limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
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社会の片隅から

2017年01月23日 11時11分15秒 | 日記
違法な長時間労働で、社員が命を絶ってしまった「電通」の社長が交代する。内部昇格であるが、これにより「電通」の社風が変わるとは到底思えない。あの会社の異常さを刷新するならば「外部招聘」にするべきだった。社内の人間では、中で蔓延している数々の弊害に気付けるはずもなく、根底に巣食う病巣へメスを入れるのは不可能に近い。詰まるところ「電通」は、何も変わらずにいずれまた「命を散す社員」を生み出すことになるだろう。悲劇は3度繰り返すのは、間違いない。
男性社員が「育児休暇」を取得すると、復帰後に「不利益な扱いを受ける」と言うのも最近問題になっているが、日本の社会や会社組織の考え方は、恐ろしいほど古めかしい事に恐怖を感じる。「育児は女性が担うもの」「育休は女性だけの権利」と言う男尊女卑的な会社制度が、何も変わらないのでは「1億総活躍社会」など絵空事でしかない。「育休」の2文字を口にした瞬間から「リストラ対象者」の烙印を押されるのでは、女性の活躍も女性管理職も増える事はないのだ。安倍首相は、こうした会社組織の現実を認知しているのだろうか?塩崎厚労相も同罪だ。
私もかつて「違法な長時間労働」を経験した一人である。そして結果的に「心を病み」会社を追われた経験がある。今は、非正規労働者として社会の底辺でひっそりと生きている。現在、求職中だが「精神障害者」である事を理由に、ことごとく落選し続けている。12社に応募して、面接にたどり着けたのは僅かに3社のみ。その内の2社からも落選通知を貰っている。障害を負わされ、非正規に身を落とすと「正社員」へ戻ることは、不可能に近い。こうした「掃き溜め」に生きている者の声も安倍首相や塩崎厚労相には聞えては居ない。悲しいがこれが現実の社会だ。私は、製造現場から管理部門に異動となってから、陰湿な上司のイジメのターゲットにされた。残業時間は一切カウントされず、土曜・日曜も「自主的に出勤して」業務をこなすように強要された。「拒めばよかったのに」と思われるかも知れないが、拒めば「兵糧攻め」(つまり昼食なし)とノルマの「上積み」で対抗された。私の仕事が滞れば、製造現場のラインが止まるのである。責任と重圧を背負わされた私が、潰れるのに差ほどの時間はかからなかった。当然の事ながら、上司も会社も「精神障害受傷」に関わる責任は、何一つ取ろうとはしなかった。上司も何の処罰もされなかった。それどころか、定年後に「再雇用」されて、ヌクヌクと5年間も会社の椅子に座り続けた。私の一件は「私的傷病」として処理し、成績が上がらないと見るや「退職勧告」を就き付け、会社から追放同然に追われた事は、今でもトラウマになっている。労災認定を求めて闘う道もあったかも知れないが、巨大組織に個人が抗うには、分が悪すぎた。死んでいれば話は違っただろうが、私は生きている。長い消耗戦を戦い抜く力も資金も無い。だから、私は闘争の場から降りた。命があれば「また陽の当たる場に出られる」と自身を納得させて。そして、10年余りの時間が流れた。非正規の悲哀をかみ締めながら、失業者としての苦渋に耐えながら、今を懸命に生きている。正社員として定年まで1社に勤め続けていたら「見えなかった」だろう事も見てきた。交替勤務に振り回されて、見えない時計と格闘する心配も無くなった。失ったモノもあるが、大切な子供の成長に関われたのは唯一の救いだ。社会の底辺で貧困と見えない明日に絶望する時もあるが、人にはそれぞれ「人生の時間割」があるはず。今は「陰」の時間でも、もうすぐ「陽」の時間になる。そう考えれば、そう信じなくては現代で生き残る事は出来まい。明けない夜は無いし、季節は多少のズレがあっても確実に巡っている。自ら命を捨てようとした事も、何度もあるがその話はいずれまたの機会にしよう。今を「生きている」事こそ大切なのだから。
「多様な働き方」について様々な議論があり、改革を進めている企業もある。日本の慢性的な長時間労働は、労働生産性の低下を招いていると言う指摘もある。男女の別なく「育児」に関われる社会。男女の別なく「管理職」になれる社会。障害の有無に関係なく働ける社会。人口減少と高齢化に打ち勝てる社会。社員が落命しなくても報われる社会。今を生きている私達の肩にかかっている「変革」と言う課題。目を逸らすことなく、真正面から受け止めて私達は生き抜いていく責任がある。私もあなた達「みなさん」も。

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