limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

life 人生雑記帳 - 52

2019年10月17日 06時49分13秒 | 日記
「ドスン!」と結構な衝撃を伴って、飛行機は鹿児島空港に着陸した。名古屋の小牧空港を経ってから、1時間余りのフライトだった。今では“セントレア”だろうが、当時はまだ形すらなかった。鹿児島空港の滑走路の長さは3000m。ジャンボジェットがギリギリで離着陸可能な範囲だ。離島への便だろうか?小型のプロペラ機も駐機場に居た。規模の割には、離着陸回数が多いのがこの空港特徴であった。“姶良カルデラ”の外輪山の縁に空港は立地しているので、国分工場へ行くには山を下ってカルデラの底へ降りて行く必要があった。「遂に来ちまったな!」誰とも無く口を突いて出たセリフに、僕も身震いをした。既に国分からの迎えのバスは、ターミナルに横付けされていた。大きな手荷物をバスに押し込むと、バスはゆっくりと走り出す。外気温は28℃を指している。「暑いな!」誰とも無く言った声で、全員が背広の下に着ていたカーディガンの類を脱ぎだした。「長旅、お疲れ様です。ここから国分工場までは、およそ1時間で到着します。みなさんが事前に送られた荷物は、既に寮への搬入を終えております。本日は工場到着後に、工場長からの挨拶を含めた工場全体の説明を行ってから、寮へ入って頂きます。夕方には寮での“歓迎会”が予定されておりますのでご承知置き下さい」総務の担当者がマイクで説明を始めた。「食事はどうするんです?」第2次隊の隊長である田中実さんが聞いた。「工場には、2つの食堂が24時間、365日営業しております。御心配には及びません。他には何かございますか?詳しくは、工場に着いてから子細にご説明しますが?」問いかけに答える者は居なかった。全員が極度の緊張状態に置かれていて、車窓の景色を見る余裕すら無かったのだ。「間もなく到着します」と言うアナウンスでやっと全員が我に返った。国分工場は、全社で最も規模の大きい工場である。バスが走って行く先には、巨大な建屋が延々と続いている。“田の字”をした敷地は大きく4ブロックに分かれていた。その中を市道が取り巻き貫いていた。道幅は広く片側2車線は取れるぐらいに広い。総務部門があるメインブロックにバスが滑り込むと、総務部総出の歓迎が待っていた。正面玄関の前にバスが横付けされると、僕等は国分の地を踏みしめて整列した。「O工場第2次隊、只今到着しました!」と田中さんが言った直後にドーン!と轟音が轟いた。思わず振り返ると、南の方向に灰色の噴煙が高々と盛り上がっていた。「みなさんの到着を桜島が祝っております。今日は、一段と盛大に噴いておりますよ!」工場長は眉1つ動かさずに笑って答えた。「遠路よりご苦労様です。みなさんの活躍に期待しております。既に第1次隊のみなさんには、現場の戦力としてご尽力頂いております。慣れない地での勤務は何かと大変でしょうが、各事業部の期待に添うようにご協力をお願いします!さあ、立ち話はもういいでしょう。会議室へお入りください。冷房は効かせてありますから」と会議室へ通される。これから何が待っているか?誰もまだ知らされては居なかった。

総務での大まかな説明を終えると、僕等は歩いて寮に向かった。「広いなー!寝坊したら速アウトじゃねぇか?」「ああ、吊るされるのは間違いないだろうな!ここは“本丸”だから余計に厳しいだろうぜ!」などと言いながらゆっくり歩く事10分で寮に着いた。「部屋割りは、先程説明した通りです。まずは、各部屋へ荷物を運びこんで下さい。1時間後に寮長から具体的な説明を受けますので、談話室へ集まって下さい」と言われ、僕等は各部屋へ荷物の搬入を始めた。幸いなことに、僕の部屋は同期の進藤克彦と3期先輩の吉田豊の3人だった。もう1人は、1か月後に来る第3次隊が来ると言う。「2段ベッドか。寝相の悪いヤツは下だな。克っちゃんはどうする?」「俺は上にするぜ!」「吉田さんは?」「俺は絶対に下だ。直ぐに動けないと損をするからな!」彼は窓のカーテン越しに北側の女子寮を見つつ言った。「覗けるみたいだから、俺は窓側で決まりだ!」と言うので、僕が廊下側の下を取った。克っちゃんも窓側の上を取った。クローゼットに背広を押し込んで作業着に着替えると、事前に送った段ボール箱を開けた。「細々したヤツの整理は後回しだ。もう直ぐ時間になるぞ!」吉田さんが時計を見て僕等を急かす。5階建ての寮の部屋へ私物を運び上げるだけでも、かなりの時間を費やした事になる。エレベーターなんて気の利いたモノはあるはずも無い。慌てて1階の談話室へ入ると、半数が集まっていた。「よお!これから寮長の説明会か?俺は早番だったから寝かせてもらうぜ!」1足先に進駐している同期の赤羽が上がって来た。「馬鹿野郎!そうは問屋が卸さねぇよ!近くにコンビニはあるのか?」赤羽を羽交い絞めにして克っちゃんが問い詰める。「残念ながら国分には1軒も無いよ。買い出しに行くなら自転車で市内まで走るしか無いんだ」赤羽の言葉に僕等は愕然とした。「マジかよ!とんでもねぇとこに俺達は居るのかよ!」克っちゃんが言うと「とにかく俺達の常識は通用しないんだ。自販機だって工場を出たら見つけるのに苦労するぐらい田舎だからな!言っとくが、自転車は5台しか無いし、車は3台しか無い。全部予約制だから、気を付けろよ!その代わりに“門限”は無いけど、夜中は入るだけの一方通行になる。休みの日も夜10時を過ぎたら出歩かない事だよ!」と言って釘を打ってくれる。「市内までの所要時間は?」僕が聞くと「歩けば40分。自転車でも15分はかかるだろうな。ただし、迷わなければの話だがね」と少し穏やかに言う。「赤羽、もう休んでくれ。疲れただろう?」僕は克っちゃんから引き剥がすと赤羽を解放した。「思っている以上に現実は厳しいぞ!どこへ配属されるか知らんが、3交代は間違いないだろうよ。じゃあ、お休み!」赤羽はあくびをしつつ部屋へ消えた。「2交代はやって来たが、3交代か!灼熱の地で昼間寝れるかな?」吉田さんは腕を組んで考え込んでいた。「“郷に入れば郷に従え”ですよ。腹を括ってかからないと、まともに生活出来そうにありませんね」と僕が返すと「遊んでいる暇も無しかよ!」と克っちゃんが言う。「ああ、そう言うところに俺達は来たんだ。無事に帰れる保証も怪しいって事さ!」と吉田さんが言う。こうして、僕等の国分での生活は始まったのだ。

寮長からの説明は、赤羽の話を裏付ける事に終始した。ただ、「女子寮とは、インターホンで繋がってます。相互に連絡を取り合うには、部屋番号と氏名を言って取り次いでもらって下さい。ただし、午後9時以降の連絡は禁止ですのでご承知下さい」と言う部分は抜け落ちていた。その夜は、寮での歓迎会が開かれたが、余り酒は進まなかった。配属先と勤務形態が分からなくては、誰も落ち着けなかったのである。翌日の朝、総務棟での会議は配属先の事業部の説明から始まり、昼を挟んで午後からは辞令が交付された。“半導体事業本部サーディプ事業部配属を命ずる”と書かれた辞令を受け取ったものの、何をするのか?はとんと浮かんで来ない。克っちゃんは、同じ半導体事業本部でも“レイヤーパッケージ事業部”に吉田さんは僕と同じ“サーディプ事業部”へ配属が決まった。事業部毎に会議室へ振り分けられると10名が顔を揃えた。一様に表情は硬い。しばらくすると、1人の紳士がやって来た。「サーディプの吉越と申します。みなさんをご案内しますので、事業部へお越しください」と丁寧な言葉で言った。多少の訛りはあるが、なるべく分かりやすく喋ろうとしているのは意識している様だった。事実、外へ出て歩き出すと「吉越、派遣隊の引率か?」と鹿児島弁で声が飛ぶ。「そうや、こいから座学じゃ!」と言うのが自然に映った。「すみません。なるべく地の言葉を使わない様にしてはいるのですが、事情を知らぬ者も多々居ります。初めはびっくりされるかと思いますが、慣れて下さい。悪意は無いですから」と吉越さんは言って建屋の中へ僕等を通した。「今日と明日は、“サーディプとは何か?”に始まり、作業上の安全衛生までを勉強をして頂きます。講師は、随時呼び入れますが、聞き慣れぬ言葉がありましたら、ご遠慮なく言って下さい。では、技術の下福岡からセラミックパッケージ全般についての説明を行います」と言って勉強会が始まった。ひたすらに学ぶこと1日半、2日目の午後になるといよいよ配属先の責任者が呼び出された。「諸君、ご苦労である。私が国分のサーディプを預かる安田順二だ!貴様ら!全員、徹底的にしごいてやる!1日も早く、増産に向けての戦力となれ!」安田順二。通称“安さん”、この男との出会いが、僕を後に大きく変えることになる。任期を終えてもなお、国分に2ヶ月間足止めさせたのは、彼の指導に寄るところが大きく影響している。僕は徳永さんと言う課長に引き渡された。「では、行こうか。岡元が待っておる」と言われて、迷路のような建屋を進む。焼成炉の奥に僕の働く場所はあった。「岡元、Yさんを連れて来たと。引継ぎを頼んだぞ!後、防塵服のサイズと帽子のサイズを知らせてくれ!」と言って引き渡された。かなり大きな部屋だが、岡元さん以外に人は居なかった。「ワシが岡元じゃ。宜しくな!ここは、パートさんが主力の職場なんだ。今日は全員帰って居ないが、25名のパートさんと共同でここを回すのがお前さんの仕事だ。俺は、2週間後には別の職場に異動になる予定だ!時間は限られているが、それまでに全てを伝える。まずは、後工程を見せてやろう!」と言うと二重のドアを開けて別の部屋へ案内された。顕微鏡を覗いている女子社員が25名居た。「出荷検査工程だ。俺達は焼成炉から上がって来た“キャップ”と“ベース”を治具からトレーへ移し替える“返し工程”を担っているんだ!簡単な検査も引き受けている」と岡元さんが話していると、全員が僕を見ていた。女子の集団は高校以来になる。「徳田、田尾、俺の代わりに“返し工程”へ入るYさんだ。この2人が出荷担当になる。検査と出荷と連携することも職務の内だ。2人ともお手柔らかにな!」残業で出荷にいそしむ2人と軽く顔を合わせていると、女子社員達が群がって来た。「あっ!ネックレス付けてるよ!」「でも、指輪はしてないから、彼女に鈴を付けられたな!年上?年下?」早速僕の首元の見分が始まった。遠慮も何も無しだ。「細かい事は追々聞け!“衣装合わせ”に案内もまだなんだ!今日は顔見世だから勘弁しろ!」方々の鄭で出荷検査室を出ると「明日から大変だぞ!女性達を黙らせるには、半月はかかるな。薩摩の女達は話が長いんだ!覚悟はいいか?」「ええ、今ので何となく分かりましたよ。パートさんも同じでしょうね?」「新しい“おもちゃ”だと思ってイジられるぞ!防塵服はLサイズでいいだろう。ロッカーはこっちだ」岡元さんが案内してくれる。タイムカードの場所や建屋への出入り口を回ると、再び元の部屋へ戻り「基本は早番勤務になるが、残業も入れると帰りは午後5時前になる。寝坊は厳禁だぞ!“安さん”に2時間は吊るされて怒られる!明日から早起きだが、しっかり付いて来いよ!それと、明日の朝礼で自己紹介がある。何を喋るか考えて置け」と申し渡される。「はい、宜しくお願い致します」「うむ、会議室へ戻れ。階段を上がって左手だ」僕は一礼をすると会議室へ戻った。3人が深刻な顔つきで待っていた。「女の子の集団か。厄介なことに巻き込まれなければいいが・・・」多難な船出の予感がした。

「おはようございます!朝礼を始めます。本日の連絡事項は・・・」あっと言う間に2週間は経過して、岡元さんから工程を引継ぎ、パートさんの朝礼も僕が実施するようになった。最も、朝礼に関しては1週間前から特訓として早々に引き継いでいたので、多少の経験は積んでいた。だが、言葉の壁は大きく地の言葉で喋られると意味不明なことが多々あった。それを補ってくれたのは、牧野さんと吉永さんいう共に横浜出身のパートさんだった。「懐かしい言葉を聞けるのは嬉しいわ!」と2人は言った。ご主人が共に鹿児島人で、10年前に帰郷されてから勤務していると言う。僕にとっては頼もしい“通訳”だった。出荷検査にもパートさんが3名居るので、総勢28名の“おばちゃん達”と25名の検査工程の女子社員に“おもちゃ”にされたのは言うまでもない。社員では永田さんと山口千絵、後々まで僕の心に残り続ける女の子が中心になって、あれやこれやと世話を焼いてくれた。「Yさんは、綺麗な言葉で喋られるから、気が引ける」と言っていたパートさん達とも徐々に打ち解けて、仕事は次第に順調に回り出した。「Y、後で作戦会議だ!知恵を貸せ!」田尾がドアから顔を出して言う。「今度は何人が相手だ?」僕が聞くと「7~8人は居る。こっちは3人だ。どうやって煙に巻いて戦う?」田尾は近隣企業のワルを相手に喧嘩に明け暮れていた。「昼休みに考えよう。場所を選べば不利は埋められる」「頼むぜー!あいつらを叩いて置けばしばらくは平和で過ごせる!」と田尾が言っていると「邪魔よ!田尾、出荷間に合うの?」と永田さんが顔を出す。「ヤバ!伝票を出さねぇと」田尾が引っ込むと永田さんが「TI(テキサス・インストゥルメント)台湾の銀ベースはまだ?」と聞いて来る。「今、炉から出始めてる。もう少し待てるかな?」と返すと「明日の出荷だから優先で返して!キャップは後でいいから」「了解です!」と言っていると「サンプルをいただきに来ました」と言って田井中さんがやって来る。品質保証部の子だ。1トレーを持ち帰って製品検証をして記録を残すのが彼女の仕事だ。「どんなに急いでても田井中さんは、Yさんを指名するね」パートさん鋭く突っ込んで来る。そんな姿を見ていた永田さんが、“ヤバイ”と察して千絵に報告に行く。千絵はぶっ飛んで来ると「Y先輩、RCAの金ベースまだ出てきますか?」と露骨に割り込みをして来る。僕は田井中さんに1トレーを渡してから、工程表に記載をすると焼成炉を見に行った。当然、千絵も付いて来るのだが2人きりで話すとしたら、これしか手は無い。「後、1時間前後だな。急いでも午後一になりそうだ。姫のご要望はなんですか?」「あたしの車、ポンコツだけどさ、エンジンのかかりが悪いのよ!週末空いてる?」「目下、がら空きでね、時間は?」「土曜日の午前9時でどう?もし、空いてるなら日曜日もあたしに付き合ってよ!」千絵は肘で僕を突いて言う。「姫のご要望とあれば付き合いますよ!ところで、車のバッテリーとかは弱って無いの?」「先週、車検から帰って来たばかりなのよ。あたしメカ音痴だから原因突き留めてー!」ダダをこねられる。後が厄介だ。千絵のご機嫌を損ねると、出荷検査のお姉さま方もすべからく敵に回す事になる。「とにかく、やってみるか?案外簡単な理由だったりするしな」と言って引き受ける。「土曜日の午前9時、寮の裏手で待ってるから。お願いだよ!」と言ってにわか煎餅を持ち出して千絵はねだった。「了解だ。金ベースは出次第返して送り込む。切れる事は無いよね?」さりげなく仕事の話をしつつ、部屋へ戻ると「それは大丈夫。ただ、時間がかかるから、急がされると苦しいのよね!」と千絵も調子を合わせて来る。この辺は妙に心得ている。千絵はVサインをさり気なくしてドアの奥に消えた。「ふー」と息を吐くと自身を落ち着かせてから、作業に戻る。「Yさん、ネックレスは何時からなの?」“おばちゃん”達の逆襲が始まった。「高校の時からですよ。それ以来、外した事は余り無いですね」とさり気なく返す。「高校でネックレスなんて、怒られなかったの?」「クラスの女の子達は化粧してましたから、何も言われませんでしたね。勿論、校則では禁止でしたけど」「高校生が化粧してるなんて、こっちでは考えられないね!東京では、それが普通なの?」「普通かどうかは分かりませんが、同級生は、ほぼ一通りの化粧道具は持ってましたね。帰りに化粧品を見てから帰るのも珍しく無かったし、僕のネックレスのチェーンが切れると、長くて丈夫なヤツ探してくれたりしてましたし。今のチェーンは、高校3年の時に探してもらったモノですけど」「ここには無い、安価なブランド化粧品とかあるでしょう?種類も多いし」吉永さんが言う。「そうですね、高校生が買えるのは、大手メーカーじゃありませんから。財布の中身は知れてましたからね、その中で如何にいいモノを買うか?結構悩んでましたよ」「それに付き合っていたYさんも恥ずかしくはなかったの?」「最初は恥ずかしいと言うか、違和感はありましたね。“男子がファンデ見てる”って視線も感じはしましたよ。でも、グループで行けば、気にならなくはなりましたね。男子2名、女子5名ですけど」「そう言う事か!これだけの女性に囲まれても物おじしないのは、高校時代にルーツがありそうね!」石井さんがやって来た。出荷検査工程のパートさんだ。「これ、残念だけど逆ノッチよ!1個だけだけど、工程表の訂正をお願い!」と言うと数字の訂正を求められる。「1個だけですか?他は?」「大丈夫だったわよ!今度、あたし達と飲み会しない?“Yさんの高校時代”を取り調べるの!興味のある人手を挙げて!」彼女が言うと全員が手を挙げた。とことんまでやる気らしい。“薩摩おごじょ”は手を抜かないと見た。「折を見てやりましょう!決まったら連絡するわ!」「取り調べは厳しいわよ!」牧野さんが苦笑しながら言う。「腹は括ってます。その代わり潰さないで下さいよ!」「大丈夫よ。遅くまではやらないから」と石井さんが言ったが、一抹の不安が過ったのは確かだった。

週末の土曜日、午前9時に寮の裏手の駐車場へ向かうと、赤いマーチの陰で千絵が待っていた。しかも、何故か同伴者が居る。岩崎さんと永田ちゃんだ。彼女は「“さん付け”じゃなくて“ちゃん”と呼んで下さい!」と申し出て来ていた。彼女は昨年度に入ったばかりだと言う。今日は、どうやら“お目付け役”で付いて来たのだろう。「おはよう」と言うと「おはようございます!千絵の車を見てくれるんでしょ?あたし達も同席させてね!」と岩崎さんから先制パンチが繰り出される。予感は当たりだった。「OK、まずは、整備記録簿を見せてくれる?」と言うと「あたしにはチンプンカンプンなんだけど、バッテリーは新品になってるらしいのよ」と言いつつ千絵が記録簿をダッシュボードから取り出した。分解整備記録簿に寄れば、特段の不具合は無かったらしい。ブレーキパッドの交換、プラグの掃除と調整、エアクリーナーとバッテリーの交換、特段の異常は認められない。「エンジンを始動させて」と千絵に言うと音を聞いた。セルモーターが回っている時間がやや長いが、エンジンは確実に始動した。ただ、アイドル回転が安定しない。「妙だな?温まっていない事を差し引いても、回転が不安定だ。一旦、エンジンを止めて!ボンネットを開けて見るか!」僕が言うと「どうやって開けるのよ?」と女性陣から言われる。「レバーを引いてね、ロックを外せば、ほら空いた。確かにバッテリーは新品だな。となると、プラグコードの接触不良かもね。掃除をして見るか!」軍手をして千絵にウエスを出させると、慎重にプラグコードを引き抜いて行く。プラグの頭を拭いて、コード内の接点も拭き上げる。黒い埃がウエスに付いた。プラグコードを奥までしっかりと差し込むと「エンジンかけて見て」と千絵に促す。軽くセルモーターが回るとエンジンは始動した。アイドル回転はしばらくすると安定し始めた。「こんなもんですが、どう?」と言うと「よく出来るね!あたしなら怖くて出来ないよ!」と岩崎さんが言う。懐疑的だった口調が明らかに変わった。「たったこれだけで随分と変わるものね。Y先輩、工業科か機械科を出てるんですか?」と千絵が聞く。「いや、普通科だよ。だが、自分の車は、自分でいじれる範囲で手を入れてるから、全く知らない訳じゃない。多分、コードの差し込みが甘かったんだろうよ」「Y先輩、加速も鈍くなってるんですけど、何か手はありますか?」千絵は更に踏み込んで来る。「車を使う頻度はどれ位?」「週末に動かすぐらいかな。長期休暇の時は自宅まで帰りますが・・・。ともかく、職場は近いし、買い溜めもしてるから、ほとんど動かないと思ってもらっても構いませんよ」「そうなると、タンクの中に水が溜まっているのと、キャブレターの中で詰まりが発生している事は否定出来ないな!この辺でカー用品を扱っている店はどこ?」「市内の海沿いにあるけど、どんな手が浮かんでるの?」岩崎さんが聞いて来る。「ガソリン添加剤で水と詰まりを追い出すんですよ!一番安価で確実に分かる方法ですよ。添加剤を入れたら満タンにすればいい。少し走ればより結果は早く出ますよ」と言うと「千絵、Y君連れてドライブに行かない?時間はあるし、彼に鹿児島を案内するのはどう?」岩崎さんは“行こうよ!”と提案しているのだ。「うん!みんなで行こうよ!運転は交代でやれば疲れないし、何よりここで話しててもらちが明かないし!永田ちゃんもいいかな?」千絵も前のめりになって来た。「うん、行こう!Y先輩、美味しいラーメン食べに行きません?」断る理由が無かった。「いいよ。財布と免許証を持ってくるよ!」と僕は3人の提案に乗った。「車、正面に付けるね。永田ちゃん、岩崎先輩、支度しましょう!10分後に男子寮の前に集合でいい?」「OK、急いで支度しなきゃ!」「じゃあ、10分後に!」僕等は寮の部屋を目指して動き出した。10分後に赤いマーチが男子寮の前に止まった。「運転、お任せします!」千絵は助手席に移動した。後部席には永田さんと岩崎さんが乗っており、化粧を続けていた。「道が分からないが、取り敢えずどう行く?」と僕が聞くと、「真っすぐ、海に突き当たるまで進んで!」と千絵が言う。僕はアクセルを踏んで車を走らせた。「Y先輩、カセットテープとか持ってます?」永田ちゃんが言い出す。「ああ、バックに4本ばかりあるけど、趣味が違わないか?」と言うと「それが知りたいのよ。どれどれ、これ長そうだからいって見ようか?」岩崎さんがセレクトしたのは、滝と共同企画した“night driving Music”だった。別名は“中央フリーウェイ体感テープ”である。「岩崎良美からスタートか!あたしが偶然選んだにしては、出来過ぎてない?」車内は笑いに包まれた。海岸に出ると、桜島が遠くに見え、噴煙を棚引かせていた。「いざ、指宿へ!」岩崎さんが勢い込んで言った。

カー用品店で添加剤を買い込んで、スタンドでガソリンを満タンにした赤いマーチは、国道10号線を西に向かって走り出した。ハンドルは千絵が握っている。僕は、永田ちゃんと後部席に並び、助手席には岩崎さんが座った。加治木町を過ぎると、日豊本線と平行して海沿いを南下するルートに入った。桜島が一際大きく迫って来た。「Y先輩、これ完全オリジナル企画のテープですよね?CMはどこから持って来たんです?」永田ちゃんが首を捻る。「音源はFMラジオさ。番組を丸ごと録音してCMだけを切り出したんだ。手間は半端なくかかったけどね」「“趣味の領域”ってヤツですね。録音は自宅で?」「いや、東京の友達の下宿先さ。機材は友達が選りすぐった品で固めてある。簡易スタジオと言ってもいい設備がある!」「それにしても、寸分の隙も無く曲とCMを繋いだ真の目的は何なの?」岩崎さんが問う。「新宿から高速バスで、ある“場所”を目指して走る事を想定して計算してあるんですよ。もうじき曲がかかりますから分かるでしょう」と返すと“中央フリーウェイ”が流れ出した。“右に見える競馬場。左はビール工場。この道は、まるで滑走路。夜空に続く”有名なフレーズを聞いた彼女は「“中央フリーウェイ”って実在する場所なの?」と驚いたように言う。「ええ、中央道の調布ICを過ぎると、実際に歌詞の通りの景色が見えますよ!」と言うと「まさか、自分で走りにいったりしてない?」と聞いて来るので「ええ、やりましたよ!帰りの首都高でラジオから流れた時は笑いましたが」と言うと「東京には敵わないか?ドラマのロケ地なんかも都心に結構あるし、東京に車で数時間以内に行けるのは、大きなアドバンテージよね」とため息交じりに言う。「でも、住みたいとは思いませんよ。気ぜわしいし人混みは多いし、何より人工物が多過ぎます!目の前の景色は、東京では絶対にあり得ないモノなんです。山に囲まれて育った僕にしてみれば、海と山が共存する風景が憧れなんですよ。都会には喧騒と無表情な人々とビルしか無い。最先端は行ってるかも知れませんが、それが何だと言うんです?」僕はそう返した。「確かに、東京は疲れる街だものね。何事もおおらかが良しか。Y、アンタ変わってるね!こんな南の果てに来ても、土地に馴染もうとしてる!その姿勢、気に入った!さあ、千絵!絶対に逃すなよ!釘づけにして、あたし達の“おもちゃ”にするよ!」岩崎さんは、またまた勢い込んで言いだした。「あたし達からは、簡単には逃げられませんよ!」永田ちゃんも妖艶な笑みを浮かべて牽制して来る。鹿児島市内に入る手前で、車は左折してラーメン店に立ち寄った。「チャンポンが有名なんです!“白くまセット”で行きましょうよ!」永田ちゃんは、サッサとメニューを決める。昼前にも関わらず、テーブル席を確保出来たのは“奇跡に近い”との話だった。巨大な丼に山程の野菜が積まれたチャンポンが運ばれて来た!「太麺ですから、底から麺を引き出して、野菜にスープの旨みを染み込ませるのが、美味しく食べるコツですよ!」永田ちゃんはさり気なく教えてくれた。チャンポンを流し終えると、これ又巨大な氷菓子が運ばれて来た。「“白くま”です。暑さ対策としては鉄板的なモノですよ!」熱々のチャンポンの後に食した甘い“白くま”は意外にも合う!4人での食事は賑やかだった。再び車に乗り込もうとすると「Y先輩、お手並み拝見しますよ!」と言って千絵はキーを投げて寄越した。「ナビゲートはあたしに任せて!この先は山道よ。かっ飛ばして見せて!」と岩崎さんが言う。「よーし、やって見るか!」赤いマーチを勢いよく走らせると、フル乗車をモノともせずに進みだす。「“指宿スカイライン”へ入って」と言われ有料道路へと乗り入れる。赤いマーチは軽快に南へと走りだした。

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