limited express NANKI-1号の独り言

折々の話題や国内外の出来事・自身の過去について、語り綴ります。
たまに、写真も掲載中。本日、天気晴朗ナレドモ波高シ

高齢運転者交通戦争

2017年02月21日 13時29分29秒 | 日記
“2月20日午前10時、仙台市太白区の「みやぎの生協柳生店」の駐車場で、84歳の高齢女性が運転していた乗用車が暴走。乗用車3台・自転車2台と接触の上、クリーニング店の壁に激突して停止した。現場にブレーキ痕はなく、警察は女性がブレーキとアクセルを踏み間違えた可能性があると見ている。”
またしても高齢者が運転する車両が暴走した。お得意の「ブレーキとアクセルを踏み間違えた」が原因とされているが、疾走する「凶器」を止める手立ては無いのだろうか?本当にこれは「交通戦争」である。正式には「高齢運転者交通戦争」と言わねばなるまい。常に全国民が四方八方に神経を使い、怯えながらに街を歩かなくてはならない「恐怖」の時代の幕開けは昨年。今年は更に悪化すると思っていたが、憂慮は「現実」になった。4日前「ある決定」があった。
“昨年10月、横浜市南区で小学生の集団登校の列に軽トラックが突込み、7人が死傷した事故で、自動車運転処罰法違反(過失致死傷)で逮捕された合田政市容疑者に対して、横浜地検は「認知症との自覚がなかった」などとして「不起訴処分」にした。”
遺族・被害者の家族の心中は、決して穏やかではあるまい。「認知症」を理由として刑事責任を問わないことになったのだから、検察当局の「怠慢」は非難されて当然だ。「認知症」であろうとなかろうと「立件して起訴」しなくては、昨今の「交通戦争」に対して「闘う意志なし」と白旗を掲げたに等しい。容疑者を刑事告訴しないとなれば、遺族・被害者の家族は民事訴訟で容疑者の家族を訴えなくてはならない。ましてや「不起訴」である。7人が死傷した事故を起しながら「のほほん」とされているのでは、道理が立たないではないか!!「認知症を理由として刑事責任を問わない」と言う「前例」をわざわざ作ってしまったら、認知でなくても「認知症を装えば不起訴」と言う逃げ道を用意してやった罪は、限り無く重い。高齢者と言えども7人が死傷した事故の容疑者である。「認知症」があろうとなかろうと司法の場でキッチリと責任を追及して監獄へ送るのが筋だ。そうしなくては「免許の自主返納」も進まないし、高齢者にハンドルを握らせるのを「諦めさせる」理由が崩れてしまう。「交通戦争」を終結させるには、高齢者であろうとなかろうと「情状酌量なし」「厳罰」で臨まなくてはならない。例え84歳であろうとも「相応の刑事罰と行政処分」を科さなくては社会が納得しないだろう。後期高齢者になった時点で、軽度の違反でも「免停」とするなどの「厳しい姿勢」を示さなくては、つけあがっている高齢者どもの暴走を食い止めることすら不可能になりかねない。
ある調査によれば、認知症患者約7300人のうち11%が認知症の診断を受けた後も運転を止めず、16%に当たる130人が人身・物損事故を起していたという。更に警察庁によれば2012年8月までの2年間に高速道路で起きた“逆走”447件のうち約7割が65歳以上の運転者だったという背筋も凍るデーターもでている。まさに「待ったなし」の対応が求められているのだ。認識もあやふやなまま「走る凶器」のハンドルを握り続ける高齢者。これから春先になり「子供を連れてお散歩」と言うお母さん方も増えるかと思うが、昨今の日本の道路に「安全な場所」など無いことを付記して置こう。こうしている今この瞬間にも高齢者が運転する「走る凶器」は、暴走を続けているのだ。最後に身を護れるか否かは、もはや「運」でしかない。歩道も公園もいついかなる場所でも、高齢者は容赦をせずにアクセル全開で暴走する「死神」だ。彼らを止めるだけの法律も警察力も社会インフラも無い。司法も「認知症」を理由に立件を見送る「ヘタレ」になってしまった。今のところ狂人達から身を護るのは、私達の感覚しかない。五感を研ぎ澄まし、常に周囲に非常線を張り巡らす。登下校が心配ならば、市町村の教育委員会等へ直訴する。自分達で出来る限りの手立てを打つしかない。悲しい現実だが、これが「高齢運転者交通戦争」の実態だ。長引かせる訳にはいかないか、高齢者が「自分が如何に危険か」を認めて免許を「自主返納」していかない限りは、根本的な解決は図れそうも無い。ただ、戦い抜くしかないのか?座して死を待つことは無い。高齢者に対して厳しい視線で相対する必要かあるだろう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿