させるのがYの仕事だったけど、ここから先は3期生が考えるべきじゃない?今はここまででいいのよ!」と雪枝も言ってくれた。「そうでなくとも、過労気味なんだから、いい加減手を引きなさいよ!就職試験に響いたら元も子もないのよ!」道子が少し怖い顔をする。5人にして見れば“働き過ぎ”を止めようとしているのは痛いほど伝わって来た。告示前から計算すれば、丸1ヶ月間息つく間もなかったのだ。「参謀長、みんなが“勝利宣言”を待っていますが?」脇坂が生物室からのドアを開けて聞きに来た。「脇坂君、悪いけどYを休ませてやって!もう、限界を超えてるの!これ以上無理はさせられない!“勝利宣言”は長官に代行してもらって!」道子が厳しい声で遮った。「しっしかし、“選挙本部長”が挨拶しないと締らないんですが・・・」「締らない云々はどうでもいいの!Yの体調管理上、これ以上の負荷は認められないの!少しは遠慮しなさい!」さちも声を荒げる。2人の剣幕には脇坂も引き下がるしか無かった。「Y、休んで。もういいのよ。充分に働いたわ。紅茶淹れ直してくるから」堀ちゃんがシンクに立つと同時にドアの鍵をかけた。廊下側は中島ちゃんが鍵をかけた。「籠城戦か?」「そうよ、あたし達の籠城戦!Y、少し眠ってもいいわよ。あたし達が付いてるからさ!」雪枝に言われると僕は少しウトウトとまどろんだ。生物室からは賑やかに騒ぐ声が微かに漏れていた。

翌日、窓際で5人にガードされて風に吹かれていると、原田が廊下から手招きをした。「ちょっと行って来る」と言うと「あたし達も同席させて!危険になったら打ち切るから!」とさちが言った。「野暮は言うなよ。原田が相手なら危険は無いよ」と言って僕は廊下に出た。5人は遠巻きに半円形の態勢を取って付いて来た。「保護者同伴か。まあ、いいだろう。今回は俺の負けだ!Y、見事だったよ!後を頼んだぞ!」原田は珍しく頭を下げた。「頼まれても困る。我々はもう“政権”を譲る側だ。これで“会長特別補佐官”の看板も降ろせるしな。おっと、あれを返して置かなきゃならんな!」僕は鞄から封筒を取り出して、原田に手渡した。「3期生と4期生に撃ち込まれた“実弾”だ。私的財産は返還しなきゃならないだろう?」「何故だ?撃ち込んだ以上、返還など無用じゃないか?」原田は首を傾げた。「分からんヤツだな!教職員に嗅ぎ付けられたらどうする?お前さんの“推薦入試”は取り消されるぞ!自分の人生を棒に振る真似は許さん!さあ、黙って墓場まで持って行け!僕も“実弾”使用に関しては、何も見聞きしてない事にする。新政権に泥は塗るなよ!」「相変わらず欲の無いヤツだな。“敵に塩を送る”か?お前さんらしいな」「塩など送るつもりは無いし、敵も味方も無い。僕等は同じ時を駆け抜ける“同期生”だろう?たまたま、肩書が有るか無いかの違いに過ぎない。本校の伝統を作った仲間として、未来への道を閉ざす事は許されない。僕等は平等なんだ。主義や考え方や主張は違うが、共に戦った戦士として“勇者”を称えるのは当然だ。原田、最後に思いっきり戦えた事を誇りに思うぜ!」「俺もそうだ。最後に相まみえて、戦えた事を誇りに思うよ!お前さんが何故、俺を途中で倒さなかったか?ようやく分かったよ。最後の最後に一騎打ちを画策していたとはな!Y、お前さんは手ごわい相手だった。だが、最高の勝負をさせてもらえたのは幸せだったよ!」「僕等は常に戦塵の中に居た。同じ相手と戦い続け、苦楽を共にして来た。それで充分さ!」僕と原田は固く握手を交わした。「新政権には、全面的に協力するし援助も惜しまない。“分断”だけは避けなくてはならない。俺からも手を回すが、そっちからも手を差し伸べてくれ!」「元よりそのつもりだ。融和と協調なくして新政権は船出出来ない。3期生には話して置くさ」「置き土産としては、最大のモノになるな。Y、仕上げは任せるぞ!」「ああ、卒業式には間に合わせるさ!そうしないと、校門から出られないからな!」僕と原田は互いに笑って“大統領選挙”を終えた。「戦った者にしか分からない感情か?」さちが言う。「ああ、切磋琢磨したからこそ、あんな事が言えるんだ。原田も僕もみんなもそうだ。主義主張は違うが、共に過ごした日々は変わらない。次は“それぞれの明日”への戦いが待ってる。さあ、今日も締って行こう!」「やっと、その気になったわね!参謀長!」道子が拳で軽く頭を小突いた。秋の爽やかな風の中で。

“大統領選挙”を終えて、就職組も進学組も尻に火が付いて、にわかに慌ただしくなった。就職面接・試験に始まり、共通一次試験に向けての最後の追い込みにみんなが眼の色を変え出した。“それぞれの明日”への戦いは、壮絶な個人戦だからだ。道子と堀ちゃん、中島ちゃんは4年制・短大へ向けての勉学にいそしみ、さちと雪枝は専門学校への試験に向けて驀進して行った。僕と竹ちゃんは、企業の採用試験に向けて走り出した。長官も久保田もそうだ。伊東と千秋は、公務員試験を目指していた。先陣を切って試験に臨んだのは、僕と竹ちゃんと長官と久保田を始めとする“民間企業組”だった。推薦枠をもらえたのは、僕と長官だけで、他は一般教養と面接を突破しなくてならなかった。伊東と千秋もしかりである。10月に入るとぼちぼちと結果が出始めた。“民間企業組”と公務員試験の結果は、大吉と出て、全員が合格・内定を勝ち取った。「参謀長、俺達は2週間ほど留守にするぜ!」竹ちゃんと久保田が言いに来た。「“合宿免許”か。一気呵成に済ませるならありだよな」進路が決まった野郎共の関心は、運転免許証の取得へ移っていた。「わりぃけどさぁ、道子を頼むぜ!ちょっくら千葉まで行って来るからよぉ!」竹ちゃん達は自信ありげに言った。「こっちは、地元でゆっくりやるよ。正月までにはハンドルを握れればいいがね」僕はシフトレバーの操作をしながら返した。「来年は、終電を気にせずに神社へ参拝に行きてぇからさ!」「そりゃそうだが、追い込みも佳境を向かえる最中に参拝へ行けるかな?」「それは、別物よ!合格祈願に行くんだから!」道子達が必死に縋って来た。「あたし達だけ抜きになんかさせないわよ!」さちが僕を睨んだ。「はい、はい、わかっておりますよ。メンバー全員での合格祈願をせずして、共通一次に行かせる訳ないじゃん!それより、インフルエンザなんかにやられないでくれよ!」「そんなの、気力で吹き飛ばすわよ!Y、竹ちゃん、ちゃんと計画組んでよね!」堀ちゃんと雪枝と中島ちゃんも縋って来る。「こりゃあ、大変だ!是が非でも免許を取らねぇと吊るされちまう!」竹ちゃんが及び腰になった。「まあ、どっちにせよ、お互いに努力しましょう!それぞれが必要な事を確実にやる事。そうでなくては、みんなの夢も希望も無い訳だからさ!」僕はレディ達をなだめるのに必死に言った。「Y、恒例行事は省かないで!あたし達にとっては唯一の希望なんだから!」さちが真剣な顔で言う。僕は、その迫力に気おされて思わず頷いた。“受験組”にとっては年末年始も無いのだが、息抜きは必要だし神頼みもしかりだろう。僕等が出来るのは“思いに答える事”しか無かった。迫りくる試験に向けて、夜も惜しんで勉学に励んでいるレディ達の希望を奪う事は出来るはずも無い。「竹ちゃん、免許を取って車で送り迎え出来る様に努力しよう!」「ああ、俺達に出来るのはそんな事ぐらいしかねぇな!参謀長、男の約束だ!」僕等は運転免許取得に向けて、それぞれに必死の努力を始めた。

11月に入ると、ちょっと困った事案が僕の元に持ち込まれた。「新政権の連中と校長の話が噛み合わんのだ!Y、何とかならんか?」中島先生の表情は苦り切っていた。「それは、当事者同士の問題ではありませんか?私達は“政権”を委譲した側です。3期生に全てを任せた以上、私が口を挟む必要があるのでしょか?」僕は小首を傾げた。「お前と同等とは言わんが、校長の例え話に“ノーリアクション”では困るのだ!少しは着いて来てもらわんと、学校側と生徒会に溝が出来てしまう!Y、校長と直接会談をしてもらいたい!3期生の“傾向と対策”を伝授してもらいたいのだ!」と中島先生が言い出した。「うーん、まずは何があったか?を聞かないと何とも言えませんが、私の時と同様に校長先生が言われても“鳩に豆鉄砲”になるのはあり得ますね。夏期講習の際に、ある程度は古今東西の古典や例え話については、教え込んだつもりですが・・・、話に着いていけないとなるとやはり問題か?」「そうなのだよ。お前はどんな事を校長に言われても、直ぐに理解し判断をする能力が元々備わっていたから同等に渡り合えたが、今の3期生はそれが無い!そこを校長に説明してくれぬか?」「先輩の責任ですか?」「ああ、お前との違いを分からせてやってくれ!よし、直ぐに面談だ!」先生は内線を取り上げると校長先生にアポを取った。「Y、直ぐに校長室へ!」「分かりました。出来るだけやってみますよ」そう言うと、僕は校長室へ向かった。ドアをノックして「失礼します」と言って室内へ入ると「Y君、済まないね。まあ、座ってくれ」と校長先生はソファーを指さした。差し向かいに座ると、事務員さんがお茶を持って来てくれた。「先日、石川君と上田さん、本橋君が挨拶に来たのだがね、どうにも話が噛み合わない。彼等とどう接すれば意思疎通が図れるか?君に教えを請いたいのだ!」校長先生は、早速本題を切り出した。「何をお話しされました?」「孫氏の兵法の一節、風林火山の計なんだが、どうにも話が伝わらなくてな・・・」「“其の疾き事風の如く、其の徐かなること林の如く、侵略すること火の如く、動かざること山の如く、知り難きこと陰の如く、動くこと雷振の如し”ですか、ものすごく簡単に訳せば“やるときはやる人と見せつける”と言う事ですね?」「君は1を言えば、100を答えられるな。その才能は他を寄せ付けない。彼等には、到底及ばん領域に居る様じゃ。これを伝えるには、どうすれば良い?」「もう少し噛み砕いて話さなくてはならないでしょうね。例えるなら“進む時は風の様に早く、機を待つ時は林の様に静かに、攻める時は火が燃え広がるように急激に、じっとしている時は山の様にどっしりと、自分自身は暗闇の中に居る様に気配を消し、動くときは雷鳴が轟く様にドーっと・・・いった具合に行動にはメリハリを付ける事が肝要だ”と言ってやれば彼等とて分かるでしょう。“風林火山”に続く部分はあまり知られてはいませんが、これからの彼等には絶対に必要な計です」「相変わらず切れる男だ。そうか、ある程度噛み砕かねば無理か?」「はい、私にしてみれば基本中の基本ですが、彼等にしてみれば暗号のようなもの。ある程度は教え込んだつもりでしたが、流石に全てをコピーするのは無理でした。彼等も必死に理解しようとはしたと思いますが、史書や文献を日常的に読み漁っている訳ではありませんので、校長先生のお話に着いて行くのは難しかったのでしょう。これからは、少しだけ噛み砕いてお話されると良いのでは?」「君を卒業させねばならんのが惜しいな。残念ながら本校に留め置く事は出来なかった。あらゆる書物や故事・古典に通じ、阿吽の呼吸で話せる生徒が居なくなるのは、さみしい限りだ。石川君、上田さん、本橋君分かったかね?」「はい、やっと分かりました!我々も先輩の背を追って学び続けます!」衝立の陰から3人が現れて、僕の両隣に座った。「お前達に追い付かれるつもりは無いが、校長先生の言われる話に着いていけなくは、生徒会長、副会長、監査委員長としては失格だぞ!1から勉強し直せ!」僕は3人の頭に拳を軽くぶつけた。「しかも、カンニングとはな!どこまで手を焼かせれば気が済むんだ?」「卒業式の当日までお願いします!」加奈がペロリと舌を出した。「手のかかる後輩達だが、今しばらくは面倒を見てやってくれぬか?君の才のかけらを伝えて欲しい。本校もいよいよ安定期を迎えるだろう。済まんが顧問として助言を宜しく頼んだよ!」校長先生にこう言われると、否とは言えなかった。結局のところ、僕は最後まで新政権のバックアップを担当する事になったのだった。

その日の帰り道、久々にいつもの6人で大根坂を下って行くと、「Y、結局は雛鳥の御守を言いつかっちゃったんでしょう?どうにかならないの?」と道子が言い出した。「やむを得ない事だけど、校長に頭を下げられちゃ断れないだろう?それに、手取り足取り指図はしないよ。困ったら手を貸すだけ。僕にもやらなきゃならない事はあるんだし、優先順位が違うよ」と返した。「本当にそれで済むのかな?Yの事だから細かく指図するのは目に見えてるよ!バトンタッチしてるんだから、いい加減にしなさいよ!」さちが僕の脇腹を小突く。「そうそう、あたし達の手助けの方が優先でしょう?日本史と世界史の補習忘れないでよね!」堀ちゃんも背中を叩く。「今、参考書を持ってるのは誰?」僕が問うと「世界史はあたしよ!」「日本史はあたしの手元に」と中島ちゃんと堀ちゃんが答えた。「今度の土曜日には戻してくれ。大々的な補習をやるには、僕も頭を整理しなきゃならないからさ」「OK、忘れずに持ってくるね」2人がVサインで答えた。「参謀長、路上に出たのかよ?」竹ちゃんが運転免許の進捗を聞いて来る。「再来週には、最終の検定に持ち込めそうだよ。後は、松本でわざと落ちて篠ノ井へ行くだけさ!」「なんで1回落ちるのよ?」雪枝が聞いて来る。「松本で受かると写真が白黒になるし、交付まで1週間かかるんだよ。篠ノ井だと、即日交付でカラー写真だから、そっちにしたいだけさ!」「そう言う理屈なのね。でも、日曜日にやってるの?」中島ちゃんが小首を傾げる。「第2第4日曜日は、篠ノ井免許センターは動いてるんだ。そこを狙う!」「あー、コズルイ戦法!でも、白黒だと葬式みたいで嫌なのは分かる。集合写真の欄外みたいになるしね!」雪枝が言った。中学までの卒業写真は、撮影当日に休むと大抵の場合そうなっていた。黒い縁取りで恥ずかしかったものだった。「あたし達の卒業アルバムって、4月にならないと届かないんでしょう?待たされるのは何故?」道子が聞いて来る。「卒業式当日の撮影が残ってるからさ。それに、編集もあるだろうし、個人毎に違うカットを入れるためだろうな」と僕が返すと「いよいよ、そんな季節が迫って来ちゃったんだね。春が来ればそれぞれの道へスタートか・・・」さちが寂しそうに言う。「けどよう、俺達は何処に行ってもこの空の下で共に居続けるんだぜ!居場所は変わっても、空を見ればみんな繋がってる!俺達は永遠の仲間だ!」竹ちゃんが良い事を言う。「地球と言う星に暮らしてる以上、空はどこまでも続く。まさか、宇宙に飛んでくヤツは居ねぇだろう?」「そうだね!」6人全員が笑った。「まずは、それぞれの夢を叶える事。そして、笑って卒業式を迎えられる事。もっとも、その前にインフルエンザに感染しない事だろうな!」僕が言うと「それだけは避けなきゃならねぇ。今年は流行時期がズレてやがる。みんな!気をつけてな!」と言って竹ちゃんがマスクを取り出した。「1人だけ予防措置をするなんて許さないわよ!竹ちゃん!」道子が言う間もなく竹ちゃんは走り出した。猛然と道子も追いすがる。「あーあー、こんなことしてていいのかな?」堀ちゃんが呆れて言う。「たまには息抜きも必要だよ。急がないとみんな置いて行かれるぞ!竹ちゃんを追撃だ!」僕等も一斉に走り出した。些細な事だったが、久しぶりにみんながはじけた1コマだった。

そして師走を迎えた頃、ホームルームの前に僕の背中を突くヤツが現れた。振り返ると有賀が真剣な眼差しで「Y、今回のバレンタインなんだけどさ、時期が丁度2次試験と被るのよ。先に渡したいから、リクエスト聞いてもいい?」と言う。「そんなに無理するなよ。決まってからでもいいじゃないか。今回も“例のヤツ”だろう?」と返すと「うん、でもね“最後のバレンタイン”だから、久々にマジで作ろうかなって考えてるの。ビターでも無く、甘すぎずでいいかな?」「ああ、構わないよ。有賀は短大狙いだろう?暇なんて無いんじゃ・・・」「時間がある内に済ませるの!あたしからの“最後の気持ち”を受け取ってくれる?」普段は、赤坂命で居るのにどうしたのか?僕は有賀の真意を測り切れなかった。いつになく真剣なのは痛いほど伝わって来た。「OK、喜んで頂戴するよ。デザインはお任せで」と言うと「ありがと!もう直ぐYともお別れだからさ、今回は力入れて頑張って見るね!期待してて!」とようやく笑顔になった。「今回も“迷える子羊達”は眼中に無いらしいな」「そうよ!赤坂君とYだけがあたしの担当。心して食すがいい!」と言って微笑む。「そうか、“最後のバレンタイン”か・・・」色々とあったが、今回で高校生活最後なのだ。3年連続空振りは避けたいヤツも居るだろうが、今は各自がそんな事に構っている余裕など無い。有賀はそんな中、貴重な品を用意すると言ってくれた。その心遣いを無駄にしないためにも、喜んで受け取るのが筋だろう。前を向くと今度は左袖を引っ張られる。「Y、あたしも前渡しになってもいい?」さちが聞いて来た。「勿論、当日が丁度選抜試験だろう?けど、あんまり無理は・・・」「無理じゃないよ!気持ちの問題なの!本命チョコを渡すのは、パートナーとしての義務なの!」と言ってネクタイを指さす。さちの締めているネクタイは僕のもので、僕が締めているのは、さちのネクタイだ。ずっと変わらずにお互い守って来たルールだった。「分かった。いつも通り小ぶりなヤツで頼むよ!」と言うと、さちは「任せるがいい。あたしが1番じゃ!」と無邪気に笑う。ずっと彼女を見て抱いて来た3年間だ。残りの時間を如何に心に残る時として過ごせるか?僕はいつに無く真剣に考え始めた。その日の昼休み、竹ちゃんと伊東とオレンジペコを飲みながら“最後のバレンタイン”について話すと、「どうやら、女子は2つに分かれてる様だぜ!就職組は“予定通り”らしいが、受験組は“前渡し”で動いてるって話だ!伊東のところは、“予定通り”だろう?」と竹ちゃんが聞く。「ああ、そう聞いてる。それにしても厄介だな。事前にもらったりしたら・・・」「首が明後日の方向に向いて、頬に爪痕が残るか?まあ、千秋ならその程度じゃあ済まないだろうな!」と僕が釘を刺すと「現実になりそうだから、余計に怖いんだよ!」伊東は身震いしてジタバタと逃げ回った。「だけど、3度目の正直を狙ってるヤツも少なからず居るぜ!“最後のバレンタイン”に期待してるんだろうが、今回は簡単じゃねぇ!明暗はクッキリと別れるだろうな!」と竹ちゃんが言う。「長崎の“Give me chocolate大作戦”どころじゃないからな。丁度、2次試験と被るのが致命的か?」「ああ、それだよ。下からの贈呈が無けりゃあ、逆転もおぼつかねぇ!今回は、静かにしてた方がいいだろうな!」「悩ましい季節になりそうだな。“最後”だから嵐が過ぎ去るのを待つとするか?」「それがいい。もらってもなるべく知らない振りをするのがいいぜ!」「参謀長、竹、共同戦線を張ろう!被害を最小限に食い止めるには、我々が連携して隠すしかない!」伊東が決死の形相で言う。「伊東、そう言われなくてもやるよ!久保田と今井にも声掛けをして置いた方がいいな!」「大口には、全て手を回そう。そうしないとクラスの威信に関わるからな!今回は“知らぬ振り作戦”で行こうぜ!」と竹ちゃんが言い結論が出た。僕等は水面下での工作を開始した。“事前にもらっても素振りは見せるな”と釘を刺して行ったのである。受験組の“追い込み”は佳境を向かえ、就職組は免許の取得や単位確保に必死になった。そんな中でも、女子からのプレゼントは密かに行われた。“最後のバレンタイン”は、静かに進行して行ったのである。