limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

N DB 外伝 マイちゃんの記憶 ⑩

2019年03月15日 15時49分57秒 | 日記
エピローグ ~ 女神たちの微笑み

SH先生との面談の最後に「少し休みなさい」と言われた僕は、フラフラと病室へ戻った。厳戒令は継続されており、廊下に人影は無かった。しばらくするとU先生が注射セットを持って来た。「何も考えずに眠った方がいいわ。SH先生の指示よ」「はい」僕がベッドに横たわると左腕に注射器が刺された。「ゆっくりしなさい」U先生が静かに言う。間もなく僕は深い眠りの世界へ落ちて行った。気付いた時には外は夕闇に包まれており、SH先生が脈を計っていた。「どうですか?何も考えずに眠って少し落ち着きましたか?」「今、何時ですか?」「午後5時になるところ」「先生、外来は?」「もう、終わりました。体温を測りましょう」脇の下へ体温計を入れると腕には血圧計が巻かれる。「異常はないわ。ゆっくり起き上れる?」僕は上半身を起こしてベッドに座り込む。「師長さんどうぞ」SH先生は師長さんを呼んだ。「失礼します。話しても大丈夫ですか?」「ええ、もう心配いりません。手短にお願いします。後でまた様子を見に来ますから」と言うとSH先生は病室を出て行った。「少し話を聞いてくれる?Aさんのご主人からの伝言。“本当に済みませんでした。1日も早いご回復を祈念致します”って。貴方にとっても辛い経験だったと思うけれど、仕方無かったの。“転院”を告げた途端に錯乱してしまって、短時間では回復が図れなかったの。でも、本人抜きでの話し合いは意味を持たないから、ああ言う形にせざるを得なかったの。出席者全員が心を抉られた気持ちだけど、貴方には結果的に“追い打ち”になってしまったのは謝るわ。でもね、電光石火で事を治めるには、ああするしか無かったのも事実。何より病棟の安全のためには、必要な犠牲だったの。それは理解してもらえるかしら?」「はい、他に道が無いなら切り開くしかありませんよね」「そう、真正面から突破するするしか道は無かったの。でも、また貴方に一身に背負わせたのは、私達の落ち度よ!ごめんなさい。辛いなら、苦しいなら何時でも言ってくれる?先生方とも話したけれど、最優先で貴方のケアに取り組むつもりよ。もう、重荷を背負う必要は無いの。荷を少しでも軽くするのが私達と先生方の使命。遠慮せずに何でも言ってくれる?」「そのつもりです。残念な結果になってしまったのは、僕の頑なな姿勢もあるかも知れませんが・・・」「それは違う!貴方は間違っていない!踏み外したのは彼女の方。自分を責めても何も生まれないの。忘れなさい、忘れるのが一番のクスリになる!もう、彼女はここには居ないから忘れていいの!」師長さんは僕の肩に手を置くと必死に呼びかけてくれた。頬に一筋の涙が伝う。「忘れなさい。もう、心配はいらない。貴方を傷つける人はもう居ないのよ。だから、自身に我がままを許してあげなさい。一緒に治して行きましょう!そのために全力で支えるから!」僕は黙して頷いた。「夕食は運ばせるから、きちんと食べて。今日はもう休んだ方がいいわ。明日から厳戒令は解除します。今晩も注射を要請して置きますから、とにかく何も考えずに休みなさい!明日になれば、また“手強い女の子達”が待ち構えてるわ。長として、あそこをまとめてくれるかしら?」「はい」「頼むわね!彼女達を統率出来るのは貴方しか居ないの。余人を持って治められる場ではないから。さあ、明日から再スタートしましょう!」師長さんはそう言うと僕の手を取ってしっかりと握りしめた。夕食後にはSH先生が再びやって来て「しばらくは、必ず顔を出すから些細な事でもちゃんと話して。大分遠回りをしてしまったけれど、貴方を治す事に全力を尽くしますから。主治医としての責任を持ってケアして行きます」と言ってくれた。「先生、八束先生もU先生もOZ先生も今まで通りですか?」と僕が言うと「最強の布陣に変わりは無いわ。4人でしっかりと支えて行きますよ」と笑顔で答えてくれた。「じゃあ、注射を入れますよ」僕の腕に注射器が刺された。僕は再び眠りの世界へ落ちて行った。

翌朝、曜日で言うと土曜日になるが早朝に僕は覚醒した。時刻は午前4時半、ベッドから降りると思いっきり背伸びをする。ボキボキと音がして体が痛んだ。「鈍ってるなー」と小声で言うと、廊下の様子を伺う。足音を忍ばせてマイちゃんが接近して来る。顔は後ろの方を向いている。僕は素早く彼女の口を塞ぐと、背中から抱き寄せてランドリーの陰に連れ込む。「おはよう。朝から忍者の真似事かい?」と囁くと「○ッシー、昨日はどうしてたのよ?!ずっとカヘーテン引きっぱなしだし、食事にも出てこないし、心配したんだよ!」彼女は僕の胸を拳でドンドン叩いた。やがて顔を埋めると肩が震えた。「心配したんだから・・・」涙声で訴える。「ごめん、SH先生の指示で眠らされてたんだよ。注射を打たれてさ」ひとしきり泣くとマイちゃんは涙を拭って「Aさんが消えちゃったの!○ッシー、何があったのか知ってるよね?」と聞いた。「知ってるよ。だが、そのせいで僕もかなりショックを受けた。だから、昨日は隔離されたんだよ」「何がどうなってるの?」マイちゃんは真剣な眼差しを向けている。「話すと長くなる。だが、“転院”させられたのは事実だ。それも一昨日の夜の内にね」「えっ!じゃあ、有無を言わさずに?!」彼女の顔が強張る。「詳しい話は、朝食の時にするよ。Eちゃんは外泊かい?」「いえ、彼女は居るわ。メンバーの半数は外泊に出てるけど」「なら、まずは3人で話そう。ここではマズイ。見つかる前に病室へ戻って!」「分かった。○ッシー、ちゃんと話して。みんな混乱して収拾が付かないのよ!」「無理もない。電光石火の早業で片づけられたからな。さあ、見つかる前に戻って」僕はマイちゃんの両肩に手を置いて言った。彼女はもう一度胸に飛び込んできた。「○ッシー、○ッシー・・・」幼子のように抱き付いてくる。「大丈夫だ。今日からは厳戒令も解除される。いつもの様に過ごそう」マイちゃんは何度も頷いていた。

午前7時、僕はナースステーションに許可を取りシャワーを浴びた。ヒゲを剃り身づくろいをするとホールへ急ぐ。朝食の配膳は既に始まっていた。「○ッシー、こっちこっち!」マイちゃんとEちゃんが手を振っている。テーブルへ着くと「○ッシー、何があったの?」とEちゃんが急かすように聞いてくる。「病室に戻った後、午後6時過ぎだったか。面談室へ呼び出されてね・・・」僕は2人に子細に事を説明した。2人の顔からどんどん血の気が引いて行く。「錯乱状態か・・・、どうしてそんな事に?」マイちゃんが箸を止めて聞いた。「恐らく、ご主人が来た時点で既に方針は決まっていたんだろうな。それを病室で説明している最中に精神状態が悪化したんだろう。彼女の“最後の緊張の糸”が切れたんだ。それもAさん側には“誤算”があったはずだ」「“誤算”って、なに?!」Eちゃんが聞いてくる。「1つ目は、“謝罪すれば許されて、ここに居られるだろう”って甘い考え!“閉門”ぐらいは覚悟していただろうが、結果は“転院”だった。恐らくこの時点で彼女の心は崩壊し始めただろう。2つ目は“即日転院”って厳しい現実。これは、医局も戸惑っただろうが、看護部の強い意向が働いた結果だろう。今の彼女は病人だが、以前は看護師として働いていた“医療人”でもある。そんな彼女が手を出した以上、看護部は“安全の担保”を理由に“即日転院”を主張したはず。OZ先生達は週明けに“転院”させるつもりだったのだろうが、師長さん達は譲らなかった。結局、OZ先生達が折れてAさん達に伝達せざるを得なかった。だから、全ての希望を奪われた彼女は錯乱した」「そして、○ッシーへの暴言に及んだ」「部屋へ入った瞬間から重い空気に包まれているのは感じた。只ならぬ気配もね。そして、あの“結末”だ。正直、“これは無いだろう!”って言うやるせない思いと“何故、一言言ってくれないんだ!”って言うやり場のない思いが交錯したよ」「何故?何故、そんな“重い十字架”を〇ッシーが背負わなきゃならなかったの?」マイちゃんが半泣きで言う。「一方的に事を進める訳には行かなかったんだよ。当事者としての責務だな。形式的にしても“謝罪を受け入れます”と当人が言わなければ、Aさん側への説得工作に支障が出るし看護部の懸念も拭えない。先生達も師長さんも“覚悟の上”で僕を連れ込んだ。そして既に“謝罪”してくれてる。確かに重かったが、他に誰が背負える?誰も背負えないし、他に適任者は居ないのだから僕が引き受けるしか無かった。あの日、あの場合、全てが“仕方なかった”んだよ!」「でもさ、余りにも酷過ぎない?」Eちゃんも半泣きになっている。「“酷”だと分かっていてもやらなきゃならない事はあるさ。Aさんに“引導”を渡すには他に術が無かった。僕が引き受ける事で“即日転院”の同意を取り付けたんだから、価値ある犠牲だったのさ。今となっては、そう考えなくては平静を保つ事は無理だよ」僕は箸を置いて2人の涙を拭いて顔を上げさせる。「結末は寂しいしやるせないが、事は片付いたんだ。もう、心配はいらない」僕は2人の眼を交互に見てはっきりと言った。「“転院”先は?」「トップシークレットだが、2人には言って置こう。“S西の閉鎖病棟”だよ。勿論、他言は無用だ!」「じゃあ、また振り出しから?」「それは分からない。恐らく外来受診も切られたと思うから、症状が落ち着いたら考えるだろう。その辺はもう感知しない方がいい」「Aさん、看護師だった経験を逆手に取られて、どう思ったかな?」マイちゃんが再び箸を取りながら聞く。「感情に溺れた時点で正常な判断が下せたのかも怪しいし、本来は溺れてはいけなかったのは事実だ。医療に携わっていた者ならば、越えてはいけない一線を認識出来たはずだが、彼女にはそれが欠落したかの様になってしまった。看護部としては“悪しき者”に堕ちた彼女に義理立てする様な真似はできなかったんだろう。最終的には常軌を逸したのは彼女だ。悔しかっただろうが、取り返しは不可能だと悟るのが遅すぎた。同情の余地は無いと思うよ」僕も箸を持ち直して言う。「〇ッシーは、これで良かったと思う?」Eちゃんも箸を取る。「他に道は無かった。活路を開くには、自分を納得させるにはこれしか無かったと思うよ。恐らくあの席に居た全員がそう思ってるだろう」「〇ッシー、こんな悲劇もうたくさんだよね」「ああ、2度と起きて欲しくない事だよ。僕らも気を付けないと」3人は黙して食事を終えた。そして、月曜日には外泊から戻った女の子達に事実を告げた。1人も泣かなかった子は居なかった。全員が悲嘆にくれたし“2度とこんな事は起きて欲しくない“との思いを共有した。

水曜日になると、病棟もみんなも一応の平静を取り戻し、いつもの日常が回り出した。U先生は午後になると相変わらず一通りのチェックをしに来るし、SH先生は“外勤”の時以外は朝か夕方に必ず顔を見に来る様になった。看護師さん達の検温も厳格を極め、僅かでも異常を察知すると騒ぎ出す始末だった。「〇ッシー、些か過敏過ぎない?」マイちゃんが閉口しつつ言う。余りにも関係各所への対応が多いので、僕が指定席を空ける事が増えた事による不満だ。「まあ、もうじき静かになるさ。いくら調べても異常は無い。ただ、突然ブッ倒れる事が無いか監視体制を強化されてはいるがね」「“祝賀会”は明日なのよ!主役が居ないんじゃ興ざめじゃない!」彼女はご機嫌斜めだ。そう、明日はOちゃんの“退院祝賀会”を“しれっと”やる事になっている。Oちゃんはまだ何も知らないが、水面下で準備は整っている。午後3時を期して決行する手筈になっているのだが、僕がちょくちょく居なくなるので、マイちゃんは面白くないのだ。「その点については、僕が居なくならない時間に設定したんだから問題は無いだろう?」「あたしは・・・、その・・・、〇ッシーを“取り返す”一世一代の舞台にキズを付けられたくないの!やっと“所有権”を取り戻すんだから!」珍しく彼女はムキになる。「“所有権”云々もだけど、僕は不動産かい?」「そう!あたし専属の男子よ!もう、貸し出したり手放したりしないから!」姫君のご機嫌は嵐の如く悪い!「マイちゃん、〇ッシー、ちょいと宜しゅう御座いますか?」Eちゃんがやって来た。「どうした?トラブルかい?」「いえ、1ホールのケーキなんですが、どうやって切り分けます?」「あっ!その手を考えて無かった!〇ッシーどうしよう?」マイちゃんが嵐の中から引き返して来る。「それを考えて無かったなー、まさかナースステーションから借りる訳にも行くまい。スプーンとかはどうなってる?」僕も盲点を突かれて慌てる。「スプーンやフォークは貰えるんですよ。あらかじめ切って貰いますか?」Eちゃんも想定外の事態に唇を噛んでいる。「それじゃあカッコ付かないだろう。うーん、仕方ないホール毎突くか?」「各自豪快にやるって言うの?」「だって、切り分けられないならそれしかあるまい。それか、糸があれば切れなくも無いが・・・」「糸ならあるよ!あたし携帯用裁縫セット隠し持ってるから。そうだね!糸なら行けるかも知れない!」Eちゃんの眼が輝く。「なるべく細いヤツがいい。長さは30cmぐらいだな」「何とかなると思う。あたし以外にも携帯用裁縫セット隠し持ってる子も居るから聞いて見るね!」「はい、よし、よし、よし、その線で行こう!刃物がご法度なんだから代用品で切り抜けるよ!」僕は膝を打った。「〇ッシー、相変わらず何かしらの手を考え付くね!」マイちゃんが頭を撫でる。「プランAがためならプランBを捻り出すまでですよ。何処かに必ず手掛かりはある!Eちゃん、糸を手に入れといて!」「了解!」彼女は勇んで糸を手に入れに行く。「マイちゃん、〇ッシー、ちょっといい?」Eちゃんと入れ替わる様にOちゃんがやって来た。手には“写ルンです”を持っている。「記念撮影か。1m以上離れて撮ってるよね?」僕が確認すると「大丈夫!教えてもらった通りにやってる!」と笑顔で返して来た。Aさんの1件で最もショックを受けたのがOちゃんだが、彼女の立ち直りは早かった。やはり“新たなる旅立ち”を前にして、へこんでばかりは居られない。気持ちの整理を1番最初に付けたのが彼女だった。「どうする?3人並んで納まる?」マイちゃんが言うが「1人づつ、2ショットで!」とOちゃんが主張し、抱き合って納まる事になった。まず、マイちゃんとのカットは僕がシャッターを切った。僕とのカットは肩を抱いてやり笑顔でフレームに納まり、マイちゃんがシャッターを切った。「後、何枚残ってる?」僕が聞くと「2~3枚、結構色んな人と撮ったから」と返して来た。「ピンボケじゃないよね?」とマイちゃんが心配すると「〇ッシーに距離感を教えてもらってるから、それは無いと思う。いよいよここともお別れかー、自分でも信じられないけど・・・」Oちゃんは感慨深げに言う。「誰にもいつか必ず退院の日は来る。遅いか早いかの差はあるが。そして、一般社会に戻って自由を謳歌する。好きなモノを食べて、見たいTVを観て、夜更かしもする。辛い事もあるかも知れないが、それ以上に得られるモノは大きい。僕は当分先だが、1人でも多くの子達を見送ってから最後に出るのが夢。4人の主治医がOKを出すのがいつになるかな?」「あたしだってあの“ダメダメ石頭”から逃げたいけど、まだ無理みたい。〇ッシー、主治医分けてよ!」マイちゃんがゴネる。「U先生を派遣するよ。今日の午後に交渉してみるか?」「2人共、大変そうだけどあたしは1歩先に進むよ!千葉で思う存分人生を謳歌する!」Oちゃんは力強く宣言した。「そうだな、みんなが僕を追い越して行ってくれればいい。1日でも早くな!」僕はそう答えた。「〇ッシー、いつかまた会えるよね?どこかで・・・」Oちゃんが真剣な眼差しで聞く。「勿論!この国は、探すのはいささか苦労するが、偶然逢えるくらいには狭いところだ!」「マイちゃん、〇ッシー、出会えてよかったわ!」Oちゃんはしみじみと言った。「じゃあ、残りのコマを撮りに行くね!」彼女は勇んで席を立った。「〇ッシー、Oちゃん強くなったね」「ああ、人に対して不信感を抱いていた頃が嘘の様だ」「あの様子なら“別の〇ッシー”を見つけられる!きっと!」マイちゃんが確信を込めて言う。「そうだな、今の彼女なら容易い事かも知れないな。どうやら、雛鳥は巣立つようですよ!これで安心した?」「〇ッシー、悩みが1つ減ったね?!」「お互いにな!」僕とマイちゃんは顔を見合わせて笑った。久々に心が軽かった。

そして週末、Oちゃんの退院の日がやって来た。いよいよ、午前10時半に彼女は千葉に向けて旅立つ。検温も早々にメンバーの子達は喫煙所前に集結していた。「〇ッシー、まだなの?」病室の前でマイちゃんが言うが、Mさんは中々検温を終えない。「やっと落ち着いて来たばかりですから、慎重の上にも慎重に!」脈を計り細かく検査を続行する。「そろそろ解放して下さい!見送りに間に合わない!」僕は悲鳴を上げるが、Mさんは意に介す風が無い。「今日も異常なしか。大人しくしてるんですよ!まだ、完璧に体調が戻って無いんですから!」Mさんは釘を刺すのを忘れなかった。「はーい」と僕は答えると病室を急いで飛び出した。「〇ッシー、もう全員が揃ってるよ!」「手筈通りにかい?」「うん!」僕は指定席へ急いだ。「〇ッシー、遅い!遅い!」「すまん!中々解放してくれなくて・・・」僕は慌てて配置に着いた。Oちゃんが荷物をまとめて出て来る3分前だった。やがて、拍手が鳴りだした。主役のご登場である。荷物を運ぶ手助けをする子達と共にOちゃんが喫煙所の前にやって来た。「〇ッシー、マイちゃん、みんな、ありがとう。本日を持って退院します」Oちゃんはペコリと頭を下げる。全員から拍手が送られる。「遠くに行くけど、この病棟での事は忘れません!一生の宝にします!だから、みんなも元気に退院して、〇ッシーを置いてけぼりにしてあげて下さい!」Oちゃんの言葉に笑いが起こる。「ナースステーションで手続きして来るといい。カートを用意するよ」僕は苦笑いを浮かべて言った。彼女は手続きへ向かう。「みんな、湿っぽいのは無しだ!笑顔で送り出そう!」僕は改めて言った。「了解!」みんなが返して来る。カートが用意され荷物が積み込まれた。僕は残念ながら病棟の出口までしか見送れない。代わりにマイちゃん達が正面玄関のタクシー乗り場まで随行してくれる手筈になっていた。「〇ッシー、いよいよだね」「ああ、どんな結末が待っていても今日は許してくれ」僕とマイちゃんは小声で話した。手続きが終わった。Oちゃんが戻って来る。「それにしても、大量の薬剤だね」薬袋の束を指して僕が言うと「千葉の病院に行けるまで余裕を持って過ごせる様にだって。八束先生のお節介だね」彼女は微笑みながら言う。「元気でな!僕は出口までしか行けないけど」「〇ッシー、最後のお願い!」「何だい?」彼女は思いっ切り抱き着いて来た。胸に顔を埋めて来る。僕はそっと抱きしめると「いい男を見つけろ!僕なんかよりカッコイイ男をな!」と言った。彼女は何度も頷くと、目じりに涙を溜めながら「バイバイ、〇ッシー!みんなを頼んだよ!」と言って背中を叩いた。「時間だから行くね」Oちゃんは歩き出す。病棟から出た瞬間から彼女は自由に大空に羽ばたいて行く。「Oちゃん!goodlac!いつの日かまた会おう!」僕が声をかけると彼女は振り向いて手を振った。病棟の出口で僕は立ち止まり、彼女の笑顔を眼に焼き付けた。それが彼女との別れになった。今、彼女が何処で何をしているのか知る術はない。病棟にクリスマスリースが飾られた日だった。

それから数日後、僕は主治医面談に望んだ。SH先生とOZ先生と八束先生の4人で話し合ったが、想定外の事態に陥るハメになった。“残念ですが、年末年始の一時帰宅を見送り病棟で過ごして下さい”との仰せである。「帰れないとは・・・、何処まで警戒してるんだ?」僕は呟いた。ウジウジしていても仕方無いので、盤と駒を持ち出して新聞の棋譜を並べる。マイちゃんもT先生に呼び出されていて不在だった。棋譜は一気に終盤戦を迎えていた。「1つの悪手で一気に“詰めろ”が来るな!」局面は微妙に動いていた。思慮に沈んでいると、いきなり眼鏡を剥ぎ取られる。「相変わらず脳トレですか?」マイちゃんが浮かぬ顔で立っていた。「どうした?何かあったな!T先生と何をやり合った?」僕が眼鏡を掛け直して言うと「お話にもならないのよ!お正月も帰れないって!完全に缶詰にするつもりよ!」彼女は怒り心頭だった。「それはそれは、お仲間が居てくれて嬉しいよ!こっちも年末年始も缶詰だよ」と言うと「えっ!嘘!〇ッシーも帰れないの?」とマイちゃんの声が裏返る。「さっき申し渡されたばっかり。お雑煮はここで食べる事になってるよ!」「よかったー!あたしと他数名だって聞いてたから、寂しく過ごすつもりだったけど〇ッシーも居てくれるなら安心だー!紅白見て、お雑煮食べて2人で過ごせるね!」マイちゃんが左腕に抱き着いて来る。心底不安だったのだろう。離すまいとして必死にしがみ付いて来る。「さすがに派手な真似は出来ないが、ありとあらゆる場所が専用スペースになる。さて、何をして過ごす?」僕が聞くと「うーん、一杯あり過ぎて思い付かない!まだ時間はあるから念を入れて考えなきゃ!」彼女は無邪気にはしゃぐ。「それより、クリスマスに何か出来ないか?って話聞いてる?」僕が聞くと「そう言う話は出てるね。でも、〇ッシーに対する警戒がこうも厳重じゃあ、手も足も出なくない?」「それがネックなんだよな!余程の援軍がなけりゃ動きようが無いし、外はもう寒いから脱走にも無理がある。だが、何か手は無いかな?」僕は思いを巡らせる。そこへEちゃんがやって来た。「〇ッシー、マイちゃん、I子がまた見舞いに来るらしいけど、明後日空いてる?」「それは構わないけど、I子ちゃんどうやって来るんだい?」「雪が降る前に車で乗り付けるらしいのよ。母親の車をレンタルするみたい」Eちゃんが携帯を見ながら言う。「ふむ、これはチャンス到来かも知れない!I子ちゃんが乗ってくれれば手はあるな!」僕の中で計画が練りあがった。「〇ッシー、何を思い付いたの?」「とんでもない計画だ!」僕は2人に小声で話し始めた。「えー!それって・・・」「I子ちゃんが乗ってくれればの話だけどね!」「I子なら乗るよ!この手の冒険なら喜んで!」Eちゃんが悪戯っぽく笑う。「〇ッシー、やってくれるねー、誰も思いつかないよ!こんな手は!」マイちゃんもノリノリになって来た。「じゃあ、やるか?」僕が言うと「やってやろうじゃない!」と2人が言う。「じゃあ、決まりだ!早速手配にかかろう!」僕らは水面下で動き出した。

午後になるとU先生の代わりにKさんが検診にやって来た。「久しぶりだね。U先生の手があかないから代わりに診に来たの。大分戻って来たみたいだね」と言うと体温計を差し出して腕に血圧計を巻く。「三角関係も解消したし顔の傷も癒えたし、表面上は順調そうに見えるけど、身体は正直だね!ちょっと血圧が低いなー。朝起きる時にクラクラしない?」Kさんがさりげなく言う。「目眩とかは無いですよ。でも、今でも思うんですが“電光石火”で片付ける必要はあったんですか?」僕もさりげなく返す。「あったのよ。OZ先生達は週明けまで待つつもりだったけれど、私達は貴方以外に危害が及ぶのが怖かったの。もし、女の子が襲われていたら精神的なショックは貴方以上に深刻なモノになったはず。貴方だから何とか持ち堪えたけれど、踏ん張るにしても素地が無くては無理。師長さんも私達も相当悩んだけれど、安全には代えられないから強行論を言うしかなかったの」とKさんは言った。「でもね、結果論になっちゃうけれど、“医療に携わった者”なら貴方の言ってた事がどれだけ大事か分かって当然なのよ。彼女にはそれが“欠落”したかの様に抜け落ちてた。初めから彼女は“自滅”する事になっていたのかも知れないわ!」「鼻から明暗は別れていたと?」「そう、感情に溺れた時点で既に彼女を救う手立ては無かったって事になるわね」「退院によって、三角関係も解消しましたが、あれは僕が仕向けた訳じゃありませんよ!」「それは分かってるわ。これも結果論だけど、マイちゃんだけに集中できる環境に戻ってくれたのは幸いよ。他の子にも眼を配りつつ、喫煙所に集う女の子達をコントロール出来るのは貴方しか居ない。大役だけどこれからも宜しく頼むわね!」「ふー、彼女達とは今後も付き合って行くつもりですが、代役が居ないのは辛いなー。こうして、検診を受けてる時間が長いって不満も出てますよ!何時まで午後の検温は続くんです?」「ふふふ、マイちゃんの機嫌が悪いのはこれが理由?」「そうですよ!何とかして下さい!」「残念だけどそれは無理。SH先生からの厳命なの。相当堪えたらしいわよSH先生。“私の至らなさで傷を負わせてしまった”って悔やんで、嘆いて、落ち込んで大変だったの。だから先生必ず来るでしょう?貴方を治す事が“罪滅ぼしになる”って全力を挙げてるのよ。だから4人の主治医体制は揺るがないの!当分付き合って頂戴!それと、来週から学生が来るの。ゼミの学生が病棟へ入って実習をするの。貴方も対象になってるから、雛鳥の“お世話”に付き合ってね!」「えー!聞いてない!そんな罠に落とすんですか?」「夕方、SH先生に聞いたら?今晩は当直だから。心配しないで、女学生が来るからさ!血圧以外は異常なし!」Kさんが記録を書き込む。「男子学生になりませんか?」「主治医の判断です。女の子の扱いは慣れてるでしょう?」Kさんが止めを刺す。「でもね、みんな貴方を頼りにしてるのよ。女学生を付けるのも信頼の証。貴方なら間違った事はしないし、格好の患者として先生方が捕り合いをした程なんだから!」「喜んでいいのか?嘆くべきか?どっちにしても決まった事は覆らない。あきらめますよ」僕は敢え無く撃沈の憂き目にあった。「まあまあ、そう落ち込まないで!ほら、姫君がお待ちよ!」Kさんが病室の入り口を指さす。「〇ッシー、まだなの?」マイちゃんはご機嫌斜めだ。「はい!今終わりましたよ!今日は点滴は無し。さあ、行って来なさい!」Kさんが笑顔で僕の背を押す。ご機嫌が悪い姫君は「女の子が来るんでしょ?」と言って下を向く。「学生さんだよ。SH先生の指示らしいが」「〇ッシー、また忙しくなるね」と言うと後ろを向いて歩き出す。指定席に座ると左腕をしっかりと掴んでピッタリと寄り添って来る。「〇ッシー、置いてかないでよ!どこにも行かないでよ!あたしの傍に居てよ!」彼女は半泣きで言う。「置いてった事がある?退院は当分は先だ。何時になるかも分からない。マイちゃんの傍から居なくなったりしないよ」涙を右手で拭いてやると右手を握って「絶対だよ!」と鳴き声で言う。ガラス細工の心はちょっとした事で砕け散るかも知れない。不安だったり、焦燥感だったり、ヤキモチだったり、常に彼女は揺れ動いている。果てない揺れを少しでも小さくするには、日々の支えが欠かせない。しばらく彼女は泣きじゃくり、やがて眠ってしまった。僕は静かに座り続けた。マイちゃんが眠っている間、Eちゃんを筆頭にメンバーの子達が集まり始めた。僕が静かにする様に促したので、みんなはそっと着席して見守っていた。「眠り姫だね」Eちゃんが言う。「〇ッシー、泣き跡があるけど、さては姫を泣かせたな!」みんなが僕の頭を小突く。「この、不埒者め!」攻撃は次から次へと押し寄せる。だが、みんな怒っている訳でなく微笑みを浮かべている。優しい女神たちが僕とマイちゃんの周囲に居る。「きっといい夢を見てるね」みんなはマイちゃんの寝顔を見て口々に言う。「〇ッシー、ベッド代わりご苦労様」「何にでも化けるからな」僕も小声で言って笑う。

僕とマイちゃんが最も輝いてた時間。
残念だけれど、ここで、この思い出旅行を終わりにしようと思う。マイちゃんが、元気で、ヤンチャで、最も輝き、僕も輝いていた時間。マイちゃんのあの声で締めくくりたい。

「ねえ、○ッシー、今度は何を企んでるの?朝食、一緒に食べようよ!」

今でも、この彼女の独特な言い回しを忘れた事は無い。マイちゃん。元気ですか?僕はもう少し生きてみるよ!必ず行くから待っててくれよ。大空から見ていて!

マイちゃんの記憶 fin


最新の画像もっと見る

コメントを投稿